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第3部 私達でなければならない

私は代わりなんかじゃない

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 ハイネがジーナのもとを去ってからまた幾日かが過ぎた。朗報は届かない。

 もちろんハイネが行こうが行くまいが関係なくジーナは起き上がりはしない。

 経過を聞きたいけれど聞かないようにしているも会う度にキルシュが一方的に話を振ってきた。

 隊長は全然変わらない、と。そう変わらないのだと。身体の衰えはなく死ぬ気配をまるで感じない。

 なにか不思議な力に包まれているかのようなに。

 しかし目覚めない。ブリアンも含め隊員も連日話しかけにいくが、誰の言葉にも反応しないということもハイネは聞き心配そうな声をあげ心中で笑いジーナに軽蔑もする。

 そのまま死んでしまえばいいのに。

 ある日キルシュは語るにつれて涙ぐむ声を出しはじめた。龍に関するあの一件の返事が上層部から返ってきた、と。これから聞き取り調査を行い事実なら功績筆頭だと。

 バルツ将軍からも調査は一応の確認ということなのでまずは安心しろだとお言葉もいただき嬉しいのだけれど。

「……隊長に起きて欲しいんだ。それでお祝いして欲しんだ。ブリアンがここまで来れたのは隊長のおかげなんだからさ。ありがとうって言いたいし、ごめんなさいって言いたいんだ」

 そんな必要はないよとハイネがキルシュの背中に手を回すと涙がますます増えていく。

「言わなきゃダメなんだ。ブリアンがどうしてもって言うから、あの戦いの話であたしは隊長のことについて何も触れなかったし考えることをやめたんだ。もしかしてらそんなことをしたから隊長は目を覚まさないんじゃいかと最近思って……怖いんだよ」

 それは関係ないよとハイネが言うもキルシュは首を振るのみであった。

「ハイネには分かって欲しいから言うんだけど、悪気があるわけじゃないんだよブリアンは。一緒に手柄を立てたのなら喜ぶのがブリアンで、それが隊長と一緒ならなおさらなのはあんただって分かるだろ? けどね今回はたぶんブリアンは隊長にそれをさせたくなかった。理由なんか聞かないさ。でも分かるんだ……ブリアンは隊長に龍を討たせたくなかった、それだけなんだ」

 そこでキルシュは口を閉じただひたすらにジーナに向かって祈りだした。自分を罪人だというように。


 翌日にハイネはバルツと出会うもジーナの話は出ずに延々と仕事の話を続けた。なんか怪しい、とハイネは顔には出さずにそう思い続けた。

 これは臭いなと思っていると話の切りの良いところでバルツが茶をとり呑み、天を仰ぐとハイネも顔をあげた。

 天窓から見える空は青くその先には城の天辺が微かに見えた。その龍の住む宮、いま中央に向かっている龍身の住む宮。世界の中心の中心。

「以前お話されたジーナのもとへ龍身様がお見舞いに行くという案だが」

 そんな話をしたっけ? とハイネは記憶箱をひっくり返すと、うん、言っていない。いつの間に話が大きくなってしまったのか? 将軍が大袈裟に受け止めたからだろうが、まずいな。

「ジーナのことは心配であるが……だが龍身様はこれより龍となられるために遥か高いところに行かれる御方だ。寄り道などせずにこのまま真っ直ぐに止ることなくあそこに到着なされてもらいたい、これは国の誰もが願っていることである。だから……ジーナのもとへには」

 どうでも良かったとは言えないまでもハイネは納得した。なるほどそういうことであったのか。

 龍を討った可能性があるものと中央に着く前に会わせるわけにはいかないと。

 それは正しいとハイネは思うし、これでもし目覚めるとなれば……それは到底堪えがたい、なんて体験したくないし考えたくもないことである。

「龍身様はまず御公務を最優先なさるべき御方であり、そのような決定になったとしてもジーナも納得するでしょう」

 そんなわけないでしょと思いながら言うとバルツの眼は涙ぐみ懐から紙を取り出した。

「よく言ってくれた。そちらにそう言ってもらえて助かった。ではこれを読んでやってもらいたい」

 手渡されるのは見覚えのある封筒、いつもの封筒、龍の間から届けられたそれは、いつもよりもどこか異物感が強かった。

「ジーナ宛だがあいつは手紙を受け取れる状態でないし、俺には中身を見ることなどできなく、そうなると読めるのは関係の深いあなただけとなる。もしかしたらだが、それによって奇跡が起こりあいつが……」

