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しおりを挟むあんなに苦労して彼をやる気にさせることが出来たというのに、結局カイの身支度は間に合わず、少し遅刻をして、舞踏会は予定より押して開催となった。
しかし以前には数時間押したこともあったので、多少の遅れについて貴族たちから文句を言われることは無く、朗らかな雰囲気で舞踏会を始めることが出来た。
私はまだ正式な王族ではないので、カイの隣に席はないが、これでも一応聖女であるので伯爵令嬢という高くない身分でも舞踏会で肩身の狭い思いをすることは無い。
だから開催さえしてしまえばゆっくりと舞踏会を楽しめる。……カイが大人しく礼儀正しくしてくれていればの話だが。
「なんたる侮辱! ただでは済まさんぞ!」
楽師たちの奏でる美しいワルツにそぐわない声が聞こえてきて、さぁと血の気が引いた。
手に持っていたグラスをそばに来ていたウェイターに下げてもらってすぐに踵を返した。
「違和感ありすぎなのが悪いんだろっ」
「この、返せ!」
「うわっ、あっぶな~」
一人壇上に座って、様々な貴族たちの挨拶を受けていたはずのカイはいつの間にか立ち上がっていて何かを手に持っていた。
「あ、フェリシア見てくれ! こんな大きすぎるかつら見たことあるか?!」
急いで向かった先には、薄毛を気にしている歳を召した公爵の姿があり彼は顔を真っ赤にして憤慨し、兵士に止められつつもカイに掴みかかろうとしていた。
「ダサすぎるだろ!」
どうやらカイは跪いて挨拶をした彼の元まで歩いていき、その頭につけている大切なものを面白半分に奪った様子だった。
公爵が怒り狂い喚き散らすとパーティーホール内は騒然とした空気に包まれる。
朗らかな空気は、また王太子が何かやらかしたのかとぴりついた雰囲気にがらりと変わる。
……ああ、一人でずっと貴族たちの長い挨拶を受けていたから、退屈してしまったのね。
彼がこんな行動に出た理由はなんとなく察せた。それにあの公爵のかつらがとっても立派なことは周知の事実だった。
しかし貴族とは見栄を張るものだ、そしてその見栄を奪い取って辱めることは、いくら王族でもやっていい事ではない。
「カイ!」
品がないとわかっていても、もう体面なんか気にしてられずにパタパタと走って彼の元へと向かい、その立派なものを彼の手から奪い取った。
「申し訳ありません、公爵閣下。お返しいたします」
それからすぐに兵士にもみくちゃにされて乱れている公爵に丁寧に手渡した。
「いくら、唯一の王子とはいえ、許されませんぞ!」
「閣下、申し訳ありません、一度ホールの隣のドレッシングルームに参りましょう」
「ええい、離せ! 今ここで目にもの見せてくれる!」
「どうか、ご勘弁を! カイ! あなたも謝罪を!」
公爵をなんとかなだめながらも、どうにか後ろを振り向きカイを縋るように見るが、彼は私の行動にまた機嫌を悪くしたのかプイっと顔を背けて、イスに戻りふんぞり返って座った。
……ああ、どうしよう。
考えつつも乱心している公爵に丁寧に言葉をかけ続けた。彼をこのまま放置していては、あまりにも不憫だ。
そのままドレッシングルームへ共に向かって誠心誠意の謝罪を繰り返せば彼は何とか振り上げた拳を下ろしてくれたのだった。
公爵を馬車へと乗せて屋敷に送り届けた後、舞踏会会場へと戻るとそこにはまだ挨拶を受けていない貴族がいるにもかかわらず、カイは姿を消していた。
きっと自分を放置されて、へそを曲げて自室へと戻ってしまったのだと思う。
その状態を見て、私はため息が出るのを止められなかった。
とても疲れて喉が渇いたので、若い貴族が固まっているブースへと向かってウェイターから飲み物をもらう。
私が戻ってきたことに、大体の貴族が気がついているが、仲良く話をできる気軽な関係の貴族は私にはいない。
幼いころからカイの婚約者として王宮で忙しく暮らしてきたので、普通の交友関係を持て無かった。
先ほどの事態同様、昔からカイは、いろんな場面で問題を起こす。その対応や聖女としての仕事に追われて人とプライベートで関わる時間がなかった。
だからこうして戻ってきても、カイがいなくなるまでの様子を教えてくれる人などいない。
