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第3部 私達でなければならない

『出口を探すもの』

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 私はずっと出口を探していた。

 ジーナがずっと入り口を探して森をさまよっているように、私はそこから繋がる出口を探す。

 最も高く最も天に近いこの広場で。こんなに広いというのに辺りには誰もいない。

 昼までの儀式は終わり、残るは夕方から始まる龍の婿の儀式を残すのみ。

 これで何もかもが終わる恍惚感を漂わせる予感のなか、私は一人で出口を探している。

 みなは終わりのなかにいた。龍と融け合う心持の中にいるなか、私はジーナへと繋がる線を探し続ける。

 まだ終わらないとこの中央でそう考えているものが他にいるのだろうか?

 いるとしたらそれはジーナと私だけなのでは?

 彼はあの人を龍にさせないがためにここに来る、私はそのままあの人を龍にさせるがためにここにいる。

 繋がっているといえば私はあの人の名や顔を忘れていない。

 シオン様は徐々に、正確にはジーナがいなくなってからあの人の名を呼ばなくなり記憶も自然に失われていっている。

 私はそのことを一度も指摘はしなかった。する必要もないだろう。

 あのシオン様が呼ばなくなったのだから調べなくとも他のあらゆる人はヘイムという名も記憶も完全に失っているはずだ。

 けれども、私は、何故か全く以てあの人のことを忘れられない。忘れたふりをするぐらいに意識的だ。

 毎日龍身様と顔を合わせてお話をし衣服の着用のお手伝いしても、私はいつも思ってしまう。

 いまはあの人ではないのだなと。気になって仕方がない。だが、私にはすぐに分かる。

 龍身様であるかあの人であるかが。私を見る眼が、違うのだから。私だけを見る眼が、違う。

 けれどもそれは鏡の反射のようなもので私があの人を見る眼が違うからそう見えるのかもしれない。

 しかしそれは確かめようのないことであり分かることはジーナが去った以後、あの人は表には姿を現さなくなった。

 ここからその名と記憶は失われていくも、私が覚えているのは個人的な怨み故で?

 だったらジーナは……愛ゆえにとかいうのか? フフッ馬鹿馬鹿しい。

 愛という点ではシオン様のほうがずっと深くて長いものだったのに。

 そうであるのにシオン様はもうあの人の名も記憶も失われてしまっている。

 私がその名を呼べば瞬間的に思い出すけど、すぐに忘れてしまう。

 だから愛ではないのだこの現象は。では、私の感情に最も近い恨みというのものか?

 そうなるとジーナはヘイム様を憎んでいることになるが、なるほどっと私は奇妙ながらもなかなかに納得してしまう。

 というか彼は愛と憎しみの区別がどこかで着いていないのかもしれない。

 そもそもに愛も憎しみも強く思い過ぎることによって誕生してしまう感情であり、ある意味で双子といえるものであるのかも。

 愛憎入り混じったその強い感情、しかし私のとは違うもの。私のは愛が混じらないどす黒い濁りだ。

 だっていまも私はあの人に嫉妬をしている。ジーナに強く愛され深く憎まれているということに対して。

 情けない……私は姉様の言われる様に病気かもしれない。

 だいたい龍の御力よりも自分の怨念が勝りあの人の名と記憶を忘れないなんておかしい。

 不思議な話だ。私自身は龍身様への敬意は日に日に増しているというのに。

 あちらも私のことを心から信頼しているのだろう、会う度に温かい言葉を授けてくれる。

 これはあの人がいたころには考えられないことだ。あの人は私に対してはどこか冷たかった。

 それはジーナが来始めたころよりもずっと前から。素っ気ないものがあった。

 出会った頃から……きっとそういう宿命のもと出会ったのだろう。

 このまま龍身様として完全体となられたら何も問題はないこと。私は姉様と同じく帯刀が許された唯一ならぬ唯二の存在。

 このジーナの剣を重くても腰に下げられる特権を有し……あれ? 剣が光っている?

 ジーナの剣……とても古臭いものだ。ここ数年の代物ではなくかなりの年代物だと握るだけで分かる。彼の匂いすら漂ってくる。

 聞いた話によるとジーナはこの剣以外の武器を絶対に使わないとバルツ将軍も言っていた。

 あいつはその身体とその剣のみを持って西からやってきたと。以来、一度たりとも戦いに及んではその剣を手放したことはない。

 もしも混乱があり武器が紛れてしまっても、彼はすぐにその剣を見つけ出して拾い上げるとのことだ。

 そんな彼が私から逃れるために、私が前に立ちはだかったことでこの剣を捨てる……思い出すだけでそこに私は冷たい胸の奥に微かな火が宿るのを感じる。

 その剣が、光っている? 陽の光を反射しているのではなく自らが光を発している?

