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第二章 なぜ私ではないのか
『私である理由は、やはりありません』
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バルツは事あるごとにジーナに望みを尋ねたが答えはいつも同じであった。
「望むことは今のままでいることです。最前線に立たせてもらえれば他には何もいりません。物でしたらこの前に戴いた剣以上のものは何もないでしょうし」
その言葉は謙遜からのものではなく心の底から言っているものだとバルツには分かっていた。
だが、それにしてもそれは。バルツは男の不愛想な表情を見ながら戸惑いを隠せなかった。報いるものが無さすぎるのはまずい。あのような軍で最高の戦士に対する待遇があれでは、と。
軍の頭目をし続けてきたバルツは自分の考えがお節介だということに気付くはずもなく悩んだ。そうでなければ人の世話は焼けないし人望は得られない。
バルツは悩む。これをこのままにしたら周りの兵から自分がケチや意地悪なことをしていると思われたら士気に関わるうえ、誰よりも身体と命を張った戦士が昇進も昇給も恩賞も全部辞退していることは龍身様の名誉にもかかわる。なにかいい考えは……
「あのバルツ将軍、例の件でよろしいでしょうか?」
顔を上げると相変わらず端整な顔立ちなルーゲンが微笑んでいた。バルツとルーゲンは龍身の中央ソグ撤退作戦時の際に協力体制を結んだ経緯から、今もこうして信仰のことや今後の方針について語り合う仲となっていた。
小さなことから大きなことまで二人は決め、知らぬ間に世界の運命を一変させる決定もすることもあった。いまもこれからも。
「あっと、あれか、龍の護衛を誰に推薦するかというやつだろ。それについてはだなこの前のに決まっている」
戦争がひとまず停戦となったからとりあえず一時の日常生活が始まり龍身の儀式の再開、その際に助手となる護衛の推薦をバルツは依頼されていた。
従来ならこの場合はソグ人なのであるがシアフィル連合の多大なる貢献から兵隊の中から一人選ぶことと今回はなった。
「第一隊のものでしたね。バルツ将軍の親族であり隊長でもありますからこれ以上護衛役もありますまい」
ルーゲンはまるで異存なくその人選を肯定するが、バルツは自分の中で強い違和感を覚えた。本当にそれでいいのか?
どうしてそう思うのか? あれはこの度の戦いで活躍した勇者でありシアフィル連合の花形である。
龍身様の護衛を務めることは将来的にはあれのためにも我らが一族のためにも良いことばかりだ。何ひとつとして問題は無い、いったい何が違和感であるのだ? 自分はなにか大きな誤りを犯そうとしているのではないのか?
「……のことなのですけど」
またルーゲンが何かを話しかけてきたのでバルツは急いで意識をこちらに戻すと、それを察したのかいま言ったことをもう一度繰り返した。
「問題児の彼のことですよ。この停戦期間を機に僕は彼に講義をしようかなと思っておりますが、訓練の件もありますがよろしいでしょうか? これまであまりにも戦いに忙しすぎたために彼の無信仰問題とその無知を放置し過ぎました。彼は我らが軍の主要人物になるものですし、将来的には西への布教の役目も一任するのですから、如何でしょうか?」
ルーゲンの言葉をぼんやりと聞いていたバルツの耳の奥で、違和感と違和感が微かに動いたことによりズレとズレがパチリと噛み合い心地良い音が鳴ると同時に脊髄反射的にその場から垂直に飛びあがった。
驚きの目を向けるルーゲンを見つめながらバルツは着地と同時に宣告する。違和感解消、大きなお世話発動、世界革新。
「龍の護衛は、やつにする」
「はい? もしかして変更をするとか。すると誰にでしょうか?」
ルーゲンは刺激せぬように言ったつもりであったがバルツの瞳は危ない輝きを放っており狂気の一文字を感じとった。
「あの無信仰者にだ! そうだこれがいい感謝いたしますよルーゲン師」
何だ僕はいったいなにを言ってしまったのか? どうしてそんな異常な変更をするのか?
