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第3部 私達でなければならない

ハイネを疑うジーナ

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 ジーナは身を寝床から起こしその日の出と共に今日という一日の終わりと始まりを意識する。

 何日間にもわたる龍の儀式が遂に始まる。

 予定通りではあるがジーナにはそれを現実感として受け止めることがどこかおかしかった。

 こちらもあちらも双方で何も起こらぬまま日は流れ今日に至った。

 何の音沙汰もないのがジーナには逆に脅威にも感じられた。

 あのルーゲンとの別れから休憩所には登らなくなり、ヘイムやシオンにはずっと会えないままでいた。

 そこまでは、いい。しかし喧嘩別れ状態のルーゲンはともかくハイネはどうしたのだろう?

 例の聞き取り調査は一段落したところで終了となり、ハイネもハイネで不服そうだったがこれでいいと言いその後は会ってはいない。

 ジーナはジーナでようやく女性寮の敷地内なんてところから解放された喜びで心が一杯であったためにハイネのことはその後しばらくは忘れた。

 そのまま忘れていたらよかったのに……とジーナは心の中で呟かず声を出して言い、すぐに首を左右に激しく振った。

 忘れるな、と。仕掛けてくるとしたらそれは確実にハイネだ。ルーゲン師はあのことをシオン以外の呪龍やハイネには語るだろう。

 この自分に対してなにか工作をしてくるとしたらルーゲン師は有り得ずハイネのみとなる……とここまでは龍の休憩所からずっと変わらぬ推測であったが、ここまで特に何も無かった、無さすぎた。

 これはまるで龍の護衛を務めていなかったとしたら……というたまにする仮定の状態とも思えた。

 もしもあの時に自分が龍の護衛に任命させられなかったら……迷いながら訪れ逃げるために開こうとした扉をハイネが先に開かなかったら……

 そう、彼女が扉を開かなかったら……なにも始まらなかったのでは?

 それはハイネのことは元よりその先の龍の館及びにこの休憩所への繋がる何もかもが……でも、今はそれが断たれた。

 だがいまは元に戻ったのだとジーナは思い直しだした。

 バルツ様とルーゲン師が自分を龍の護衛にしなかった場合が、これなのだと。

 なんの役目もなくその日を静かに待ち続けているだけの存在。

 私があの日に龍の館に行かなかったとしたら、呪龍に自分のことは気付かれず、ルーゲン師にも警戒されず、またシオンやハイネに対しても個人的な感情など持ち合わせずにそのまま警備の眼を誤魔化し忍び込み……

 龍となったものと出会いそして……それはいとも簡単にできたはずであった。

 今更悔やんでも仕方がないとジーナは起き上がり服を着替えはじめた。

 状況はギリギリなところで留まっているがかなり最悪に近いものといえる。

 呪龍はこちらの存在に気づき悪意を抱き、ルーゲン師は最大級の警戒心で以ってこちらの動きを監視し、ハイネは何を仕出かすかは不明だがこちらの妨害をすることは確実だろう、シオンは……彼女は……とジーナは龍の館における長廊下の件を思い受かべる。シオンのあの一撃。

 あれは脅しではなく本気で私を貫きに来たものであることは間違い無かった。心臓には届かなかった剣先。

 こちらが無防備であったが、では本当の戦闘であったら、どうか? 防げたかどうか? は考え悩むことなくジーナはすぐに結論付けた。

 一撃でやられることはないが初手で重傷を負いその後の戦闘が極めて不利になる可能性が高い、と負けはしないが無事では済まされない。

 龍の騎士の後は呪龍がいるしもしかしたら同時にやり合うかもしれない。シオン相手に重傷化は避けなければならない。

 では次にやり合うとしたら防げるだろうか? 考えるも分かっていても完全に反応できないかもしれないため、あれ以来訓練をする際はそのことを想定しながら鍛錬を重ねてきた。初撃は躱せるだろうが二撃目は運となるかもしれない、がその返す刃で……そうだ私と戦うのだろう。あの龍の騎士、龍を護る騎士であるシオンと。

 そう何度もジーナは戦いをイメージしてきた。シオンは私の戦いを見たことが無い。これは大きな優位点だこれを生かせば……だがジーナはそのイメージがいつも歪みぼやけくすんで見えることが不安であった。

 それは自分の貧困な想像力のせいか、と思いかなり厳しい戦いとなり負けるとイメージしても依然として同じ画像のまま。色彩どころか表情すら見えないものであることがジーナは心配の種となった。

 この現実感が欠けたこれは勝ったイメージも負けたイメージもできているとはいえない……なにか間違えている? だがそれはなんだ?

