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揺れる心
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「私は不器用だから……もう少し待ってください」
「君は一体、何を迷ってるんだ。この前も変な感じだったぜ」
ハッとして視線を戻す。嶺倉さんは責めるような目で私を見ていた。
「この前?」
「蓮に何か言われたのか」
ときめきとはまったく異なる理由で、心臓が跳ね上がる。
「べ、別に……あの人は関係ありません」
「瑤子さん、君は確かに不器用だな。関係ないと言いながら、どうしてそんなにうろたえるんだ」
嶺倉さんは少し身体を離し、不満そうに息をつく。
「蓮はいい男だよ。君と波長も合うだろう。それに俺と違って、お上品な紳士だからな」
「何が言いたいの?」
彼らしくもない皮肉な言い方に、私もムッとした。
「別に。ただ、瑤子さんは案外、浮気者だと思ってさ」
「はああ?」
本気で言っているのだろうか。だとしたら、とんでもないブーメランだ。
「浮気者はあなたでしょう? モテるからって、調子に乗ってるし」
自分でも驚くような、攻撃的な口調だった。
運転手がチラリとこちらを見て、さっと前を向く。ヒステリックな女だと思われただろう。
だけど私は、冷静になれなかった。
嶺倉さんに対するもやもやが、すごい勢いで膨らんでいく。
「調子に乗ってるって、どこがだよ。ていうか、俺がいつ浮気したって?」
「それはっ……」
SNSの写真を思い出す。きれいな女性に囲まれ、楽しそうにお酒を飲んでいた。
でも、あれは浮気とはいえない。
ハーレム状態など、この人にとっては自然現象であり、日常のスナップなのだ。どこに行っても彼はモテモテで、女性が集まってくるのだろう。
彼が積極的に口説いているわけでは――
(あ……)
突然、ある疑念が蘇った。
嶺倉さんに夢中になるあまり、怖くて訊けなかったこと。ずっと避けてきたその問題こそが、もやもやの原因だったのかもしれない。
「どうした。答えられないのか」
「ううっ」
まるで、お説教されている気分。
私は悔しくて、思いきってストレートにぶつけようとした。
でも……
「ごめんなさい」
唇から漏れたのは、詫びの言葉だった。急激に意気がしぼんでいく。
「瑤子さん?」
「……ごめんなさい。私、疲れてるみたい」
嶺倉さんは何も言わず、肩を抱いてくれた。大らかに、すべてを包み込むように。
この人は大人だ。
さっきも、素直じゃない私から本音を聞き出すために、わざと皮肉な言い方をしたのだろう。
とても敵わない。私とは、すべてにおいてレベルが違いすぎる。
タクシーが駅前のスクランブル交差点で、赤信号に引っ掛かる。フロントガラスを、大勢の人が行き交い始めた。
「よく分からないけど、君は誤解してる。俺は浮気なんてしないよ」
「……」
嶺倉さんと結婚したい。
でも、あの疑念が晴れない限り、私はもやもやし続けるだろう。
こんな気持ち、どう説明すればいいのか分からない。
マリッジブルーの一種だろうか。
でも、私と彼はまだ婚約すらしていない。
そこに至るための、愛を確かめるすべを知らず、不安でいっぱいなのだ。
「なあ、瑤子さん」
優しく囁かれ、私は目を閉じた。低い声が、揺れる心に沁みわたる。
「つまり、君は不安なんだ。その不安を解消しなければ、前に進めない」
「ええ……」
やはり、女心を良く分かっている。この人にもう、何もかも任せてしまおうか。
「そこで一つ、提案がある」
「はい」
「セックスしようぜ」
「……」
瞼を開き、彼を見上げる。
怖いくらいに真剣な顔。ぎらぎらと燃える双眸が、そこにあった。
「セ……?」
「そう、セックス。悠長に飯なんか食ってる場合じゃない!」
一体、何を言っているのだろう。まさか冗談? いやでも、こんな時に――
彼が発した単語が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「今夜はホテルで食事する予定なんだ。実を言うと、部屋もちゃんと取ってあるし、ちょうどいい。なっ、瑤子さん。俺の情熱と愛を、身体で感じてみろ。不安なんて吹き飛んじまうぞ」
「あ、あなたって人は……」
私は唇を震わせる。嶺倉京史――ミイちゃんと呼ばれる男に初めて会った日、私は日傘を握りしめ、イライラしながら思ったものだ。
この下品な男は、完全に、下半身で思考するタイプだと。
「今すぐ、ホテルに行こうぜ! 一発ヤれば、すべて解決す……」
嶺倉さんの雄たけびは途中で切れた。
私が、彼の顔面をぶん殴ったからだ。
「ばかっ、あんたなんて大ッ嫌い!!」
バッグを掴み、タクシーを飛び出した。
後ろを振り向かず、私は走る。駅前の雑踏をかき分け、彼の呼び声から逃げるように。
(もうダメ、もうお終い)
不器用で、融通が利かなくて、つまらなくて――
