恋の記録

藤谷 郁

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素足

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「智哉さん……」


現れたのは、ずっとずっと追い求めてきた人。こんなところで再会するなんて、誰が予想できただろう。

三国はこの場所を通過点と言ったはずだ。それなのに――


「待っていたよ。本当に、会いたかった」


優しい声。優しい微笑み。

でもこれは、私に向けられたものではない。私は『ハル』の身代わり。彼の愛情は斎藤陽向さんに注がれている。

だけど、分かっているのに、どうしようもなかった。


「私も、会いたかった。どこに行っちゃったんだろうって、ずっと……心配してたのよ?」


涙声になった。この人に会ったら、怒ってやるつもりだったのに、情けない。


「やつれたね。心配かけて、ごめん」


私は瞼をこすり、彼の姿を見回す。

乱れた髪に、無精髭。服装も、いつものパリッとした姿からはほど遠い。よれよれのシャツにジャンパーを羽織り、作業服みたいなズボンを穿いている。なにより、病み上がりのように疲れた顔だった。


「もう大丈夫だ。僕らは決して、離れ離れにならない」


恋人の甘い囁き。私の頬を撫で、身体を近づけてくる。


(ああ、本当に智哉さんだ)


私の大好きな人。ずっと会いたかった。こんな風に見つめられ、求められる幸せを夢見ていた。なにもかも忘れて受け入れてしまえば、それが叶うだろう。

だけど……


「愛してる。君だけを……」


唇が触れ合う寸前、我に返った。

力いっぱい彼を押し返し、「やめて!」と叫ぶ。私自身が驚くような、激しい拒絶だった。


「どうしたんだ」


心配そうに覗き込んでくる。

私は実際、ガタガタと震えていた。魅入られそうになった自分と、彼に対する怒りで。

また、繰り返すところだった。


「私はハルじゃない」

「何を言って……」

「私は、身代わりだったのね」


智哉さんの表情が曇る。この人は、なにもかも分かっているのだ。それなのに、まだ続けようとしている。


「日記を読んだの。あなたの、『恋の記録』を」

「……」


瞳に動揺が浮かんだ。

彼はシートに座り直すと、ドラレコの電源を切った。三国の干渉が断たれ、私たちは二人きりになる。


「なるほど。狼どもの仕業か」


敵意のこもる声と、言い草だった。



「パソコンを押収して、人のプライバシーを覗いたわけだ。そして勝手に解釈し、君に適当なことを吹き込んだ」

「違う。彼らは私に真実を教えてくれたのよ」

「僕より、あいつらを信じるのか?」


私は一瞬、怯んだ。でも、流されてはいけない。警察の他にも、真実を教えてくれた人がいる。


「日記を読んだあと、あなたのことをよく知る人に会いました」

「よく知る人?」

「若月千尋さんです」


今度はあからさまに動揺した。見たことのない表情。私の知らない智哉さんが表れつつある。


「ああ……僕が連絡先を教えたから、電話したのか」

「いいえ。私は事情聴取のあと、署内の食堂で若月さんと会ったの。彼は事件をニュースで知って、名古屋から飛んできたと言っていました。そして、智哉さんの生い立ちを話してくれた。彼が知る限りのことを全部」


彼はため息をつき、あきらめたかのような笑みを浮かべた。


「知る限りのことを、全部?」

「はい。たぶん、警察にも」


会話が途切れ、雨の音が大きく響いた。パラパラと、石つぶが当たるような音が混ざる。外はまるで、嵐のよう。


「まったく、あの人は。どうしてそんな、勝手な真似を」

「若月さんは、智哉さんのことをすごく心配してた。その気持ちを、私に託したんだと思う」

「……」


複雑そうな顔。

きっと、いたたまれないのだ。この人にとって、過去はトラウマだから。


「智哉さん。私は、一条春菜です」


正面から向き合い、必死で訴えた。


「神経質でもなければ怖がりでもない。あなたが愛した陽向さんとは正反対の、強い女なの。私は、彼女の身代わりになんてなれないし、なりたくもない」

「ひなた?」


よく分からないという顔。この期に及んで、まだとぼけようとしている。


「そうよ。『ハル』は陽向さんのニックネームなんでしょ?」


「……どういうことだ」


思わずカッとなった。この人は、どこまで私をバカにするのだろう。


「とぼけないで。陽向の陽は、ハルって読むじゃない」

「……ああ、なるほど」


彼は納得し、楽しげに笑った。わざとらしい反応に、私はますますカッカして、声が大きくなる。


「何がおかしいの?」

「いや、あまりにも無理やりすぎて。確かにそれっぽい発想だけど、僕は彼女を『ハル』と呼んだことはないよ」

「えっ?」


そんなはずはない。だって日記に《春菜はハル》と、ハッキリ書いてあった。ハルは陽向さんであり、私は彼女の代役にされたのだ。


「斎藤陽向とハルは関係ない。あと、初めこそ君は身代わりだったが、今となっては僕の家族だ。唯一の家族である、『ハル』なんだよ」

「意味が分からないわ」


頭が混乱する。でも、それこそが智哉さんの狙いかもしれない。

口からでまかせを言って、煙に巻こうとしている。しかも、人が真剣に話しているのに笑うなんて。


「陽向さんの身代わりにしたのは、認めるのね」

「うん、最初はそうだった」


しれっとした態度に、私は怒りを通り越して悲しみでいっぱいになる。

本当に情けない。

こんな男を、なぜ愛したのか。

バカすぎる。

だから身代わりになんてされるのだ。
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