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第17章、千晴編
【3】スタートライン
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スティックのりのふたが、カツーンと床に転がった。
コロコロ…と足に当たり、私は体を折り曲げて足元のふたを取り、テーブルに置く。
碧が、ハサミとのりを両手に持って、目を真ん丸にして口を開けている。
「……藤田先生って、藤田先生だよね…!?ちょっと…ちょっと待って。整理させて」
碧が驚くのも無理はない。
ずーっと黙ってたんだもん。
片思いしてることだって、誰にも言わなかった。
私は碧の右手に持っているのりを取り、ふたをして返した。
「つ、つきあってるって……想像つかなくて。だって、藤田先生って…!一緒に住んでるって、…ええ!?先生今おいくつ?」
碧の驚きっぷりに、つい笑ってしまう。
オッサンと言いたいけど、言えないのが伝わってきて苦笑。
「びっくりした?」
「そりゃもう!なんで!?いつから好きだったの?全然気付かなかった!しかも結婚って…!」
「あ、まだそれはわかんない。先生も、ちょっと盛り上がって言っちゃっただけかもしれないし」
先生の言う事全部鵜呑みにできるほど、私はピュアな女でもない。
本心は、先生が本気ならいつでも結婚したいけど、今のところは待つつもり…。
「……藤田さん、は……?」
碧も、元コンビニバイトの藤田さんが先生の息子だと言う事は、知っていたようだった。
「本当に一緒にい続けることになれば、それぞれの家族にもいずれ話すんだろうと思うけどね。……先のことはわからないけど、今は幸せ。すごく」
まだ、はじまったばかり。
二人でいるだけで幸せだ。
「…それならよかった。千晴が幸せなら」
私の言葉に頷く様にして、ようやく碧の手が動き出した。
うさぎやくまの動物、りんごやいちごのくだものに、ハートや音符や雪の結晶と、紙でできた可愛らしいモチーフがテーブルに並べられていて、華奢な薬指には、プラチナのリングが光っている。
「職人だね、碧」
「ふふ。こういうの作り置きしてると何でも使えるんだぁ」
「子供たち喜ぶだろうね。あ。これカワイイ」
緑色の怪獣発見。この顔、目が怖くて先生に似てる。
「気にいったならあげるよ?」
「ホント?じゃあもらう。ありがとう」
先生に似てるからほしい、とは、照れて言えず…。
碧は、にこにこと笑って立ち上がる。
「コーヒーおかわりいれようか?」
「あ、ありがとう。いただきます」
部屋中に豆のいい香りがしていて癒される。
私は砂糖を入れるけど、碧はブラックで飲んでいた。
いつからか、コーヒーを飲む時は必ずブラックで、豆から挽いて淹れるらしい。
私たちより一足先に社会人をしている碧は、いつも笑顔なのはかわらないけど、いつの間にかおどおどした感じはなくなっている。
結婚もしてるし、今は私から泣きついたり頼ったりして、人生の先輩になっている。
「それにしても、藤田先生も学園辞めちゃってたんだね…」と碧。
「“も”?他に誰か辞めたっけ」
私が言うと、碧は「村上先生だよ、担任だったのに」と言う。
ああ、そうか。そうだったね。
村上から堤君の記憶にすり替わってた。
淹れてくれたコーヒーに砂糖とミルクを入れ、スプーンで静かにかき混ぜた。
「………元気かな。村上先生」
碧の表情を見れば、何か想いを残しているのはわかった。
それが何の感情なのかはわからないけれど。
「暑中見舞いでも出したら?」
「今もあそこに住んでるかどうかわかんないよ。引っ越ししてるかも」
「結婚しましたの連絡は?式挙げてないんだし、食事会とか開いて呼んだら?」
「えーっ、いいよ!遥に怒られる!」
「え?なんで遥が怒るの?」
ぐっ…と碧が押し黙ったのが見てとれた。
「え。何?」
「何でもない。………って言いたいけど…………」
え?え?
