141 / 313
第二章 なぜ私ではないのか
私が説得して彼を塔から引っ張り出す
しおりを挟む
車輪が跳ねたせいで馬車が大きく上下運動をした。大きめの石を踏んだのか段差が激しかったのかは不明。
そのせいで馬車の中にいる女官は悲鳴をあげ転んでいるなかで二人の女は姿勢を崩さず対峙したままでにいた。
右目を閉じ瞑想に耽るヘイムと炒り豆をひたすらに齧り続けるシオン。
二人の女は女官たちの動揺などには目を向けず耳も傾けずに己の世界に閉じこもっていた。
長年連れ添って来た夫婦のような関係でもあるヘイムとシオンの間には、二人だけにしか知らずに通じないルールというものがいくつかある。
どれも他愛のないものであるも話合いをして生まれたものや自然の習慣が生み出したものもあり、それがいつ始まったのかは記憶が朧げになるも、どれも破られたことは一度としてもなかった。
この今の状況もその二人の関係から生まれたものでありシオンは忌々しそうに目を細め睨み付け際限なく干し豆を食べている。
ルールというものは豆袋を手にしている時のシオンには話しかけない、というものでは決してなく、睡眠時以外の時にうつむき瞼を閉じている状態のヘイムに話しかけてはならない、これである。
いわば会話の拒絶を示したものであるためにシオンは苦々しい気持ちでその瞼が上がるのを待つほかない、豆でも齧っている他ない。普段のヘイムは決してこういうことはしない。疲れている時でもいかなる時でも人を前にしている時に微睡むなどするはずもない。
するとしたらそれはそうこのシオンの前ぐらいであり二人の関係であればこそ起こる珍事であり、女官たちも異変を察して緊張した面持ちで待機していた。
気に喰わない、とシオンは豆を喰らいながらこの一念だけが頭が一杯であった。馬車内では不自然なほどに豆が砕ける音が断続的に響いている。
いや響かせている、シオンが意図的に豆を粉砕させ音を立てているのだ。
聞こえている癖に目を開けないなんて……ちょっとなんなんですかね、とこれはシオンにとっての声を出す代わりの催促であった。もういい加減にそれをやめてというメッセージ、二人だけにしか分からない合図。
こういう状態は、とシオンは記憶を探り思い出そうとする。そうだ私はヘイムの昔話を思い出さなくてはならない。
最近では龍身化の影響によってヘイムという存在を巡る記憶障害が起こるも、シオンの心の中は未だにその影響をあまり受けることは無く記憶を取り出すことができた。
前回を思い出すと昔も昔、戦争前のあの恋人たちとの遊びの際に起こったひと悶着で、当時ヘイムがお気に入りだった青年が他の女と仲が良くなっていると知った時にこうやって瞼を閉じて何も聞きたくない時に……
でも今はそんな時じゃない、とシオンはその記憶を奥に仕舞い込んだ。これは違う件による違う何かである。
それはひょっとして私自身が原因では? とここでようやくシオンは普通の人らしい思考の地点へと到達し口の中が乾きを覚えた。焦ると喉が乾く、そんな体質。
最近……そうだ私はヘイムに無理をさせているのかもしれない。ここのところの公務で忙しい中であっても彼女は私に文句一つ吐いていない。これも珍しいことだ。いつもなら私に対して愚痴の一つや二つ、いいや百つを投げかけてくるのが普通であるのに、一つもなかった。
もしかしてこれは抗議だったのでは? もはや私は愚痴を吐くにも値しない人物であるということで。
そう思うとシオンは息苦しくなり胸が痛みだしたが、閃光が走るように記憶の棚が突然開き、ある景色が眼前へと浮かんだ。「私に話しかけないでシオン」「お姉さんでしょ」とシオンはその時に返した言葉を心の中で呟き少女時代のヘイムの姿を見つめていた。
「明日すごく楽しみなの、それを想像しながらこうやっている時がすごく楽しいの。だからね、こういう時の私には話しかけないでね」
うむ、記憶が見事に再生されたのは良いがこれもあまりあり得ないのでは、とシオンは箪笥の棚を押し戻し記憶に封をした。
このあとそこまで楽しい事があるというのか、と。それはいまここにいるとき、つまりは公務から解放されているこの時が既に楽しい時なのでは? しかしヘイムはそれをこうやって放棄し想像の世界で遊んでいる。心を高揚させながら一人で遠くへと。
シオンは今度は腹が立ってきた。一人でどこに行っているのやらと、それは自分よりも大切な何かであり独り占めするなにかであり、そうしてその腹を探られたくないばかりに瞼を閉じ半分眠ってこちらを拒否しているとは、気に喰わない、だから豆を食う。そうだ投げつける代わりに豆を食べるのだ。
しかし両案を出したものの、このうちのどちらだ? とシオンは息苦しくなりながら考える。
どちらでもなくその両方だとしたら……なんて苦しいことを考えるのだと自分に言いきかせているとシオンは随分と息苦しさを覚えて来て、手の豆袋を落した。あれ? 私はなにかに閃いた? ヘウレーカしちゃった?
