龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

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第一章 なぜ私であるのか

怒ったのか?

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 顔色が怒気で染まっているとジーナはヘイムの表情をそう認識し見た。それから冷たく低い声で聞いてきた。

「どうだ血の臭いがしたか?」

「いえ、息が止まっていましたし、いま残っているのは苦味です」

「それはさっきそなたが塗ったジャムの味だな。あれは不味いものであったから、そっちだって臭くて苦いぞ。どうだ苦しかったか?」

「とても苦しかったです。ですが口を塞ぐには手を使えばよかったのでは」

 鼻で笑うヘイムは右手を見せつける。その手は私の血に塗れ赤くなっていた。

「こっちの方が良かったか?」

「私は自分の血が汚れているとは思いません。こちらにしなかったのは何です? 服や顔を血塗れにさせない慈悲心というものですか?」

 今度は鼻ではなく我慢している笑い声であった。声を出さずに呼吸だけが笑いを伝えているが、何が面白いのかはジーナには不明であった。

「こうするのが最も苦しむだろうと思ったまでのことだ。傷だらけのそなたの口元を血塗れにしたところで、なんだというのだ? それにほれ、驚きからかあの下らぬ減らず口を叩かなくなった。効果ありだな」

「こうやって黙らせる方法が東にあるとでも」

「あるとでも思うのか? ないわ。妾とそなたの間にしかこんなのはない。分かるか? こんなことを簡単にできるのは、妾とそなたのこれはなにも意味はしないし何にも生まれず何の価値もないからだ。せいぜい嫌がらせの手段にしかならん」

 不意にジーナの身体に衝動が走りそのまま手が伸びヘイムの後頭部に回り抑え、そのまま顔を近づけていくも、手による抑えがいらないほどにヘイムは動じず、瞼も閉じずその瞳はジーナの動きを捕らえ続けている。

 そうかこれか、とジーナは思う。

 唇に触れるよりも前に、視線が交じり合い、それによって先にヘイムの心に触れたような気がしてから唇が重なり呼吸をし離れると、無感動であった瞳が嘲笑っていた。

「で、今のはなんだ? 今のはどういう意味のだ? 怒ったのか?」

 自分はいまなにを思っているのかとジーナは考える。怒り? そうかもしれない、がそうではないような気がした。

「おっ黙るのか、いいぞ、そのままでいろ。黙るのならいまシオンを呼んできてことのあらましを全て伝えるとしよう説明がないのだから仕方がない」

 この状況を知らせる? それは困ると顔をあげると、こちらの戸惑いを察したためか陽気な表情となったヘイムの右顔がそこにあり、チラチラとこちらを伺っていた。

 ここまで人の弱みを掴んで喜ぶ人にはなにを言っても無駄だなとジーナは首を振り諦める。

「言葉にはしにくいですが、私もたぶんあなた同様にこれには何の意味もないと伝えたかっただけでしょう。あなたと同じ方法を用いて」

「そうすれば妾が傷つくとでも思うたのか? うん? 良いぞその態度。そのな、同じやり方で報復せずにいられないその感情こそ妾の攻撃が効いたというなによりの証だ。傷ついて苦しんだ。そう判断できればそこそこに気が晴れたな。おお、いい、いい! もう口ごたえは聞きとうないし口論はしとぉない! 無駄だ無駄。そんなことよりもほれこれ! 妾の掌を見ろ。そなたの血でこんなに汚れてしまったぞ。きれいにせよ」

 差し出した掌には既に半ば乾いた血がついており擦ればすぐに取れようというのだがヘイムはジーナに剥がすように命じた。

 ジーナは反論もせずに手を取り掌を払い拭い始め、思う。こんなに図々しい人だというのに掌は随分と小さく華奢なのだなと握り続けてきたが良く見るのは初めてであった。

「ほぉ素直だな。あなたには左手があるのだからそれでやればいい、とは言わぬのだな」

「その左手で私の血に触れるのは、できないでしょう」

「そうであるしそなたも触れられたくない。そういうことだろうに」

「お互い様で」

「そういうことだ。そなたが触れるのはこの右手だけだ」

 再びその右手は頬に伸ばした。

「傷口が開いたな」

「そうですね。開かせたと言った方が正確ですけれど」

「どちらでもよい。このままだと見苦しくてしょうがないから応急処置をしてやる。感謝しろ」

「ヘイム様がつけた傷のヘイム様が手当をしてくださるとはありがとうございますヘイム様」

「皮肉じみた回文的感謝はよさんか。染みるから我慢せよ」

 持ってきたのであろう薬は確かに染みて痛みを感じる。これもわざとなのだろうか? だからこんなに楽しそうに……そう思うとジーナは胸に何か温かいものを感じ、すぐさま否定する。お前は間違えていると。

「応急処置だからこの程度でいいだろう。あとはキルシュにやってもらうように」

 だからそんな顔をするな、と思うジーナは聞くことにした。

「キルシュ以外のものにやってもらうのは駄目なのですか?」

「……なんだ? 他のものにやってもらいたい気でもあるのか? ならばするがよい、まぁそうだな折角ならお気に入りのものにしてもらいたいものだよな、これは」

「そういうことではなくて、ただ便宜上の問題で」

「そうではないのであろう?」

 見透かすようなヘイムの瞳をジーナは見たため反論のための言葉が喉で止る。まだ愉快そうな表情は消えない。

「あるものにやってもらいたい。そうでなければそんなことを敢えて聞くのか? 有り得ぬな、そなたのようなものが」

「勘違いしないで貰いたい。私がただ思うのは、あなた以外のものにやってもらいたいだけです」

 突発的な怒りで詰まっていた言葉を押し出すも、それはヘイムの喜びを更に増すようなものであったようにしか思えずにジーナは後悔する。

「だったらキルシュだ。妾はもう触れぬ条件はあやつの練習台となれ。断らぬようあれに命じておくから安心せい、ほら出来たぞ。男が自分でやったように見えるのが良いな」

 こう言うがジーナにはヘイムが右手だけで四苦八苦やっているのを見ていたために、余計なお節介だとしても礼だけは述べ茶の準備をはじめる。

 茶を注ぐ音を聞きながらジーナは自分の喉が渇いていたいることに気付いたため、呟く。

「喉が渇きましたね」
「ああそうだな」

 もう静かになり落ち着きながらヘイムは茶を飲みだしジーナも続く。口内のジャムによる甘味酸味爽やかさから生まれた苦味も、あの人の血の匂いもその味もその苦さも全てを洗い流していくが、それは向うも同じなのではないか?

「旨いな」
「はい。やたらにうまいですね」

 同意が続く。そう旨いはずだ私達は同じことをしたのだから……だが、とジーナは茶を飲み干す。

 こんなことは私には許されない。

「お茶はともかくとして私はあなたといるやはり心が苦しいです」

 ジーナの言葉にヘイムは微笑む。

「妾だってそうだ。そんなことは言わんでもわかるが、構わん何度でも言え」

 共感などしたくもされたくもないのにどうして? ジーナは口をつぐみ天を仰いだ。
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