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Lock On!
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ブログ《 Lock on ! 》を更新していたのは、川原美津子だった。
彼女は自らを誹謗中傷するブログをアップし、青木頼子が書いたものとして僕に教えた。
青木は陰でいじめをする卑劣な女だと、嘘の報告をしたのだ。
翌日の早朝――
僕と青木は連絡を取り、会社近くの喫茶店に川原を呼び出した。川原がこの町を去る前に、カタを付けなければならない。
電話したのは青木だ。川原はすべてバレたのを悟り、会うのを渋っていたが、
『応じないなら、実家まで押しかけるわよ!!』
という青木の脅し文句に驚き、慌てて飛んできた。
「何故こんなことをしたの?」
話し合いの席に着いた親友に、青木は冷静に訊ねた。
川原は額に汗を浮かべ、押し黙っている。
気まずいのだろう。自分が成りすました本人を目の前にして、平気でいられないのだ。
だが、一番振り回されたのは僕である。
「単価の入力ミスと、僕の勘違いが重なったのが君の不運だね。でもまあ、こんなことはいずればれただろうけど」
彼女のしたことに、僕は心底呆れている。
「私……」
誰も手をつけようとしないコーヒーが冷めたころ、川原がぼそぼそと話し出した。
僕と青木は、ようやく始まった告白に耳を傾ける。
「私の実家は地元では有名な旧家で、私は跡取り娘なんです。父が倒れたので、親の決めた許婚と早く結婚して家を継ぐよう呼び戻されて……」
川原はぐっと唇を噛みしめ、悔しそうに顔を歪めた。
彼女が旧家の跡取り娘だと、青木も知らなかったらしい。僕と一緒に驚いている。
「この東京で、これからも派手に楽しく生きていく頼子が、何だか憎らしくてたまらなくなって。自分と比べてあまりにも幸せそうで、腹が立って仕方なかった。でも、仕事では太刀打ちできないし、せめて恋路を邪魔してやろうと決めたんです」
「恋路?」
思わぬ言葉に、僕と青木は顔を見合わせる。
「こっ、恋路って何よ?」
青木は僕から目を逸らし、上ずった声で川原に問い詰めた。
彼女が動揺するのを、初めて見た気がする。
「私、頼子が伊勢崎さんを好きだって知ってる。陰でいじめをするような女なら、伊勢崎さんが頼子を好きになることは無いでしょ。だから頼子に成りすましてブログを更新した……バカみたいだけど」
バカみたい――それは自分の行為そのものを指しているのか?
僕は呆れるのを通り越し、脱力した。ああ、そうだ。まったくバカみたいだ。すぐにばれるような仕掛けを回りくどくやったものだ。
それにしても青木頼子が僕を好きだと言うのは本当だったのか。
まさに青天の霹靂だ。
青木はわなわなと震え、真っ赤になった。これもまた、初めて見る彼女である。
僕は状況を忘れ、その鮮やかな頬の色に見惚れてしまった。
長い時間、三人は黙りこくった。
川原はずっと下を向いている。だけど、店を出て行こうともせず僕らの傍にいる。僕と青木も立ち上がる気にならない。もうすぐ仕事が始まるというのに。
それにしても、これが真相だったのか。
仲の良い女同士が、こんな実体を持っていたとは。もっとも、青木のほうは今の今まで川原を親友だと信じていたようだが。
(しょうもない話だ)
僕は首を左右に振り、何度目かのやるせないため息をつく。
その時だった――
「伊勢崎さんのどこがいいのか、わからないわ!」
川原が突然、テーブルに突っ伏して泣き出した。
周りの客が一斉に注目してくる。恐ろしく大きな泣き声だ。
まるで駄々をこねる子どものような盛大な泣きっぷりは、普段のおしとやかな彼女からは想像もできない。本当にこれは川原美津子なのかと、疑うほどの激しさだ。
川原は、がばっと顔を上げると、驚きのあまり口もきけずにいる青木をキッと睨み、悲鳴のような声で訴えた。
「伊勢崎さんとばっかり仲良く仕事して!」
言葉の意味がつかめなかった。
――伊勢崎さんのどこがいいのか、わからないわ!