 だから私は周りに誰もいないことを確かめてから鞘から剣を抜くと、青光った輝きがそこにあった。

 微光ではあるものの夕暮れの色に反するような空色のようで……しかし、だからなんだというのか?

 青く光ることにどのような意味があり、自分に何を示してくれるのか?

 驚きから疑問に感情を移しながら剣を観察していると不図目の端に何かが引っ掛かった。

 痛みで熱くなる目でその方向に目をやると、敷き詰められた床石が剣と同じ青い微光によって仄かに輝き呼吸のように点滅している。

 近づくと光は強くはっきりとしたものとなり、上から覗いてみるとその光が透けて床石の先が見えた。

 階段が、ある。本来の昇り階段の下に重なるようにして並列された階段があり、常闇の地の果てへと向かっているようだ。

 そういうことだったのか……階段の下に階段を隠す。まるで意味がわからないその恐ろしく非合理的な神秘。

 もしかしてこれは自分の幻覚では? と恐る恐る剣の切っ先を青光りの方へと向け刺すと、剣は何の抵抗も衝撃もなくその先に入っていく。

 ということはこのまま光の中へと入れば階段を降りていくことができ、そしてその先は地下迷宮ということでは?

 それにしてもこれはいったいなんだというのだろう? 龍の力……そんなはずがないというのに私は最初にそう思った。

 だが、そう思う他がない。ここは龍の祭壇所で龍の意思によって作られしもの。

 その仕掛けもその場所も全て龍祖様が御設計なされた。

 そうであるのだからこれは龍の力によって導かれたものとしか思う他ない。

 関連性を考えれば……血か? 剣に着いたであろう偽龍の血によって?

 それはおかしいことだ。偽龍などの血でどうしてからくりが発動するというのか。

 龍身様の血であるというのなら理屈は通るというのに……まさかジーナが龍身様を斬っているとでもいうのか?

 馬鹿馬鹿しい妄想であるし、こんなことをいくら考えても自分ごときが分かり真理に到達することなどあろうはずもない。

 しかし今なぜ光ったのだ? 私はいままでずっと剣を腰に下げ続けていた

 ここにそんな仕掛けがあるのならいつも通る度に光っていたはずだ。当然こんなものは今はじめて見たものだ。

 状況で何かが変わったのだろう? 今夜が龍の儀式の最後を迎えるからか?

 そうであるかもしれない。でもそれだけでは足りないとも感じる。

 もう一つ、もしもあるとすれば……分かった。彼が入ったのだろう。

 ついに封禁の森から地下迷宮への入り口を見つけ出し扉を開き、入った。

 このタイミングで、儀式の最後の日に。いまがその時なのだろう。

 だから剣は青く光り教えてくれたのだ。私を導くために、そうであるのなら私はここに入らなければならない。

 そして私は、何をするのだろうか? 彼を止めるのだろう、言葉を用いて剣を用いて心を用いて……この身を、この心を捧げて、ここには来させない。あなたのその想いに対して私は挑み戦おう。

 私にはそれしかなく、そうする他に無いのだから。

 私の手で以てあなたはあの人のことを忘れ龍の世界のひとつとさせる。

 その代わり私が今のままあの人のことを忘れられない呪いを掛けられても構わない。

 私は耐えられるし、あなたがそれを忘れるというのなら私は何でもする。龍に反する呪身ともなろう。

 私が耐えられないことは、あなただけが世界で唯一それを覚えており、私が忘れるということ。

 私の知らない苦悩をあなたが背負うということは、ある意味であなたとあの人がひとつになるということ。

 それは私達が永遠に繋がれずひとつになれないということ。

 そんなのは私は認めない、だから阻止する。私達は龍から遠く遥か彼方へ行くのではなく、あの人から離れ果てへと行くのだ。

 ジーナ。私達はある意味でずっと戦い続けてきた。

 近づきつつある私をあなたはずっと拒絶し続けてきた。私達の間には一枚の壁のような膜でいまだ隔てられている。

 触れ合い互いの熱も鼓動も伝わり合えるというのに、中に入っては行けない。

 あなたのあの人への想いのせいで? いや、それだけではない。それだけではない。それが私にはまだわからない。

 でもそれを巡る戦いもこれで最後だ。

 全ての準備を整え、私はこの導きの光の中へと入っていく。このことは誰にも知らせない。

 誰にも邪魔されず私だけの手で解決し、この手で以て終わりへと導く。

 私にはその権利があり、私だけにその義務もまたある。

 与えられ背負った私の使命とはそれであり、全てを以て私はそれを引き受ける。

 龍の側近として試練を乗り越え彼とあの扉を開けた際に出会い、ここまで来た。

 彼を愛し、彼に愛され、その為に私は剣をこの手に取ることができた。

 光の中へ、行こう。彼とひとつになるために。
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