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正義の使者〈2〉
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そして鳥宮は金が入ると、テレビやフィギュアを買うなどして散財した。得体の知れない男から得た報酬を、ためらうことなく使っている。
「鳥宮という男は短絡的な人間、あるいは相当なお人好しだったのかな。いずれにしろ、水樹が現金を握らせたのは間違いない。振り込みなど、証拠を残すことはしなかったろうねえ」
望月さんは窓のほうへと歩き、カーテンを開いた。
雨風がガラスを叩いている。
「水樹と鳥宮が接触したという証拠が必要だよ。水樹を締め上げても、シラを切られたらそれまでだし。ねっ、東松くん」
「ええ……そのとおりです」
俺も窓に立ち、望月さんと並んでベランダを見回す。
「今年はよく降りますね」
「まったく、現場泣かせさ」
証拠など、雨が全部流してしまったよーー
水樹智哉が、どこかから俺たちを見ている気がした。すべて計算ずくなら、彼は警察の動きも予測している。
「あの、望月さん。一つ聞いてもいいですか」
「何だい?」
高崎の事件についてだ。捜査担当者だった望月さんなら、答えられるだろう。
「ベランダの仕切り板って、蹴破れますよね」
戸境の板である。火災のときなど、これを蹴破ってベランダを避難路にする。
「そういった素材でできてるからな」
「仕切り板を壊せばもっと簡単に侵入できるのに、なぜ田村はわざわざ手すりに上がって隣に移動したんでしょう」
「ああ、そのことね。俺らもちょっと引っかかったんだけど、こう考えたんだよね」
素朴な疑問を向ける俺に、望月さんが微笑む。
水野さんも横に来て、耳を傾けた。
「田村は最初、ただ隣を覗くつもりだったんじゃないかな」
「ベランダ越しに?」
水野さんが問うと、望月さんは身を乗り出して隣を覗く動作をしてみせる。
「あの日、隣室の窓はレースのカーテンが引かれていた。真っ暗な夜明け前。部屋は明かりがついているから、中の様子が窺える。だけど、ここからの角度ではよく見えないから、ベランダの手すりに上がって隣に移動したってわけさ。ちょっと覗くだけなんだから、仕切り板を蹴破るのは大げさだし、物音を立てて彼女に気付かれてはまずいと思ったんだろう」
筋の通った説明に一応納得する。
望月さんは続けた。
「ベランダにこっそり侵入した田村は部屋の中を覗いた。1DKの狭い空間とあって奥まで丸見えだ。カーテンを透かして見えるのは彼女がキッチンに立つ姿。こんな時間に料理をしているのか。テーブルには二人分の食器。ペアのマグカップ。男のために朝食をこしらえているのだと分かった」
「……嫉妬、ですか」
望月さんは返事の代わりにため息をつく。
「カッとなって殺したってやつだ。田村は斎藤陽向に執着していた。思い込みの激しいやつだったと、田村をよく知る友人が証言している」
水野さんと目を合わせ、俺もためいきをつく。鳥宮のつきまとい行為も独りよがりだが、田村はさらに酷い。
望月さんはこちらを振り向き、苦笑を浮かべた。
「彼女は自分のものであり、他の男と仲良くするのは許さない。飯を作るなんてもってのほかだ……ってところか。付き合ってもいないのに強く思い込める心理って何なんだろうな。理解できないけど、はっきり言えるのは、被害者にとって迷惑極まりない感情だってこと。田村は様々な悩みを抱えていたらしいが、はけ口にされちゃたまんないぜ」
望月さんの声に怒りが滲む。田村の犯行は理不尽に満ちていた。
「最初は覗くだけのつもりだったから、田村は凶器を用意していなかったんだな」
水野さんがつぶやくと、望月さんは悔しそうに返す。
「そうです。彼女のペティナイフが凶器になったのは皮肉ですよ。たまたま手にしていたばかりに」
「水樹は苦しんだだろうな」
斎藤陽向は水樹のために朝食を作っていた。その調理道具で切り裂かれたのだ。
「では望月くん。田村が犯行後、自室に戻ろうとしたときも仕切り板を破らず手すりに上がったのは、ひょっとして犯行をごまかせると思ったのかな」
「たぶん、そうでしょうね。しかし田村は返り血を浴び、指紋の付いたナイフを現場に残している。ごまかしようのない状況ですが、やつは正常な判断ができないほど混乱していた。手すりに上がって部屋に戻ろうとしたものの、駐車場に人がいることに気づき、逃げられないと悟ったんでしょう」
「一瞬で絶望し、飛び降りたわけか」
狂気の沙汰である。田村という男は、どこまで身勝手な人間なのか。
「水樹のことは気になってたんです。恋人を殺され、その第一発見者として警察の聴取を受ける彼は悲壮だったから」
望月さんはカーテンを閉めると俺と水野さんに向き合い、当時の水樹について語った。
