ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁

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三十路のお見合い

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 部屋はきれいに掃除されていた。
 クローゼットを見ると、クリーニング済みの洋服が掛けてある。私は今すぐにでも着替えて、家に帰りたかった。でも、それは彼が許さないだろう。

「何でそんなに離れてんの?」
「危険だからです」
 ベッド脇に立つ嶺倉さんと、私はなるべく距離を取った。密室で二人きりになると、男の身体は二倍増しに大きく感じられる。手は出さないと言われても、用心深くなるのは当然のことだ。
 それに、彼の傍に寄ればきっと、肩や腰を捕まえられてしまう。
「ま、いいけどさ。せめてソファに座りなよ。立ってると疲れるだろ」
「いいえ、結構です」
 彼が隣に座ってきたら困るし、すぐに逃げられる体勢でいたい。

「しょうがないな、瑤子さんは」
 警戒を解こうとしない私に嶺倉さんは苦笑し、それ以上しつこくしなかった。窓辺にゆっくりと歩き、カーテンを全開にする。
 広がる青空と海。午後の陽射しのまぶしさに、私は目を細めた。
「ねえ、瑤子さん。君はさっき、自分にダメ出ししたよな。だけどさ、俺は違う気がするんだ」
 背を向けたまま、嶺倉さんは話しかけた。
「違う?」
「ああ、大いに間違ってるね。君も、周りの人間も、わざわざ悪い見方をして、マイナスイメージに偏らせ、欠点をあげつらい……」

 嶺倉さんは窓を開けた。両開きの窓の外は芝生とタイルが敷かれたルーフバルコニーだ。潮風に乱れされた前髪を、彼はかき上げる。
「それがすべてだと思い込んでる。視野を広げ、角度を変えてみれば、魅力が分かるのに」
 魅力――
 私は返事の仕様がなく、何となく横を向く。ドレッサーの鏡に映る、赤いドレスの女と目が合った。化粧が少し崩れているが、いつもの自分に比べれば、やはり別人のよう。
 そういえば、このドレスに着替えた時、澤田さんが言っていた。嶺倉さんは私の魅力を分かっている。私が変身できたのは、ヘアメイクの技術ではなく嶺倉さんの見立てのおかげだと。

「瑤子さん、来てみろよ。気持ち良いぜ」
 嶺倉さんはルーフバルコニーに下りて、手招きした。私は少しためらってから、明るい景色のほうへと足を進める。あの陽射しのもとでなら、彼に対する警戒を解いてもいいような気がした。

 手すりにもたれる彼の隣に並び、どこまでも広がる太平洋を眺めた。
「レストランの個室から見るより、さらに爽快ですね」
「だろ? だから俺、この部屋が好きなんだよ。でも、海の上はこんなもんじゃないぞ」
「海の上?」
 きょとんとする私に、嶺倉さんは遠くを指さして教えた。
「俺は時々、船に乗って漁に出かけるんだ。ウチの工場に仕入れるイワシとか、サバとか、どんな状態で水揚げされてるのか、視察も兼ねてね。ていうか単純に、漁の仕事が好きなんだけどさ」
「えっ、あなたは漁師さんでもあるんですか?」
「漁師を名乗るのはおこがましい。素人の見習いだよ。祖父さんが元漁師だから、その血を受け継いだとか言われるけどね」

 スーツ姿の写真からは、想像ができなかった。でも、目の前にいるガタイの良い男性が漁師だと言われたら、深く納得できる。
「そうなんですか。漁というと、遠くまで行かれるのですか?」
「実は今日の朝、東北の漁場から帰って来たばかりなんだ。まだ漁は続いてるけど、陸の仕事が溜まってるし、瑤子さんとの約束があるから、先に降りさせてもらった」
「全然、知りませんでした」
 このことは、金田専務も知らないだろう。取引先の人間は、嶺倉京史はスーツを着た御曹司だと認識している。彼の一面しか見ていないから。
 私だって、実際に会うまでそう考えていた。

「髪も髭も伸びっぱなしだから、急いで床屋に行ってさ。船の上でも髭は剃れるけど、俺自身、髭面も気に入ってるんだよなあ」
「そ、そう……なんですね」
 髭面のおかげで、ヒグマのイメージを持ってしまった。何だか可笑しくて、ぷっと噴き出してしまう。
「どうして笑うんだ?」
「いえ、何でも。うふ……すみません」
 嶺倉さんも笑い、二人は海へと視線を戻す。水平線が白く霞み、空との境界があいまいになっている。
「太平洋の真ん中。船の上で夜空を見上げるとすごいんだぜ。街の光が届かない海は真っ暗だから、無数の星が迫ってくるような感覚で、怖くなるんだ。甲板に寝転んでると吸い込まれそうで、思わず目を閉じてしまう」

 嶺倉さんが怖いなんて、一体どれほどの星が輝いているのか。
 私は頭の中で、その光景を想像する。

「君と一緒に、星空を眺められたらいいな」
「えっ……」
 嶺倉さんは真顔を近付けてきた。
「瑤子さんが傍にいてくれたら、何も怖くない」
 瞳を覗き込み、さりげなく手を腰に回す。
 彼の行為に私は呆れ、急に現実に引き戻される。唇が触れる前に、さっと離れた。
「あれっ、ダメなのか」
「もう、ふざけないでください」
 油断すると、すぐこれだ。明るい陽射しのもとでも、ドスケベの嶺倉京史は遠慮なく襲ってくる。

「はは……さすが俺の瑤子さん。いいなあ」
 何がいいのだろう。
 いつの間にか下の名前で呼んでるし、自分のもの扱いしないでほしい。
「でもまじめな話、俺は君が好きだよ。こんなに良い女、他にいない」
「知りません」
「君の自己評価は間違ってる」
「……」
 嶺倉さんはもう一度、真顔になった。私は警戒するが、彼は腰に手を回すことはせず、正面から向き合う。
「瑤子さん。君は魅力的な女性だ」
 
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