課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁

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金目鯛の煮つけ

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下田市は伊豆半島の南に位置する、観光と歴史の街だ。

良質な温泉、自然豊かな港の風景、エメラルドグリーンの海と白い砂浜がことに有名である。

歴史の面では、日米和親条約の締結によって幕府が箱館とともに開港したのが下田港であり、ペリー来航の史跡や黒船遊覧などが当時の風情を今に伝えている。 


「そして下田といえば海の幸ですね。新鮮な魚介類を目当てに訪れる観光客も少なくありません。例えば、その内の一人が僕です」

「あ、金目鯛ですか?」

「そのとおり。下田のキンメダイは漁獲高日本一なんですよ」

「へええ」


駅を出たあと、冬美は館林課長とともに海辺へと続く道をてくてく歩いた。

空はどんより曇っているが、課長の明るい表情が辺りを照らすようで、冬美はたびたび目を細めた。

館林課長と話すのはたぶん、初めて。だけど不思議な既視感があった。だんだん慣れてきたせいだろうか。

ぼんやり考えるうちに、海を見渡す広場に着いた。


「わあ、見晴らしがいいですね」

「少し散策しましょうか。予約の時間まで、まだ余裕があります」


道路の反対側に建つホテルに、課長が予約したレストランがあるらしい。先ほど彼が電話して冬美の席を追加してくれた。

高いお店だったらどうしよう。いや高いに決まっている。なにしろ金目鯛の煮つけだ。

冬美は懐の心配をしたが、課長は「お付き合いしていただくお礼です」と微笑みかけた。つまり、奢るつもりなのだ。慌てて遠慮するが彼は受け付けず、ここまで来たのである。


(そういえば、忘年会か何かの席で、経理課長が面白そうに喋ってたっけ)


あいつは変わり者だから女が寄って来ない。独身の上に仕事が大好きときては、金が貯まってしょうがないだろう――

企画課の給料は他部署より高い。しかも彼は管理職でありボーナスも一桁違うはずだ。他部署の平社員に奢るくらい、どうってことないのだろう。

でも、そんなに変な人ではないと冬美は思い始めている。奢ってもらうからではなく、こうして近くにいる印象として。どちらかといえば、彼を変人だと笑う経理課長のほうが感じが悪いし、あまり好きではない。


しばらく周辺を歩き、もといた場所へ戻った。

二人並んで手すりにもたれ、景色を見渡す。右手に見える桟橋から、黒船を模した遊覧船『サスケハナ号』がゆっくりと出港する。


「野口さん、見てください。あの島が柿崎弁天島。吉田松陰がペリーの船に乗せてもらおうとして、祠に身を隠していたそうですよ」

「えっ、あの島が?」


冬美は高校時代の一時期、歴史小説にはまった。新選組が好きだったので、幕末の話には興味がある。


「確か……結局、乗せてもらえなかったんですよね」

「うん。でも、密航してまで外の世界を知りたかった彼の気持ちはよく分かります。僕もそうしたかもしれない」


意外な発言だった。穏やかな横顔からは、そんなダイナミックかつ無謀な望みは見て取れないから。


(ああ、でも……課長は仕事ができる人。こう見えて、実はとんでもない野心家だったりして)


助清くんがそんなタイプだなあと、島を眺めながら考える。そして、はっと思い出した。

ここは助清くんの生まれ故郷。今回は推しロスを癒すための傷心旅行である。舘林課長とのんびりしている場合ではない。


「課長、そろそろ予約時間です。レストランに行かなくては」

「ああ本当だ。野口さんといると、時間が経つのが早いなあ」


どういう意味か不明だが、どうでもよろしい。早くご飯を食べて、さっさと解散して、助清くんが生まれ育った街をめぐるのだ。

そして最終的には、ファンになったきかっけの写真が撮られた場所に行き、自撮りする予定である。


「課長、急ぎましょう。早く早く!」

「ど、どうしたんです。お腹が空いたのですか?」


冬美は急ぐあまり、課長の手を引っ張っていた。

彼が赤面するのに気づきもせず。






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