その音に驚いたのかヘイムの瞼が開き呆然としながら見ている姿をシオンは斜めの角度から見つめた。どうしてヘイムは反転しているのだろう、床が目の前にあるのだろう?
「おいどうしたシオン! あっ水だ水! 早く水を出せ」
大慌てのヘイムの声を聴きながらシオンはどこか安堵感を覚えそのまま意識が闇の底へと沈んでいった。
豆を喉に詰まらせ気を失ったシオンを乗せて馬車は野を越え山越え谷を越えるその手前にあるシアフィル砦に到着した。シオンは病に倒れたという設定で医務室に運ばれて治療を受けることとなった。そういう体裁にしなければならない。
「そのようにおやつれになられるぐらいに急いできていただき感謝いたします」
ベットの脇でバルツが慇懃に頭を下げシオンは恭しい動作で返礼をする。若干弱々しい演技を添えながら。
「こちらこそ将軍自らお越し下さり恐縮しております。それにこのようなことは大したことではございません。
よくあることですからどうぞご心配なく」
その言葉に人の好いバルツはシオンの思惑通りに、連日連夜の激務で疲労困憊なのであろうと勝手に推測をしたであろう表情を顔に浮かべた。
まさか豆の食い過ぎで倒れただなんて生涯気づくこともなく、また気づく必要もないだろうし。だがシオンにはなんとしてでも隠す理由だけがあった。
気怠そうに溜息をわざと流すとバルツはまた頷いた。よしこれでもう大丈夫だ、とシオンは安心し以後普通に接することとした。疲れるふりをするのは疲れるものであるのだからもう必要以上には、しない。最初に印象づけたのだからあとはその瞳に私は自動的にそう見えるのである。
「会談の件は申し訳ございません。私がもっとしっかりしていれば予定通り行えたのに」
「いやいやお構いなく。龍身様らも長旅の疲れから今日は軽い視察を行うと予定の変更と致しましたので順番の前後を変えれば問題はありません。それよりもシオン殿のことが龍身様もとてもお気に掛けていらしまして。重い病でなければいいのだがと心配なされておられて」
あの女……何もかも全部知っている癖に白々しいことをしてからに。シオンは憂鬱そうに首を振るとバルツはまた心配が募った。
いつも気力に溢れているシオン殿がこのように疲れているとはお気の毒に……また人の好い勘違いをしながらシオンの様子を見ていると、視線が窓へと移り例の塔へと目が向いたのが分かった。それを見ては駄目だ、とバルツは心の中で叫んだために声が漏れた。
「あっ!」
むっ、とシオンはバルツの間の抜けた声を聞き考える。
今のはなにか不味いものを見つけられたなという声に違いない、たまに自分が出す声に似ているからまず間違いないだろう。
「……バルツ将軍」
低く小さな声による問い掛けで揺さぶってみるとバルツの動揺が背中越しで伝わってきた。何ひとつわかっていないというのに。
「いや、そのことは、その」
「小耳に挟んだ程度です。事が大きくなる前にどうぞ私にお話しください」
その特には小さくもない耳は何も挟んでいないしその事が小さいのか大きいのかすら分からないものの、こうわかったふりをしつつハッタリをかましたらどうなるのかなとシオンの心は躍り始めた。
「しっしかし、いくらシオン様が関係者であられましてもあのようなことをお話するのも」
ほら釣れた、結構でかそうな案件そうですねとシオンは窓ガラスに朧げに写る自分の笑顔が不気味だなと自らおののきながらバルツの言葉を聞く。
「そうであるのなら、私は是非ともそれに関わらなければなりませんね。これも何かの縁、というよりかは私のこの失神もこの問題を解決せよとの龍のお導きかもしれませんよ」
「おお!」
