恋の記録

藤谷 郁

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素足

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「この部屋でカートに乗り込むわけにいかないんですか? わざわざ危ないことをしなくても……」

「カートを病室に入れるのは禁止されている。看護師に見つかったらめんどうだし、それに、どうせ警察が防犯カメラで見張ってるんだろ? 不自然なことはしないほうがいい」


なぜそんなに詳しいのだろう。よほど下調べをしたのか、それとも犯罪捜査の知識でもあるのか。


「あなたは何者ですか。警察は、あなたのことをまだ把握していません」

「そのようだな。自宅のインターホンを遠隔でチェックしてるんだが、警察が来た気配がない。しかし、もうそろそろ足がつくころだ」


ということは、この人は自宅を離れて智哉さんに協力している。つまり、生活を犠牲にして。

いったいこの人は誰なんだろう。なぜ智哉さんにそこまで協力するのか。そもそも智哉さんは、いつどうやって、彼に連絡をとったのだろう。


「そろそろ足がつくと、なぜ分かるんですか」

「……」


探りを入れても答えない。私は詮索をあきらめ、最も大事なことを確認した。


「私が脱出したあとはどうするんです。警察が調べれば、脱出方法がすぐにばれてしまう。そうしたら、この部屋にいる山賀さんが疑われます。証拠隠滅をしなければ……」

「私は承知しています。警察に捕まっても構いません」


凛とした声が病室に響いた。


「山賀さん? 何を言って……」

「私は水樹さんに幸せになってほしい。彼には一条さんが必要なんです。一条さんだって、水樹さんと一緒になればきっと幸せになれる」


私を見つめる目は真剣そのもの。

この子は、本気なのだ。また彼のために犠牲になろうとしている。


「山賀さん。あなたは智哉さんに利用されて、大怪我をしたのよ。下手したら死ぬところだった」

「ええ、分かっています。でも、それはすべて愛のため。そこまで一条さんを愛してるってことですよね」


頭がズキズキしてきた。なぜそんな風に解釈ができるのか、理解できない。


「だから、彼が愛してるのは私じゃない。私は身代わりなの」

「そうだとしても羨ましいです。なにより私は、水樹さんに幸せになってほしい。一条さんなら彼を幸せにできるから、どんなことでも手伝うと決めたんです。お願いです。彼を、幸せにしてあげてください」


めまいがしそうだった。山賀さんはどうかしている。

それとも、彼女の言い分が正しいのだろうか。誰かを犠牲にしてでも貫くのが真実の愛?

よろめきそうになるが、私は踏ん張る。そんな考え方は、とても受け入れられない。


「私は許せない。誰かを愛するっていうのは、そういうことじゃないわ」


智哉さんがしたことは犯罪だ。鳥宮さんを、山賀さんを、そして私を自分本位な計画に巻き込み、今もなお、罪も償わず逃げようとしている。いや、そもそも罪悪感などまったくないのだろう。

智哉さんに対する怒りが再燃し、私は理性を失う。逃げることも忘れ、男に向かって、ハッキリと言い放った。


「全部、警察に話します。なにもかも証言して、山賀さんを保護してもらう。あなたを信用できない。智哉さんは間違ってる!」

「間違ってる?」


男は首を傾げた。


「ええ、間違ってるわ。あなたも、山賀さんも。こんなことしたって、智哉さんは幸せになれない」

「本当に、そう思うのか」


男がつぶやき、暗い眼差しで私を見下ろす。

 
「正しいことをして、幸せになれるならいい。だが、世の中は理不尽に満ちている。正義など何の役にも立たないと、俺が水樹に教えたんだ」

「……?」

「だから、俺には責任がある。彼の人生に対して」


この人は私を見ていない。なぜか、そう思えた。まるで独り言のように、低い声が響く。


「一条春菜……俺の指示どおりにしてくれ。警察はもちろん、誰にも言わずに実行するんだ」

「無理です。絶対にやりません」


私は抵抗した。どうしても受け入れられない。


「あなたと智哉さんの関係がなんなのか、見当もつきません。でも、本当にあなたが彼の味方なら、自首をすすめるべきだわ。罪を償わせてください」


男は黙り込む。その代わり、懐に手を入れてそれを取り出し、山賀さんに近づいた。ほとんど一瞬の動作だった。


「実行するんだ。さもなくば……」


山賀さんの頸にナイフが光るのを見て、私は息を呑んだ。

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