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第二章 なぜ私ではないのか

ではジーナに頼んでみますか

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「報告によりますと前線の軍は目的地に到達したようです。途中で敵との遭遇戦はあったものの撃退したとのことで」

「それはそれはめでたいのだが、いつも思うのだがそのな、ちと事務的な文章がもったいないと思うがのう」

「そういうものですよ。事務的な報告なのですから」

「そんなことは分かっとる。それはハイネからのであろう。あやつは前線で色んなことを見て様々な話を聞いているというのに、報告書には肉を抜いて骨と皮しかこちらに寄越して来ないのかと思うと、どこかけしからぬ思いがしてな。皮相的とはまさにこのことであってな」

 龍の間にて鬱憤で八つ当たりしているヘイム
を見てシオンは笑った。この子が珍しくハイネで冗談を言うとは、と。

 今までヘイムはハイネに関してはそれこそこれと似たような事務的な対応をする関係であり言及も少なかった。

 あのソグ撤退戦で共に命懸けで危機を乗り越えたというのに(もっともその肝心な時にヘイムの意識は薄ぼんやりもしくはずっと不明ではあったのだが)ヘイムのそのハイネの態度がシオンにはずっと不満であり、それもあってか他の女官に比べてハイネには高い地位に就かせたというのに、二人の関係は互いに以前とそれほどの違いを見いだせなかった。

 違和感のある距離を二人の間からシオンは感じる。

 もしかして反りが合わない? との可能性も考えるもシオンは首を捻る。ヘイムと私の人の好みは昔からかなり似通っていて例外はほとんど無いというのに。ハイネがその少ない例外のひとつだと。

 龍身となってしまったからなのかな、とも思うとシオンはその一点で諦めかけていたが、最近変化が見られるようになった。

「ハイネはどうした? おい報告書はまだか?」

 と自分の顔を見るたびに聞き始めた。そうだこれはヘイムが私の後輩をようやく認めだしたということでこれは良いことだ、とシオンらしく楽天的かつ前向きに考えた。

「ハイネは偉いですよ」

「またお得意の後輩自慢か?」

 そういう憎たれ口が出るのは良いことなのですとシオンは調子を上げていく。

「もちろん自慢です。自らわざわざ前線勤務を希望するだなんて、他の子ならあの役職の地位についていたら絶対にあんなことを思い浮かばず言い出さない考えですよ。毎回誰を前線に派遣するかで迷いますし、だからといってバルツ将軍の公報やソグ僧の報告からだけ情報を得るのはまずいですし。今回も比べてみると各々で微妙にニュアンスが違いますから、やはり自分のところから人を出すのは必須ということでしょう」

「大事なことはくどくど言われんでも分かっておる。妾が言いたいのはだな、もうちっと楽しく書けんかということだ。遠慮などしおって」

 だから遠慮をするな、とシオンの耳には聞こえた。良いことだと。けれどそれはまだ荷が重いことだとハイネのことをよく知るシオンは判断する。そこまでは今の彼女に求めてはならない。

 詳しく書けと言ったらさらに詳細を極めて書いてよこすだろうが、そういうのは本質的には求められてはおらず、今のままで良い。飾り気のない武骨なものの方が、良い。

 必要なのは前線のリアルな空気や雰囲気に感想。それをヘイムが楽しめるぐらいに遠慮なく書いて寄こせるのは、一人いるというか一人しかいない。ちょうど良いのがちょうどいいところにいる。

「ではジーナに頼んでみますか」

 場の空気が驚き怯えた震えた、とシオンは感じた。何だろうこの雰囲気はと瞬間緊張が走った空間をシオンは見渡す。どこにも亀裂など入ってはいない。ただ気のせいだと。今日ちょっと寒いし、そのせいだな。

「ああ、それもいいな」

 さっきまでの雄弁さを潜ませてヘイムは口をつぐんだ。誰がどう見てもその様子はおかしくシオンでさえ最近変だなとようやく気づき出し、ここからやっと思考が回転する。

 そういえば久しぶりにジーナの名前を出しな、と。そういえばヘイムはジーナの名前をここのところ出していないな。

 今だってどこかその名がタブーに触れたように避けているし……さてはヘイム、あなたは、寂しいのですね、とシオンは内心ほくそ笑む。

 仕事に私事と都合のいい護衛がいなくなったことで面倒事が増えたのを不満でしょう。あれは態度は悪かったものの仕事はすぐ覚えて動きの良いのに加えて、不信仰であることからどう弄ってもそれで龍身の権威が落ちないなんて今までにない男でしたもの。
 