――伊勢崎さんとばっかり仲良く仕事して!
それは、つまり。青木に言っているわけで……
雲が晴れるように全容が明らかになり、僕は深く椅子に沈んだ。
青木といえば、ポカンと口を開けて間抜け面だ。
さすがの青木も、この展開は予測不可能だったろう。いつものクールな彼女はどこへやら。
僕は何だか、可笑しくなってしまった。
彼女達の真実には、さらに底があったのだ。
川原が邪魔にしたかったのは僕だった。
単純ミスで残業するような、ダサい男。仕事が出来るわけでもない平凡な僕に、才色兼備の青木頼子が惚れている。その事実が、許せなかったのだ。
「だって……私はてっきり美津子と伊勢崎君が両思いだと思ってたのよ」
青木がオロオロしながら言う。
僕もそう思っていた。そうならいいなと期待していた。
少なくとも、昨夜までは。
「ごめん。ごめんね、美津子。私、ちっとも気が付かなくて……」
いや、普通は気付かないだろう。
戸惑いながらも青木が詫びると、川原は再びしくしくと泣き始めた。
女同士の少々歪んだ友情……いや愛情だったらしい。
なぜかドキドキしてきた。
朝の清らかな光の中、二人の魅力的な女は、男の僕など入る余地のない世界を創造している。
愛情の真理に、僕は胸を打たれた。
数日後、ブログ《 Lock on ! 》は川原自身の手で削除された。
川原は故郷に帰り、元気にやっているようだ。
許婚との結婚については、頑張って親を説得し、とりあえず保留したとのこと。
「伊勢崎さんよりずっとイケメンだし、別に嫌いな相手ではないけれど、頼子に比べるとちょっとね」
などという失礼なメールを僕に送ってきた。
青木にも同じ内容が送信されたらしく、彼女は嬉しいような困ったような、複雑な笑みを浮かべていた。
僕と青木は相変わらず、淡々と仕事をしている。
彼女の気持ちを知った以上、女性として意識してしまうが、この先どうなるのかはわからない。
とにかく僕は、女性を見る目が変った。
それだけは確かだ。
<終>
彼女は自らを誹謗中傷するブログをアップし、青木頼子が書いたものとして僕に教えた。
青木は陰でいじめをする卑劣な女だと、嘘の報告をしたのだ。
翌日の早朝――
僕と青木は連絡を取り、会社近くの喫茶店に川原を呼び出した。川原がこの町を去る前に、カタを付けなければならない。
電話したのは青木だ。川原はすべてバレたのを悟り、会うのを渋っていたが、
『応じないなら、実家まで押しかけるわよ!!』
という青木の脅し文句に驚き、慌てて飛んできた。
「何故こんなことをしたの?」
話し合いの席に着いた親友に、青木は冷静に訊ねた。
川原は額に汗を浮かべ、押し黙っている。
気まずいのだろう。自分が成りすました本人を目の前にして、平気でいられないのだ。
だが、一番振り回されたのは僕である。
「単価の入力ミスと、僕の勘違いが重なったのが君の不運だね。でもまあ、こんなことはいずればれただろうけど」
彼女のしたことに、僕は心底呆れている。
「私……」
誰も手をつけようとしないコーヒーが冷めたころ、川原がぼそぼそと話し出した。
僕と青木は、ようやく始まった告白に耳を傾ける。
「私の実家は地元では有名な旧家で、私は跡取り娘なんです。父が倒れたので、親の決めた許婚と早く結婚して家を継ぐよう呼び戻されて……」
川原はぐっと唇を噛みしめ、悔しそうに顔を歪めた。
彼女が旧家の跡取り娘だと、青木も知らなかったらしい。僕と一緒に驚いている。
「この東京で、これからも派手に楽しく生きていく頼子が、何だか憎らしくてたまらなくなって。自分と比べてあまりにも幸せそうで、腹が立って仕方なかった。でも、仕事では太刀打ちできないし、せめて恋路を邪魔してやろうと決めたんです」
「恋路?」
思わぬ言葉に、僕と青木は顔を見合わせる。
「こっ、恋路って何よ?」
青木は僕から目を逸らし、上ずった声で川原に問い詰めた。
彼女が動揺するのを、初めて見た気がする。
「私、頼子が伊勢崎さんを好きだって知ってる。陰でいじめをするような女なら、伊勢崎さんが頼子を好きになることは無いでしょ。だから頼子に成りすましてブログを更新した……バカみたいだけど」
バカみたい――それは自分の行為そのものを指しているのか?