篤信家のバルツなら絶対に嵌るであろう論法を用いたら赤子の手を捻るよりも簡単に信じるだろうという目論み通りの感嘆の声が聞こえた。
戦争によって全身が血塗れであるのにその中身は純白なそのものだとシオンはバルツのことをそう見ていた。
「けっけれどもこのようなことを果たしてご相談しても良いのかと」
「良いのですよ。どうぞ私をお頼りになってください」
そう私は無様に豆を喉に詰まらせ失神した女じゃないことをはやく証明させなさい、とシオンの心のそのことでいっぱいであった。
「……なにとぞご内密にお願い致します」
「もちろん口外いたしません」
豆は口から出しましたが……そうではなくヘイム以外には伝えませんのでどうぞご安心をとシオンは心の中で言い訳をした。
「ご存じでありましょうが、あの塔にはいまジーナが謹慎処分中でございまして」
ご存じではないけれど知っているように相槌を打ちながらシオンは心中でげんなりする。またあれがなにかやったのかと。
「問題を起こしたのですね」
「そうなのです。奴は表彰式に出たくないと駄々を捏ねましてそれで処罰のためにあの塔の一室に閉じ込めまして」
問題もなければここまで言い淀むことは無いだろうとシオンはそう考えつつ今度は頭を振った。なんという面倒なことを、と。
「頭が痛い問題ですね。それで最近の彼に変化はございましたか?」
「一向に出る気配を見せません。自分は受勲するに値しないとの一点張りで埒があきません」
あなたのその考えはどうでもいいことなのですよジーナ、とシオンはまずそれを思った。問題というのはそういやって閉じこもっているとあなたはヘイムに会えないでしょう、と。
そこに閉じこもってはいけない理由の筆頭はヘイムがつまらない思いをするから。それは私にとってあなたのどうでもいい意地とかプライドなんかよりも比べものにならないぐらいに大切なこと。
「よく分かりました。私が説得して彼を塔から引っ張り出して表彰式に出席させます」
塔などこれ以上みても仕方がないため頭を振り返りながらそう伝えるとバルツの顔が喜びでいっぱいとなった。
「それは助かります。こうなってしまうともう我々の方ではお手上げで。力づくだとあいつは絶対耐えるし脅しには屈しないしで、シオン殿のように理性的な説得をしてくださればあいつもきっと転ぶでしょう」
理性的ではないでしょうが、とシオンは勢いよくベットから飛び起きた。自分はいま過労で倒れた華奢な娘さん、な設定などもういいやとばかりに床の上に立ち背伸びをしながら首を捻った。
「そういえばハイネとルーゲン師はここにいてそのことを知っているのですよね? あの二人はなにをしているのですか?」
凄い元気になっているシオンの動作にバルツは不思議な思いをするが同じく首を傾げた。
「それがそのですね、こちらも依頼したのですけどルーゲン師は難しいですねと投げられてしまい、ハイネ殿は頑張りますが欠席の可能性も考えてくださいともう半ばあきらめ気味で」
二人そろってどうしたのか? とシオンは訝し気に思った。そもそも手紙にはそのようなことは一切書かれていないし、今日この時にこの場に自分が居なかったらその情報は得られなかったのでは、とも。
実際会ったら話したか? そういうことはなさそうだとしたらあの二人はこのことを伏せて当日に望もうとしたのでは? では何故そのようなことを? ジーナは表彰式のある意味では花形の一人となるのだということ分かっているというのに。
バルツの行動は理解できる。身内の恥を隠そうとするも欠席ということが現実的となってくることに耐えられずにこちらに助けを求めてきた。だがあの二人は隠し通していったい何をしたいのか?
一つの疑惑が次の疑惑に繋がり大きくなり暗雲のように心の中で立ち込めるとシオンの心は引き締まった。
「まぁ各々の思惑やら事情があるのでしょうが、何よりも優先しなければならないことは儀礼的なことです。だいたいそんなことを言って出席しないなんて龍身様に失礼ですよ。あなたは龍よりもお偉いとでもいうおつもりですかと」
「その通りです! 龍身様に申し訳が立ちません」
シオンのシンプルかつストレートな言葉にバルツは大いに同意する。
「夕方まで時間があるのですからこれは彼の説得へ用いましょう。私が倒れたのも将軍がお見舞いに伺ったのもふと窓から塔を見たのも、全ては龍の御導き。そうことなのです」
バルツは感激しきりに頷きシオンもそう語れば語るほどに自己暗示っぽくなり自分でも豆袋の失態はむしろ善きことであったと思い込み始めていた。
このジーナが出ないという問題を解決できればあの醜態の意味が変化する。そうと決まればとシオンは足早に塔へと向かい出した。
そのせいで馬車の中にいる女官は悲鳴をあげ転んでいるなかで二人の女は姿勢を崩さず対峙したままでにいた。
右目を閉じ瞑想に耽るヘイムと炒り豆をひたすらに齧り続けるシオン。
二人の女は女官たちの動揺などには目を向けず耳も傾けずに己の世界に閉じこもっていた。
長年連れ添って来た夫婦のような関係でもあるヘイムとシオンの間には、二人だけにしか知らずに通じないルールというものがいくつかある。
どれも他愛のないものであるも話合いをして生まれたものや自然の習慣が生み出したものもあり、それがいつ始まったのかは記憶が朧げになるも、どれも破られたことは一度としてもなかった。
この今の状況もその二人の関係から生まれたものでありシオンは忌々しそうに目を細め睨み付け際限なく干し豆を食べている。
ルールというものは豆袋を手にしている時のシオンには話しかけない、というものでは決してなく、睡眠時以外の時にうつむき瞼を閉じている状態のヘイムに話しかけてはならない、これである。
いわば会話の拒絶を示したものであるためにシオンは苦々しい気持ちでその瞼が上がるのを待つほかない、豆でも齧っている他ない。普段のヘイムは決してこういうことはしない。疲れている時でもいかなる時でも人を前にしている時に微睡むなどするはずもない。
するとしたらそれはそうこのシオンの前ぐらいであり二人の関係であればこそ起こる珍事であり、女官たちも異変を察して緊張した面持ちで待機していた。
気に喰わない、とシオンは豆を喰らいながらこの一念だけが頭が一杯であった。馬車内では不自然なほどに豆が砕ける音が断続的に響いている。
いや響かせている、シオンが意図的に豆を粉砕させ音を立てているのだ。
聞こえている癖に目を開けないなんて……ちょっとなんなんですかね、とこれはシオンにとっての声を出す代わりの催促であった。もういい加減にそれをやめてというメッセージ、二人だけにしか分からない合図。
こういう状態は、とシオンは記憶を探り思い出そうとする。そうだ私はヘイムの昔話を思い出さなくてはならない。
最近では龍身化の影響によってヘイムという存在を巡る記憶障害が起こるも、シオンの心の中は未だにその影響をあまり受けることは無く記憶を取り出すことができた。
前回を思い出すと昔も昔、戦争前のあの恋人たちとの遊びの際に起こったひと悶着で、当時ヘイムがお気に入りだった青年が他の女と仲が良くなっていると知った時にこうやって瞼を閉じて何も聞きたくない時に……
でも今はそんな時じゃない、とシオンはその記憶を奥に仕舞い込んだ。これは違う件による違う何かである。
それはひょっとして私自身が原因では? とここでようやくシオンは普通の人らしい思考の地点へと到達し口の中が乾きを覚えた。焦ると喉が乾く、そんな体質。
最近……そうだ私はヘイムに無理をさせているのかもしれない。ここのところの公務で忙しい中であっても彼女は私に文句一つ吐いていない。これも珍しいことだ。いつもなら私に対して愚痴の一つや二つ、いいや百つを投げかけてくるのが普通であるのに、一つもなかった。
もしかしてこれは抗議だったのでは? もはや私は愚痴を吐くにも値しない人物であるということで。
そう思うとシオンは息苦しくなり胸が痛みだしたが、閃光が走るように記憶の棚が突然開き、ある景色が眼前へと浮かんだ。「私に話しかけないでシオン」「お姉さんでしょ」とシオンはその時に返した言葉を心の中で呟き少女時代のヘイムの姿を見つめていた。
「明日すごく楽しみなの、それを想像しながらこうやっている時がすごく楽しいの。だからね、こういう時の私には話しかけないでね」
うむ、記憶が見事に再生されたのは良いがこれもあまりあり得ないのでは、とシオンは箪笥の棚を押し戻し記憶に封をした。
このあとそこまで楽しい事があるというのか、と。それはいまここにいるとき、つまりは公務から解放されているこの時が既に楽しい時なのでは? しかしヘイムはそれをこうやって放棄し想像の世界で遊んでいる。心を高揚させながら一人で遠くへと。
シオンは今度は腹が立ってきた。一人でどこに行っているのやらと、それは自分よりも大切な何かであり独り占めするなにかであり、そうしてその腹を探られたくないばかりに瞼を閉じ半分眠ってこちらを拒否しているとは、気に喰わない、だから豆を食う。そうだ投げつける代わりに豆を食べるのだ。
しかし両案を出したものの、このうちのどちらだ? とシオンは息苦しくなりながら考える。
どちらでもなくその両方だとしたら……なんて苦しいことを考えるのだと自分に言いきかせているとシオンは随分と息苦しさを覚えて来て、手の豆袋を落した。あれ? 私はなにかに閃いた? ヘウレーカしちゃった?
その音に驚いたのかヘイムの瞼が開き呆然としながら見ている姿をシオンは斜めの角度から見つめた。どうしてヘイムは反転しているのだろう、床が目の前にあるのだろう?
「おいどうしたシオン! あっ水だ水! 早く水を出せ」
大慌てのヘイムの声を聴きながらシオンはどこか安堵感を覚えそのまま意識が闇の底へと沈んでいった。
豆を喉に詰まらせ気を失ったシオンを乗せて馬車は野を越え山越え谷を越えるその手前にあるシアフィル砦に到着した。シオンは病に倒れたという設定で医務室に運ばれて治療を受けることとなった。そういう体裁にしなければならない。
「そのようにおやつれになられるぐらいに急いできていただき感謝いたします」
ベットの脇でバルツが慇懃に頭を下げシオンは恭しい動作で返礼をする。若干弱々しい演技を添えながら。
「こちらこそ将軍自らお越し下さり恐縮しております。それにこのようなことは大したことではございません。
よくあることですからどうぞご心配なく」
その言葉に人の好いバルツはシオンの思惑通りに、連日連夜の激務で疲労困憊なのであろうと勝手に推測をしたであろう表情を顔に浮かべた。
まさか豆の食い過ぎで倒れただなんて生涯気づくこともなく、また気づく必要もないだろうし。だがシオンにはなんとしてでも隠す理由だけがあった。
気怠そうに溜息をわざと流すとバルツはまた頷いた。よしこれでもう大丈夫だ、とシオンは安心し以後普通に接することとした。疲れるふりをするのは疲れるものであるのだからもう必要以上には、しない。最初に印象づけたのだからあとはその瞳に私は自動的にそう見えるのである。
「会談の件は申し訳ございません。私がもっとしっかりしていれば予定通り行えたのに」
「いやいやお構いなく。龍身様らも長旅の疲れから今日は軽い視察を行うと予定の変更と致しましたので順番の前後を変えれば問題はありません。それよりもシオン殿のことが龍身様もとてもお気に掛けていらしまして。重い病でなければいいのだがと心配なされておられて」
あの女……何もかも全部知っている癖に白々しいことをしてからに。シオンは憂鬱そうに首を振るとバルツはまた心配が募った。
いつも気力に溢れているシオン殿がこのように疲れているとはお気の毒に……また人の好い勘違いをしながらシオンの様子を見ていると、視線が窓へと移り例の塔へと目が向いたのが分かった。それを見ては駄目だ、とバルツは心の中で叫んだために声が漏れた。
「あっ!」
むっ、とシオンはバルツの間の抜けた声を聞き考える。
今のはなにか不味いものを見つけられたなという声に違いない、たまに自分が出す声に似ているからまず間違いないだろう。
「……バルツ将軍」
低く小さな声による問い掛けで揺さぶってみるとバルツの動揺が背中越しで伝わってきた。何ひとつわかっていないというのに。
「いや、そのことは、その」
「小耳に挟んだ程度です。事が大きくなる前にどうぞ私にお話しください」
その特には小さくもない耳は何も挟んでいないしその事が小さいのか大きいのかすら分からないものの、こうわかったふりをしつつハッタリをかましたらどうなるのかなとシオンの心は躍り始めた。
「しっしかし、いくらシオン様が関係者であられましてもあのようなことをお話するのも」
ほら釣れた、結構でかそうな案件そうですねとシオンは窓ガラスに朧げに写る自分の笑顔が不気味だなと自らおののきながらバルツの言葉を聞く。
「そうであるのなら、私は是非ともそれに関わらなければなりませんね。これも何かの縁、というよりかは私のこの失神もこの問題を解決せよとの龍のお導きかもしれませんよ」
「おお!」
篤信家のバルツなら絶対に嵌るであろう論法を用いたら赤子の手を捻るよりも簡単に信じるだろうという目論み通りの感嘆の声が聞こえた。
戦争によって全身が血塗れであるのにその中身は純白なそのものだとシオンはバルツのことをそう見ていた。
「けっけれどもこのようなことを果たしてご相談しても良いのかと」
「良いのですよ。どうぞ私をお頼りになってください」
そう私は無様に豆を喉に詰まらせ失神した女じゃないことをはやく証明させなさい、とシオンの心のそのことでいっぱいであった。
「……なにとぞご内密にお願い致します」
「もちろん口外いたしません」
豆は口から出しましたが……そうではなくヘイム以外には伝えませんのでどうぞご安心をとシオンは心の中で言い訳をした。
「ご存じでありましょうが、あの塔にはいまジーナが謹慎処分中でございまして」