伯爵家の後継ぎである妹もこの舞踏会に参加していて、見える位置にいるのだが、彼女ともあまり接点がないので、いつものごとくこちらを見てひそひそとお友達とやり取りをしているところが見えるだけだ。
……仲間に入れてなんて言えないもんね。私もいつカイに呼び出されて途中で舞踏会を抜けるかわからないし。
それにひそひそと噂話をされることはあるが、面と向かってなじられるということもない。
貴族たちは基本的に冷静に自分の立場を鑑みて立ち回ることのできる頭のいい人たちだ。王太子の婚約者で聖女という立場のある人間を無理やりこき下ろしたりはしない。
だからこそ、下手に声も掛けないし、逆に恨まれるようなこともしない。静かなものだった。
グラスを傾けてこくりと果実のジュースを飲む。普段だったら、周りもすぐに別の話題に移って私は透明人間のように扱われるのだが、ふと笑い声が聞こえてきた。
くすくすと妖精が囁くような小さな声だ。
「いやですわ。彼女が不憫よ」
「だが、間違っていないだろ」
「ええ、ふふっ」
「ナニーの方が正しいのではなくて?」
「いやぁ、ナニーならもっときちんと教育をするさ」
「たしかにそうだな」
どこかの誰がというわけではない、しかし、私の事だとわかるような囁き声が次第にはっきりと聞こえてきた。
初めての事態に困惑して周りをきょろきょろとしてみると、大きな声が聞こえた。
「あら、お姉さまってそんな風に呼ばれていたのね!」
あざ笑うような声は、たまに王宮にも顔を出してくれる妹のカリスタの声だった。
……私の通り名ってこと?
なにやらひそやかに話題になっている内容がわかってキョトンとすると、三人組の男性がやってきて、彼らは私からほど近い位置でこちらを注視している。
その三人組のうち、とがった耳をアピールするように銀のピアスをつけている青年が口を開いた。
「暴君シッターだなんて不名誉極まりない通り名だと思わねぇか?」
「ええ、まったくですね、ヴィクトア様!」
「その通りでございます!」
「おっと二人とも声が大きいぞ、本人に聞こえるかもしれないだろ?」
「ああ、そうでした!」
「気をつけます!」
ヴィクトアと呼ばれたその青年は、ちらと私の方を見て目が合った。
彼はこの地に昔から住んでいたエルフの血が濃く、耳がとがっているのでとても高貴な身分だとわかる。
そして特徴的な赤毛をしていた。
エルフの血が濃いのでもちろん顔立ちも気品があり、取り巻きのような子分のような存在を二人ほど連れている、すぐに誰だかわかった。
まだ、外見からしてカイと同じぐらいの成人丁度ぐらいの年齢に見えるが、この風貌ですでにフェルステル公爵の地位を継いでいる立派な貴族……であると思ったのだが、何と言っただろうか。
……暴君……シッター……。
「婚約者なのに、あんな風にわがまままを宥めてやって、迷惑をかけた相手には代わりに謝罪をしてやるなんて、まさに世話係り。一生そうして子守をして生きていくなんてさぞ大変だろうな」
「ですね、なんせ相手はあの暴君ですから」
「私だったったら三日で放り出します」
彼らはあくまで身内だけのナイショ話という体で話をして笑いあっているが、周辺にいる人にはまる聞こえという声量だ。
普段なら、王太子であるカイの事をそんな風に言うリスクなんて、滅多に取らない貴族である彼らが明確に発言している事に驚いた。
それから言われたことを何とか理解して、ヴィクトアの言葉にもさらに驚いた。
そんなこと言われたって、ずっとこうしてカイの面倒を見ながら生きてきたのだ。ただカイは少し他の人より気分屋で、甘えた精神を持っているだけだ。
それを無理やり変えることなどできないし、変えようとも思ったことは無い。ただ毎日必死で何もやらかさないように気を配ってきた。
……それを子守だなんて……。
誰かが否定するはずだと思って私は、周りにいる貴族たちを見回した。
しかし美しいワルツが流れる中、ヴィクトア達の言葉は正しいとばかりに私を笑う声は途切れない。
思い思いに彼らは、私を憐れんで揶揄うようにシッターだナニーだと続けた。
それに耐えられなくなって私はたまらずその場を去ったのだった。
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