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13.クリスマスイブ
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――諦めるのか
――後悔するなよ
――君は、女になったんだな
希望を繋げるのは、自分自身なのだと気が付いた。
この恋は終わるのか、始まるのか。分からないけれど、後悔はしたくない。
私を女にした、この世でただひとりの存在。
あの人に、想いを伝えたい。
飯島から電話があったのは、殿村がオフィスに来てから一週間後の金曜日。23日の天皇誕生日だった。
私は街へ買い物に出かけていた。ファミレスの片隅に座り、スマートフォンを構えているところに突然、かかってきたのだ。息が止まるかと思った。
傍らに置いた買い物袋を抱き寄せてから、応答した。
「はい、松平です」
声が震えている。頭の中は真っ白で、何も考えられない。彼が何を言うのか予想がつかず、よって対策を練ることも不可能。
『飯島です』
たちまち胸が高鳴り始める。"作戦"を実行する前に相手から急襲され、浮き足立ってしまう。
『未樹さん?』
「あ、はいっ」
低い声で彼が呼んだのは、下の名前だった。それだけで涙が出そうになる。
何という情けなさだろう。
『もしもし。今、大丈夫ですか?』
「ええ」
ナフキンで目尻を押さえ、聞く体勢を整える。何を言われても取り乱さないよう身構えた。
『明日、会えませんか』
「……」
会う。
彼が、私と?
どうして、なぜ? さよならと言った彼から、それを申し出るなんて――
でも、私はためらわなかった。
「はい、大丈夫です。私も……会いたいです」
素直に言えたことに、自分自身びっくりする。疑問など飛び越え、前向きな気持ちが返事をしていた。
それに、これまでの私なら「構いませんよ」などと、堅苦しい返事をしたに違いない。自分が傷付くのを恐れて、格好をつけて。
買い物袋を抱える手に力をこめ、続きを待った。
『良かった……ありがとうございます。えっと……明日は仕事が入ってるから、23時過ぎになります。かなり遅い時間ですけど』
飯島は口ごもった。
23時。ほとんど真夜中に女性を呼び出すなど非常識だと、彼は迷っているのだ。
『すみません。時間が遅いのですが、どうしても……』
熱いため息が聞こえた。やるせなく、辛そうで、私の奥底の痛みに共鳴している。苦しいのはお前だけではないと、それは教えていた。
『どうしてもその時、会いたいんです。あなたに、伝えたいから』
これは、夢ではないかしら――
私は切なくてたまらなくなり、目を閉じた。
『明日24日の午後11時20分、港の中央埠頭倉庫前まで、タクシーで来て下さい。必ずタクシーで。その場で手を振って合図します。もし早く着いても、僕のことを確認するまでタクシーから降りないで下さい』
「分かりました」
『あと、寒いですから、しっかり着込むようにお願いします』
「はい」
『……じゃあ、また明日』
飯島はまだ何か言いたそうな気配だが、そのまま私が切るまで待ってくれた。私はそっと、通話を終えた。
じゃあ、また明日――
飯島佳史に、また会える。会う約束をしたのだ。
これは、夢ではない!
