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第3部 私達でなければならない

終戦の定義

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 シオンが苦しそうに言うとルーゲンはしきりに頷き龍身は笑みを浮かべた。

「僕たちは彼がそのことを知っているか知らないのかを知る術などありません。我々ですら知らないことを彼が知っているとは思えませんが、逆説的に我々が知らないからこそ、知っているとも言えます。彼は謎と矛盾の塊でありますしね。なんと言いましても彼は西方という謂わば前人未到の辺境から来たものであり、不可思議な知識を持っていると考えても、間違いはありませんでしょう」

 言葉を切るとルーゲンは龍身の方を向いた。この呼吸は何だろう、とシオンは首を捻る。次の言葉は何だ?

 それにしても……もう分からないことが多すぎるとシオンは龍身を眺めた。

 しかし何が分からないのかすらもう分からなくなりつつあるシオンはまた首を振るう。

 そんなことは考えるな。

「あれは西方から来た英雄であったがこの一件で龍の敵であることとなったからな。油断はできん」

 動揺が場の空気を震わせる。

 ジーナが明確に龍の敵として正式に認定されたがシオンはどうしてか驚きや衝撃を感じなかった。

 ハイネの方を見ると身体を強張らせ倒れないようにしているように見え、哀れさを感じた。

 だがシオンにはそれが理解できなかった。はじめから彼はそういう存在でありどうして皆は今更それに気が付いたかのように感じられ……

「おそらくは偽龍の血を大量に浴びてしまったことによる狂化であろうな。龍の儀式を邪魔にし台無しにしようとしておるのだろうが、そうはさせぬ。叛逆罪として……」

「お待ちください」

 シオンがそう言うと場のものたちは驚いた顔で視線を集中させる。

 当の本人であるシオンもまた驚く、私はいったいなにを言おうというのか?

 だが言葉は自然と口から出た。まるで以前から考えてきたかのように。

「叛逆罪と言われますが彼は現状では僧兵の拘束から逃げたというだけです。それは予防拘禁にすぎず失敗した。それだけであり、まだはっきり叛逆と決まったわけではありません。そうであるだめ叛逆罪認定は時期尚早であると思われます」

 皆が俯く中でハイネは怯えながらも目を輝かせながらシオンを見、その隣の龍身は唇を噛み睨みながら答えた。

「妾がそなたにこの件について事前に説明しなかったのは、それだ。そなたはあれを必ず庇うと思ってな。まさか無罪放免にしろと言うのではあるまいな?」

「私自身はルーゲン師やハイネのように彼の話を聞いていませんし、この件では蚊帳の外でしたからね。ですが私もジーナの逮捕には賛成です。ただし逃亡罪としてです。バルツ将軍もこの件に関してジーナを逃亡兵扱いとして調査し協力しております。そうであるのに叛逆罪といったあまりに大きな罪状をあげることは時期尚早であり、篤信家のバルツ将軍をいたずらに刺激することとなりましょう。逃亡兵として逮捕しそれから事情聴取、こうするべきかと思われます」

 思われます、と意見という形であるが龍身のとっては命令に等しい言葉であり言葉に窮しているとルーゲンが口を開いた。

「しかしシオン嬢。彼の言動は僕とハイネ嬢は確かに聞きました。彼は何としてでも龍に会いに行くと……この僕よりも先に、と。これは龍の儀式を考える上では非常に重大な宣言である上に、逃亡罪だけではこの対応だとしては大げさすぎるものとなります」

「彼の発言が事実だとしてもです。それを罪するというのはルーゲン師に対する叛逆とは言えますが、龍への叛逆とはなりません。師は未だ龍の婿の候補という存在なのであります。龍への初見を経てはじめてあなたは正式な龍の婿となられるのです。ここでルーゲン師への件を龍身様だけに適用される叛逆罪という罪状と混同としてはバルツ将軍の疑惑が深まるだけでしょう。バルツ将軍及び解放戦線とは龍を取り巻く君側の奸打倒を掲げ戦い続けた勢力であります。ソグ僧院が次なる君側の奸だと判断されるとしたらこれは政治的な失敗でありましょう。ここは叛逆罪認定なさらずとも逃亡罪及び召還拒否の罪で逮捕するのが最も妥当ではないかと思われます。大掛かりなのは彼のこれまでの戦いにおける活躍を知っているものからすれば妥当だとしかいえません。現にいまバルツ将軍や解放戦線のものたちの協力を全面的に得られておりますし、彼らだって一刻も早い解決を願っているでしょう。けれどもここでジーナを龍の敵認定してしまったら一大事です。必ず将軍は詳細な事情を聞いてくるでしょう。特にジーナを信頼し龍の護衛に強く任命したのは将軍であり、その責任の一端を取る他なくなります。引責辞任だとしたら後任はどうするのか? 解放戦線は彼の力によってまとまっている部分が多々あり、そこから解放戦線がどう動くか……それは未知数であります。そしていまは龍の儀式の真っ最中でありそのような余計な政治的混乱を引き起こすべきではありません」

