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早く!
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俺の名前は田所順二。長野県出身。
地元の工業高校を出た後、愛知県に工場を構える金属加工会社に就職した。
学校の成績は良くないけれど、子どもの頃から手先が器用だった。機械を扱うのは得意分野であり、仕事はとても面白く毎日が充実している。
「あとは嫁さんだなあ」
先輩社員にからかわれるが、まだ結婚するつもりはない。それらしき相手は、いるのだけれど。
俺は28歳で、彼女は25歳。付き合い始めて二年になる。けじめをつけても良い年頃ではあった。
だが俺は今、彼女との付き合いにとても疲れているのだ。
なぜなら、彼女――山城美貴は、俺のことが生き甲斐であり、俺を中心に世界が回っている女だから。
大げさでも、自惚れでもない。事実そうなのだから困ってしまう。
メール、SNS、スマホの無料アプリを使って、まめまめしく連絡してくる。その上、週に二度も三度も会いたがるのだ。やれ誕生日だナントカの記念日だと言っては、濃密な夜を過ごしたがる。
最初のうちは、俺も喜んでお付き合いしたけれど、この頃は精気を吸い取られるようで、しんどいだけ。
そもそも、こんな関係が恋人というものなのか? この頃は疑問ばかりが頭をもたげてくる。
美貴の口癖は「早く早く!」だ。
早く来てね。
早く電話してね。
早く食べてね。
あ、アレだけはゆっくりじっくりしてね。
と……、そんなことはどうでもいい!
今に「早く結婚して」などと言い出しそうで、はらはらしている。あいつと一緒になったら、それこそ早送り人生だろう。想像するだけで目が回りそうになる。
そうこう言ってる内に、スマホの着信音が鳴り響く。
俺の会社も美貴のところも、明日から盆休みに入る。電話に出る前から、甘ったるい声が耳に聞こえてきた。
ねえ、順ちゃあん。どこかに行こうよお~。
アパートの駐車場に着いたとたん電話がかかって来るのも、監視されてるみたいで不気味だった。
もはやホラーの域だ。恐ろしい!
それでも、俺は電話に出なければならない。無視などしたら、それこそ恐怖の追及が待っている。
「あれ?」
発信者を確認して、俺は気の抜けた声を出す。
「もしもし、兄貴?」
『オッス、順二。元気してるか?』
この野太い声は実家の兄貴である。
美貴でなかったことに、俺は心底ホッとしていた。そんな自分に苦笑してしまう。
「元気だよ。何か用?」
『何かってお前、こっちにはいつ帰って来るんだ。お袋が電話してみろって、うるさくてさ』
そういえば、盆休みの予定を連絡していなかった。美貴に予定を合わせなきゃ拗ねるので、実家には後からと思っていたのだ。
『彼女を連れて来いと言ってるぞ』
「ええっ?」
唐突な要望だった。
しかし、ある程度予測はしていた。俺の母親の感覚では、三十前に結婚するのが普通である。
「う~ん……」
『上手くいってないのか』
「うっ」
正直なところが声に出てしまう。兄貴は勘が良いので、すぐに察したようだ。
『美貴って名前だっけ。ほら、お前にやたらとべったりの』
兄貴は一度、美貴に会っている。兄夫婦がプロ野球観戦するため名古屋に出て来た時、紹介したのだ。
『順二さん、順二さん。ファールってボールなの? それともストライクなの? ねえ~』
「気持ちワリィな、やめろ!」
美貴の特徴をよく掴んだ物真似は、そっくりすぎて鳥肌が立つ。
『わっはは、すまんすまん。しかし、あの調子じゃちょっと疲れるわなあ。やっぱりなあ、そうかそうか、駄目になったか』
「いや、駄目ってわけじゃないけど」
『まだ惚れてるのか?』
そう訊かれると、実に困る。
「とにかく、美貴には疲れてるんだ。好きなのかどうかも、分からなくなってる」
ひそかについた溜め息を聞き取ったのか、兄貴が真面目な声で提案した。
『そういう時は、禁欲するんだよ』
「禁欲?」
兄貴は、彼女に会うなと言った。
思いもよらない提案だった。美貴と会わないなんて、この二年間考えたこともない。
『スマホの電源を切って、彼女の連絡を断つんだ。アパートに来るといかんから、今すぐ荷物をまとめて、こっちに返って来い』
「でっ、でもあいつ、連絡が取れないとキレちゃうかも」
うろたえる俺に、兄貴は力強く命令する。
『お前はカノジョの下僕か? 男なら覚悟を決めて電源を切れ』
下僕と言われて、俺はムッとする。図星だったのかもしれない。
『とにかく急げよ、待ってるからな』
俺は兄貴に言われたとおり、電源を切ろうとした。
会社の盆休みは8月16日まで。俺はその日にアパートに戻るつもりだが、おそらく美貴は執拗に電話をかけ続けるだろう。
「一応、戻る日にちだけ教えておこう」
長野に帰省したと察するだろうが、いくら美貴でも実家まで押しかけることはすまい。
メールを送ると、すぐさま電源を切った。
アパートの部屋で荷物をまとめ、急いで車に飛び乗り、出発した。
(何だか夜逃げみたいだな)
妙な気分だが、俺はだんだんウキウキしてきた。つまり、盆休みの8日間を、彼女なしで過ごすのだ。
おお! 何という解放感。
俺は軽やかな気持ちで、夜の中央道を走り抜けた。
地元の工業高校を出た後、愛知県に工場を構える金属加工会社に就職した。
学校の成績は良くないけれど、子どもの頃から手先が器用だった。機械を扱うのは得意分野であり、仕事はとても面白く毎日が充実している。
「あとは嫁さんだなあ」
先輩社員にからかわれるが、まだ結婚するつもりはない。それらしき相手は、いるのだけれど。
俺は28歳で、彼女は25歳。付き合い始めて二年になる。けじめをつけても良い年頃ではあった。
だが俺は今、彼女との付き合いにとても疲れているのだ。
なぜなら、彼女――山城美貴は、俺のことが生き甲斐であり、俺を中心に世界が回っている女だから。
大げさでも、自惚れでもない。事実そうなのだから困ってしまう。
メール、SNS、スマホの無料アプリを使って、まめまめしく連絡してくる。その上、週に二度も三度も会いたがるのだ。やれ誕生日だナントカの記念日だと言っては、濃密な夜を過ごしたがる。
最初のうちは、俺も喜んでお付き合いしたけれど、この頃は精気を吸い取られるようで、しんどいだけ。
そもそも、こんな関係が恋人というものなのか? この頃は疑問ばかりが頭をもたげてくる。
美貴の口癖は「早く早く!」だ。
早く来てね。
早く電話してね。
早く食べてね。
あ、アレだけはゆっくりじっくりしてね。
と……、そんなことはどうでもいい!