強く抱きしめた買い物袋から、銀色のリボンがくるりと弾んだ。
12月24日 23時17分
夜空は晴れ、澄んだ宇宙に冬の星座が輝いている。
「お客さん、この辺りでいいですか」
「ええ。待ち合わせている人が、もうすぐ来るはずなので」
タクシーは中央埠頭の付け根にあたる交差点を曲がり、倉庫前の道端に車を停めた。
夜の港は意外に明るかった。停泊する大型船が、こうこうと埠頭を照らしている。
「クリスマスクルーズとか何とか、大勢乗ってるはずです。毎年この時期は、普段は殺風景な港も華やかでね、さっきまで花火が上がってたんじゃないかな。家族連れやアベックのお客さんがいっぱいですよ」
夜中の港は寂しいかしらと不安だったが、運転手の話を聞いてホッとする。今夜はクリスマスイブだし、土曜の夜ということもあり賑やかなのだろう。
「おや、あの方ですか」
運転手が窓の外を見やった。手を振りながら駆けて来る人影がある。
「あ、はい。そう……みたいです」
手を振って合図をすると飯島は言った。それに、あの格好は彼に間違いない。
だけど、とても意外だったので私は少し驚いている。
タクシーの脇に立った彼が、ヘルメットの下でにっこりと微笑んだ。
「こんばんは、未樹さん」
タクシーを降りた私に飯島は挨拶し、眩しそうに目を細めた。
「こ、こんばんは」
私はあらためて、彼の姿を眺め回した。
ヘルメットに作業服、作業ズボン、紺のジャンパーを着ている。
「お仕事用の、ユニフォームですか?」
私が問いかけると、飯島は胸の刺繍を指差した。社名が横文字で綴られている。
「たった今仕事を終わって、そのまま出て来ました。本当は、こんな格好でウロウロすると怒られちゃうんですけど」
照れくさそうにする彼だが、私はユニフォーム姿に見惚れた。
その新鮮な姿に、凛々しさに、吸い込まれた。スーツでもない、カジュアルでもない、彼の仕事着姿である。
「ええと……未樹さん?」
私が凝視するので、彼はもじもじした。でも、見惚れるのを止められない。
「すごくカッコいいです。素敵です……お……」
男らしくて――
「何ですか?」
「あ、いえ……別に」
飯島はきょとんとする。
私は熱くなる頬を押さえた。なぜか、恥ずかしくてストレートに口に出せない。
「寒くありませんか」
今度は彼が私を見回す。今夜はしっかりと着込んできた。タートルネックのカットソーにウールのセーター。ロングパンツを穿き、ブルゾンを羽織っている。
飯島に言われたとおり寒さ対策を万全にし、カイロまで背中に貼り付けてあるのだ。
「えっ、カイロですか。ふふっ、それなら安心ですね」
色気の無い話だが、彼は嬉しそうに笑ってくれた。久しぶりに見る、優しくて、清々しい笑顔。
(ああ、やっぱりこの人は……)
「行きましょう。あなたに、案内したい場所があります」
私の手を取り、引き寄せた。
手袋越しに温もりが伝わる。あの日、離れてしまった温もりが、もう一度私を包み込んでくれる。
「はい、付いて行きます」
か細い声で応えると、もっと強く引き寄せられた。
頼もしく男らしい肩に寄り添い、夜の港へと二人で歩き出した。
――後悔するなよ
――君は、女になったんだな
希望を繋げるのは、自分自身なのだと気が付いた。
この恋は終わるのか、始まるのか。分からないけれど、後悔はしたくない。
私を女にした、この世でただひとりの存在。
あの人に、想いを伝えたい。
飯島から電話があったのは、殿村がオフィスに来てから一週間後の金曜日。23日の天皇誕生日だった。
私は街へ買い物に出かけていた。ファミレスの片隅に座り、スマートフォンを構えているところに突然、かかってきたのだ。息が止まるかと思った。
傍らに置いた買い物袋を抱き寄せてから、応答した。
「はい、松平です」
声が震えている。頭の中は真っ白で、何も考えられない。彼が何を言うのか予想がつかず、よって対策を練ることも不可能。
『飯島です』
たちまち胸が高鳴り始める。"作戦"を実行する前に相手から急襲され、浮き足立ってしまう。
『未樹さん?』
「あ、はいっ」
低い声で彼が呼んだのは、下の名前だった。それだけで涙が出そうになる。
何という情けなさだろう。
『もしもし。今、大丈夫ですか?』
「ええ」
ナフキンで目尻を押さえ、聞く体勢を整える。何を言われても取り乱さないよう身構えた。
『明日、会えませんか』
「……」
会う。
彼が、私と?