私は、嶺倉さんに出会う前の私に戻ってしまった。
「君は一体、何を迷ってるんだ。この前も変な感じだったぜ」
ハッとして視線を戻す。嶺倉さんは責めるような目で私を見ていた。
「この前?」
「蓮に何か言われたのか」
ときめきとはまったく異なる理由で、心臓が跳ね上がる。
「べ、別に……あの人は関係ありません」
「瑤子さん、君は確かに不器用だな。関係ないと言いながら、どうしてそんなにうろたえるんだ」
嶺倉さんは少し身体を離し、不満そうに息をつく。
「蓮はいい男だよ。君と波長も合うだろう。それに俺と違って、お上品な紳士だからな」
「何が言いたいの?」
彼らしくもない皮肉な言い方に、私もムッとした。
「別に。ただ、瑤子さんは案外、浮気者だと思ってさ」
「はああ?」
本気で言っているのだろうか。だとしたら、とんでもないブーメランだ。
「浮気者はあなたでしょう? モテるからって、調子に乗ってるし」
自分でも驚くような、攻撃的な口調だった。
運転手がチラリとこちらを見て、さっと前を向く。ヒステリックな女だと思われただろう。
だけど私は、冷静になれなかった。
嶺倉さんに対するもやもやが、すごい勢いで膨らんでいく。
「調子に乗ってるって、どこがだよ。ていうか、俺がいつ浮気したって?」
「それはっ……」
SNSの写真を思い出す。きれいな女性に囲まれ、楽しそうにお酒を飲んでいた。
でも、あれは浮気とはいえない。
ハーレム状態など、この人にとっては自然現象であり、日常のスナップなのだ。どこに行っても彼はモテモテで、女性が集まってくるのだろう。
彼が積極的に口説いているわけでは――
(あ……)
突然、ある疑念が蘇った。
嶺倉さんに夢中になるあまり、怖くて訊けなかったこと。ずっと避けてきたその問題こそが、もやもやの原因だったのかもしれない。
「どうした。答えられないのか」
「ううっ」
まるで、お説教されている気分。
私は悔しくて、思いきってストレートにぶつけようとした。
でも……
「ごめんなさい」
唇から漏れたのは、詫びの言葉だった。急激に意気がしぼんでいく。
「瑤子さん?」
「……ごめんなさい。私、疲れてるみたい」
嶺倉さんは何も言わず、肩を抱いてくれた。大らかに、すべてを包み込むように。
この人は大人だ。
さっきも、素直じゃない私から本音を聞き出すために、わざと皮肉な言い方をしたのだろう。
とても敵わない。私とは、すべてにおいてレベルが違いすぎる。
タクシーが駅前のスクランブル交差点で、赤信号に引っ掛かる。フロントガラスを、大勢の人が行き交い始めた。
「よく分からないけど、君は誤解してる。俺は浮気なんてしないよ」
「……」
嶺倉さんと結婚したい。
でも、あの疑念が晴れない限り、私はもやもやし続けるだろう。
こんな気持ち、どう説明すればいいのか分からない。
マリッジブルーの一種だろうか。
でも、私と彼はまだ婚約すらしていない。
そこに至るための、愛を確かめるすべを知らず、不安でいっぱいなのだ。
「なあ、瑤子さん」
優しく囁かれ、私は目を閉じた。低い声が、揺れる心に沁みわたる。
「つまり、君は不安なんだ。その不安を解消しなければ、前に進めない」
「ええ……」
やはり、女心を良く分かっている。この人にもう、何もかも任せてしまおうか。
「そこで一つ、提案がある」
「はい」
「セックスしようぜ」
「……」
瞼を開き、彼を見上げる。
怖いくらいに真剣な顔。ぎらぎらと燃える双眸が、そこにあった。
「セ……?」
「そう、セックス。悠長に飯なんか食ってる場合じゃない!」
一体、何を言っているのだろう。まさか冗談? いやでも、こんな時に――
彼が発した単語が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「今夜はホテルで食事する予定なんだ。実を言うと、部屋もちゃんと取ってあるし、ちょうどいい。なっ、瑤子さん。俺の情熱と愛を、身体で感じてみろ。不安なんて吹き飛んじまうぞ」
「あ、あなたって人は……」
私は唇を震わせる。嶺倉京史――ミイちゃんと呼ばれる男に初めて会った日、私は日傘を握りしめ、イライラしながら思ったものだ。
この下品な男は、完全に、下半身で思考するタイプだと。
「今すぐ、ホテルに行こうぜ! 一発ヤれば、すべて解決す……」
嶺倉さんの雄たけびは途中で切れた。
私が、彼の顔面をぶん殴ったからだ。
「ばかっ、あんたなんて大ッ嫌い!!」
バッグを掴み、タクシーを飛び出した。
後ろを振り向かず、私は走る。駅前の雑踏をかき分け、彼の呼び声から逃げるように。
(もうダメ、もうお終い)
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私は、嶺倉さんに出会う前の私に戻ってしまった。
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