「私はヘイム様の代わりではありませんよ」

 ハイネは空を見るのをやめ前を睨むもバルツはまだ顔をさげてはいなかった。憎悪の空振り。

「その代役は荷が重いということは分かっている。しかし他のものがいない。手紙に触れることさえできないのだ」

 なにも分かっていないし人の話を半分聞き間違えているという点でハイネはそれ以上何かを言うことを諦めると、ようやくバルツは顔を下げた。

「もしも起き上がらなくても眼には見えぬ何かが奴の中で起こるかもしれない。いまはそのような奇跡を待つほかない。だからこの通り頼む」

 何も起きませんよ、と頭の中で先ほどの光景を渦巻かせながらハイネは手紙を受け取りジーナのいるそこへ向かった。

 準備なんて何もいらない、と手には手紙だけを持っているのみで、早歩きな半ば走ってるような足取り。早く片付けて清々したい気持ちに道溢れた足音。封筒の端っこを摘まみながら果てへと進んでいく。

 廊下の途中で女官がいたので茶を二つあの部屋にと頼みハイネはノックもせずに扉を開け入り、想像通り去ったあの日とたいして変わらぬ部屋の光景に心を動かさずに机を用意し、運ばれた茶がその上に置かれ女官は去っていった。

 鍵をかける。さぁこれから儀式のお時間。

「雰囲気を出してあげますよジーナ」

 龍の間で時々用いられていた香木の一部を少し焚きハイネはワクワクしだした。

「まるで儀式みたい……そう別れの儀式ってところですかね」

 物言わぬジーナに向かって言うもすぐに口調を変えた。

「起きていいのだぞ、ジーナよ」

 滅多に使わないもののハイネはヘイムの口真似ができた。

 それはシオンですら騙されるというものであり、というかシオンに対してしか使わない特技であった。

 これをヘイムも知らないし当然ジーナも知らない。

 口に出してからジッとジーナを見るも、変化はない。それによってハイネの心は安らぐも、自らの頬を叩いた。

 油断するな、バルツ殿も言っていた。眼には見えないが内側だと覚醒しだしているかもしれないと。

「あなたのあの人を想う気持ちならそれが起こってもおかしくはありませんよね」

 椅子から立ち上がり自らの内側に湧いた安堵心を砕くためようにハイネはジーナの顔を見下ろしながら言い捨てる。

「バーカ」

 手に持った手紙をヒラヒラさせながらハイネは顔を近づけた。

「お待ちかねのお手紙ですよジーナ。あっもしかしてこれを待っていたわけですかぁ? そうですよねそうです。これより愛の奇跡が起きるのですよ。じゃあこれから読みますから目を覚ましてくださいね。龍の間の香りがする中であの人そっくりの声で読んであげます。これで起きるのですよ。するとこうなるわけです。ああヘイム……君が来てくれたのかおかげで……と起き上がってこっちを見るといるのはこの笑顔の私。部屋中見回してもヘイム様はどこにも、いない。いないんだよ。そこであなたは私にこう聞きます。ヘイム様はどこ、と。そうしたら私はあなたのそばに近づいて右頬を引っ叩いてこう言います、あれは私ですよ? そんなことすら分からないのですかぁ? この間抜け。で、もう一度左頬を叩いて呆然とするあなたに背を向けて扉に向かう途中でこう捨て台詞を吐く、私はあの人の代理じゃないのですからね、でパタン……」

 顔を離しハイネは手紙の封を切りだした。

「これでしたら別れの儀式としては完璧で素晴らしいですね。こうでもしなきゃこんな役目を背負うなんて死んでもごめんですし。あなたにはとことん馬鹿にされこけにされていましたから、これぐらいやっておあいこといったところでしょう。これぐらいやる権利は私にだってあります。これ以上自分を憐れまないためにはこれぐらいしなきゃいけない」

 広げた手紙の一枚目には見知った字でジーナへと書かれそして送り手は言うまでもなくあの人であり、それが目に入るや忌々しさが身体を走った。

「あの人も随分とつまらないのをお好きになっていますね。どこがいいのやら。ここで起きたらあなたの声のことすら分からない男だし、目覚めなかったらあなたの声なんて届かない男、まっどっちにしろ最低は崩れないですよね。ハハッ我ながら完璧な罠ですこと。あーあつまらないですけどこれで終わりなのですよ終わり。私と、あなたの関係はね。あとはお好きにどうぞ」

 ハイネは手紙の二枚を開き、声を出しだした。ヘイムの文章を、ヘイムの声で以って読み出す。
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