躁状態なバルツのはしゃぎっぷりに同調しルーゲンも頑張って笑うが、強張った笑顔を向けてしまう。
ああこの瞳の色は、一線を超えたもののみが放つ限りなく狂気に近い無色透明さ。
「どうやら俺の意図があまりよく分かっておらぬようだな」
何もかもわかりませんとはさすがに言えないために曖昧に微笑んで頷くとバルツは語りだし、それからルーゲンは納得した。この人は案外におかしなことは言わないものだと不思議な感想を抱きながら……
後日に男はバルツから直々に召還された。しかも正式な手続きと書類を以って。
召還についての詳細は伏せられていたために男は妙な胸騒ぎを覚えつつも将軍室に急いだ。大仰しいな、と苦々しく思った。バルツ将軍はきっと自分がなにも受け取らないからこういう手の込んだことをして、無理矢理になにかを渡そうとしているのだとは察した。
これだったら、と男は後悔しだす。賞金がいーっぱい欲しいねんとわざと意地汚く要望すれば良かったと。そうだ次からはそうしようとも。今回は勲章やら名誉的な何かであろうからそれは我慢をして受け取って次回からは金一本と。
無欲は大欲に似たりという言葉通りに男は自分の融通の利かなさ故に、このような面倒なこととなったと反省しながら階段を昇り廊下を歩き、将軍室の扉を開いた。
室内に入るとまずルーゲン師がいることに気づき男が目を合わせると笑顔で会釈した。男はいつも感じていた、この人は信頼できると。
それから将軍に目を向けるとこちらも上機嫌な雰囲気を漂わせていた。やはり自分は間違えていたと男は思った。
あんなに頑なに拒んで人を心配させるのは誤りだと。恩賞をあげたい人の気持ちというものもある。感謝というものを捧げたいときもある。それを否定したらこんな面倒なやり取りとなってしまう。譲れないところは譲らないようにして、他は喜んで貰う。
そうしよう、とここに到ってようやく常識的態度を手にした男であったが、致命的に手遅れであった。まさに後悔先に立たず。
「よく来たな。さてお前に良い話があるのだ。とても名誉なことであり、お前みたいな勇者には相応しいものだ。ルーゲン師、いいかな?」
「ありがたくお受け取りいたします」
殊勝に頭を下げると二人は笑った。
「フフッちょっと早いですよ。まだ何の話か分からないではありませんか」
「何であろうとありがたく頂戴いたします」
「なんだ突然態度をガラッと変えて。頭をあげろ、ほらそれだ」
頭を戻すとルーゲン師が眼の前に立っており一着の服を手に持っていた。
「シアフィル連合の各隊長に配給される礼服だ。以前の第末番隊には今まで配布されてはいなかったからな。これから第二隊となるのだから隊長は正式な礼服を着なくてはな。これは古着だが近いうちに新しいものを配布する」
おっなるほどと男は頷いた。これならいい、軽いし恩賞としては実用的だ。隊員達も自分の不遇については文句を言ってうるさいからこれを貰ったと言えば満足するだろう、ならばこれはありがたいな。
「丈や裾は……後ほど着て図って急いで調整しましょう。せっかくの礼服なのですから身体に合わせないといけませんからな」
「ありがとうございます。ですがそこまで焦る必要はないかと。戦闘は停戦中ですし儀式といったこれを着る機会もそうございませんし」
「いや、お前はこれからその服を毎日のように着るのだぞ」
不吉な予感が長い針となって男の指先に入っていく。なぜ毎日この服を着るのか? 私はオシャレさんでは無いのだが。
「第二隊の隊長から外されるのですか」
鈍い痛みと不安で声の抑揚が乱れさせながら喘ぐように男が言うとバルツは首を振った。
「そんなことはせん。お前の希望し続ける限りあの隊の指揮はお前のものだ」
その言葉を聞き安堵の息を漏らすもその油断を突く形でバルツがその心臓をぶっ叩いた。体を鍛えていなかったら死んでいたはず。