碧は、コーヒーのカップを置くと、「千晴が話してくれたから、私も話す……」と、昔話を始めた。
17歳の出来事を。
碧の口から紡がれる、17歳の思い出話。
あの頃、いつも困ったような笑顔で、凛ちゃんのお世話とバイトに明け暮れていたのに――。
義父から仕掛けられた痛々しい話には言葉を失いながら、未熟な自分を悔やむ碧の話に耳を傾ける。
「私は、自分が一番不幸でかわいそうだって思ってて。バカだったの。みんなに迷惑かけて、……村上先生に謝りたいっていう気持ちがずっと消えない…」
碧は、具体的に村上と何があったか明言は避けていたけど、今まで罪悪感を抱えて続けていることが気の毒に思えた。
それは既に、呪縛でしかない。
そんな気がして。
「……もう、いいんじゃない?」
「え?」
碧が、涙をいっぱいためて私を見つめる。
「たとえば…今碧が受け持ってる園児が、ずっと『せんせいごめんなさい』って思い続けて卒園して、そのまま大人になってたらどう思う?」
「………嫌だね」
「でしょ?村上も、どっかで碧の幸せを祈ってるよ」
「…………」
碧の瞳から涙が落ちそうになって、慌てて紙の作品をよけてティッシュを渡す。
「そうだね。そうだね…私も、くま組のみんな、一人残らず大事だもん」
そう言って肩を震わせて、くしゃくしゃの笑顔で泣いている碧を見ていると、胸が熱くなった。
帰り道は、碧が車で近くの駅まで送ってくれた。
遥に会えないのは残念だったけど、またこっちにも二人で帰っておいで、と話した。
「……先生に謝りたいなんて、誰にも言えなかったの。千晴に聞いてもらえて、救われた」
「今、遥のこと大事にしてるから、それでいいんじゃない?今幸せなんだから、もういいんだよ」
「……っ」
と、碧が下唇を噛む。
「え。まだ泣く?(笑)」
茶化しながら、釣られ泣きしそうになるのを食い止める。
「また会おうね。メールするから。幸せになってね。千晴」
「ありがと!碧もね」
改札に入り、碧に手を振ってホームに上がる。
もうすぐ、次の特急電車が来る。
私と先生の幸せは、この先にあるのかな。
先生には、私との未来は見えてる?
台風の後に感じたあの眩しい未来を、先生も感じていてほしい。
コロコロ…と足に当たり、私は体を折り曲げて足元のふたを取り、テーブルに置く。
碧が、ハサミとのりを両手に持って、目を真ん丸にして口を開けている。
「……藤田先生って、藤田先生だよね…!?ちょっと…ちょっと待って。整理させて」
碧が驚くのも無理はない。
ずーっと黙ってたんだもん。
片思いしてることだって、誰にも言わなかった。
私は碧の右手に持っているのりを取り、ふたをして返した。
「つ、つきあってるって……想像つかなくて。だって、藤田先生って…!一緒に住んでるって、…ええ!?先生今おいくつ?」
碧の驚きっぷりに、つい笑ってしまう。
オッサンと言いたいけど、言えないのが伝わってきて苦笑。
「びっくりした?」
「そりゃもう!なんで!?いつから好きだったの?全然気付かなかった!しかも結婚って…!」
「あ、まだそれはわかんない。先生も、ちょっと盛り上がって言っちゃっただけかもしれないし」
先生の言う事全部鵜呑みにできるほど、私はピュアな女でもない。
本心は、先生が本気ならいつでも結婚したいけど、今のところは待つつもり…。
「……藤田さん、は……?」
碧も、元コンビニバイトの藤田さんが先生の息子だと言う事は、知っていたようだった。
「本当に一緒にい続けることになれば、それぞれの家族にもいずれ話すんだろうと思うけどね。……先のことはわからないけど、今は幸せ。すごく」
まだ、はじまったばかり。
二人でいるだけで幸せだ。
「…それならよかった。千晴が幸せなら」
私の言葉に頷く様にして、ようやく碧の手が動き出した。
うさぎやくまの動物、りんごやいちごのくだものに、ハートや音符や雪の結晶と、紙でできた可愛らしいモチーフがテーブルに並べられていて、華奢な薬指には、プラチナのリングが光っている。
「職人だね、碧」
「ふふ。こういうの作り置きしてると何でも使えるんだぁ」
