わがおろか ~我がままな女、愚かなおっさんに苦悩する~

かみやなおあき

文字の大きさ
104 / 111

俺のうるさい心の中 (アカイ50)

しおりを挟む
 俺はいつもの言葉が出てこないことに困惑した。

 早く言わなくちゃ。あの心にいつも浮かびそして口から放たれるその言葉を。言わなければならないのにと俺は心の奥底へ向かい手探りで掻き出そうとする。

 いますぐ思って口に出さなくてはそうしなければ俺は……耐えられない。この痛みにこの哀しみにこの苦しみに耐えられない。

 だから傷つけないといけない。俺を苦しめ傷つけるその対象に。その苦痛を与えるのが当然の権利だと思い込んでいる対象に。

 いつも自分にそういうことをしてくる存在に。嫌なものばかり押し付けて来る相手に。そうしなければ俺は苦しみを一人で抱え込んでしまう。

 そんなのは耐えがたく何よりも嫌だ。孤独が全身を蝕み苦しめて来る。虚しさが全身を覆い被さり身体が冷たくなっていく。急いで温かくならないと。はやく熱くならないと……憎まないと。怒りで温め自分を癒さなければならない。生きる力を沸かさなければならない。

 愛で繋がれないのならせめて憎しみで繋がれれば俺はまだ、救われる。俺は孤独に落ちなくて済む。一方的に関係を断たれたわけではないんだ。言わなきゃ、この女に。俺が無知で何も知らないと思い込んでいる女に。

 俺の感情を分かり切っていると自惚れている女に。いつもの言葉で。ほら血が熱くなってきた。そうだ俺はお前のことなどはじめから……やはり出てこないことに俺は再び息が詰まる。言葉が出ない。思い浮かびもせず、苦しく、だが腹の底が奇妙に冷たいまま。

 それでいて身体中の血が熱を帯びだし、いつものどす黒いものも含めたものが流れているのを感じる。恨みつらみという感情が、怒りがそこにあり、吐き出さなければならない。言葉で叫びで以って、憐れな自分を救うために、自分を捨てる存在にぶつけるために。

 あの女のようにあの女のようにあの女のようにあの母であった奴に対してのように、俺は女を犠牲にして自らを救い生きないといけない。女だって覚悟している。手足が塞がれようとも口は言葉はふさげられない。

 お前は耐えるべきだ。見捨てるものの怒りや悲しみに対して。それはお前に対する当然の報いであり義務でけじめだ。たとえ聞かなくてもその言葉を放たれないと願うべきではない。

 俺の苦しみを受け止めろ、お前は俺を捨てるのだから、俺の哀しみに傷つけ、お前は俺を忘れるのだから、俺はお前よりももっともっと苦しみ哀しみ泣きこのことを引きずるのだから。お前は新しい男によってそれを癒せばいい。

 俺は一人でこの苦しみと向き合うのだから。一人で生きていくのだから。女よ、女よ、なぜ俺を見捨てる! そうだ俺はいつものように叫ばなくてならない。

 だが言葉が出てこない。

 心の中どころか身体中に暴れながら生まれて来る荒々しい言葉たちが口から出てこれない。しかし唇は固く結ばれたまま、どこにも行けないどうにもできない、だから痛みは一人でそのまま俺の全てを痛めつけ苦しめた。

 俺はどうして言えないのだ? こんなに苦しいのに吐き出せずそれどころか苦いものを呑み込み続けていく。苦さと辛さで喉が焼けるようなのに俺は何をしているのか? どうしてこの女にそれを、言えないのか?

「ねぇ、なんで何も言わないの?」

 シノブが尋ねてきた。その表情には困惑と焦りそして苛立ちと怒りが浮かんでいる。それを見て俺は同意し思う。俺は間違えている。俺は正しくないことをしている。ならば言わなきゃいつもの言い慣れた言葉を。自分の真心を言わなくては。

「言いなさいよ」

 そうだ言わないからって、なんだというんだ。もうシノブは遠くに行く。俺の呪詛を受け止めてから旅立つんだ。門出を呪う言葉を。与えなくてはならない。言わなかったら、思わなかったら、なんだというのだ?

 可能性を信じているとでも? 情けなくも言わなければどうにかなると? ならなかったじゃないか、俺よ。結局は恨みつらみに耐え切れなくなり逆に駄目だった。どうにもならない、それが結論だった。なぁ俺よ、お前の元には誰も帰ってこない。誰もかもだ。この女もその大勢の中の一人になるに過ぎない。お前はいつものように見捨てられるだけだ。

「私は言ったよ」

 その通りでシノブは伝えている。自分の本心を。真心を俺に伝えてくれている。だから俺もこの感情を伝えなければならないぶつけなければならない。

 そうでなければ不公平でありそれは悪だ。痛みには痛みを苦しみには苦しみを、そうしなければ世界の秩序は保たれない、善には善を悪には悪を愛には愛を、与えなければならない。シノブの言う通りにしなければならない。俺は主の言葉の通りにしなければならないのだ。

「言ってよ」

 誘われるまま黒き怒りの叫びを。

「アカイの言葉を」

 俺は俺を捨てる女にいつものように伝えなければならない。俺は口を開いた。そうすれば言葉は声は遅れて出て来るだろう。自動再生されるが如く、言い慣れたいつもの言葉達が踊るかのように出て来るはずだ。

 俺の中身とはその重っ苦しき荒々しい想いによって満たされているのだから。しかし出てくるのは無音だけであり、辺りに満ちていくのは静寂と虚無だけ。

 無と空はいくら積み重なってもなにもなく、無音はいくらあたりに満ちても静けさだけ。それは圧迫し支配し、うるさくさえある。自分の呼吸音が、自分の血のめぐりが、聞こえるだけ。

 自分自身のうるささに、自分自身の生きることの煩わしさに、気づくだけ。世界はこんなに穏やかであるのに自分はなんて激しいのだろう。まるで否定すべき存在であるように世界よりも自分が自身に告げて来るかのように。

「我慢しないで。こっちはわかってんだから」

 シノブが堪え切れずに言うも、顔は冷静な能面が微かに歪みだし皺が寄り崩れ出していく。耐え切れないのか? いったいなにに? と俺は思うと同時に伝わってきた。

 いま自分自身が思っていたこの無音の世界についてのことをシノブもまた感じ思っていたのか? すると先ず頬に衝撃が来た。首が右に動き左頬に熱が広がりそれから絶叫が耳に入る。

「言ってってば! 言え!」

 正面を見ると平手打ちをするシノブの半泣きな顔が見えると、やっと胸に痛みがやってきた。そこ? と俺は呆然とすると遅れてようやく頬に痛みが来るが、それでもそれは痛みと呼ぶにはあまりにも小さすぎた。

 自分はもっと痛さを感じているのだから、どこに? とアカイは考える。俺はどこを痛めたのだ? どこの胸を? いやそれよりも違う大きな痛みが、ある。

 どこに? いったいどこに……俺は前に立ったままのシノブを再び見た。どうしてかシノブが小さく弱く見えた。本当の力を取り戻したと言っていたのに……強くは見えないどころかどうしてそんなに以前よりも小さいのか。どうしてそんなに胸を痛めているのか?

「シノブ! アカイ殿!」

 背後からスレイヤーの声が聞こえた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!

野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。  私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。  そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

処理中です...