迷宮の果てのパラトピア

hakusuya

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クインカ・アダマス大迷宮調査日誌(ペテルギア辺境の森 プレセア暦2817年11月)

池の主を討伐

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 そして我々は再び大迷宮へ足を踏み入れた。
「なるほど、これが幻術でないのなら、この迷宮を通って遠く離れた地に行くことができるわけだな。それが異国であったとしても」ヴロンスキーが我々に視線を送りつつレヴィに訊いた。
「あなた方はこの迷宮を使ってエゼルムンド帝国へ侵入を試みようとしておられますな」
「そなたらの言う通りならどこへでも行けそうに思えるが」
「たしかにそうですが、そう簡単なことではないですな」
「ほう、そのあたりのことをぜひ聞かせてくれ」
「まずは迷宮への出入りに関して封印を解くという第一の障害がありますな。その封印は、封印を施した者によって少々異なります」
 我々もレヴィの話に耳を傾けた。
「大陸のプレセア正教会の布教範囲については、それがどの国であったとしても、ほぼ全ての『迷宮への扉』にプレセア正教会の高位神官が封印を施しました。実際、今日我々が通って参りました二つの扉にもプレセア教の封印が施されていました。これだけならその封印を解く魔法を知る者がプレセア正教会にいますから、その者たちの協力を得るか、あるいは魔法を教わるなりして解くことが可能でしょう」
「なるほど」
 ヴロンスキーは言ったが、わずかに渋い表情を見せた。どうやらペテルギアの軍部と、この国でペテルギア正教会と名乗っているプレセア正教会とはあまり関係がよろしくないようだ。
「しかし地域によっては別の封印が施されております。たとえばバングレア王国ではプレセア教の封印のみならずバングレア王国魔法師による封印も施されて二重の封印となっているはず」レヴィはストライヤー騎士団長に顔を向けた。
「いかにも」と騎士団長は答えた。「二つの封印を解かねば通ることはかなわない」
「バングレアに限らず、ミシャルレもエゼルムンドも独自の魔法で封印を施していると考えられます。そして東の大陸や南の大陸にいたってはカリゲル教、ザイール教などの魔法師が封印している可能性がありますな。そうなるとその封印を解くことが困難になりますでの」
「言いたいことはわかる」と言いつつヴロンスキーは半信半疑のようだ。「しかしそこまで厳重に封印するのはいかなる理由によるのだ?」
「『迷宮への扉』を通って異世界のモンスターが侵入してくるからですぞ」
「さっきのコウモリみたいなやつか?」
「それだけではござらん。過去にはドラゴンやワイバーンが侵入してきたとあなた方の国の歴史にも残っているはずですが」
「あれはただの伝説ではないのか?」
「現物を見ないことには信じられないのも仕方がござらんのお」レヴィは言った。
 そのタイミングで我々はあの池がある洞窟にやって来たのだった。
 ちょうど良いプレゼンテーションになるではないか。レヴィがそれを狙っていたのだと私は思った。
「何だ、ここは? 湖沼こしょうのようだが」
「ここを通らないと帰れないのです。一つの難関ですがの」
「行きには通らなかったと思うが」
「実はこの迷宮、もと来た道を引き返してもとのところへ戻るようにはできておらんのです」
 その言葉は我々にも興味深かった。たしかにもとの道へ戻ろうとして我々は遭難したのだ。
「ならばどうやってもとの場所に戻るのだ?」
「それは私のように特別な能力がないとできませんな」
「何だって?」
「私にはマーキングした場所に必ず戻れる能力が生まれついてありますのじゃ。異能ですな。こればかりは教えてできることではござらん。私の場合、封印を解いたり施したりすることがマーキングになります。であるので、私はこの迷宮のいくつかの出入口については行こうと思えば必ず行けるのです。しかしそれは一度通ったところに限ります。新たな場所に自由に行けるわけではないですぞ。ですから行ったこともないエゼルムンド帝国へは行こうと思っても行けませぬのじゃ」
「そんなものなのか」ヴロンスキーはやはり半信半疑のようだ。
 実は私も半信半疑だった。レヴィが口にすることはヴロンスキーをたぶらかすためのでまかせかもしれない。
「この池を渡って向こう岸からまた坑道と鍾乳洞をいくつか通ると帰れますのじゃ」
「ならばここを渡るしかあるまい」ペテルギアの憲兵たちは池を渡ることに何の困難も感じていないようだった。「浮遊魔法で移動する」
 羨ましいことに彼らは一人残らずその能力を持ち合わせていた。
「ではこちらは私が力を貸しますかの」レヴィが言った。
「恐れ入る」ストライヤー騎士団長は恐縮した。
 現時点で池を渡る魔法は我々騎士団の中ではルークしか持っていない。我々が池を渡るには何度も往復する必要があった。それをレヴィは一度の移動で実現するようだ。
「その前にこの池のぬしのことを言っておかねばなりませんな」
「池のぬし?」ヴロンスキーは怪訝な顔をした。
「もとはペテルギアの湖にいた両生類で、ここに紛れ込んでモンスター化したものですじゃ」
「そんなものがいるのか?」
「いますとも。ほれ見なされ。姿を現しましたぞ」
 それまで静かだった水面みなもが揺れた。ペテルギアの憲兵たちが照明魔法でそれを照らす。