どうして、なぜ? さよならと言った彼から、それを申し出るなんて――
でも、私はためらわなかった。
「はい、大丈夫です。私も……会いたいです」
素直に言えたことに、自分自身びっくりする。疑問など飛び越え、前向きな気持ちが返事をしていた。
それに、これまでの私なら「構いませんよ」などと、堅苦しい返事をしたに違いない。自分が傷付くのを恐れて、格好をつけて。
買い物袋を抱える手に力をこめ、続きを待った。
『良かった……ありがとうございます。えっと……明日は仕事が入ってるから、23時過ぎになります。かなり遅い時間ですけど』
飯島は口ごもった。
23時。ほとんど真夜中に女性を呼び出すなど非常識だと、彼は迷っているのだ。
『すみません。時間が遅いのですが、どうしても……』
熱いため息が聞こえた。やるせなく、辛そうで、私の奥底の痛みに共鳴している。苦しいのはお前だけではないと、それは教えていた。
『どうしてもその時、会いたいんです。あなたに、伝えたいから』
これは、夢ではないかしら――
私は切なくてたまらなくなり、目を閉じた。
『明日24日の午後11時20分、港の中央埠頭倉庫前まで、タクシーで来て下さい。必ずタクシーで。その場で手を振って合図します。もし早く着いても、僕のことを確認するまでタクシーから降りないで下さい』
「分かりました」
『あと、寒いですから、しっかり着込むようにお願いします』
「はい」
『……じゃあ、また明日』
飯島はまだ何か言いたそうな気配だが、そのまま私が切るまで待ってくれた。私はそっと、通話を終えた。
じゃあ、また明日――
飯島佳史に、また会える。会う約束をしたのだ。
これは、夢ではない!
強く抱きしめた買い物袋から、銀色のリボンがくるりと弾んだ。
12月24日 23時17分
夜空は晴れ、澄んだ宇宙に冬の星座が輝いている。
「お客さん、この辺りでいいですか」
「ええ。待ち合わせている人が、もうすぐ来るはずなので」
タクシーは中央埠頭の付け根にあたる交差点を曲がり、倉庫前の道端に車を停めた。
夜の港は意外に明るかった。停泊する大型船が、こうこうと埠頭を照らしている。
「クリスマスクルーズとか何とか、大勢乗ってるはずです。毎年この時期は、普段は殺風景な港も華やかでね、さっきまで花火が上がってたんじゃないかな。家族連れやアベックのお客さんがいっぱいですよ」
夜中の港は寂しいかしらと不安だったが、運転手の話を聞いてホッとする。今夜はクリスマスイブだし、土曜の夜ということもあり賑やかなのだろう。
「おや、あの方ですか」
運転手が窓の外を見やった。手を振りながら駆けて来る人影がある。
「あ、はい。そう……みたいです」
手を振って合図をすると飯島は言った。それに、あの格好は彼に間違いない。
だけど、とても意外だったので私は少し驚いている。
タクシーの脇に立った彼が、ヘルメットの下でにっこりと微笑んだ。
「こんばんは、未樹さん」
タクシーを降りた私に飯島は挨拶し、眩しそうに目を細めた。
「こ、こんばんは」
私はあらためて、彼の姿を眺め回した。
ヘルメットに作業服、作業ズボン、紺のジャンパーを着ている。
「お仕事用の、ユニフォームですか?」
私が問いかけると、飯島は胸の刺繍を指差した。社名が横文字で綴られている。
「たった今仕事を終わって、そのまま出て来ました。本当は、こんな格好でウロウロすると怒られちゃうんですけど」
照れくさそうにする彼だが、私はユニフォーム姿に見惚れた。
その新鮮な姿に、凛々しさに、吸い込まれた。スーツでもない、カジュアルでもない、彼の仕事着姿である。
「ええと……未樹さん?」
私が凝視するので、彼はもじもじした。でも、見惚れるのを止められない。
「すごくカッコいいです。素敵です……お……」
男らしくて――
「何ですか?」
「あ、いえ……別に」
飯島はきょとんとする。
私は熱くなる頬を押さえた。なぜか、恥ずかしくてストレートに口に出せない。
「寒くありませんか」
今度は彼が私を見回す。今夜はしっかりと着込んできた。タートルネックのカットソーにウールのセーター。ロングパンツを穿き、ブルゾンを羽織っている。
飯島に言われたとおり寒さ対策を万全にし、カイロまで背中に貼り付けてあるのだ。
「えっ、カイロですか。ふふっ、それなら安心ですね」
色気の無い話だが、彼は嬉しそうに笑ってくれた。久しぶりに見る、優しくて、清々しい笑顔。
(ああ、やっぱりこの人は……)
「行きましょう。あなたに、案内したい場所があります」
私の手を取り、引き寄せた。
手袋越しに温もりが伝わる。あの日、離れてしまった温もりが、もう一度私を包み込んでくれる。
「はい、付いて行きます」
か細い声で応えると、もっと強く引き寄せられた。
頼もしく男らしい肩に寄り添い、夜の港へと二人で歩き出した。
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