4 / 13
小さな部屋
しおりを挟む
通用口からICカードをかざして庁舎の中へ入った葛葉はスマホを見た。時刻を確認しどうやら滑り込みに成功したことを知ると少し落ち着きが出てくる。
人気の少ない薄暗い通路を通って情報処理センターのさらに奥にある無機質な扉のドアノブに手をかけ奥へと押した。
五十平米程度の小さな部屋。それが葛葉がこの六月から毎日通っている今の職場だった。
四方は壁で窓は一切ない。壁には本棚がずらりと並べられ、ぎっしりと書籍と書類が詰まっていた。そして部屋の真ん中に机が島状に並べられ、パソコンの端末が机の数だけ設置されていた。
外の光も空気も入ってこないこの部屋の住人は現在五人。研修と称して常時複数の人間が入れ替わり立ち代わりここの住人となるようだが、今は葛葉ただひとりだった。
葛葉は自分が最後に出勤したとばかり思っていたが、中には二人しかいなかった。そして肝心の室長の姿もなかった。
「おはようございます」
比企雅紀が真っ先に葛葉に挨拶をする。いつもの光景だ。
二十代後半と思われる比企はどこか女性的な所作を垣間見せる繊細な神経の持ち主で、いつもピアノを奏でるように端末のキーボードをタッチしていた。今も手はキーボードの上に置かれてなめらかに動いている。
「おはようございます」葛葉は返した。
奥にもう一人若い娘がいたが、小声で「おはようございます」と挨拶したものの端末に向いた顔が葛葉を見ることはなかった。それもいつもの光景。葛葉は気にしない。
それよりも室長の不在が気になる。
「あの、室長はどちらに?」葛葉は比企に訊ねた。
「東都医大に行ってからこちらに来られるとさきほど連絡がありましたよ」
「東都医大?」
「法医学教室だそうです。何でも解剖を見学するのだそうで……室長、また倒れていなければ良いですけれど」
ほとんど表情を変えない奥の女性がその時だけ眼鏡に手をあててわずかに顔をしかめた。
「それって、港区だったかしら?」
葛葉は、はやる心を抑えてなるべく平静に訊ねた。
「駅でいうと田町が近いかしら」
「私も行って来ます」
そう言ったときにはもう体が動いていた。
「待って、お嬢」比企に呼び止められた。
ここでは葛葉は「お嬢」と呼ばれている。はじめこそ抗議したが誰も改めるつもりがないようなので受け入れてしまった。
「靴を履き替えた方が良いわよ、お嬢」そういうところも比企は女性的なのだ。
葛葉はパンプスからウォーキングシューズに履き替えた。
今日かく汗は半端ではない。スーツの上着を手にした葛葉は部屋を飛び出した。
人気の少ない薄暗い通路を通って情報処理センターのさらに奥にある無機質な扉のドアノブに手をかけ奥へと押した。
五十平米程度の小さな部屋。それが葛葉がこの六月から毎日通っている今の職場だった。
四方は壁で窓は一切ない。壁には本棚がずらりと並べられ、ぎっしりと書籍と書類が詰まっていた。そして部屋の真ん中に机が島状に並べられ、パソコンの端末が机の数だけ設置されていた。
外の光も空気も入ってこないこの部屋の住人は現在五人。研修と称して常時複数の人間が入れ替わり立ち代わりここの住人となるようだが、今は葛葉ただひとりだった。
葛葉は自分が最後に出勤したとばかり思っていたが、中には二人しかいなかった。そして肝心の室長の姿もなかった。
「おはようございます」
比企雅紀が真っ先に葛葉に挨拶をする。いつもの光景だ。
二十代後半と思われる比企はどこか女性的な所作を垣間見せる繊細な神経の持ち主で、いつもピアノを奏でるように端末のキーボードをタッチしていた。今も手はキーボードの上に置かれてなめらかに動いている。
「おはようございます」葛葉は返した。
奥にもう一人若い娘がいたが、小声で「おはようございます」と挨拶したものの端末に向いた顔が葛葉を見ることはなかった。それもいつもの光景。葛葉は気にしない。
それよりも室長の不在が気になる。
「あの、室長はどちらに?」葛葉は比企に訊ねた。
「東都医大に行ってからこちらに来られるとさきほど連絡がありましたよ」
「東都医大?」
「法医学教室だそうです。何でも解剖を見学するのだそうで……室長、また倒れていなければ良いですけれど」
ほとんど表情を変えない奥の女性がその時だけ眼鏡に手をあててわずかに顔をしかめた。
「それって、港区だったかしら?」
葛葉は、はやる心を抑えてなるべく平静に訊ねた。
「駅でいうと田町が近いかしら」
「私も行って来ます」
そう言ったときにはもう体が動いていた。
「待って、お嬢」比企に呼び止められた。
ここでは葛葉は「お嬢」と呼ばれている。はじめこそ抗議したが誰も改めるつもりがないようなので受け入れてしまった。
「靴を履き替えた方が良いわよ、お嬢」そういうところも比企は女性的なのだ。
葛葉はパンプスからウォーキングシューズに履き替えた。
今日かく汗は半端ではない。スーツの上着を手にした葛葉は部屋を飛び出した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる