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決戦の時……。1
しおりを挟むこの間のお魚クッキーに対して「悪くなかったわよ」というお返事をクラリスに貰っていたので、今回も手土産ということで持ってきたのだが、それを一つ口に入れた、エリアルを見て、私は目を丸くした。
ゆっくりと咀嚼して、眉をしかめて、けれどきちんと嚥下する。
エリアルのお部屋にお邪魔するために持ってきた手土産だとしても、これはエリアルの食べ物じゃない。見たらわかるだろう。
というか、前回も同じものを渡してクラリスに届けてくれたのだから、クラリスのご飯なのだとわかるはずだ。
……え? 本当になんで? ていうかクラリスはどこ? 一個しか食べないってことは毒味とか? しかし猫用クッキーを毒味でも食べるとは、意外と勇気があるな……。筋金入りの猫好きなのかも。
私が驚いたまま彼を見つめていればエリアルは、ふと私に視線を戻して、執務用のごちゃごちゃした机から、プリントを一枚持ってくる。
それは前回の授業で使われていたもので、裏返してサラサラと『魚 焼き菓子』と書く。
どうやら、余分に作ってあったプリントを再利用しているらしい。こうしてお部屋で会う時の彼には、教師感はまるでないので忘れがちだが、教わる立場としては彼は割といい先生だ。
声が小さいのと、長く伸ばしている黒髪で表情が見えづらいのが難点だがそれ以外は分かりやすい授業内容だし、何より効率がいい。
「クラリスが気に入っていたようだから、作り方を教えてください」
「え?……あ、いいですけど……なんで今クラリスのだってわかってて食べたんですか?」
「……どんな味がするのか気になっていたから、ですが」
「あ、そう……ですか」
……た、確かにペットのおやつの味が気になる時はあるけれど、気になるのと食べるのとじゃ別問題じゃ……。
そう思ったが、実際にただそれだけの理由で食べた人が目の前にいるのに否定するのも良くないと思い、材料と作り方について教える。
エリアルはそのままプリントの裏紙にそれを書いて、終わる頃には、エリアルのお部屋の茶器を使ってヴィンスがお茶を淹れてくれる。
「ありがと、ヴィンス」
「いただきます」
「……エリアル、今日はクラリスはいないんですか?」
お茶を飲みつつ気になっていた事を聞く、するとエリアルは、逡巡してから、腕を組んで言う。
「居ません。呼ぶ事は出来ますが……君がわざわざこちらに来たのは、理由があっての事だと思います」
その通りだ。今日は、ローレンスの話を聞きに来た。彼の過去の話だ、一番身近で深く知っているのはエリアルとクラリスだと思う。それにヴィンスにも後で聞こうと思っている。
私にできる彼を知るという事の為には最も効率的で効果的な三人の人選だと思うし、それ以上ローレンスの事を調べるとなると学園生活に支障が出る。
何より、団体戦の作戦に間に合わないのだ。
「そうです。話を聞きに来ました。ローレンスの……話を」
「そうですか。ただ彼女は、それを僕に話すように言うとは思いません。それでも、呼びますか」
クラリスが話したがらないのはわかるけれど……呼ばなかったら……エリアルは普通に話をしてくれるという事?
