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フルーツケーキ
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約束の土曜日。
喫茶店カノンの前で、雅子さんは待っていた。
駐車スペースに車を停めた俺に、軽く手を上げる。
ノースリーブのワンピースと、白いニットのカーディガン。仕事中は一つに結ぶ髪を、ふわりとおろしている。いつもと違う風情に、俺はドキドキした。
「すみません。休みの日に」
「いいのよ。土曜日はいつも暇してるから」
優しい微笑みに、身も心も蕩けそうになる。彼女はこんなにも、華やかで魅力的な女性だった。
二人は窓際の席に腰かけた。
いざ向かい合うと、妙に照れくさい。窓の外を眺めると、公園の木々が夏の濃い緑を揺らしていた。
「木島くんは、甘いもの好き?」
「え……いえ、あまり」
「そっか」
雅子さんはケーキセットのメニューを手にしている。
「ケーキですか。いいですよ、注文してください」
「でも私だけ……」
「全然構いません。せっかくですからどうぞどうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
雅子さんは嬉しそうに笑い、フルーツケーキを店員に注文した。俺はブレンドとモーニングセットを頼む。
雅子さんがケーキを頼んだ。それだけのことなのに、何となく楽しい気分になるのが不思議だ。
なぜだろう――
幸せそうな笑顔を見せてくれたから?
そうかもしれない――
俺はクリームのように甘い気持ちで、雅子さんに見惚れていた。
「私ね、フルーツケーキが大好きなの」
ケーキとコーヒーが運ばれてくると、彼女は教えてくれた。
「そうなんですか。知りませんでした」
俺はブレンドを飲みながら、新鮮な気持ちで彼女を見守る。仕事中の彼女とは違う。リラックスした空気が漂い、穏やかな雰囲気だ。
反対に俺はガチガチだが、表に出さないようコントロールした。沢口と会っている時とは何たる違いかと、苦笑してしまう。
「私の婚約者、果物が嫌いなの」
フルーツケーキは、苺や桃がたっぷりの生クリームに挟んである。雅子さんはフォークで器用に分けながら、ポツリと呟いた。
「だから、フルーツケーキが好きって言えなくて。あ、久しぶりに食べた。美味しい!」
こっちまで嬉しくなってしまいそうな笑顔。だけど、今の発言は……
「それで、相談ごとっていうのは?」
「はい?」
「木島くん、私に相談ごとがあるって」
「あっ、ああ……そうなんです、その」
俺は初めて、雅子さんとこの場所にいる理由を思い出した。カップを置くと、慌てて仕事の話をした。実際、いくつか訊きたいことがあるのだ。
しかし、大した相談でもなかったので、話はすぐに終わった。
「お役に立てたかな」
「はい。それはもう……ハイ」
しゃちほこばってコーヒーを飲み干す俺に、雅子さんはうふふと笑った。
どうしようか――
俺は迷った。だけど、やはり気になってしょうがないので、それを口にしていた。彼女の婚約を知ったあの日から、ずっと胸に秘めていた、大事な問いかけだった。
「ご結婚されると聞きました……おめでとうございます」
「ありがとう」
あらたまってお祝いを言うと、彼女は普通に返事した。あまりにも普通で、俺は違和感を覚える。
「雅子さん、あなたは……」
「えっ?」
「あなたは、今、幸せですか?」
バカな問いかけだと、すぐに後悔した。婚約中の女性が、どうして不幸なんだ。
どうしてそんなことが気になっていたのか、自分が信じられない。
「幸せ、か」
雅子さんは窓の外に目をやり、ふっと息をつく。その横顔がどことなく寂しそうに見えて、俺は何も言えなくなる。
「皆、心配してるのね。親の決めた結婚だから、本当は気がすすまないんじゃないかって」
「違います。そうじゃなくて……」
俺は反射的に否定するが、彼女の言葉は的を射ていた。
雅子さんは今、幸せなのか――
ずっと胸に引っかかっていたのだ。本当に、彼女の望んだ結婚なのかと。
自分には、どうにもできないことなのに。
「父の会社は、彼のお父様に随分助けてもらっているのよ。会社と言っても小さいところだから、いろいろあってね、経営が苦しかったの」
雅子さんは横を向いたまま。俺はただ、彼女の細い首筋に目を当てていた。
「でも、とっても優しくていい人なのよ。うん、私には勿体ないくらい、いい人」
自分に言い聞かせるような口調。やはり、どこか無理をしている。俺が余計なことを言って彼女を動揺させたのだ。自分自身に腹が立ってきた。
俺は雅子さんを好きで、憧れている。それは間違いなく心からの気持ちだ。
だが、それだけである。
お前に一体何が出来るのか?