僕は呆れるのを通り越し、脱力した。ああ、そうだ。まったくバカみたいだ。すぐにばれるような仕掛けを回りくどくやったものだ。
それにしても青木頼子が僕を好きだと言うのは本当だったのか。
まさに青天の霹靂だ。
青木はわなわなと震え、真っ赤になった。これもまた、初めて見る彼女である。
僕は状況を忘れ、その鮮やかな頬の色に見惚れてしまった。
長い時間、三人は黙りこくった。
川原はずっと下を向いている。だけど、店を出て行こうともせず僕らの傍にいる。僕と青木も立ち上がる気にならない。もうすぐ仕事が始まるというのに。
それにしても、これが真相だったのか。
仲の良い女同士が、こんな実体を持っていたとは。もっとも、青木のほうは今の今まで川原を親友だと信じていたようだが。
(しょうもない話だ)
僕は首を左右に振り、何度目かのやるせないため息をつく。
その時だった――
「伊勢崎さんのどこがいいのか、わからないわ!」
川原が突然、テーブルに突っ伏して泣き出した。
周りの客が一斉に注目してくる。恐ろしく大きな泣き声だ。
まるで駄々をこねる子どものような盛大な泣きっぷりは、普段のおしとやかな彼女からは想像もできない。本当にこれは川原美津子なのかと、疑うほどの激しさだ。
川原は、がばっと顔を上げると、驚きのあまり口もきけずにいる青木をキッと睨み、悲鳴のような声で訴えた。
「伊勢崎さんとばっかり仲良く仕事して!」
言葉の意味がつかめなかった。
――伊勢崎さんのどこがいいのか、わからないわ!
――伊勢崎さんとばっかり仲良く仕事して!
それは、つまり。青木に言っているわけで……
雲が晴れるように全容が明らかになり、僕は深く椅子に沈んだ。
青木といえば、ポカンと口を開けて間抜け面だ。
さすがの青木も、この展開は予測不可能だったろう。いつものクールな彼女はどこへやら。
僕は何だか、可笑しくなってしまった。
彼女達の真実には、さらに底があったのだ。
川原が邪魔にしたかったのは僕だった。
単純ミスで残業するような、ダサい男。仕事が出来るわけでもない平凡な僕に、才色兼備の青木頼子が惚れている。その事実が、許せなかったのだ。
「だって……私はてっきり美津子と伊勢崎君が両思いだと思ってたのよ」
青木がオロオロしながら言う。
僕もそう思っていた。そうならいいなと期待していた。
少なくとも、昨夜までは。
「ごめん。ごめんね、美津子。私、ちっとも気が付かなくて……」
いや、普通は気付かないだろう。
戸惑いながらも青木が詫びると、川原は再びしくしくと泣き始めた。
女同士の少々歪んだ友情……いや愛情だったらしい。
なぜかドキドキしてきた。
朝の清らかな光の中、二人の魅力的な女は、男の僕など入る余地のない世界を創造している。
愛情の真理に、僕は胸を打たれた。
数日後、ブログ《 Lock on ! 》は川原自身の手で削除された。
川原は故郷に帰り、元気にやっているようだ。
許婚との結婚については、頑張って親を説得し、とりあえず保留したとのこと。
「伊勢崎さんよりずっとイケメンだし、別に嫌いな相手ではないけれど、頼子に比べるとちょっとね」
などという失礼なメールを僕に送ってきた。
青木にも同じ内容が送信されたらしく、彼女は嬉しいような困ったような、複雑な笑みを浮かべていた。
僕と青木は相変わらず、淡々と仕事をしている。
彼女の気持ちを知った以上、女性として意識してしまうが、この先どうなるのかはわからない。
とにかく僕は、女性を見る目が変った。
それだけは確かだ。
<終>
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