上 下
111 / 313
第二章 なぜ私ではないのか

どうして俺の婚約者は髪が短いのだろうか

しおりを挟む
「検閲官の朝は早い」

 とシオンは今日も独り言を呟いてから手紙の中身を検める。

 何十通はあろう手紙の束の中でまず手に取るのは決まった色の、緑色のもの。

 ナギへ、と幼稚な字で書かれたこの一通をシオンは無意識のまま初めに手にとり封を手慣れた指さばきで以て開き中身を取り出した。

 朝陽がいよいよ窓から射し入って来て文面を光が照らしだして美しい、という意識はシオンにはなくどちらかというと光でなにかを焼こうとしているのかもしれない。しかしすべて無意識による行動であり、そもそもそんな科学的なことなどシオンは考えるはずもなく、あるのは一つの意識だけであった。

「男が女に向けて出す手紙はやはり警戒しないといけませんよね。たとえそれが報告書であっても」

 習い性になるというのかソグ王室の頃からシオンはヘイムに届く手紙を最初に読むものとなっていた。

 そのことをシオンはおかしなことだとは一度も思ったことはなく、むしろ当然のことだと思ってはいるが、そのことをヘイム自身に告げたことはない。

 ヘイム自身もこのことを薄らとだが知っているのだが、そのことを問うたことなどただ一度もなく、万事を任せ切っていた。

 私達の間には基本的に新たな秘密は無い、とシオンはこれを自明のものだとしてヘイム宛の手紙は全て目を通している。

「ヘイムからジーナはないけれど、ジーナからヘイムはありえますよね。たとえあんな酷い態度をとっているものの男は男で女は女に変わりはありませんからね。フフッ腐っても鯛、生木より枯木の方がよく燃える。前線の寂しさから妙なことを書いて寄こすかもしれませんし、それにヘイム様が気まぐれで構ってしまうかもしれない。おぉ! それは許されないことでありますからこうして事前にチェックしておかなければ。これもまた龍を守護する龍の騎士のさだめと役目ゆえによるもの」

 そう嘯きながら日光によって消毒した感の出ている手紙の温かい文面を読めば、いつものように自分の心配など鼻で笑うものだと分かるものであった。所詮は自分の妄想や空想で遊んでいるだけ。心配しているごっこ。あり得ないことであるのだから不埒な妄想をしても許される。だってそんな可能性がなくこれは蛇と鳥の恋愛を楽しんでいる同然のこと。

 その手紙の内容はというと極めて客観的な前線の情景が固くて大きな字で以って綴られているも、ハイネが監督しているおかげか文字はなんとか整い文章も破綻せずに成立している。

 内容云々よりもそれは一つの努力の結晶のようなそういったものを感じずにはいられない代物であった。

「これはこれで読み応えがありますね。それにここまでガチガチなら変なことを書いて寄こすことなんてありえないでしょう。ましてや男女の関係など、フフッもとよりあろうはずもなかろうにですがね」

 短いためシオンはゆっくりと三回読み返し、それから開いたことが分からないように封筒に入れ直し封をした。手慣れたものであるとシオンは自分で自分の所業を客観的に見ながら思った。

 検閲と隠蔽をしているがシオンは悪いことは一切何もしていないという感情のもと次のに取り掛かった。

 残りのはほぼ報告書の類であり、どうせ代筆を任されるのであろうことからシオンは返答を考えながら読むと同時に頭の中ではさっきの手紙のことを思い返していた。

 そういえば、とシオンは思う。ヘイムに男から手紙が来たとちょっと緊張しながら封を切ったのは久しぶりだったな、と。

 昔ならそういうことがいくらでもあり、あの頃は毎日たくさん手紙が来てヘイムはヘイムでそなたも読んで良いからこっちに回せと言って……ああそうだ、あれでこの習慣が生まれたのだ。自分がヘイムの手紙を読むのが当たり前だというのはその頃の習慣によるもので、とシオンは思い出しながら考える。

 だが、今はもうヘイムは王女ではなく違うもの、もっと大きなもの、それどころかさらに大きなものとなる。そのようなものに男は手紙は出すはずもない。報告書だけが出される。だけれども

「この手紙はヘイム宛ではなく、ナギ宛という設定ですか。まっこういうものも一通あっても良いかもしれませんね。みんながみんな似たようなものを送ってきてもつまりませんし。だったらもう少し楽しく書いて貰いたいで、ここはヘイムからハイネに伝えて……」