「ジーナ。お前を龍の護衛に推挙する。もう決定事項であるからそのつもりでいろ」
そのなんとかの護衛という言葉の意味が分からず、というよりかは言葉を脳が拒絶したためかよく聞こえず分からないためか、ジーナは呆けて首を傾げた、何を言っているのやら、と。すると隣にいるルーゲンが説明しだした。
「龍身様の護衛ですよ。龍の騎士の部下となり龍身様を護衛する、名誉職ですね」
龍を護衛する? 東の言葉は難しいなと意味が分からず返事をせずにいると今度はバルツが告げた。
「お前は龍のために無限の献身を捧げ戦ったものの代表だ。この推挙はその精神と行為に対する当然の結果だ。驚くのも無理はない。お前は自分みたいな無信仰者がそんな大役を? と思っているだろうが、それはただの知識の問題だ。知らない、ただそれだけだ」
「ジーナ君それについてはこの僕が」
ますます意味不明な状況であるために男は自然と不動の姿勢となり全身が痺れ指一本動かせぬために、目玉だけをルーゲンに向けるといつものように爽やかに微笑んでいた。どうしてかその表情が、忌々しく思えた。
「知識については僕が講義を聞けば問題はないでしょう。戦場における行動に精神と龍についての知識の二つがあればあなたに欠点はございません。非の打ち所がない戦士に、そう『龍の護衛』にこれ以上に無く相応しい存在となるでしょう」
異議なしというようにゆっくりと頷くバルツを視界に入れながら男は首が縦には動かなかった。それどころか舌がもつれうまく言葉が出ない。掠れた声が静かな部屋の秩序を乱す雑音となって汚す。二人は返事を待つがどうも様子がおかしいので近寄ってくると、ようやく口が開き舌が動きだしために男は、妙な声で尋ねた。
「どうして、私なの、ですか。いや、駄目です私では、絶対に駄目です」
「どうしてって、将来的なことを考えたらお前がこの役に相応しいからだ」
脱力から崩れ落ちそうな身体を後ろから支えたのはルーゲンであった。男は声を掛けられるも言葉は耳には入らずにただ自分の言葉を発しようとしていた。
「私であったら駄目だ。私は有り得ません」
心の中でその言葉は叫びとなって反響している。大きく思えば思うほど反響は大きくなりそれが口の中に届き、外に漏れ、世界に飛び出て、自分の意識を、架せられた使命を守るためのものとなるように、それから声が出た。
新しい世界に対し生まれ落ちることに対して嘆きの産声をあげるように。
「私である理由は、やはりありません」
自分で声を出しながら闇の中でジーナは目を覚ました。まだ明けぬ夜の時、星が空に煌めきを見ながらジーナは夢を思う。
夢というよりかは記憶を走馬灯を巡らせるとジーナは皮肉なものだと顔を歪ませ自嘲する。よりによってこの自分が龍の護衛になるだなんて。この世で最も相応しくないものが、なるとは。
あれから抵抗虚しく結局は龍の館へ赴き、ハイネに導かれあの扉を開いた。一目見て、とジーナはいつも避け続けてきた考えから逃げずに真正面から挑んだ。
ヘイム様は、ヘイムは、あの女の龍というものは……あの毒龍なのではないかという疑惑。そうだとしたら、とジーナは自分の両手を闇の中で開きながら睨み、それから強く握った。
自分はあの龍のために命を賭けて戦い続けたということに……いや違うな、とジーナはあっさり首を振った。
龍のために一度も戦ったことなどなく、ここまでの戦いは中央の龍を倒すためのものであると。それがいま着実に進んでいてなんの心配もいらないと。中央の龍を討ちそれからあの龍身が龍となったら、討つ。
はじめからこうであり、今のところは何も支障はないはずだ。そう考えると左頬が熱くなり、なにかを伝えに来た。
その心が何であろうかはジーナには明白であった。