 しかし良く回る舌だなとシオンは自分の言動の異常さに自分で首を傾げながら茶を一口呑んだ。

 動いているのは自分だけのように場のものたちは誰も口を開かずに待っている。

 ルーゲンも口をへの字にし腕組みしたまま動かない。

 ハイネも眉に皺を寄せ瞼を降ろしたまま、震えている。上座中央に座る龍身は俯き額を人差し指で叩いている。

 シオンはそれを眺めていた。はじめて見る長考姿だった。やがて龍身は顔をあげた。とても疲れたような表情であった。

「シオン、龍の騎士よ。ひとつ言っておくが妾は導師が最初に龍に会うものであることを望んでおる。あやつでは決してなくてな」

「はい、それはその通りでありますね。彼が龍の婿だなんて発想なんて私はケシ粒ほどにも考えたことはございません」

 龍身が苦笑いしシオンも一緒に笑った。そんな馬鹿な、とシオンは龍身の冗談に対してそう思った。

 有り得ない、と。例えば彼はハイネにちょっかいを出すように婦人に対して意外と軽薄な対応をする男ではあるものの、龍身に対してそんなことをする男だなんて……これもまた粉粒ほどにも想像ができず荒唐無稽さとその想像力に対して、笑った。

「まぁシオンの言う通りではあるな。妾の婿候補に無礼を働いたからといって龍への叛逆と騒いだら、みっともなかろうに、なぁ。妾の庇護欲というか依怙贔屓さはたしかに印象が悪かろうに。それに龍の婿も他の男達から嫉妬されているという状況ではあるからな。公正中立でなければならぬ妾がそのようなことをしては示しがつかぬ、ようはそういうこであるな。そういうことだ導師よ」

 はい、とルーゲンもまた平素の表情に戻り素直に頷いた。

「そなたも心配であろうが、なに安心せよ。龍の婿はそなたしかおらぬ。これはもうひっくり返りはせぬのだ」

「ありがとうございます。いえ、僕もこの件で少し気がかりであったもので。焦って軽薄なことを主張してしまいお恥ずかしい次第です。もしかしたら彼が……ということも考えてしまいまして」

「そんな不要な心配を……ジーナなんかにはルーゲン師の代理は務まりませんよ」

 シオンは心からそう言ったもののルーゲンは妙な眼でこちらを見たあとに安心と納得を訪れないのか曖昧な表情のまま首を振っていた。

 男には女には分からない心配があるのかなとシオンは理解できない故にそう結論付けた。

 女から見れば二人は比べものにならないというのに顔と頭と性格……私は虫は好かないが。

 ジーナはルーゲン師に何が勝てるのだろうか?

 筋肉かな? そうか如何にルーゲン師といえどもそこは男性社会的な価値観に毒されているのだなと笑いをかみ殺した。

「それでは逆に問うが、奴は何故に妾のもとへ会いに来るというのだ? しかも龍になった時を狙ってだ」

「……私には分かりません。そもそもな話、彼は昔から意味不明な男ですから何を考えているかを考えるのは、あまり賢明ではないかと」

「フフッ! あっ失礼」

 ハイネが声に出して笑うとルーゲンも笑い龍身もまた苦笑いするしかなかった。

「そなたは奴を高く評価しているのか馬鹿にしているのかたまに分からなくなるな」

「正しく評価しているつもりです。そういうことですから事の真相はこちらが推理するよりも、急いで捕まえて事情を聴く、これがなによりも手っ取り早く真実に到達できると考えます。ここではじめに戻りますが私達の為すべきことは無理に複雑化させることではなく、単純化です。逃亡兵のジーナを捕まえて龍の儀式を無事遂行させる、これ以外にございません」

 一同が頷くと龍身が立ち上がり言った。

「よろしい。では期待しておるぞ龍の騎士よ。そして皆のものよ、ある意味でこれはこの戦争における最後の戦いとなるであろう。龍の儀式、妾の龍化を邪魔しようとするものとの戦いだ。思えばこの度の戦争の目的とは妾が中央に帰還し龍となり、この天と地の間で崩れてしまっている秩序を再構築することにあった。そう定義すればこの戦争はまだ未完ということになろう。よってここでより具体的に終戦を定義する。それは妾が龍となり瞼を開くとそこに導師がおる、これを以って終戦とする」

 合図もないというのに全員が一斉に立ち上がった。龍の命令が発せられたということかとシオンは呆然としながらも龍身と目を合わせる。

「龍の騎士よ。祭壇に奴が入ろうとするのなら、斬れ」

「かしこまりました。もとより私の使命とはそのようなものであります」

「それでは皆のものよ。各々使命を果たし、完全なる終戦に到達し永久平和のための最後の努力を遂行せよ、以上だ」
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