今に「早く結婚して」などと言い出しそうで、はらはらしている。あいつと一緒になったら、それこそ早送り人生だろう。想像するだけで目が回りそうになる。
そうこう言ってる内に、スマホの着信音が鳴り響く。
俺の会社も美貴のところも、明日から盆休みに入る。電話に出る前から、甘ったるい声が耳に聞こえてきた。
ねえ、順ちゃあん。どこかに行こうよお~。
アパートの駐車場に着いたとたん電話がかかって来るのも、監視されてるみたいで不気味だった。
もはやホラーの域だ。恐ろしい!
それでも、俺は電話に出なければならない。無視などしたら、それこそ恐怖の追及が待っている。
「あれ?」
発信者を確認して、俺は気の抜けた声を出す。
「もしもし、兄貴?」
『オッス、順二。元気してるか?』
この野太い声は実家の兄貴である。
美貴でなかったことに、俺は心底ホッとしていた。そんな自分に苦笑してしまう。
「元気だよ。何か用?」
『何かってお前、こっちにはいつ帰って来るんだ。お袋が電話してみろって、うるさくてさ』
そういえば、盆休みの予定を連絡していなかった。美貴に予定を合わせなきゃ拗ねるので、実家には後からと思っていたのだ。
『彼女を連れて来いと言ってるぞ』
「ええっ?」
唐突な要望だった。
しかし、ある程度予測はしていた。俺の母親の感覚では、三十前に結婚するのが普通である。
「う~ん……」
『上手くいってないのか』
「うっ」
正直なところが声に出てしまう。兄貴は勘が良いので、すぐに察したようだ。
『美貴って名前だっけ。ほら、お前にやたらとべったりの』
兄貴は一度、美貴に会っている。兄夫婦がプロ野球観戦するため名古屋に出て来た時、紹介したのだ。
『順二さん、順二さん。ファールってボールなの? それともストライクなの? ねえ~』
「気持ちワリィな、やめろ!」
美貴の特徴をよく掴んだ物真似は、そっくりすぎて鳥肌が立つ。
『わっはは、すまんすまん。しかし、あの調子じゃちょっと疲れるわなあ。やっぱりなあ、そうかそうか、駄目になったか』
「いや、駄目ってわけじゃないけど」
『まだ惚れてるのか?』
そう訊かれると、実に困る。
「とにかく、美貴には疲れてるんだ。好きなのかどうかも、分からなくなってる」
ひそかについた溜め息を聞き取ったのか、兄貴が真面目な声で提案した。
『そういう時は、禁欲するんだよ』
「禁欲?」
兄貴は、彼女に会うなと言った。
思いもよらない提案だった。美貴と会わないなんて、この二年間考えたこともない。
『スマホの電源を切って、彼女の連絡を断つんだ。アパートに来るといかんから、今すぐ荷物をまとめて、こっちに返って来い』
「でっ、でもあいつ、連絡が取れないとキレちゃうかも」
うろたえる俺に、兄貴は力強く命令する。
『お前はカノジョの下僕か? 男なら覚悟を決めて電源を切れ』
下僕と言われて、俺はムッとする。図星だったのかもしれない。
『とにかく急げよ、待ってるからな』
俺は兄貴に言われたとおり、電源を切ろうとした。
会社の盆休みは8月16日まで。俺はその日にアパートに戻るつもりだが、おそらく美貴は執拗に電話をかけ続けるだろう。
「一応、戻る日にちだけ教えておこう」
長野に帰省したと察するだろうが、いくら美貴でも実家まで押しかけることはすまい。
メールを送ると、すぐさま電源を切った。
アパートの部屋で荷物をまとめ、急いで車に飛び乗り、出発した。
(何だか夜逃げみたいだな)
妙な気分だが、俺はだんだんウキウキしてきた。つまり、盆休みの8日間を、彼女なしで過ごすのだ。
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