『そうは言うけど、君はこちらの龍を、討てるのかい?』
気づけば瞼を閉じ声が聞こえていた。自分が間違えている時にだけ現れるあの声が。正しきものの声が。そうだ、とまたジーナは思い出す。印を刻まれてから自分はこの声を一切聞かなかったと。それどころかあの存在すら忘れていたと。
それは当然のことであった。
「私は僕はジーナなのだから」
一つの魂であるのだから、分離などせずに声など聞こえない。聞こえるのはその使命から離れた時、つまりはあの人を、ヘイムを思う時にこの一つの魂がずれる。
何故だろう? ジーナはそのことについては深くは考えずに記憶の奥へ行く。
見た瞬間に毒龍の可能性への疑惑で目を逸らしたのをあの人は見逃さずに揺さぶり挑発を掛けてきた。
それどころか龍を討つものであるとも質問してきた。あれは言葉の綾か? それとも知っているのか? だが分かっているのならその後のことを不問し、いまも何の問題にもしていないのは、いったいどうしてだ?
毒龍が取り憑いているのなら、私のことはすぐに分かるはずだ。あの時のやり取りだってそうだという感じだった。
その眼その指その脚はこの私の手によって傷つけられた痕、私が龍に掛けた殺意と、あなたに掛けた呪い。
そうであると思っていたのに、あの人は一切そのことを掘り返さずに次の日も同じに過ごした。よって違うのでは? 毒龍ではなく、この地にはじめからいた龍であるのなら?
全てのやり取りが勘違いと違う何かであるとしたら……それが本当であったのなら、私はこの手に掛けなくて、済むのでは?
そう思いながらジーナは耳を澄ましどこかから届く声に耳を傾けたが、声はなにも返ってこず耳に入るのは夜の闇の音、朝が近づく音、迫りくる光の予兆の音だけであった。
今日となる明日が始まる。
「望むことは今のままでいることです。最前線に立たせてもらえれば他には何もいりません。物でしたらこの前に戴いた剣以上のものは何もないでしょうし」
その言葉は謙遜からのものではなく心の底から言っているものだとバルツには分かっていた。
だが、それにしてもそれは。バルツは男の不愛想な表情を見ながら戸惑いを隠せなかった。報いるものが無さすぎるのはまずい。あのような軍で最高の戦士に対する待遇があれでは、と。
軍の頭目をし続けてきたバルツは自分の考えがお節介だということに気付くはずもなく悩んだ。そうでなければ人の世話は焼けないし人望は得られない。
バルツは悩む。これをこのままにしたら周りの兵から自分がケチや意地悪なことをしていると思われたら士気に関わるうえ、誰よりも身体と命を張った戦士が昇進も昇給も恩賞も全部辞退していることは龍身様の名誉にもかかわる。なにかいい考えは……
「あのバルツ将軍、例の件でよろしいでしょうか?」
顔を上げると相変わらず端整な顔立ちなルーゲンが微笑んでいた。バルツとルーゲンは龍身の中央ソグ撤退作戦時の際に協力体制を結んだ経緯から、今もこうして信仰のことや今後の方針について語り合う仲となっていた。
小さなことから大きなことまで二人は決め、知らぬ間に世界の運命を一変させる決定もすることもあった。いまもこれからも。
「あっと、あれか、龍の護衛を誰に推薦するかというやつだろ。それについてはだなこの前のに決まっている」
戦争がひとまず停戦となったからとりあえず一時の日常生活が始まり龍身の儀式の再開、その際に助手となる護衛の推薦をバルツは依頼されていた。
従来ならこの場合はソグ人なのであるがシアフィル連合の多大なる貢献から兵隊の中から一人選ぶことと今回はなった。
「第一隊のものでしたね。バルツ将軍の親族であり隊長でもありますからこれ以上護衛役もありますまい」
ルーゲンはまるで異存なくその人選を肯定するが、バルツは自分の中で強い違和感を覚えた。本当にそれでいいのか?