「事件後はショックが尾を引いていた。受け答えはまともだが、どこかぼんやりした感じで、魂の抜け殻っていうのかな。危ねえなコイツ、と思いましたよ」
衝撃が強すぎて、無意識に現実逃避したのかもしれない。水樹智哉は感受性の強いタイプなのだろう。
「鳥宮という男は短絡的な人間、あるいは相当なお人好しだったのかな。いずれにしろ、水樹が現金を握らせたのは間違いない。振り込みなど、証拠を残すことはしなかったろうねえ」
望月さんは窓のほうへと歩き、カーテンを開いた。
雨風がガラスを叩いている。
「水樹と鳥宮が接触したという証拠が必要だよ。水樹を締め上げても、シラを切られたらそれまでだし。ねっ、東松くん」
「ええ……そのとおりです」
俺も窓に立ち、望月さんと並んでベランダを見回す。
「今年はよく降りますね」
「まったく、現場泣かせさ」
証拠など、雨が全部流してしまったよーー
水樹智哉が、どこかから俺たちを見ている気がした。すべて計算ずくなら、彼は警察の動きも予測している。
「あの、望月さん。一つ聞いてもいいですか」
「何だい?」
高崎の事件についてだ。捜査担当者だった望月さんなら、答えられるだろう。
「ベランダの仕切り板って、蹴破れますよね」
戸境の板である。火災のときなど、これを蹴破ってベランダを避難路にする。
「そういった素材でできてるからな」
「仕切り板を壊せばもっと簡単に侵入できるのに、なぜ田村はわざわざ手すりに上がって隣に移動したんでしょう」
「ああ、そのことね。俺らもちょっと引っかかったんだけど、こう考えたんだよね」
素朴な疑問を向ける俺に、望月さんが微笑む。
水野さんも横に来て、耳を傾けた。
「田村は最初、ただ隣を覗くつもりだったんじゃないかな」
「ベランダ越しに?」
水野さんが問うと、望月さんは身を乗り出して隣を覗く動作をしてみせる。
「あの日、隣室の窓はレースのカーテンが引かれていた。真っ暗な夜明け前。部屋は明かりがついているから、中の様子が窺える。だけど、ここからの角度ではよく見えないから、ベランダの手すりに上がって隣に移動したってわけさ。ちょっと覗くだけなんだから、仕切り板を蹴破るのは大げさだし、物音を立てて彼女に気付かれてはまずいと思ったんだろう」
筋の通った説明に一応納得する。
望月さんは続けた。
「ベランダにこっそり侵入した田村は部屋の中を覗いた。1DKの狭い空間とあって奥まで丸見えだ。カーテンを透かして見えるのは彼女がキッチンに立つ姿。こんな時間に料理をしているのか。テーブルには二人分の食器。ペアのマグカップ。男のために朝食をこしらえているのだと分かった」
「……嫉妬、ですか」
望月さんは返事の代わりにため息をつく。
「カッとなって殺したってやつだ。田村は斎藤陽向に執着していた。思い込みの激しいやつだったと、田村をよく知る友人が証言している」
水野さんと目を合わせ、俺もためいきをつく。鳥宮のつきまとい行為も独りよがりだが、田村はさらに酷い。
望月さんはこちらを振り向き、苦笑を浮かべた。
「彼女は自分のものであり、他の男と仲良くするのは許さない。飯を作るなんてもってのほかだ……ってところか。付き合ってもいないのに強く思い込める心理って何なんだろうな。理解できないけど、はっきり言えるのは、被害者にとって迷惑極まりない感情だってこと。田村は様々な悩みを抱えていたらしいが、はけ口にされちゃたまんないぜ」
望月さんの声に怒りが滲む。田村の犯行は理不尽に満ちていた。
「最初は覗くだけのつもりだったから、田村は凶器を用意していなかったんだな」
水野さんがつぶやくと、望月さんは悔しそうに返す。
「そうです。彼女のペティナイフが凶器になったのは皮肉ですよ。たまたま手にしていたばかりに」
「水樹は苦しんだだろうな」
斎藤陽向は水樹のために朝食を作っていた。その調理道具で切り裂かれたのだ。
「では望月くん。田村が犯行後、自室に戻ろうとしたときも仕切り板を破らず手すりに上がったのは、ひょっとして犯行をごまかせると思ったのかな」
「たぶん、そうでしょうね。しかし田村は返り血を浴び、指紋の付いたナイフを現場に残している。ごまかしようのない状況ですが、やつは正常な判断ができないほど混乱していた。手すりに上がって部屋に戻ろうとしたものの、駐車場に人がいることに気づき、逃げられないと悟ったんでしょう」
「一瞬で絶望し、飛び降りたわけか」
狂気の沙汰である。田村という男は、どこまで身勝手な人間なのか。
「水樹のことは気になってたんです。恋人を殺され、その第一発見者として警察の聴取を受ける彼は悲壮だったから」
望月さんはカーテンを閉めると俺と水野さんに向き合い、当時の水樹について語った。
「事件後はショックが尾を引いていた。受け答えはまともだが、どこかぼんやりした感じで、魂の抜け殻っていうのかな。危ねえなコイツ、と思いましたよ」
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