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目玉焼き【2】
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高級食材の店は通勤途中にある。会社から歩いて2分ほどの場所だ。
冬美は息を整えると、店に入ろうとした。
「あれっ?」
自動ドアが開かない。
「えっ、なんで?」
オロオロする冬美に、通りすがりの老婦人が声をかけた。
「あなた、このお店は午後7時で閉店よ」
「わっ、そうなんですか?」
近所の人だろう。小型犬を連れて散歩中のようだ。
「こんな時間に閉店なんて、今どき早すぎるわよねえ」
「は、はい。あの、ありがとうございました」
立ち去るその人に頭を下げて、しばし冬美は立ち尽くす。
11月の冷たい風が、スウェットシャツ一枚の身に沁みる。慌てて出てきたので、ジャケットを着ていなかった。
時計を見ると午後7時を回ったばかり。
「この辺りで高級食材を扱う店って、他にあるかな」
スマートフォンで検索してみた。少々遠くてもタクシーを使えば、早く戻って来られるだろう。夫が帰る前に。
「冬美さん?」
悲鳴を上げそうになるが、かろうじてこらえた。
背後から聞こえた声は……
「課長! どうしてここに。会議は?」
振り向くと、コート姿の夫が立っている。どこからどう見ても帰宅の格好だ。
「営業部の資料が間に合わなくて、延期になりました」
「そ、そうなんですか……あっ、じゃあ夕飯は?」
「弁当が出たので、もらってきましたよ」
よく見ると、ビジネスバッグの他に紙袋を提げている。
「冬美さんこそ、なぜ今頃会社の近くに?」
「え……ええと、それはその」
高級食材の店をチラ見する。陽一も不思議そうに目をやるが、何も言わずにコートを脱いで冬美に着せかけた。
「買い物もいいけど、そんな格好では風邪を引きますよ」
「あっ、そんな、私は大丈夫だから」
「いいから、いいから。さあ、帰りましょう」
肩を抱かれて帰宅した。
(あああ、もう……)
買い物を失敗するは、夫に寒い思いをさせるは……自分は「妻失格」だと落ち込んだ。
無口になった冬美を心配してか、陽一は家に帰ってからも優しかった。会社から持ち帰った弁当と、妻の弁当も温め、お茶まで淹れてくれる。
「冬美さんもお弁当だったのですね」
「は、はい」
結婚して初めての夕飯で彼に手間をかけさせ、しかも半額シールを見られてしまった。
恥ずかしさで、冬美は縮こまる。
「いただきます」
陽一は手を合わせると、弁当を美味しそうに食べた。営業部が用意したのは、普通の鮭弁当だ。
冬美はぼうっとして、彼が食べるのを眺めた。
「冬美さん、食べないのですか?」
「あっ、はい。いただきます!」
冬美も箸を取り、弁当を食べた。でもなんだか違和感がある。とりあえずお腹を満たしてから、訊いてみることにした。
食事が済むと冬美が洗い物をして、コーヒーを淹れた。
リビングに運ぶと、ソファーに陽一と並んで座り、今日あった出来事など話してから本題へと進む。
「課長って、美味しい食べ物が好きなんですよね」
「ん?」
冬美の質問に、陽一はよく分からないといった顔になるが、きちんと答えた。
「それはもちろん、好きですよ?」
「ですよね。あの、でもすみません。それなのに私、普通の卵とか、100円のパンを買ってしまいました」
「……」
彼が目を瞬かせる。
「ええと、ごめん……どういうことかな」
本当に分からないようだ。
冬美は率直に訊ねた。課長は高級食材と一流料理に精通するグルメなんですよね、と。
冬美は息を整えると、店に入ろうとした。
「あれっ?」
自動ドアが開かない。
「えっ、なんで?」
オロオロする冬美に、通りすがりの老婦人が声をかけた。
「あなた、このお店は午後7時で閉店よ」
「わっ、そうなんですか?」
近所の人だろう。小型犬を連れて散歩中のようだ。
「こんな時間に閉店なんて、今どき早すぎるわよねえ」
「は、はい。あの、ありがとうございました」
立ち去るその人に頭を下げて、しばし冬美は立ち尽くす。
11月の冷たい風が、スウェットシャツ一枚の身に沁みる。慌てて出てきたので、ジャケットを着ていなかった。
時計を見ると午後7時を回ったばかり。
「この辺りで高級食材を扱う店って、他にあるかな」
スマートフォンで検索してみた。少々遠くてもタクシーを使えば、早く戻って来られるだろう。夫が帰る前に。
「冬美さん?」
悲鳴を上げそうになるが、かろうじてこらえた。
背後から聞こえた声は……
「課長! どうしてここに。会議は?」
振り向くと、コート姿の夫が立っている。どこからどう見ても帰宅の格好だ。
「営業部の資料が間に合わなくて、延期になりました」
「そ、そうなんですか……あっ、じゃあ夕飯は?」
「弁当が出たので、もらってきましたよ」
よく見ると、ビジネスバッグの他に紙袋を提げている。
「冬美さんこそ、なぜ今頃会社の近くに?」
「え……ええと、それはその」
高級食材の店をチラ見する。陽一も不思議そうに目をやるが、何も言わずにコートを脱いで冬美に着せかけた。
「買い物もいいけど、そんな格好では風邪を引きますよ」
「あっ、そんな、私は大丈夫だから」
「いいから、いいから。さあ、帰りましょう」
肩を抱かれて帰宅した。
(あああ、もう……)
買い物を失敗するは、夫に寒い思いをさせるは……自分は「妻失格」だと落ち込んだ。
無口になった冬美を心配してか、陽一は家に帰ってからも優しかった。会社から持ち帰った弁当と、妻の弁当も温め、お茶まで淹れてくれる。
「冬美さんもお弁当だったのですね」
「は、はい」
結婚して初めての夕飯で彼に手間をかけさせ、しかも半額シールを見られてしまった。
恥ずかしさで、冬美は縮こまる。
「いただきます」
陽一は手を合わせると、弁当を美味しそうに食べた。営業部が用意したのは、普通の鮭弁当だ。
冬美はぼうっとして、彼が食べるのを眺めた。
「冬美さん、食べないのですか?」
「あっ、はい。いただきます!」
冬美も箸を取り、弁当を食べた。でもなんだか違和感がある。とりあえずお腹を満たしてから、訊いてみることにした。
食事が済むと冬美が洗い物をして、コーヒーを淹れた。
リビングに運ぶと、ソファーに陽一と並んで座り、今日あった出来事など話してから本題へと進む。
「課長って、美味しい食べ物が好きなんですよね」
「ん?」
冬美の質問に、陽一はよく分からないといった顔になるが、きちんと答えた。
「それはもちろん、好きですよ?」
「ですよね。あの、でもすみません。それなのに私、普通の卵とか、100円のパンを買ってしまいました」
「……」
彼が目を瞬かせる。
「ええと、ごめん……どういうことかな」
本当に分からないようだ。
冬美は率直に訊ねた。課長は高級食材と一流料理に精通するグルメなんですよね、と。
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