どうしてそう思うのか? あれはこの度の戦いで活躍した勇者でありシアフィル連合の花形である。
龍身様の護衛を務めることは将来的にはあれのためにも我らが一族のためにも良いことばかりだ。何ひとつとして問題は無い、いったい何が違和感であるのだ? 自分はなにか大きな誤りを犯そうとしているのではないのか?
「……のことなのですけど」
またルーゲンが何かを話しかけてきたのでバルツは急いで意識をこちらに戻すと、それを察したのかいま言ったことをもう一度繰り返した。
「問題児の彼のことですよ。この停戦期間を機に僕は彼に講義をしようかなと思っておりますが、訓練の件もありますがよろしいでしょうか? これまであまりにも戦いに忙しすぎたために彼の無信仰問題とその無知を放置し過ぎました。彼は我らが軍の主要人物になるものですし、将来的には西への布教の役目も一任するのですから、如何でしょうか?」
ルーゲンの言葉をぼんやりと聞いていたバルツの耳の奥で、違和感と違和感が微かに動いたことによりズレとズレがパチリと噛み合い心地良い音が鳴ると同時に脊髄反射的にその場から垂直に飛びあがった。
驚きの目を向けるルーゲンを見つめながらバルツは着地と同時に宣告する。違和感解消、大きなお世話発動、世界革新。
「龍の護衛は、やつにする」
「はい? もしかして変更をするとか。すると誰にでしょうか?」
ルーゲンは刺激せぬように言ったつもりであったがバルツの瞳は危ない輝きを放っており狂気の一文字を感じとった。
「あの無信仰者にだ! そうだこれがいい感謝いたしますよルーゲン師」
何だ僕はいったいなにを言ってしまったのか? どうしてそんな異常な変更をするのか?
躁状態なバルツのはしゃぎっぷりに同調しルーゲンも頑張って笑うが、強張った笑顔を向けてしまう。
ああこの瞳の色は、一線を超えたもののみが放つ限りなく狂気に近い無色透明さ。
「どうやら俺の意図があまりよく分かっておらぬようだな」
何もかもわかりませんとはさすがに言えないために曖昧に微笑んで頷くとバルツは語りだし、それからルーゲンは納得した。この人は案外におかしなことは言わないものだと不思議な感想を抱きながら……
後日に男はバルツから直々に召還された。しかも正式な手続きと書類を以って。
召還についての詳細は伏せられていたために男は妙な胸騒ぎを覚えつつも将軍室に急いだ。大仰しいな、と苦々しく思った。バルツ将軍はきっと自分がなにも受け取らないからこういう手の込んだことをして、無理矢理になにかを渡そうとしているのだとは察した。
これだったら、と男は後悔しだす。賞金がいーっぱい欲しいねんとわざと意地汚く要望すれば良かったと。そうだ次からはそうしようとも。今回は勲章やら名誉的な何かであろうからそれは我慢をして受け取って次回からは金一本と。
無欲は大欲に似たりという言葉通りに男は自分の融通の利かなさ故に、このような面倒なこととなったと反省しながら階段を昇り廊下を歩き、将軍室の扉を開いた。
室内に入るとまずルーゲン師がいることに気づき男が目を合わせると笑顔で会釈した。男はいつも感じていた、この人は信頼できると。
それから将軍に目を向けるとこちらも上機嫌な雰囲気を漂わせていた。やはり自分は間違えていたと男は思った。
あんなに頑なに拒んで人を心配させるのは誤りだと。恩賞をあげたい人の気持ちというものもある。感謝というものを捧げたいときもある。それを否定したらこんな面倒なやり取りとなってしまう。譲れないところは譲らないようにして、他は喜んで貰う。
そうしよう、とここに到ってようやく常識的態度を手にした男であったが、致命的に手遅れであった。まさに後悔先に立たず。
