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第3部 私達でなければならない

本当にですか?

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 あの声と重なり、ジーナは瞼を開いた。晴れ渡った蒼天が光とともに眼前で広がる。

 そうだこの声は私の声ではない、あの声であり、それ以外のものではなく、ここで、私の中で聞こえた声、私のものだ。まだここにあるのだ。

「分からない……」

 ノイスは首を振りながら言う。

「あんなに戦い続けたあなたにはまだ罪が残っているだなんて。俺には見えないがその身体全身は血塗れなようなのか。本当に分からない。どうしたらそこまでの罪の色で一身を染められるのか」

 まだだ、とジーナの頭の中ではまだ残響が続いていた。両手を広げ、見る。

 ノイスも釣られて覗き込むが、そこには血は一滴も着いておらず汚れてすらいなかった。

「ねぇ隊長。隊長の罪って、償える類のものなのですか?」

 龍を倒し印を届けた時に……

「ああ償えるものだ」

「俺には想像できませんよ。贖罪を済ませた隊長なんて。俺は思うに、あなたは償えないしきっと満足をしない」

「どうしてそう思う?」
「なんと、なくですよ」

 睨むジーナをノイスは笑みで躱した。

「ただの勘か」

 だがこいつのそれは、とジーナは息を呑んだ。

「勘といいましても隊長は俺の勘の良さを少しは評価してくれましたよね? 勘といいましても観察から生まれるものでして、それは俺と隊長の付き合いの長さからの推察というものですよ。俺が見る限り隊長は出会った時の頃の方がすっきりとした清潔感がありましたね」

「嘘だ……」とジーナはノイスを見ると目が合い、思わず視線を避けた。合わせたらその言葉を……信じてしまうのか? とジーナは震えた。

「あなたと初めてお会いした時は正直言うと、というかあなたも自覚がおありでしょうが陰鬱な人だと思いましたよ。けれどもその暗さは戦場と緊張から生まれるものであると思いましたし、実戦となったらあなたはある意味で誰よりも清らかな存在でしたね。強さは言うまでもなく誰よりも強くそして他の誰よりも確信的。まるでこの戦いの果てに解放がある、とそういう気を放っていた」

 そうだ、とジーナは心中で肯定した。戦えば戦う程にその時が近づいていると。

 龍を討ち、使命を果たすことができると。それはいまでも……

「日々この人は戦うごとに浄化していると思いましたし、みんなもあなたの戦う背中を見ると自然にあの掛け声に続き意味も呑み込んだものです。罪を討つための戦いである、と。だから進めば進むほどに俺達は除隊が近づいて行く希望に満ち満ちていました。これが第二隊の強さの原動力でしたね。つまりはあなたの生きる姿、呪縛からの解放、自由を求め戦う姿に付いて行った、と……隊長」

 呼びかけられ視線を逸らしていたジーナはゆっくりと声の方へ顔を動かしノイスの眼を、見た。

 そこには涙こそ流れていないものの悲しげな顔色の男がいた。

「けどあなたは最後の最後までずっと解放されずに、いまもここにいます。まだ罪人のままです。ずっと変わらないと言っていいですね。それはソグについた頃から徐々に暗さが加わって……おかしい。あんなに頑張っているのにより一層に罪の色が濃くなるなんて。何か新しい罪を犯しているのではともこちらは思ったりもしたが、あなたに限ってそんなことは有り得ないと俺は思うしみんなもそう思った」

 新しい罪……新しい罪、とジーナは口中で呟くと左人差し指の付け根が痛んだ。なぜ、いま痛むというのか?

「……もしかして隊長はなにかをどこかで間違えているんじゃないんですか?」

「私が間違えている?」

 オウム返しするジーナは脚の付け根にも違和感を覚え出した。

「ちょっとしたズレなのかもしれない」

 ズレ? とジーナがその言葉を意識すると指の手首の、あらゆる箇所の付け根が動きズレていく感覚に襲われる。

「俺にはそれが何かわかりませんけれど、ひとつ分かっていることはあります。隊長はずっとあることがズレているって」

 そうだ私はズレている……はじめからそしていまもずっと……

 だがそれでも私は……ジーナはそう思いながらよろめき崩れそうにっている足を意思で以って支えた。

「あの掛け声がそうです。何回も何回も繰り返して叫んでいたあれ。俺は覚えていますけどはじめは隊長が、といっても最初の頃は平の隊員で、一人だけ気合入ってんなと他の隊員に笑われていましたけど、隊長がどんだけ前に出ても生きて帰ってくるからなんかの御呪いにも聞こえて来て段々みんな言うようになってあとで正式に隊長に就任した時は全員が自然に声を合わせていましたっけね」

「龍の元へ罪を討ちに行く……」

 ジーナは言うと、背筋が伸びたような気がしズレた各部位が元に戻りだすために動き出したように思えた。

「隊長の目的は龍に会うことでしたよね?」

「そうだ」

 そこはずっとずっと変わらない……変わるはずがない。

「すると龍は罪を浄化してくれるのですよね」

「……そうだ」

 その血で以って罪は消滅する。

「本当にですか?」

 ノイスの指摘にジーナは動揺する。何故そんな恐ろしいことを言うのだ?

「やはりそこだなズレているのは。俺はいつも疑問でしたよ。あなたはあんなに龍を信仰していないとずっと言い続けているのに、どうして龍に会いたいと毎回叫んでいたのだろう、かって」

 ジーナは咳込んだ。笑い声は出なかったが、呼吸が苦しくなり、息を整えてから答えた。

「そうだな。たしかに、おかしい」

「まぁそのずっとおかしいのがあなたという人ですけどね。やっと気づくとは驚きだ」

「けど誤りではない。私はどうしても龍に会わないといけないのだ」

「意味不明ですが、止めはしませんよ。そのままでいいですが、もう一つの可能性も検討しませんか? 俺としては実はそっちの方が罪悪感の大本だと思うのでぜひ聞いて貰いたい」

 言うとノイスは自分の襟を不必要なのに正し服を引っ張った。

 この男が緊張するとは……とジーナは意外なものを見た気分になった。

 もしかして相当に深刻なことを話すのか?

「ソグに到着してからあなたはより陰鬱になった、と話しましたが具体的に言いますと、あなたは龍の館から帰って来ましたらそうなったのです」

 待て、まさかこの男は何かに気付いたのでは、とジーナの心臓が鳴った。危険なことを話そうとしているのでは?

「初日ですからほぼ挨拶のみであるのに異様に長くかかりましたし、あの帰って来た時の顔面蒼白さ……みんなはあの隊長でもこんなに緊張するのかと、驚いていましたが俺はそれはちょっと違うのではないかと思いました。聞いたところによるとあなたは……」

「ノイス待ってくれ」

「いいえ待てません。あなたはきっと……」

 強い確信に満ちた眼光にジーナは怯んだ。

 この男は真実を言ってしまうかもしれない、そしてその言葉に自分は耐えられないのでは?

 そう思った瞬間にジーナは抗うためか、叫んだ。

「違う!」
「違わない!あなたは」

 ジーナの身体に熱が宿り、声が遠くから聞こえた、それを聞くなと。だからジーナは耳を両掌で抑えるもその甲斐なくノイスの声が聞こえた。

「ハイネさんと、出会った」
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