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しおりを挟むドンッと大きな音がしてテーブルが揺れた。ただでさえヒート前で過敏になっているグレースにはおおきなストレスがかかりぐっと拳を握った。
「貴方なんて男ともいえない出来損ないのくせに大きな口を叩かないでくださいませ!!」
「……」
そういい放ってベクレル公爵は急にグレースの方へと振り向いてあざけるように笑いながら続きを言う。
「知ってますの? グレース、この男、アルファのくせに男に犯されたことがありますよのよ!」
「……」
「それも複数人! これで男オメガを婿に取るなんてできないと思っていたのに、こんな女の真似事をしたふざけた相手を見つけてきて番だなんておかしくて仕方ない!! 滑稽だわ!」
「一応訂正しておきますが、この人が差し向けたんですよ。俺が男を抱けなくなるように」
いらない追記事項をシルヴァンはグレースに言って、またすぐにベクレル公爵に視線を向ける。
「あら、そんな証拠ありまして? 貴方が勝手に悪漢に目をつけられたのでしょう?」
「証拠があろうとなかろうと俺はそう思ってますから」
「くだらない! 言いがかりはやめてくださいませ、貴方の自業自得よ!男に生まれて私たちを困らせてばつが下ったのよ! 今だってそう、貴方は私を困らせ続けて何がそんなに気にくわないのよ!」
「今度は俺の番にでも何かするつもりですか? それなら今度こそ証拠をつかんで公爵の地位から引きずり降ろしてあげますよ」
二人はまた言い合いに戻ってグレースはすぐに蚊帳の外になった。しかし嫌な話だ。そんなことがあったなんて聞きたくなかったし、シルヴァンだって誰にも知られたくないだろう。
それなのに彼は平然と言い返してその口論すら楽しんでいるようにも見える。
それにさらにベクレル公爵は怒りをあらわにして口汚くシルヴァンをののしる。生まなければよかった、殺したい、人でなし、シルヴァンの親なのにシルヴァンの事を敵か何かだと勘違いしてそんな風に言うのだった。
グレースはただそれを聞いていた。ずっと聞いていて、面倒くさいとは思ったけれども、聞き流せないほどでもない。自分への罵りも、シルヴァンがまったくかばってくれない事にも特になんとも思わない。
しかし、一頻りベクレル公爵が罵って息を整えている間に、静かに立ち上がった。
きっと声を荒げてしまうとベクレル公爵を刺激すると思ったのでふとこちらに視線を送った彼女に女性らしく声を震わせて言った。
「……ベクレル公爵、本当に申し訳ありません」
今まで静かにしていたグレースが急に喋った事、その唐突な言葉にベクレル公爵は興味を持ちどういう意味かと怪訝な顔をした。それに少し安心してグレースは申し訳なさそうにいう。
「実は……シルヴァンに言われてこの国に来るために、詐称していたのですが」
一度区切って彼女を見据えた。それからヒート前で勝手に潤む瞳を苦し気に細めた。
「女オメガなんです、私」
「……なにを、言っているのかしら?」
「シルヴァンに昔、会ったことがあってその時から好いていました。だからラベーン王国を出るために、この国に近い領地の貴族に協力してもらって、嘘をついて来たんです」
グレースの突然の発言にベクレル公爵は困惑した表情をした。たしかに、信じられない事だろう。それに詳しく突っ込まれたら瓦解する嘘だ。しかしそれでも、嘘をつくべきだと思った。
「そんな話……では、シルヴァンがただ私に当てつけをするために、私にもその嘘を言ったというの?」
しかし、ベクレル公爵は、勝ち誇ったような顔になってグレースが言おうと思っていたことを言って来た。それに乗っかるようにしてグレースは答える。
「ごめんなさい。騙すようなことをして、でも、男に見えますか? 私、本名だって女性名なのに……」