「よく来たな。さてお前に良い話があるのだ。とても名誉なことであり、お前みたいな勇者には相応しいものだ。ルーゲン師、いいかな?」
「ありがたくお受け取りいたします」
殊勝に頭を下げると二人は笑った。
「フフッちょっと早いですよ。まだ何の話か分からないではありませんか」
「何であろうとありがたく頂戴いたします」
「なんだ突然態度をガラッと変えて。頭をあげろ、ほらそれだ」
頭を戻すとルーゲン師が眼の前に立っており一着の服を手に持っていた。
「シアフィル連合の各隊長に配給される礼服だ。以前の第末番隊には今まで配布されてはいなかったからな。これから第二隊となるのだから隊長は正式な礼服を着なくてはな。これは古着だが近いうちに新しいものを配布する」
おっなるほどと男は頷いた。これならいい、軽いし恩賞としては実用的だ。隊員達も自分の不遇については文句を言ってうるさいからこれを貰ったと言えば満足するだろう、ならばこれはありがたいな。
「丈や裾は……後ほど着て図って急いで調整しましょう。せっかくの礼服なのですから身体に合わせないといけませんからな」
「ありがとうございます。ですがそこまで焦る必要はないかと。戦闘は停戦中ですし儀式といったこれを着る機会もそうございませんし」
「いや、お前はこれからその服を毎日のように着るのだぞ」
不吉な予感が長い針となって男の指先に入っていく。なぜ毎日この服を着るのか? 私はオシャレさんでは無いのだが。
「第二隊の隊長から外されるのですか」
鈍い痛みと不安で声の抑揚が乱れさせながら喘ぐように男が言うとバルツは首を振った。
「そんなことはせん。お前の希望し続ける限りあの隊の指揮はお前のものだ」
その言葉を聞き安堵の息を漏らすもその油断を突く形でバルツがその心臓をぶっ叩いた。体を鍛えていなかったら死んでいたはず。
「ジーナ。お前を龍の護衛に推挙する。もう決定事項であるからそのつもりでいろ」
そのなんとかの護衛という言葉の意味が分からず、というよりかは言葉を脳が拒絶したためかよく聞こえず分からないためか、ジーナは呆けて首を傾げた、何を言っているのやら、と。すると隣にいるルーゲンが説明しだした。
「龍身様の護衛ですよ。龍の騎士の部下となり龍身様を護衛する、名誉職ですね」
龍を護衛する? 東の言葉は難しいなと意味が分からず返事をせずにいると今度はバルツが告げた。
「お前は龍のために無限の献身を捧げ戦ったものの代表だ。この推挙はその精神と行為に対する当然の結果だ。驚くのも無理はない。お前は自分みたいな無信仰者がそんな大役を? と思っているだろうが、それはただの知識の問題だ。知らない、ただそれだけだ」
「ジーナ君それについてはこの僕が」
ますます意味不明な状況であるために男は自然と不動の姿勢となり全身が痺れ指一本動かせぬために、目玉だけをルーゲンに向けるといつものように爽やかに微笑んでいた。どうしてかその表情が、忌々しく思えた。
「知識については僕が講義を聞けば問題はないでしょう。戦場における行動に精神と龍についての知識の二つがあればあなたに欠点はございません。非の打ち所がない戦士に、そう『龍の護衛』にこれ以上に無く相応しい存在となるでしょう」
異議なしというようにゆっくりと頷くバルツを視界に入れながら男は首が縦には動かなかった。それどころか舌がもつれうまく言葉が出ない。掠れた声が静かな部屋の秩序を乱す雑音となって汚す。二人は返事を待つがどうも様子がおかしいので近寄ってくると、ようやく口が開き舌が動きだしために男は、妙な声で尋ねた。
「どうして、私なの、ですか。いや、駄目です私では、絶対に駄目です」
「どうしてって、将来的なことを考えたらお前がこの役に相応しいからだ」