 独り言が激しくなりあらぬ方向に飛ぶのを鎮める鐘のようにノックの音が三回鳴ると、シオンは今やっていた全ての行為を放棄しネジ巻き人形のように扉へとゆっくりとだが的確な動きで近づいて行き扉を開くと、そこには若干の影と幸が薄さを感じさせる優男が立っており遠慮がちに微笑む。

「マイラ様。どうぞお入りください」

 挨拶もそこそこにシオンが手を一応優しく引っ張るとマイラは風に吹かれた柳のようになされるがままになった。

 引かれる最中にマイラは愛しのシオンのうなじに目をやりいつものように内心で嘆息する。

 どうしてそこが見えるぐらいに俺の婚約者は髪が短いのだろうか、と。早く伸ばしてくれ……だが彼はそんなことは口にも態度にも現さなかった。

 それは私情であると固く自分を戒めていた。彼は見た目からは想像がつかないだろうがかなりのことを堪えられる男であった。だから万事が上手く運ばれていくのだと自分にも言い聞かせていた。

 シオンはマイラを自分の席の隣に座らせた。二人は毎朝のこの時間帯だけこうして肩を並べて同じ空間の同じ息を吸うことを約束し合っていた。

「やけに嬉しそうだけどなにか朗報でもあったのかなシオン?」

「そう見えました? けど良いお知らせは届いてはいませんでしたけど。それに私はマイラ様と会う時はいつも嬉し気ですよ」

 ああそうだねとマイラは応えたが、三日前に些細なことで不機嫌となり攻撃してきたことを即座に思い出すも当然指摘しなかった。

 ここでそれを指摘してどうなることになるというのだ? シオンは都合よく忘れているのだから自分が言うのを我慢していればここは丸く収まる。

 全ては私の感情抑制にかかっている、となおも風になびく柳の如くに笑顔で返すとシオンも笑顔を返した。ほら上手くいったじゃないか。
あぁ自分の婚約者はとても綺麗で美しいけど、髪の毛がすごく短いなぁと思いながら。

「一方俺には朗報が届いたからまず君に伝えるよ。守勢に立っていた西の反中央勢力が反攻に回ったとのことだ。しかも南北の勢力とも合流しだしているとのことだ」

「えっ! そうなりますと中央の戦力は分散されるということに」

「そうならざるをえないだろうね。細々とだが続けてきた支援が実を結んでホッとしたよ。これでこちらの北上も早い段階で進められる。このことはバルツ将軍にも知らせて相談することにするけれど、あまりウカウカとしているとあちらが先に中央入りしてしまうかもしれないな」 

 マイラの冗談にシオンはクスリと笑った。

「彼らが先に中央入りしたところで龍身がいなければ我々を待つだけですね。身支度をじっくり整えてから入っても間に合いますよ」

「それでは向うに済まないことになるな。戦後に揉める種となる。ともかくだ、理想はあちらより早く最低でも同時に入らなければならない。幸い前線の戦力はかなり余力がある。ソグから増兵させれば草原をかなりの勢いで進軍できるだろう」

 草原をか、とシオンはあの日の出来事を思い出す。ソグ撤退の際に駆け抜けシアフィル連合の力を借りたあの日がまだ頭の中で鮮烈に残っていた。

 必死の思いでソグ砦に命辛々に辿り着いたあの瞬間を……それが今度は逆の立場で昇っていく。

「お祝いが必要ですよ」

 突拍子もなくシオンがそう言うとマイラの背筋が伸び足に力が入った。

 こういう風にシオンはたまに憑かれたような状態となり妙なことを口走ることをマイラは重々承知しており、受け答えに十分注意が必要なことも。

「たとえばどんなお祝い事が必要なのかな?」

 猛獣に触れるようにだが決して恐怖を伝わらないようにマイラが聞くとシオンは遠い目をして語りだした。

「龍身様とシアフィル連合が一つとなりソグに戻るもその後再び草原へと戻り、その先を目指す。そうですよ目指す前に出兵式ならぬ親兵式を行いましょう。いいですよねマイラ様。ありがとうございます」

 もう決定したと言わんばかりにシオンはマイラの手を強く握りだした。彼の頭は猛スピードで考え出す。最前線の城に龍身様をお連れして大丈夫なのか?

 教団がどれだけ反対するか?その他スケジュールの調整やら各種諸々……だがマイラは微笑んだ。そんな苦労などここで反対して生涯言われ続けるだろうものと比べたら、物の数ではないと。

「それはいい考えだ。検討してみよう」

 口だけでなくマイラは予定を組みだした。そう彼はできる男。同時に耐えることもできる男。よって彼は龍を宰相になれる器なのである。
しおりを挟む

処理中です...