「子供たち喜ぶだろうね。あ。これカワイイ」
緑色の怪獣発見。この顔、目が怖くて先生に似てる。
「気にいったならあげるよ?」
「ホント?じゃあもらう。ありがとう」
先生に似てるからほしい、とは、照れて言えず…。
碧は、にこにこと笑って立ち上がる。
「コーヒーおかわりいれようか?」
「あ、ありがとう。いただきます」
部屋中に豆のいい香りがしていて癒される。
私は砂糖を入れるけど、碧はブラックで飲んでいた。
いつからか、コーヒーを飲む時は必ずブラックで、豆から挽いて淹れるらしい。
私たちより一足先に社会人をしている碧は、いつも笑顔なのはかわらないけど、いつの間にかおどおどした感じはなくなっている。
結婚もしてるし、今は私から泣きついたり頼ったりして、人生の先輩になっている。
「それにしても、藤田先生も学園辞めちゃってたんだね…」と碧。
「“も”?他に誰か辞めたっけ」
私が言うと、碧は「村上先生だよ、担任だったのに」と言う。
ああ、そうか。そうだったね。
村上から堤君の記憶にすり替わってた。
淹れてくれたコーヒーに砂糖とミルクを入れ、スプーンで静かにかき混ぜた。
「………元気かな。村上先生」
碧の表情を見れば、何か想いを残しているのはわかった。
それが何の感情なのかはわからないけれど。
「暑中見舞いでも出したら?」
「今もあそこに住んでるかどうかわかんないよ。引っ越ししてるかも」
「結婚しましたの連絡は?式挙げてないんだし、食事会とか開いて呼んだら?」
「えーっ、いいよ!遥に怒られる!」
「え?なんで遥が怒るの?」
ぐっ…と碧が押し黙ったのが見てとれた。
「え。何?」
「何でもない。………って言いたいけど…………」
え?え?
碧は、コーヒーのカップを置くと、「千晴が話してくれたから、私も話す……」と、昔話を始めた。
17歳の出来事を。
碧の口から紡がれる、17歳の思い出話。
あの頃、いつも困ったような笑顔で、凛ちゃんのお世話とバイトに明け暮れていたのに――。
義父から仕掛けられた痛々しい話には言葉を失いながら、未熟な自分を悔やむ碧の話に耳を傾ける。
「私は、自分が一番不幸でかわいそうだって思ってて。バカだったの。みんなに迷惑かけて、……村上先生に謝りたいっていう気持ちがずっと消えない…」
碧は、具体的に村上と何があったか明言は避けていたけど、今まで罪悪感を抱えて続けていることが気の毒に思えた。
それは既に、呪縛でしかない。
そんな気がして。
「……もう、いいんじゃない?」
「え?」
碧が、涙をいっぱいためて私を見つめる。
「たとえば…今碧が受け持ってる園児が、ずっと『せんせいごめんなさい』って思い続けて卒園して、そのまま大人になってたらどう思う?」
「………嫌だね」
「でしょ?村上も、どっかで碧の幸せを祈ってるよ」
「…………」
碧の瞳から涙が落ちそうになって、慌てて紙の作品をよけてティッシュを渡す。
「そうだね。そうだね…私も、くま組のみんな、一人残らず大事だもん」
そう言って肩を震わせて、くしゃくしゃの笑顔で泣いている碧を見ていると、胸が熱くなった。
帰り道は、碧が車で近くの駅まで送ってくれた。
遥に会えないのは残念だったけど、またこっちにも二人で帰っておいで、と話した。
「……先生に謝りたいなんて、誰にも言えなかったの。千晴に聞いてもらえて、救われた」
「今、遥のこと大事にしてるから、それでいいんじゃない?今幸せなんだから、もういいんだよ」
「……っ」
と、碧が下唇を噛む。
「え。まだ泣く?(笑)」
茶化しながら、釣られ泣きしそうになるのを食い止める。
「また会おうね。メールするから。幸せになってね。千晴」
「ありがと!碧もね」
改札に入り、碧に手を振ってホームに上がる。
もうすぐ、次の特急電車が来る。
私と先生の幸せは、この先にあるのかな。
先生には、私との未来は見えてる?
台風の後に感じたあの眩しい未来を、先生も感じていてほしい。
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