駄目押しにそういえば、彼女は笑みを浮かべて「そう」と納得するように言う。そのことだって元々女だと詐称するためにつけられた名前なのだから当たり前のことだし、脱げと言われればウソがばれる。
それでもベクレル公爵は心底嬉しいという顔をした。
「そうよね……そうだわ、そうかもしれないと思ってましたのよ! シルヴァンが男オメガを番に選ぶはずない、男に忌避感もあるはずだし、ベクレルの家系なのよ! そうに決まってるわ!」
「うん。そうですね」
「本当の事を言ってくれてありがとうね、グレース。貴方の秘密は守るわ、私」
「はい」
グレースの目論見通り、ベクレル公爵はグレースの簡単な嘘に騙されてくれた。そして今までシルヴァンに向けていた敵対的な態度を反転させてグレースに優しげな態度を向ける。
……思った通り、女には普通なんだ。
そんな感想を持った。それが想像できていたのはアンジェルの人柄を知っていたからだ。彼女はまっすぐでまったくひねくれていない。誰に対してもベクレル公爵が苛烈に反応していたらあんな人は育たないのだろう。
だから、きっとシルヴァンと相性が悪いだけで付き合えない人ではない。
しかしそれでもシルヴァンにとってはいい相手ではないと思うのですぐに付け加えた。
「あの、私、ベクレル公爵様と沢山話をしたいこともあるのだけど、その、ヒートが近くて」
「あら、まあまあ大変! 番以外のアルファがいたら不安ですのよね」
「ごめんなさい」
「良いのよ、同じ女じゃないの。急におしかけた私にも問題があったわ」
事情を伝えると、ベクレル公爵は砕けた態度でそういってグレースを気遣う素振りまで見せる。
先ほどとの変わりように、彼女の事を少し怖いと思いながらも、すっかり目の前にいるシルヴァンの事を無視して立ち上がり、颯爽とグレースの元へと歩いてきた。
近くで見ても彼女はシルヴァンとアンジェルの母親とは思えないほどに若々しくその瞳には強いまなざしがある。
「……」
そばまで来て彼女はじっとグレースを見つめる。その瞳は何かを見透かしてきそうで少し怖くもあるが、彼女が笑みを浮かべてグレースの手を取ったのできっとお眼鏡にかなったのだと思う。
「今日のところは失礼するわ。といってもそこの男にもう用は無いし今度は二人で会いましょう」
「……はい」
……本当にシルヴァンのことが嫌いなんだ。
用が無くなれば空気のように扱い、言葉も交わさずにベクレル公爵はほほえみを浮かべて去っていく、部屋を出るときにはグレースに向かってだけ「では、また会える日を楽しみにしているわ」と軽やかに言って去っていく。
それを見送ってグレースも頭を下げた。
彼女がいなくなるとほっと息をつけて、どっと疲れがやってくる。丁度良かったから引き合いに出したが、本当にヒートになってもおかしくない。
現に緊張したり、アルファ同士の怒鳴りあいを聞いたりして随分気持ちが揺らいでいる。ヒートになって振り切れてしまう前にグレースも部屋に戻って休息をとりたい。
そのためにはシルヴァンに下がる許可をもらわなければならないだろう。それに加えて彼には言うべきことがある。彼がやっている当てつけについて思う所があるのだ。
しかし振り返るのと同時に急に血の気が引いて思わず座り込んだ。なんだか不安になって泣き出してしまいそうになる。風邪をひいているときみたいに体が熱くぼんやりとしてくる。
……タイミング、悪い。
そうぽつりと思う。けれどもすでに手遅れで、それに良く持った方だとも思う。ヒートが近いときにこんなに気張って何かをすることも少ない。いつこうなってもおかしくないのに割合よくやった方だ。
それでも、まだ途中でシルヴァンと話をしなければならないのだが、彼を番のフェロモンで誘惑して襲わせてしまうわけにもいかない。そんなの望まないだろうから、自主的に出ていくかも。
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