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真実の記憶 13
しおりを挟むいよいよ言うこともなくなり、定期的に母を呼び続けるだけになって、しばらくしてか細い声で、エルザはフィーネの事を読んだ。
「……フィーネ……」
エルザがこのまま眠ってしまい、もう二度と話ができなくなってしまうのではないか、そんな不安があったフィーネは、母の声にすぐに反応して、純朴な笑みを浮かべた。
「お母さま!どこか辛い所はありませんか?私にできることは……」
「……、ご、ほっ……フィーネ、聞いて」
ベットに乗り上げるようにして母の言葉に耳を傾けるフィーネに、エルザもゆっくりと目を細めて、語りかける。
「はっ、……はぁ、……フィーネ。貴方は、今日、調和師の、力を使えたといっていた、わね」
「!……うん、そうっ。上手くいったの、なんだか不思議な、感覚で、でも私でも上手くできたの!」
「それは、すごい事だわ……、……フィーネ、あなたは、これからきっと、寂しい、おもいを……ごほ、するかもしれない、でもきっと、だいじょう、ぶ」
ベットに乗り上げてきたフィーネの事をエルザはぶるぶると震える手で抱きしめて、小さな背をさすった。母親の言葉を一語一句聞き逃すまいと、フィーネは口を閉ざして、じっと母親を見つめる。
燭台の光が揺れて二人の影を長く映し出した。
「、は、……その力が、あなたを、まもってくれる。……もう、……だいじょうぶ、ね。私が……」
不自然なところで言葉が切れる、言い淀んで、それでもエルザは、フィーネに言った。
「わたしが、いなくとも」
小さな幼女の瞳が見開いた。息を飲むとはまさしくそのことといった感じにごくっと喉を鳴らして、母の事をじっと見つめていた。
「ふぃ、ーね」
「……」
「私の、いとしい……」
もうすでにその瞳は、フィーネの事をとらえてはいなかった、ただベットの天蓋をぼんやりと見つめていて、フィーネは何も言わずに母親の事を縋るように抱きしめる。
決して離したくはないと言葉にしなくても伝わるように、きつくきつく力を入れて、けれども涙だけは流していなかった。
「いとしい、子。……、きっと、だいじょう、ぶ。よ。先にいく、事を、ゆるして……」
「……、」
「……ふぃーね……」
手がするりと力なくフィーネの背から落ちていく、しかしまだ意識のある母にフィーネは、何も言えずに、震えることしかできずにただ生きているその姿を自分の記憶に焼き付けていた。
「……」
「…………あなたは、は、……だいじょうぶ、よね」
その、言葉は確認するみたいで、叫び出したい気持ちがフィーネの中には渦巻いて、今際の際の母の肩を掴み、揺り動かして起こし、抱きしめてもらいたかった。
だっこしてもらいたかったし、一緒に眠りたかったし、頭を撫でてほしかった。
本当は今日だってパーティーなんかに参加せずにフィーネは、母親と過ごしたかったのだ。薄命な母との時間を少しでも、多く共有していたかった。
まだ、愛されていたかった。暖かな陽だまりのような母親の体温の中に包まれて、居眠りしていたかったのだ。
しかし、そんなわがままは、もう手遅れで、許されず、愛する母親に望まれていることは一つだけ。その苦しさと悲しみのすべてを言語化できるだけフィーネは大きくなかったけれども、何も分からない子供ではなかった。
言うべきことは……望まれていることは、分かってゆっくり動いてベットから降り、元の椅子に戻った。それから母の手を最初のように握って、柔らかな幼いほっぺたをその手にこすりつけながら震える声を出す。
「わ、た。……わたしは、……は、えゔ……だい、じょうぶよぅ……おか、さま」
堪えながら言った言葉は聞き取りづらかったはずなのに、望んだ言葉だったからか母の元へと届き。その手がほんの少しだけ、フィーネの頬を撫でた。
微かな動き、もっともっと力いっぱい抱きしめて、安心するくらいよしよししてほしいのにそんな願いは届くことなく、その冷たい手は動くことをやめて、いくら頬ずりしてももう反応は返ってこない。
微かな吐息も聞こえなくなって、部屋にはフィーネが荒く呼吸をする音だけになった。
顔を上げることができずに、その事実を目の当たりにすることが怖くてフィーネはそれからずっと、微動だにしないままじっとしていた。
小さな団子のようになって母の手に縋ったまま、大丈夫と言ったからには、母親を失ったという恐怖に大声を上げて泣きわめくこともできずに、じっと固まって堪えていた。
それから、数十分経ってから、小さなフィーネはベットに乗り上げて、息を引き取った母親の頬に触れた。熱があって生きているときは顔だけは熱かったのに今ではフィーネよりも温度が低くてびっくりした。
それから息をしていないのも不思議に思って、苦しくなって、そのうち勢いよく呼吸をし始めるのではないかとじっと見ていたが、そんな奇跡は起こることもなく、呼吸をしていない母親がそこにいるだけだった。
「……」
そうしてようやく、自分の言葉が母に届かない事に確信を持ててから、う、っと苦しそうにして、決壊するように「ゔわぁぁん」と小さな子供が癇癪を起こすときのように苛烈に泣き出すのだった。
「あ゛ああっ、やだぁあ゛~!!、やああ、い、ひっ、ひゔ、あう、わぁぁん、ひっ。はっ、かひっ、ああ、おかあざま」
駄々をこねて、汚く泣きじゃくる幼女。フィーネは、その光景を見ていてはぁ、とため息をついた。無力で、無様でなんて情けないのだろう。
自分自身だからこそ、辛辣にそう思うのだった。
「だいじょぶじゃないよぉう、ひっぐ、ふぁぁん、わ゛あああ行かないでえ、ぐすっ、やだぁ~、ああ、あ、ひっか、かは、ううゔ」
母の亡骸に縋りつき、涙と鼻水でベットを汚しながら、わがままをいう小さい自分が哀れで仕方がない。しかし、同情はしなかった。それに母の死の記憶も、思っていたほどひどくはなかった。
ずっと昔から母は、床に臥せることが多い人だったのだ。きっとフィーネのために無理をしていただけで、辛くて苦しいことが多かったはずだ。
だからこそ、こうしてそれほど悲惨ではない最後を迎えられたことは悲しさはあれども悪い事ではない。それに、どうにか延命することが、彼女の幸せにつながるかは別の問題だと思う。
母の死について考えてしまった時にはいつも、そう結論を出していた。今回も同じだ。
しかし、これが原因でフィーネはすっかり力が使えたことも、その時に出会ったアルノーの事も忘れてしまっていたのだ。それを見せることができて、目的は達成しただろう。
アルノーもそう思ったのか、ふとフィーネの肩から手をどかして、カツカツと歩き出した。それにフィーネもついていく。
母の寝室の扉を開けると、そこには白い世界が広がっていて、背後からは今も情けない泣き声が響いていた。アルノーは先にその扉にすすみ、フィーネもその扉を躊躇することなく、くぐるのだった。
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