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32 不安
しおりを挟む夜が更けたあと、クローディットが満足して帰ると、それを確認するように入れ替わりで来客があった。
やってきたのは、異母弟のエクトルで、彼も今日のクロエとの交流の是非を聞きたくてしょうがない人間のうちの一人だ。
こんな時間まで起きていて、他人の部屋を訪ねるなどあまり常識的な行動とは言えなかったが、ディオンは話をしてやらなければならない義務もあるだろうと考えて部屋へと招き入れた。
「それで、クロエ様とはうまくいったの?」
弟はおずおずと聞く。それは母と大体同じ質問だったがディオンは、疲れてしゃっきりとしない頭を切り替えて首を振る。
「……うまくいくもなにも……反対されるとわかっていたから言わなかったが、すべて話をした。俺は戸籍上は、フロランス母さまの息子ということになっていて調べてもわからないだろうから、第二夫人の子供であることも、母さんのことも、全部」
すると彼は、ディオンに対して信じられないとばかりに目を見開き、まるでとても傷つけられたみたいな顔をした。
「な、なんで!?」
「端からそうするつもりだった。あんたたちには、ぬか喜びさせるようなことになって申し訳ないと思ってるが、俺は彼女をこの家に入れたいとは思えない」
「え? なんで、なんでよ。聞いてない……だって、どうして!? お母さまだってお父さまだってこれで、クローディットさんも落ち着くだろうって喜んでいたのに!」
「……」
「だってそうでしょ! クロエ様はすごく優秀な人でお嫁に入ってくれれば安泰だって、現にクローディットさん最近あんまり怖い時の感じなかったし!」
ディオンのことを責め立てるようにエクトルは言葉を続ける。
「それなのに、その話は白紙になったなんてことになったらっ、そんなことになったらっ、ど、どう、僕はどうっ、っ」
取り乱して変にどもる弟に、ディオンは机を回ってそばに座る。背中に手を置いて摩ってやると、震える吐息を吐き出し、ディオンを見上げた。
「っ、あの人っ、あの人怖いんだよ、兄さま、あの人何をするかわからないんだよ」
「わかってる、エクトル」
「わかってないよ。あの人僕がどこに行くにも見張っていて、お母さまにも文句をつけて、叫んで、僕が何かしようとすると絶対に邪魔してくるんだ」
彼は震えて、怯えるような眼をしている。
「なにもできないよ、僕、どうして僕ばかりこんなに目の敵にされなきゃいけないのかな!? どうして、お父さまもお母さまも守るよって言いながら、離婚してくれないのかな!?」
「……」
「お兄さまだってっ……お兄さまは……どうして、っ、そんなことをしちゃったの?」
母や父と同列にディオンのことを語ろうとしてエクトルは言葉を止める。それから、なんとか落ち着いて問いかけてきた。
しかし、その言葉に率直な言葉を返すならば、弟よりもクロエが大事だったからに他ならない。
比べてしまうとそれはどうしても比重が偏る。昔助けてくれた彼女をこんなことに巻き込みたくなんかない。
巻き込めばエクトルが苦しまなくて済むとしてもそれでもそちらを選んでしまった。
そんなことは言いたくなくて「ごめんな。エクトル」と短く言った。
「っ、…………お兄さまは僕よりもその人の方がずっと大事だったんだね。僕がこのままでもっ…………僕がもっと駄目な人間になれば、だれか後悔してくれるかな」
「エクトル、そんなふうにあきらめないようにしよう。たしかに、父さまや母さまは自分たちのことばかりで動かない。でも代替わりできれば俺があの人をしっかりと切り捨てる」
「…………」
「今回は、ぬか喜びさせて本当に悪かった。でも、しばらくは俺もここにいてあの人のケアに回る。エクトルが自由に動けるように少しでも、負担が減るように、俺がしっかりするよ」
こんなのはその場しのぎのセリフに過ぎなかった。その場で安心させるだけの意味のないセリフ。
けれどもそうしてずっとやってきた、父は母に離婚を迫ったこともあったが、彼らは自分たちの罪悪感から動くことはない。
エクトルがどんなに不遇な状況でいても、困っただとか、大丈夫だとかそう言った言葉をかけるばかりで、行動を起こさない。
悪党というわけではないけれど、動かない彼らだって、立派にクローディットに加担している。
そしてそれをまったく理解していないのだ。
「俺が満足させてやれば、取り乱しても落ち着くはずだ。言いなりにでもなんでもなって、エクトルが怖い目に合わないように手を尽くす」
「……お兄さまと僕が、本当の兄弟だったらよかったのに」
「そうだな。俺もずっとそう思ってる、でも血のつながりが薄くても、大切な弟だってことには変わりない」
「……うん」
渋々とうなずくエクトルはもう思春期を迎えて家族に反抗したっておかしくない年頃なのに、母にべったりと甘えるし、ディオンにも当たり前のように抱き着く。
とても不安定なのだ。
彼が生まれて以来苛烈になったクローディットに充てられるようにして、エクトルもまた自分はどうしたらいいのかと他人の目を過度に気にして常に不安にさいなまれている。
脅えて真の意味では誰も助けてくれない状況に心が耐えられずに、肉体的なつながりを求めて誰かのそばを離れない。
そんな彼を昔から、見てきたというのに、ディオンはなにもしてやることができない。
それが情けなくてどうしようもないし、やっぱりクロエに合わせる顔もなく、目の前のクローディットのケアについて動くことしかできることはない。
クロエとの関係が終わったことについてはまずはタイミングと話し方から考えて、いかにエクトルから遠ざけるかが問題だ。
ディオンは彼女のように強くもないし賢くもない、物事を簡単に解決することなんて不可能だ。泥臭くても、情けなくともここにいるのだからあがくしかない。
自分ができることをやらなくては。
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