ご存じではないけれど知っているように相槌を打ちながらシオンは心中でげんなりする。またあれがなにかやったのかと。
「問題を起こしたのですね」
「そうなのです。奴は表彰式に出たくないと駄々を捏ねましてそれで処罰のためにあの塔の一室に閉じ込めまして」
問題もなければここまで言い淀むことは無いだろうとシオンはそう考えつつ今度は頭を振った。なんという面倒なことを、と。
「頭が痛い問題ですね。それで最近の彼に変化はございましたか?」
「一向に出る気配を見せません。自分は受勲するに値しないとの一点張りで埒があきません」
あなたのその考えはどうでもいいことなのですよジーナ、とシオンはまずそれを思った。問題というのはそういやって閉じこもっているとあなたはヘイムに会えないでしょう、と。
そこに閉じこもってはいけない理由の筆頭はヘイムがつまらない思いをするから。それは私にとってあなたのどうでもいい意地とかプライドなんかよりも比べものにならないぐらいに大切なこと。
「よく分かりました。私が説得して彼を塔から引っ張り出して表彰式に出席させます」
塔などこれ以上みても仕方がないため頭を振り返りながらそう伝えるとバルツの顔が喜びでいっぱいとなった。
「それは助かります。こうなってしまうともう我々の方ではお手上げで。力づくだとあいつは絶対耐えるし脅しには屈しないしで、シオン殿のように理性的な説得をしてくださればあいつもきっと転ぶでしょう」
理性的ではないでしょうが、とシオンは勢いよくベットから飛び起きた。自分はいま過労で倒れた華奢な娘さん、な設定などもういいやとばかりに床の上に立ち背伸びをしながら首を捻った。
「そういえばハイネとルーゲン師はここにいてそのことを知っているのですよね? あの二人はなにをしているのですか?」
凄い元気になっているシオンの動作にバルツは不思議な思いをするが同じく首を傾げた。
「それがそのですね、こちらも依頼したのですけどルーゲン師は難しいですねと投げられてしまい、ハイネ殿は頑張りますが欠席の可能性も考えてくださいともう半ばあきらめ気味で」
二人そろってどうしたのか? とシオンは訝し気に思った。そもそも手紙にはそのようなことは一切書かれていないし、今日この時にこの場に自分が居なかったらその情報は得られなかったのでは、とも。
実際会ったら話したか? そういうことはなさそうだとしたらあの二人はこのことを伏せて当日に望もうとしたのでは? では何故そのようなことを? ジーナは表彰式のある意味では花形の一人となるのだということ分かっているというのに。
バルツの行動は理解できる。身内の恥を隠そうとするも欠席ということが現実的となってくることに耐えられずにこちらに助けを求めてきた。だがあの二人は隠し通していったい何をしたいのか?
一つの疑惑が次の疑惑に繋がり大きくなり暗雲のように心の中で立ち込めるとシオンの心は引き締まった。
「まぁ各々の思惑やら事情があるのでしょうが、何よりも優先しなければならないことは儀礼的なことです。だいたいそんなことを言って出席しないなんて龍身様に失礼ですよ。あなたは龍よりもお偉いとでもいうおつもりですかと」
「その通りです! 龍身様に申し訳が立ちません」
シオンのシンプルかつストレートな言葉にバルツは大いに同意する。
「夕方まで時間があるのですからこれは彼の説得へ用いましょう。私が倒れたのも将軍がお見舞いに伺ったのもふと窓から塔を見たのも、全ては龍の御導き。そうことなのです」
バルツは感激しきりに頷きシオンもそう語れば語るほどに自己暗示っぽくなり自分でも豆袋の失態はむしろ善きことであったと思い込み始めていた。
このジーナが出ないという問題を解決できればあの醜態の意味が変化する。そうと決まればとシオンは足早に塔へと向かい出した。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる
若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ!
数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。
跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに?
ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる