迷宮の果てのパラトピア

hakusuya

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クインカ・アダマス大迷宮調査日誌(ペテルギア辺境の森 プレセア暦2817年11月)

迫られる判断

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 我々は再びペテルギアの憲兵たちと向かい合った。我々バングレア王国第二騎士団四人とレヴィ、そしてペテルギアの憲兵たち五人だ。
 残り二人の憲兵は小屋の外に立っていた。
 食事の間でテーブルについて話し合っていた。
「ご理解いただけましたかな、大迷宮について」レヴィが訊いた。
「不可思議かつ不条理な洞窟だと理解した」ヴロンスキーが答えた。「あの中を自由に行き来できるのはそなただけなのか?」
「さあて、どうですかの。ペテルギアの教会にもそれが可能な神官がいるやもしれませんぞ」
「それで」ヴロンスキーはストライヤー騎士団長の方を向いた。「貴公らはどうなさるのか」
「ここにいる子らの親たちが狩りから戻ってきたらレヴィ殿に案内をしてもらい母国へと帰還するつもりです」
「なるほど親が帰ってくるまで動けぬというわけか」
「いかにも」
「そなたは」ヴロンスキーはレヴィに向き直った。「バングレアの騎士団を送り届けたらここへ戻って来るのだな?」
「バングレアは遠い国ですじゃ。先ほど行った北の海と違い、行って戻ってきた時にはどのくらい時がたっているかわかりませぬぞ」
「ならば戻って来ない可能性もあると」
「そうですな」
 ヴロンスキーはわずかの間黙った。この年老いた隠者の利用価値の高さについて考えを巡らせていることは明らかだった。
 私にはヴロンスキーが簡単にレヴィを手放すとは思えなかった。
「我らが大帝閣下に身を預けるという選択肢を考慮しないか?」
「私はもう年老いた身ですじゃ。いつ死んでも不思議ではないですからの。ですから隠者となり申した。今さらお国のために働くことはできませぬ。それがどこの国であってもですじゃ」
「そうか」ヴロンスキーはあっさり引き下がり、「また来る」と言って部下をつれて帰っていった。
「あれは本当にまた来ますぜ」ウィルが言った。
「確かに。俺でもレヴィ殿は手放さないな」ストライヤー騎士団長が頷いた。「あの迷宮とレヴィ殿を他国への侵攻に利用するつもりだ」
「ここで強行手段に訴えてもレヴィ殿には敵わないとみて一旦引き下がったに違いありません」ウィルが言った。「強力な魔法師を大勢引き連れてレヴィ殿を拘束しに来るでしょう。あるいはここにいる子らを人質にしてレヴィ殿に迫るやもしれません」
「その前にここを立ちたいところだな」
「やむを得ませんな」レヴィが言った。「親たちが戻る前に村の住人にあの子らを預けましょう」
「そんなことができるのですか?」簡単なことならすでにしているはずだと私も思った。
「村人の記憶を改竄かいざんしますです。この小屋も消し去り、私の存在をなかったことにするのです」
「できるのですか? 本当に?」
「私がここへ来た時にここの住人の記憶を改竄して、何年も前から私がここで暮らしていたことにしましたのじゃ。村人相手なら可能ですな。しかし問題はペテルギアの憲兵たちですな。戻ってきたあやつらが私が姿を消したと知ったらどう思うか」
「村人に訊ねるでしょうな。子どもらに訊問じんもんするかもしれない」
「記憶を消され誰も私のことは答えられない。それをあやつらが理解しますかな」
「どうでしょう」
 村人がペテルギアの憲兵たちによって厳しく責め立てられる様を我々は思い浮かべた。
「憲兵たちの記憶も改竄しなければならない。しかしあの憲兵たちが上層部に迷宮や私らのことを報告していたとしたらもう手には負えませんな」
「何とかうまく切り抜ける方法を考えねばなるまい」ストライヤー騎士団長は呟くように言った。
 話し合いを終え我々はそれぞれ自由に行動した。
 私は何となく気が向いてくりやを訪れた。
 そこには夕食の用意をするアングとサーシャがいた。さらに三人の子らがアングとサーシャの手伝いをしていた。
 親たちが森の奥へ収穫に出かけている間、この子らはレヴィのところに身を寄せて、こうして仲睦まじく暮らしているのだろう。
 もしレヴィがいなくなったとしたらこの子らは村の中心部の家に預けられることになるのだろうか。
 アングが獲物をさばいていた。それをサーシャが手伝う。そうやってサーシャはアングにとりとめもないことを語りかけていた。
 アングは穏やかな顔でサーシャがひとり語りかけるのを聞いている。この二人はあと数年もすれば夫婦になってここで暮らしていくのだろうと私は思った。
 サーシャが私に気づいた。顔を赤くしたのはアングに対してどこか甘えるような態度をしていたのを私に見られたと思ったのだろう。
 アングはいつも冷静で私に対して「お疲れでしょうから今晩は村長からいただいた牛肉をメインディッシュにしました」と言った。
「魔物討伐で村長から感謝の気持ちが贈られました」サーシャが言った。「私たちもおこぼれに預かって幸せですわ」
 ザリーラ討伐により森の中に立ち入り禁止の区域もなくなった。狩りのエリアが広がり、来年からはより容易に食糧が得られるという。
「それは良かった」私は言った。「でも魔物討伐はレヴィ殿なくしてあり得なかったよ。村長からの肉はレヴィ殿にたくさんご馳走してあげて」
「そうですね」サーシャは笑った。
「レヴィ様はすっかり食が細くなられたのであまり召し上がりません」アングが口を開いた。「ですからあなた方にたっぷりご馳走するようレヴィ様に言われております」
「そうなのか」
「ああ見えてもうよわいは百近いと思います」
「何だって」私は驚いた。「六十か七十くらいかと思った」
「僕にはよくわかりませんが、迷宮を何度も出入りすると実年齢とか肉体年齢がかなりかけ離れるようです。見かけはそれほど歳をとっていなくても、命の火が尽きる日は着実に近づくそうです。僕もいつまでもレヴィ様に面倒を見てもらっているわけにはいかないと思っています」
 それが本当なら我々をバングレアまで送り届けるのがレヴィの最後の旅になるかもしれないと私は思った。
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