私は元々、ダメ元というか、お願いのつもりで来たのだ。
私の行動は、あの狐の話。私に首輪をつけてローレンスの前にぶら下げている人たちの話を、私を殺さないような人に、ローレンスに出来るのならなって欲しいと思っているという気持ちがあるのではないかという前提で動いていて、私もそれに納得している。
けれどそれは、マクロに見ればそう読み取ることが出来るのと、実際にその時になって、私が死なないことに協力してくれるかどうかは別の問題だと思っていた。
「……エリアルは、話をしてくれるという事ですか?」
「ええ、僕は構いませんよ」
あっさりとそういう彼に、私はエリアルが猫用クッキーを食べた時より驚いて危うく眼球を落としそうになる。
……だって、絶対クラリスは、ダメだと言うだろう。
彼女は私に再三諦めろという言葉を向けて態度を一貫させていた。エリアルの方は少しだけガードが薄いような気がするのだが、それもエリアル本人が自覚している節があるので、クラリスに確認してから話をしたり、普段はろくに、プライベートな事を話もしない。
……だから私、エリアルの自主性に訴えかけるつもりは無かったんだけど……。
というか、もはや、あれだったのだ、私の中でエリアルというのは、先生としての彼と。あとはプライベートは、クラリスがすべてで、あまり意志の強くない人なのだと、何事も彼女を通さなければならないのだと思っていた。
「随分、驚くのですね。僕の事を主張の希薄な人間だとでも思っていましたか?」
「それは…………」
図星を突かれててギクッとする。その通りだ。主導権の無い、クラリスに、言ってしまえば盲従しているようにも見えていた。
けれど、一応はリーダークラスを受け持ってもらっている教師に、そんな事を言えるはずもなく、お茶を飲んで沈黙した。
「……良いですよ。それは本当の事ですから。ただそもそも、クラリスを分離させて自由を手に入れようと言う話を持ちかけたのは僕なんです」
「……」
「僕の固有魔法は少し特異でしてね。離れた場所にいる人間に話しかけることが出来るんですよ」
「……それは、今よりもっと大きな声を出せるということですか?」
「いいえ、ただ伝えられると言うだけで、音として発せられるわけではありません。それに僕は、返答は受け取れません。ですから、クラリスに一方的に提案をして、魔法玉をここユグドラシル学園から送り付け、彼女が成し遂げたあと迎えに行ったんです」
なるほど確かに、エリアルは、学園にいて、クラリスはアウガスの学校にいて、お互いにまったく交流を持つ機会が無いというのに、クラリスの逃げ道にエリアルがなれたのはそういう事か。
「ですから、僕は割と行動的な方ですよ。ただ突発的に行動してしまう節があるので、クラリスに判断を委ねることが多いだけで」
「……じゃあ今回話をしてくれるって言うのも、その突発的な事ってことですか?」
私の質問に、エリアルはふるふると頭を振る。
「違うよ。ただ僕は、これは唯一僕に残った責任だと思いますから、クレアがローレンスを変えようとしてくれるのなら、話をするのが道理だと思っています」
「……エリアルは、ローレンスのことが嫌いなんじゃなかったんですか?」
話をするのが責任だと言う彼の中に、一種の親愛のような感情が読み取れて、私は思わず聞く。すると、エリアルは目を細めて、緩く微笑む。
「嫌いませんよ。家族ですから」
その感情はローレンスには無い無償の愛情のように見えて、王族という彼らの宿命づけられた家族から逃げたエリアルと、いまだに、残りまっとうしているローレンス。
どうしてローレンスの方にそれがなくなってしまったのだろうと、少し悲しくなる。
その理由はローレンスの過去を聞けば少しはわかるだろうか、理解が出来るだろうか。他人から好きな人の過去を聞くと言うのは、そもそも気の引ける行為だ。けれど、そう思っていても、早く知りたい気持ちが前に出る。
「……お願いします、聞かせてください」
私が言うのと同時に、カトンッと窓の外から小さな音がした。そこには、窓ガラスを前足でノックするクラリスの姿があった。
「…………今開けます」
エリアルは少しだけ、動揺してから、すぐに立ち上がる。おそらく、彼女が帰ってくる事を予想してなかったのだろう。
というか、私に話すつもりがあったのなら、エリアルの方から来てくれた方が確実だったはずだと思うのだが、こうなってしまえばあとの祭りだ。
それに結局、クラリスには頼み込むしかないと思っていたから、やる事は一緒だ。
窓を開けると、ぴょんっとクラリスは中に入って戸棚に座り、まねきねこのように前足を片方あげる。
『エリアル』
「はい……」
『頬を出しなさい』
「……」
エリアルは言われて、少し屈んで顔を逸らす。そうすると、クラリスは急に魔力を強く使って、碧い瞳にキラキラと星が瞬いた。
そう思った時には既にクラリスの前足は振り下ろされて降り、ぶんっと風を切る音がして、エリアルの大きな男性の体が、部屋の壁に打ち付けられる。
『最近よく、外出をすすめて来ると思ったら、こういう事でしたのね、釈明があればききますわよ』
「クラリス……ごめん」
『…………わたくし達の間に秘密はなしよ。それだけは守ってくださいませ』
「はい」
エリアルの頬は肉球型に赤くなっていて、それだけで済んでいるのは、彼が魔法を使ったからだろうと思う。
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