どうせ去るなら爪痕を。

ぽんぽこ狸

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5 晴れ間の虹

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 エミーリエたちは小さな馬車に乗ってガタゴトと移動していた。

 最近長雨が多い影響でどこの道もぬかるんでおり、旅の進みはずいぶん遅い。

 しかし、それでもフォルスト伯爵家から着実に離れられている安心感にほっとして、長時間の移動でおしりが痛いことなどあまり気にならなかった。

 同行者となった彼らの関係性は、やはり王子と護衛騎士という事らしく、アウレールと呼ばれた彼女は終始あたりを警戒していて言葉が少ない。

 ユリアンが二人きりでの会話にも飽きてきたと言っていたのはただのエミーリエを誘うための口実ではなく、本当にそう思っていたのではないかと考えるぐらい馬車の中は静かだった。

 そういうふうに誘われたからにはと、エミーリエは思い立ってユリアンに話しかけてみた。

「……あのユリアン様」

 静かな馬車の中で眠ってしまっていたら悪いと思ったのでひっそりとした声で彼に話しかけた。

 するとユリアンはすぐに顔をあげて、穏やかに目を細める。

「敬称は必要ないですよ。むしろやめてください。今はただの旅人のユリアンですから」

 ……たしかに、その素性がばれるようなことがあっては大変ですね。

 彼の言葉に納得してエミーリエは改めて「では、ユリアン」と短く呼びかけた。

「はい、なんでしょうか」
「……」
「……エミーリエ? 何か話があったのではないですか?」

 問いかけられて、エミーリエは頷く。

 しかし、気の利いた面白い話でもしようと口を開いたのに、彼を楽しませるような話題が思い浮かばないのだ。
 
 今までエミーリエは自分の家族という者もなく、一人静かに婚約者の家で、仕事にいそしむ日々を送っていた。

 話題といえば仕事の事ばかりで、今のところ、救貧院があれでどのくらいの期間まともに運営できるかという不安と疑問ぐらいしか思い浮かばない。

「申し訳ありません。なにか会話で楽しませようと思ったのですが、楽しい気持ちになるような話題を持ち合わせていない事に、今気が付きました」
「そうなんですか、あまり気を使わなくても構わないですよ……といっても難しいですよね。何か面白い話題ですか」
「ええ、もう少し待ってください、今記憶の奥の方を探ってみます」
「ふふっ、それほど難しく考えずとも、ふと気になったことなどでもいいんですよ」
「いえ……どうにか」

 エミーリエはあまり最近、動かしていなかった表情を動かして顔をしかめてうーんと唸った。

 それをユリアンは少し笑ってから、適当に視線を空にやって、抑揚のない声で言った。

「それに、そんなものではないですか。自分の故郷を出るしかなくなったような人間など。

 面白い事の一つも思い浮かばないほどに思いつめて悩んで、結局こうなった人間はそれが自然だと私は思います。

 ……随分と後ろ向きな考えではありますが、無理して前を向く必要性は今はないと思います」

 エミーリエがこうであることなど、まったくおかしくなくて同時に、自分もそうであることを肯定しているような言葉だった。

 その言葉はエミーリエの心に深くじわっとしみ込んでくるみたいで、切羽詰まっていた気持ちが楽になる気がした。

「そう言っていただけると、なんだか今の自分が許されたような気持になりますね」
「そんな大層な事ではありませんよ。私も同じだというだけです」

 ……そうですか。では私たち、似た者同士ですね。

 こんなにきれいな金髪をしていて、こんなに美しい瞳を持っている彼にたいして、そんなふうに思うことなどおこがましいかもしれないけれど、人としての在り方が似ているのかもしれない。

 そんなことを考えているとふと、視界の端の窓の外に、雨雲の間から美しく晴れた青空が見えて、さらにはうっすらと虹がかかっているように見える。

「……楽しくなるような話題は……今までのことを思いだしても見つかりませんでしたが、今、やっと一つ見つけました。ユリアン見えますか? 虹がかかっています」

 窓の外を示してエミーリエは綺麗だという気持ちをそのままに微笑んだ。

「最近は長雨が多く、それに伴う災害も数知れず、国全体が少し落ち込んでいるような気がしますが、雨が降るとどこかで虹が出る。

 そう思うと、悲しい事続きの中でも場所を変えればうれしい事もあるはずだと、そう励まされているような気持になれませんか。

 今から向かっている場所が、こんなふうに雨の止み間に虹がかかっているような、あなたにとって素敵な場所になるといいですね」

 落ち込んで卑屈なことを言うのももちろん悪い事ではない。

 実際にエミーリエはフォルスト伯爵邸で毎日のようにロッテを恨めしく見つめて、いろんな気持ちを覚えていた。

 跡継ぎさえ産めればという気持ちとともに、あの子さえいなければという醜い感情があったのは事実だ。

 けれども、そんな自分は嫌いだった。

 子供だって自分が救われるためではなく望みたかったし、自分も幸せになったらロッテの愛らしさも無邪気さも素直に受け入れられたはずなのにと思う。

 だから言葉だけでは、ちょっと気取っている恥ずかしい言葉だとしても口にしてそう思っていることにしたい。

 そうなったらいいなという願いを込めて、少し目をつむって虹に願った。

「……エミーリエはとても良い事を言いますね。そのまま歌のワンフレーズにでもしたいぐらい綺麗な言葉です」
「ありがとうございます。心の底からそう思えるというより、言葉だけでも前向きになれたらいいなと思うんです。その方がきっと、必要以上に卑屈にならずに済みますから」
「そうですね。私も見習いましょう。もうしばらくこの馬車の旅は続きます。その間に二人で卑屈なことを言い合っているよりも、多少はましでしょうから」
「はい」

 エミーリエの意図をユリアンも理解して、二人は虹を眺めながら適当に面白い会話をした。

 心のそこからお互いに面白いと思っていたかどうかはわからなかったが、少なくともエミーリエは、彼と会話するのが楽しいと思ったのだった。


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