 私達は必ず戦うしかない関係であるというのに。龍を討つものと龍の騎士が龍の儀式で会うとしたらそれはもう……そういくら思い込もうとしてもジーナの戦いのイメージにシオンは明瞭には現れなかった。

 これは戦うべきではない、という啓示であるのかとジーナは判断ができず頭を抱えた。

 こちらがどう思おうと戦うしかないというのに……私が使命を果たそうとするのなら彼女は使命に務めるまでのことであるのだから。

 だからジーナはイメージに再挑戦し自らの剣をシオンの身体を貫くことを思う浮かべる。

 その手応えに血潮を強く思えば思うほど、手応えはなくすり抜け見えずに消え、瞼を開くしかなくなった。

 こんなことで私は勝てるのだろうか?ジーナは顔をしかめながら外へと向かった。

 こういう顔をして道を歩いているのは自分ぐらいだろうとジーナは延々と続く祭りの日の雰囲気に包まれた街に目をやった。

 龍の儀式が始まる。この龍によって統治されている世界を完成させるために。

 それが戦争の終結の象徴であるように自分のみがこの雰囲気の中には入れない、入ることができないことに関してはジーナはいつもながら何も感じない。

 砂漠を越えた時からずっとここ東の地のいわゆる中央の世界に生きてきたが、こちらの色には染まらずにここまできた。

 ひとつの目的の為だけにこの世界にやってきた。命を賭けて戦い続けたのはそのためだけ。

 使命は一つの線によって自分を導いてきた。印は私を導いてきた。砂漠を越えさせ龍の護軍に合流させ私を支え救い続けて来てくれた。

 そのまま中央に進み一頭目の龍を討ち、もう一頭の龍を……真っ直ぐに道を歩いていたジーナが足を止め、心の中で呟いた。

 ヘイム……お前はなんだというのだ? 眼の前にも心の中にもヘイムは現れないというのに足が動かず、また思う。普段考えないようにしていることを。

 自分の使命にとってヘイムとはいったいなにであるのか? 呪龍と一つになることを受け入れその日が来るのを待っている女。

 ただそれだけの存在であるというのに私にとってお前はいったいに……なんだというのか?

 呪龍が私が討つものだとは知っていることからその対応は全て理解できる。

 だが彼女はそのことを知るはずもないのに、まるではじめから知っているような行動をとっていた気がするのはいったい?

 そうだとしたら……なぜ私に対して遠ざけ離れさせもせず近寄らせ離さないようにするのか?

 私が龍の力に感化されるとでも信じていた? そんなことは有り得ない。そんなことをする女ではない。では何故?

 今までの諸々はこれから自分諸共に討ちに来るものに対する態度ではないはずだ。

 ジーナは瞼を閉じ闇の中想像する。自分が龍と出会うその時を。右手には剣を持ち対峙するのは間違えようもなく、あの龍。

 姿形に何らかの変化があったとしても私なら決して見間違えはしない。あの時のように、一目で見抜く、印にはその力があるはずだ。

 イメージは鮮明に呪龍の姿を描いている。克明に、醜くもある意味で美しく……そうであるからこそジーナは分からざるを得ない。

 その欠けているものが何かを。思い描き見れば見るほど、思えば思うほどにジーナは自分の想像に困惑する。どうしてだ?

 どうしてヘイムは、どうしてお前がどこにもいないのだ? もしかしたらその存在はもう消えていっているのでは?

 この私が……この龍を最も信仰しておらずその支配から最も遠い存在である私でさえこうであるのなら。

 瞼を閉じても見えないのなら逆にすればと瞼を開くとジーナは陽の光に眩むと同時に反射的に右横を向く。よく知っている香りが鼻に入っていることに気付く。

 そっちには絶対にヘイムがいないというのに……そう、そっちはハイネの場所でありやはりそこにハイネがいた。

 目が合うとハイネは瞬きをしたのでジーナも瞬きをしたまま軽く閉じた。幻覚ではないかと、幻覚であって欲しかった。

 だけども再度瞼を開くとやはりハイネがいる。なんて一番嫌なタイミングだと、どうしてかわからないがジーナは真っ先にそう思った。

 その心を知ってか知らずかハイネはまだ口を開かない。タイミングが、おかしい。

 いやおかしいというのはタイミングだけではなくハイネに関する他諸々のあらゆる全てに関してそうなのだが、今日はいや今日もどこか不穏さをジーナはまず感じた。

 勘という長年の付き合いからくるものであるが他の誰が見てもそれはジーナの思い過ぎだと言うであろう。

 ハイネはいつもの見慣れた女官服ではなく中央における伝統的な礼服を身を纏い美しく着飾っていたのである。龍を出迎えるための衣装。

 そうであることから想像は容易いがハイネの表情は穏やかつ慈愛に満ち、道行く男どころか老若男女の全員の心を温かなものにするに足るほどであろう。

 もちろんこのハイネの姿形表情を警戒するものはこの世にいないはずであるのだが、ここに一人だけいた。

 ハイネ……お前はいったいどうしたんだとジーナはその微笑みを見つめた。

 お前は私にそんな綺麗な顔を向けるような女じゃないはずだ……なにを、企んでいる?

「あのジーナ、いいですか?」
「尾行か?」
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