俺は俺自身に問い詰められて、ひと言もない。
これが、現実なのだ。
長い沈黙があり、ふと彼女を見た。
「雅子さん……」
落ち込んだ自分など一瞬で吹き飛ぶような衝撃を受ける。こんな光景を求めていたんじゃない。俺はただ、本当にあなたが幸せなのか確かめたかった。ただ、それだけなのに。
彼女は俯き、ぽろぽろと涙を零していた。
喫茶店カノンの前で、雅子さんは待っていた。
駐車スペースに車を停めた俺に、軽く手を上げる。
ノースリーブのワンピースと、白いニットのカーディガン。仕事中は一つに結ぶ髪を、ふわりとおろしている。いつもと違う風情に、俺はドキドキした。
「すみません。休みの日に」
「いいのよ。土曜日はいつも暇してるから」
優しい微笑みに、身も心も蕩けそうになる。彼女はこんなにも、華やかで魅力的な女性だった。
二人は窓際の席に腰かけた。
いざ向かい合うと、妙に照れくさい。窓の外を眺めると、公園の木々が夏の濃い緑を揺らしていた。
「木島くんは、甘いもの好き?」
「え……いえ、あまり」
「そっか」
雅子さんはケーキセットのメニューを手にしている。
「ケーキですか。いいですよ、注文してください」
「でも私だけ……」
「全然構いません。せっかくですからどうぞどうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
雅子さんは嬉しそうに笑い、フルーツケーキを店員に注文した。俺はブレンドとモーニングセットを頼む。
雅子さんがケーキを頼んだ。それだけのことなのに、何となく楽しい気分になるのが不思議だ。
なぜだろう――
幸せそうな笑顔を見せてくれたから?
そうかもしれない――
俺はクリームのように甘い気持ちで、雅子さんに見惚れていた。
「私ね、フルーツケーキが大好きなの」
ケーキとコーヒーが運ばれてくると、彼女は教えてくれた。
「そうなんですか。知りませんでした」
俺はブレンドを飲みながら、新鮮な気持ちで彼女を見守る。仕事中の彼女とは違う。リラックスした空気が漂い、穏やかな雰囲気だ。
反対に俺はガチガチだが、表に出さないようコントロールした。沢口と会っている時とは何たる違いかと、苦笑してしまう。
「私の婚約者、果物が嫌いなの」
フルーツケーキは、苺や桃がたっぷりの生クリームに挟んである。雅子さんはフォークで器用に分けながら、ポツリと呟いた。
「だから、フルーツケーキが好きって言えなくて。あ、久しぶりに食べた。美味しい!」
こっちまで嬉しくなってしまいそうな笑顔。だけど、今の発言は……
「それで、相談ごとっていうのは?」
「はい?」
「木島くん、私に相談ごとがあるって」
「あっ、ああ……そうなんです、その」
俺は初めて、雅子さんとこの場所にいる理由を思い出した。カップを置くと、慌てて仕事の話をした。実際、いくつか訊きたいことがあるのだ。
しかし、大した相談でもなかったので、話はすぐに終わった。
「お役に立てたかな」
「はい。それはもう……ハイ」
しゃちほこばってコーヒーを飲み干す俺に、雅子さんはうふふと笑った。
どうしようか――
俺は迷った。だけど、やはり気になってしょうがないので、それを口にしていた。彼女の婚約を知ったあの日から、ずっと胸に秘めていた、大事な問いかけだった。
「ご結婚されると聞きました……おめでとうございます」
「ありがとう」
あらたまってお祝いを言うと、彼女は普通に返事した。あまりにも普通で、俺は違和感を覚える。
「雅子さん、あなたは……」
「えっ?」
「あなたは、今、幸せですか?」
バカな問いかけだと、すぐに後悔した。婚約中の女性が、どうして不幸なんだ。
どうしてそんなことが気になっていたのか、自分が信じられない。
「幸せ、か」
雅子さんは窓の外に目をやり、ふっと息をつく。その横顔がどことなく寂しそうに見えて、俺は何も言えなくなる。
「皆、心配してるのね。親の決めた結婚だから、本当は気がすすまないんじゃないかって」
「違います。そうじゃなくて……」
俺は反射的に否定するが、彼女の言葉は的を射ていた。
雅子さんは今、幸せなのか――
ずっと胸に引っかかっていたのだ。本当に、彼女の望んだ結婚なのかと。
自分には、どうにもできないことなのに。
「父の会社は、彼のお父様に随分助けてもらっているのよ。会社と言っても小さいところだから、いろいろあってね、経営が苦しかったの」
雅子さんは横を向いたまま。俺はただ、彼女の細い首筋に目を当てていた。
「でも、とっても優しくていい人なのよ。うん、私には勿体ないくらい、いい人」
自分に言い聞かせるような口調。やはり、どこか無理をしている。俺が余計なことを言って彼女を動揺させたのだ。自分自身に腹が立ってきた。
俺は雅子さんを好きで、憧れている。それは間違いなく心からの気持ちだ。
だが、それだけである。
お前に一体何が出来るのか?
俺は俺自身に問い詰められて、ひと言もない。
これが、現実なのだ。
長い沈黙があり、ふと彼女を見た。
「雅子さん……」
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