恋の記録

藤谷 郁

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春菜の願い

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「母に引き取られるのを智哉くんも望んでくれたのですが、彼は家の中で遠慮していました。僕としては、兄弟ができたみたいで嬉しかったけど、彼にとっては世話になっている人の息子って感じなのか、いつまでたっても敬語なんですよ。変でしょう? 特に仲が悪いわけじゃないのに。それに、母のことは『おばさん』、僕のことは『若月さん』って呼ぶんです。他人行儀だなあと思いつつ、彼の気持ちを尊重して、そのままにしていますが」


若月さんは寂しそうだが、智哉さんらしい線引きだと思う。

彼は他人と深く関わることができない。愛したくても愛せない、呪いにかかっているのだ。

私も陽向さんの身代わりであり、その陽向さんすら初めは実験の対象だった。日記を読んで、初めて分かったこと。

智哉さんは母親を恨んできた。フラッシュバックが起きてからは、さらに必死になってもがいている。呪縛から逃れようとして……


「母は智哉くんの後見人ですが、親代わりでもあった。不自由のないよう、寂しくないようにと懸命に世話をして、彼も名古屋のお母さんとまで言ってくれたのに。でも……ダメだったんですね。まさか、こんなことになるなんて」

「若月さん」


呪いは複雑で、しかも強力だ。彼が解放されるには、どれほどの愛が必要なのだろう。


「しかし、智哉くんが靴メーカーに就職したとき、母は喜びましたよ」


私が俯いたためか、若月さんが元気づけるように続けた。


「スーツ姿なんか、伸也さんにそっくりだから。お父さんのことは、ほとんど覚えてないはずなのに、無意識に受け継いでるんだなあと」

「受け継いでる……」

「はい。意志というか、魂みたいなもの? うまく言えませんが」


無意識に、父親の背中を追った。智哉さんは、やはり愛情を求め続けている。靴に執着するのも、その表れ。

彼が求めたのは、母の愛。父の愛。

無償の愛だ。


「私、智哉さんに会いたいです」


知らず漏れた言葉に、若月さんが目をみはる。


「それは、もしかして、智哉くんに文句を言いたいとか?」


私と彼の関係について、警察から聞いているだろう。陽向さんの身代わりであったことも。


「もちろん、文句は言います。でも、それよりも私は、今度こそ一条春菜という一人の人間として彼と向き合いたい。それこそ、魂をぶつけてやりたいんです」

「……本気で、そう思ってくれるんですか? 彼の過去を知った上で、それでも向き合いたいと」

「はい。それが私の願いです」


若月さんが眼鏡を外し、瞼をこする。こすりすぎて赤くなった目で私を見つめた。


「一条さんとお会いできて良かった。あなたは、初めて智哉くんが家族になろうとした人だから」


家族になりたい人がいる。そう告げられたとき、若月さんは嬉しかっただろう。私に委ねたかったのかもしれない。


「智哉くんに会ったら、伝えてください。僕も心配していると」


私は黙ってうなずく。

そして、必ず智哉さんに会うのだと、決意していた。


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