脱力から崩れ落ちそうな身体を後ろから支えたのはルーゲンであった。男は声を掛けられるも言葉は耳には入らずにただ自分の言葉を発しようとしていた。
「私であったら駄目だ。私は有り得ません」
心の中でその言葉は叫びとなって反響している。大きく思えば思うほど反響は大きくなりそれが口の中に届き、外に漏れ、世界に飛び出て、自分の意識を、架せられた使命を守るためのものとなるように、それから声が出た。
新しい世界に対し生まれ落ちることに対して嘆きの産声をあげるように。
「私である理由は、やはりありません」
自分で声を出しながら闇の中でジーナは目を覚ました。まだ明けぬ夜の時、星が空に煌めきを見ながらジーナは夢を思う。
夢というよりかは記憶を走馬灯を巡らせるとジーナは皮肉なものだと顔を歪ませ自嘲する。よりによってこの自分が龍の護衛になるだなんて。この世で最も相応しくないものが、なるとは。
あれから抵抗虚しく結局は龍の館へ赴き、ハイネに導かれあの扉を開いた。一目見て、とジーナはいつも避け続けてきた考えから逃げずに真正面から挑んだ。
ヘイム様は、ヘイムは、あの女の龍というものは……あの毒龍なのではないかという疑惑。そうだとしたら、とジーナは自分の両手を闇の中で開きながら睨み、それから強く握った。
自分はあの龍のために命を賭けて戦い続けたということに……いや違うな、とジーナはあっさり首を振った。
龍のために一度も戦ったことなどなく、ここまでの戦いは中央の龍を倒すためのものであると。それがいま着実に進んでいてなんの心配もいらないと。中央の龍を討ちそれからあの龍身が龍となったら、討つ。
はじめからこうであり、今のところは何も支障はないはずだ。そう考えると左頬が熱くなり、なにかを伝えに来た。
その心が何であろうかはジーナには明白であった。
『そうは言うけど、君はこちらの龍を、討てるのかい?』
気づけば瞼を閉じ声が聞こえていた。自分が間違えている時にだけ現れるあの声が。正しきものの声が。そうだ、とまたジーナは思い出す。印を刻まれてから自分はこの声を一切聞かなかったと。それどころかあの存在すら忘れていたと。
それは当然のことであった。
「私は僕はジーナなのだから」
一つの魂であるのだから、分離などせずに声など聞こえない。聞こえるのはその使命から離れた時、つまりはあの人を、ヘイムを思う時にこの一つの魂がずれる。
何故だろう? ジーナはそのことについては深くは考えずに記憶の奥へ行く。
見た瞬間に毒龍の可能性への疑惑で目を逸らしたのをあの人は見逃さずに揺さぶり挑発を掛けてきた。
それどころか龍を討つものであるとも質問してきた。あれは言葉の綾か? それとも知っているのか? だが分かっているのならその後のことを不問し、いまも何の問題にもしていないのは、いったいどうしてだ?
毒龍が取り憑いているのなら、私のことはすぐに分かるはずだ。あの時のやり取りだってそうだという感じだった。
その眼その指その脚はこの私の手によって傷つけられた痕、私が龍に掛けた殺意と、あなたに掛けた呪い。
そうであると思っていたのに、あの人は一切そのことを掘り返さずに次の日も同じに過ごした。よって違うのでは? 毒龍ではなく、この地にはじめからいた龍であるのなら?
全てのやり取りが勘違いと違う何かであるとしたら……それが本当であったのなら、私はこの手に掛けなくて、済むのでは?
そう思いながらジーナは耳を澄ましどこかから届く声に耳を傾けたが、声はなにも返ってこず耳に入るのは夜の闇の音、朝が近づく音、迫りくる光の予兆の音だけであった。
今日となる明日が始まる。
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