七日目のはるか

藤谷 郁

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15.七日間の根拠

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「あらっ。このコが例の、性転換しちゃった神田春花さん? やだー、初めましてー!」
 吉川は立ち上がると、すごい勢いで春花に近付いてきた。
「あわわ……ッ?」
「めっちゃカワイイー! もともと美形なのね、あなた」
 春花の手を取り、ぶんぶんと握手する。手のひらの大きさと関節の太さは、女性のものではない。

(この人が、吉川博士……)

 間近で見るとやはり骨格がしっかりしている。真崎と同じくらい背が高く、肩幅も広い。
 確かに彼の性別は、男性のようだ。

「は、初めまして。私はM女子大学3年の、神田春花と申します」
「まあ、礼儀正しいのね。いいコねー」
「……」
 初対面だというのに、この距離感のなさ。
 春花はぎこちなく笑うと、真崎の忠告を耳に再生した。

 ――彼を見て驚かないで下さいね。少々風変わりな男ですから。

 吉川猛。
 少々どころか、かなり変わった博士である。女のような外見はもとより、このテンションの高さ、言葉遣い、そして春花に対して悪びれず絡んでくるあたり、普通の感覚ではない。

 ただ、美しい人であるという印象は写真で見たとおりだった。
 
(こんなに近くで見ても、毛穴が分からない……化粧っ気もないのに、なぜ?)

 彼の素肌は白く透明で、真っ白な陶器のよう。若い女性のように瑞々しく、肌理が細かい。後ろで束ねた長い髪も艶やかだった。
 アラフォー男子とは思えない美しさは、奇跡と表現していいだろう。
 だがそれゆえに、大きな違和感を覚える。

 吉川の男らしい低音ボイスは、外見の麗しさとのギャップが激しい。春花の視線は、彼の喉仏へと吸い寄せられていた。
「えっ、なあに? ああ……この声ね。ウオッホン!」
 吉川は咳払いすると、片手で喉を押さえた。
「男くさい声でしょ? 嫌になっちゃう。やっぱり、メラニー法を試してみようかしら。少しは女っぽくなるかも」
「えっ、メ……メラ……?」
 きょとんとする春花に、真崎がそっと耳打ちする。
「ボイストレーニングの一種です。訓練によって、女声を出せるようになるとか」
「そう、なんですか」
 よく分からないまま、春花は頷く。突然耳元で囁かれ、そのことに気を取られてしまった。

「さて、吉川君。さっそく本題に入りますよ」
「ええっ、もう? せっかくだから、もっとお喋りしたいわ」
「雑談してる暇はありません」
 真崎はきっぱり言うと、その辺にある丸椅子を引き寄せ、春花と並んで座った。吉川は仕方ないといった感じで肩をすくめ、自分の椅子を持ってきて二人と向き合う。
 部屋は急に静かになり、巨大な水槽のエアポンプの音が、際立って聞こえた。

「それで、どう思います吉川君」
 真崎が口を切った。
 今の質問はもちろん、春花が男性化した原因についてだ。吉川は、例のビタミン剤を開発した張本人である。
「だから、電話でも話したでしょ。本当に分からないのよ」
 吉川は睫毛を伏せ、ため息をついた。
 うんざりした様子は、これまでさんざん問い詰められたことを物語っている。

「しかしですね、吉川君。君がくれた錠剤を飲んで、彼女は男性化したんですよ。分からないって答えはないでしょう」
「そんなこと言ったって、あれは本当に、ただのビタミン剤なの。どうしようもない事実なのよ」
  真崎はふいに横を向いた。彼の瞳は、水槽で泳ぐ小さな魚を映している。

「君は、遺伝子研究の専門家を超えるだ。その豊富な知識と、独特すぎる科学理論でもって、何か仕掛けたのでは?」
「はああ?」
  吉川は口の端をピクピクとひきつらせた。
「この私が、じっ、人体実験をしたとでも? バカなこと言わないで。第一、遺伝子組み換え実験には倫理的な観点から法的規制が行われているの。特に、ヒトに対する遺伝的改良、ましてや一方的な改造なぞ、いくら私でもできやしないわ!」
「自主規制は?」
「……していない。そんな言葉は知らない」

 魚が一匹、水面から跳ねた。群れの中でも、目立って大きな個体だった。

「あのっ、私の身体は本当に、元に戻るのでしょうか!?」
 春花は拳を握りしめ、ぶるぶると震わせる。 科学者二人の問答は、不安を駆り立てるばかりだ。
 吉川は白く美しい顔を春花に向けると、眉を寄せて「う~ん」と唸った。
「分からないわ。だって、そもそもどうしてあなたが男になったのか、意味不明なんだもの」
「そんな……無責任な」
 涙が出そうになる。こんな悪夢があるだろうか。

(もしも……女に戻れなかったら、私は……)

 春花が俯きかけた時、真崎がゆっくりと吉川に見向いた。
 吉川、そして春花までもがビクッとする。いつも穏やかな真崎の目に、怒りが表れていた。

「吉川君、君は一体あの錠剤に何を入れたんです」
 真崎は立ち上がると、吉川との距離を詰めた。にこりともしない彼の顔は、少し青ざめて見える。
「だっ、だから、ただのビタミン剤だって言ってるでしょ。あなただって成分を調べたはずよ。あの錠剤は、製薬会社と共同開発した、ちゃんとした製品なの」
「ただのビタミン剤にも関わらず、なぜ【一週間だけ男になる薬】などと、封筒に書いたのです」
「単なる思いつきだってば。いつものように、メガネのお嬢ちゃんをからかっただけよ!」
  夕子のことだ。どうやら、これまで彼女がすすめてきた実験の数々は、吉川のアイデアらしい。親友のお気楽な顔を思い出し、春花は頭を抱えた。

「勘弁してよお。分かんないものは、分かんないんだからあ」
 真崎に追い詰められ、吉川は椅子の上で縮み上がる。本気で怯えているのだ。
「まったく、君という人は……」
 圧力で追及できるのはここまで。
 真崎はそう判断したのか、今度は吉川の目の中を探るように覗いた。
「まあ、それは信じるとします。では一週間と期間を設けた、その根拠は何です」
「……月のものよ」
 吉川はぽつりと答える。
「何ですって?」
「女性の月のものは大体7日間でしょ。ねえ、春花さん」
 
「え……ええっ……?」
 それって根拠ですかと叫びそうになるが、春花はもう気力が萎えている。それに、生理のことを真崎の前で話したくなかった。
 春花の心情を察してか、真崎は話の向きを変えた。
「七日目を過ぎてもこのままだったら、どうします」
「どうしましょ」
 口調は軽々しいが、吉川の顔は大真面目だ。ことの重大さを、やっと呑み込めたのかもしれない。
 真崎は恐ろしげな声音で、その答えを教えた。

「決まってます。君の生涯をかけて、春花さんを元通りにするための実験と研究を行ってもらう。残りの人生を、ただそれだけのために捧げていただきます」
「無理よ!」
 吉川は悲鳴を上げた。声が完全に裏返っている。
「いいえ、やってもらいます」
「うう……っ。そんなあ……」
 話は決まったようだ。
 よく分からないが、彼らの間には絶対的な強弱関係があるらしい。春花は真崎の後ろから、うなだれる吉川を不思議な気持ちで見つめた。

「行きましょう、春花さん。長居は無用です」
 こちらを向くと、真崎は春花を抱えるようにして、部屋から連れ出した。
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