 都合の良い男でしたね。

 ですから次の護衛も西の無信仰の奴を連れて参れとか言うんじゃないかと少し心配でしたが、特に要求は無くそのまま他の兵を新しい護衛にしましたけれど。

「あんなに急でしたが慣例の期限も近かったですしあちこちから交代もせっつかれていましたからね。実際彼の訓練中と出征中は代理を頼んでいましたし、丁度いいと言えば丁度良かったのかも。けれども挨拶もなにも残さないとか、変な言い方ですが彼にしてはおかしなぐらいに礼儀知らずでしたね」

 なにも知らないシオンは軽い嘆きの溜息をつき茶を飲んだ。そう不可解だという疑問を今一度考えながら。

 ジーナはバルツに護衛辞任を申し出たがそのような前例はないとのことで揉めた挙句にこちらにお伺いを立てるとヘイムが無感動になら休職ということにせよにシオンも同意し決着がついた。

 しかしあまりに突然であったのとその後の仕事の忙しさのあまり深く考えもしなかったが、シオンはあの日は変であったと記憶を遡る。

 廊下で龍の騎士の剣を抜いたことがそもそもの発端のように思うからかシオンは心中でそういえばジーナにきちんと謝っていないと苦い思いがこみ上がってくる。

 あのあとにソグの呪物専門の僧に話を伺ったところ、あれは不本意なものを斬ってしまった血塗られた一振りでありそのためにこちらに預けられたとのことであったが、その詳細は完全に不明とのことで「しかし、すごく良いものでしょう?」と言われると自然に頷いてしまったために、手元に置くこととした。

 となるとあの時のあれは剣に魅入られたこちらに原因があると? それにしてもあの時のジーナもどこかおかしくて、いやそれはずるい責任転嫁であり、おかしく見えたのは自分の目がおかしかったからで、だいたいその後の務めをジーナはいつも通りこなしヘイムは特に問題はなかったと言っていたではないか。

 己の非を認めるのだシオン、と亡父の声を頭の中で再生させるもそれでもやっぱり何かが引っ掛かった。

 ジーナの言葉の一つ一つが普通ではなく何か理由がありそうであり、もし仮に自分があの時は正常であり彼が異常であったとしてこの突然の休職もそのためであるのなら……

「ジーナは別れというものが苦手とのことだったようだな」

 急にヘイムが彼の話どころか名前を言ったことにシオンは不意を突かれ思考が停止した。

「前線も肝心な時だし、だからといってこの責務を完全に辞めますというのが、どうも想像すると耐えられなかったとのことで、妾にはまたすぐに戻りますということでお願いしますと頼んできてな。あやつも自分の都合を優先させるというよりは全体の事を優先的に考えてな、あれはそういう男だ」

 まぁどちらかというと困った奴だ、最後は独り言ちながらヘイムがまとめたのをシオンはしきりに頷いた。

 バルツの説明は恐縮の恐縮の連続で全体的になにを言っているのか良くは分からなかったがヘイムがいつのまにか既にソグ教団に連絡済だとして、妾は少しも気にしてはいない。奴には本業を専念させろと命ずる形でこの話が完了したために、シオンは事の経緯をまとまった形で聞く機会が無かったため今のヘイムの説明に納得した。

 だとしたら尚更彼の報告が必要だとシオンの思考回路は妙な場所へとたどり着いた。

「では彼に前線の様子を報告してもらいましょう。ハイネの報告書と一緒ならより無駄無く届くでしょうし」

「では、というがな」

 どこか歯切れの悪さにシオンは首を捻る。ヘイムらしくないと、いったい何が問題なのかと?

「何か不都合でも?」

「向うに不都合があるであろうし」

 何だその台詞は? ヘイムがあのジーナに対して遠慮? ここでやっとシオンの働きの悪い勘が動き出した。

 この子の、と昔の記憶まで探って分析をしだす。こういった態度は、喧嘩をしたあとによくすることで、ではジーナと喧嘩? するって彼と? だって立場が大きく違い過ぎるし彼はそんなに怒ったとしたら後で報告があるはずで、それを隠したというのは……非はヘイムにあってしかもだいたいそうやって喧嘩をする相手が男の子の場合は、それはヘイムにとって……

 ぐるぐると廻るシオンの思考回路に向かってヘイムは言った。

「あやつは中央の字が書けんぞ」
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