 やがてそれは大きな頭を出した。のっぺりとした顔に申し訳程度についた目。ものを見るのに役立ってはいないだろう。
 水掻みずかきがついた前足が我々が立つ足場にかかった。
「何だ、こいつは!」初めて見たら誰もが同じ反応を示すだろう。
「池の主ですじゃ」レヴィの返しが呑気に聞こえた。「ぼーっとしておると呑み込まれますぞ」
 巨体にもかかわらず動きは速い。大きな口が開き、最も近くにいたペテルギアの憲兵の一人に襲いかかった。
 憲兵は後ろに飛び退いた。
 すんでのところで襲撃を逃れたのはモンスターの動きが突然鈍化どんかしたからだ。
「今のうちですじゃ」
 レヴィが重力魔法を発動しモンスターを地にいつくばらせていた。
「一斉攻撃だ」ヴロンスキーが叫んだ。
 ペテルギアの憲兵たちは、刀剣ではなく揃って棒状の武器を手にしていた。それは棍棒としてのみならず魔法杖の働きを持っていた。いやむしろ彼らは魔法師の力量の方が剣術家のそれより勝っていたようだ。
 水以外の雷、炎、風属性の攻撃系魔法が放たれた。モンスターの分厚い皮はそれらをことごとくはじいた。
「耐性があるようだ」
 そうなると我々の出番にもなる。仲間のかたきとばかりにウィルが刀剣をふるい、ストライヤー騎士団長も加わった。
 動きはレヴィが封じてくれている。
 まずは手の届くところからとばかりにウィルがモンスターの前足に剣を振り下ろした。
 ざっくりと大きな裂け目ができる。物理攻撃はまともに入るようだ。
 ストライヤー騎士団長はモンスターの前足を足場にして巨体に駆け上がっていた。
 それを見てペテルギアの憲兵たちも棍棒状の杖を強化した上でやりを突くように攻撃を開始した。
 モンスターは獲物から思わぬ反撃にあい水の中へ戻ろうとして足掻あがいているようだったが、それはレヴィの重力魔法によって押し留められていた。
 さらにレヴィはどこからか光る槍を何本も取り出して、モンスターの両足を纏足てんそくするかのように突き刺していった。
 十本以上の槍が両足に突き立てられモンスターは地面に固定されている。
 ストライヤー騎士団長とウィルがモンスターの頭部に到達した。そしてその頭頂部に刀剣を突き立てた。
 何度も何度も突き刺す。ある程度のダメージはあるようだがモンスターの足掻あがきは続いている。
「これを使いなされ」
 レヴィが光る槍をストライヤー騎士団長に投げ渡した。足を纏足てんそくするのに使っていたものよりも長い槍だった。
 これを突き立てるとなると宙に高く飛んで勢いよく突き立てねばならない。それをルークは承知していた。
 ルークが放った魔法がストライヤー騎士団長を宙に浮かび上がらせた。
 十メートル以上の高さからストライヤー騎士団長は急降下してモンスターの頭頂部に光る槍を突き刺した。
 モンスターは小刻みに震えているがまだ絶命には至っていない。
「槍に雷撃を!」
 レヴィの助言で雷魔法を持つ者全てが、モンスターの頭頂部に刺さった光る槍に雷撃を落とした。
 それが着火点となり、槍はまばゆく光った。
 池全体が光で照らされ、その全容が浮かび上がった。
 モンスターはピクピクと巨体を震わせていたが、やがてそれは止んだ。
「討伐完了ですな」レヴィが言った。
「ここにいたモンスターはこれ一体ですか?」モンスターの巨体から降りるなりストライヤー騎士団長はレヴィに訊いた。
「はて、どうですかのお」レヴィはとぼけた。
「あんなのが何匹もいるのか」ヴロンスキーも寄ってきていた。
「同時に二体見たことがないですでのう。向こうへ渡ってみれば良いですじゃ。姿を現すかもしれませんぞ」
 そこしか帰り道がないと言われ、我々は池を渡った。しかしモンスターが姿を現すことはなかった。
 我々は無事渡り終えた。一人の犠牲者も出さずにこの池を渡ったのはレヴィのお蔭だろう。
 そうして坑道と鍾乳洞をいくつか経て我々はペテルギアの森に帰ってきた。
「『迷宮への扉』が見当たらんが?」ヴロンスキーが訊く。
「帰りはないことも多いですじゃ。むしろ扉が見えないと言うべきですかの」
 坑道の向こうに光がさし、そこに向けて歩いているうちに霧に包まれ、霧が晴れた時は森にいるという流れだった。
 我々はアングやサーシャが待つ小屋へと帰ってきた。そこに残っていたペテルギアの憲兵二人が驚いたような顔で我々を迎えた。
「早いお戻りですね。二時間ばかりしか経っていませんが、何かトラブルでも?」
 それで我々が迷宮にいる間ここではほとんど時間が経過していないことを知った。ここから「迷宮への扉」までの行き来で往復二時間なのだ。
「あの程度の移動なら時はほとんど経過しません」レヴィが言った。「同じ時代の同じ場所に戻ってきますな」
「なるほど近場なら何度行き来しても時間はたたないと?」
「皆が皆そうとは限りませんがの。私にはもとの場所に戻れる異能がありまして、そのお蔭でもとの時に戻るのやもしれませんな」
「レヴィ殿でないと無理だと言うことですね」
「さあどうですかな。私以外の者が試さないとわかり申さんでな」
 それだったらレヴィが我々をバングレアまで送り届けてここへ戻ってもそれほど時はたたないのではないか。
「そう簡単にはいきませんな」またしてもレヴィは私の心を読んだかのように言った。「さすがにバングレアまでの距離となるとそうもいかぬのですよ」
 まるで試したことがあるかのようにレヴィは言ったのだった。
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