龍を討つもの、龍となるもの

かみやなおあき

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第3部 私達でなければならない

ここに刻んで

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 開かれたままであったハイネの掌が握り返したことが男の掌に伝わった。

 故郷の山から見たあの日の夕陽のような赤い輝きをした瞳がこちらを見つめている。

 そう、私は……俺はそこに戻る。

「俺は西の地からこの東の地に龍を討つもの……ジーナとしてここまでやってきた」

 血が流れる音が男の耳に、いや胸へと響く音を聞いた。これは知っている音だと男は思った。

 そのよく知る心臓の鼓動によって流れ込んでくる血の温かさも男には分かっていた。

 ハイネの血が自分の身体に入ってきていることを感じる。掌から、壁を皮膚を通過し音と熱を、その命を互いに交流しだしていると。

「俺達の一族は西の山にて龍を討つ使命を背負い続けてきた。記憶が失われるほどに長い間それを繰り返してきたが、ある日俺達は、いや俺は龍を討ち損ね龍を東に行かせてしまった……祭壇にいる龍こそがその龍にほかならない」

 ハイネの表情にはいかなる変化も生じてはいない。同じ皮膚の色にその瞳の色。けれども感じる鼓動と熱はより速く更に高まっていく。

「これはこの東の地の古い龍が東の地の新しい龍に敗れただけの話かもしれない。衰えた龍が滅ぼされた、だけ。だが正統性はどうだ、とかは俺の事情とは関係がないんだ。俺はただ龍を討つ使命を背負うがためにこの頬に印を刻みジーナという名を預かり……ここにやってきた。龍を討つためにだ」

 ハイネの鼓動が大きく一つ鳴り、熱が瞬間的に炎の如く燃え上がった。そうであるから男はハイネの手を離さずまた強く握った。

 だがもうそこにはハイネの手というものは感じられなくなっている。それどころか握り合っているのかさえ分からなくなっている。

 あるのはただ言葉と鼓動と熱だけ、死を滅する炎という名の命だけ。

「俺という存在はそれであり俺の使命とはそういうことなんだ。俺の命というのはそのためにあり……」

 お前が死ねばよかったんだ……男は隣から声を聞いた。そうだ、これは俺を追いかけて来る呪いだと男は横を見ずに耳を傾ける。

 呪身。お前は使命を果たせずに、死ぬ……そうだツィロお前は正しい。お前は正しく、見抜いている。

 お前は龍を討つものに祝福を授ける役目のものだ。それは同時に呪いをもかけるもの。

 その任に非ざるものは、呪われる……俺はあの時から呪われたまま。呪いは成就する、お前の祈りと共に……俺はあの日から今に到るまでずっとお前の言葉に逆らわず受け止めている。俺にはその名で以って龍を討つ資格は無いということを。

 お前は俺にそれを言う権利はある。あるんだツィロ。だから私は使命を成し遂げられないだろう……ひとりでは。

 頬の印に何かが触れてきた。ハイネの右手がそこにある。男には離れたという感覚は無かった。現にいま左手は何かを掴んでいる。

 俺は何かを確かに掴みそれとひとつになっている。鼓動も熱も掌の中にある。俺は何も手離していないと。

「泣かないで」

 ハイネの言葉に男は自分が泣いていることが分かり、その指先が涙を拭った。

「でもどうして片方の眼からしか涙が出てこないのです?」

 そうだろう、と男はすぐにその言葉と現象を理解した。それが当然なのだと。

 いまの自分はふたつになり出している……いや、もともとはそうだったのだ。それを意識していなかっただけであり……

「それは俺が泣いているからだ」

「ジーナは泣いていないということ、ですよね」

「そうだ」

 答えるとハイネの表情は悲しみに覆われ男の胸に痛みが走るなか、その指を見ていた。

 頬から手が離れ涙で濡れた指先が眼の前で空を舞い、その指先はハイネ自らの唇に触れ舐める。

「血です」

 ハイネは男を見ながら言う。

「涙ではなくやっぱり血です。血の味がします。そしてこれを……」

 今度はその指先をハイネは男の唇に当てた。男が舌先で触れると確かに血とハイネの味がした。

「そうです。あなたの血の味がします私はこの味を知っています。あなたの唇から知り、涙からも知った。いま身体の中に湧き上っているこれもそれです。分かりますか? いま、私の身体の中にはあなたが染み入ってきています。手から唇から、言葉からです」

 ハイネの指先が唇から離れると男は口を開く。

「俺もだ。俺も……お前の……」

 熱と鼓動が入り血が交わっている……全て言わなくてもハイネには伝わっているとその眼を見て男は感じた。

 受け入れているのなら。それならば、だが……見つめるハイネの首が小さく振られた。何に対して、と男は思う。思うとまた首を振る。

 熱と鼓動がまた上がり速まる。何を伝えてきているのか? そうではないということか?

 言葉は来ないが鼓動と熱が教えてくれている。まだ、足りないと。ハイネに対して名と使命を伝えたことだけでは、足りない。

 それは分かっている……分かっていた。だが、とまた思うとハイネは首を振った。それは合図であり同意であり、ただの確認であった。

「俺はお前に呪いをかける」

 男は言った。

「かけて……」

 とハイネは言うが、笑った

「いいえそうじゃなですよ。呪いだなんて、何をいまさら、です。もう、かかっていますよ。ずっとずっと私は呪われている。あなたによってね。ほらまた泣いている。それは私を苦しめて傷つけているから泣いているということですか? 悪いと思っている。すまないと思っている。負担をかけていると思っている。そう勝手に思っている」

 静かな口調と共にハイネの手は男の頬に触れ、突然怒りが男に伝わってきた。

「自分勝手すぎますよね。そうやって自責の念に駆られて一人で泣くとか、とことん自分のことしか考えていない。でもそれはあなたらしい、実にあなたらしい。あなたってずっとそう。大事なことを隠して勝手に傷ついて一人で勝手になにかをやろうとし、死ぬのも一人でしようとする。ありえないぐらいに私を馬鹿にしていますよね。ずっと、ずっと信用していない、していなかった……」

 ハイネの左手が男の右頬に触れてきた。男はそれも自分の掌からは何も離れていないという感覚を得ていた。

 私は、何かを掴んだままでいると。

「それを私は望んではいないし、そんなの優しさじゃない。もしもそれを優しさというのなら私はいらない。この手で剥ぎ取って床に叩き付けて踏んで蹴飛ばすだけ」

 息荒くハイネが求めその鼓動と熱はとめどなく流れ高まるが、すぐに緩やかに静かに微笑みが現れた。

「……ほらいつものようにして。私だけが、耐えられるから。血が必要であるのなら痛みが必要であるのなら苦しみが必要であるのなら、私に下さい。あなたがいつもしてきたように、私にいつもし続けたように……私だって……」

 ハイネの掌が震え、それから涙が落ちた。まるで自分の涙がハイネに移りその瞳から落ちたように。もうどちらのものかわからない。

「あなたを痛めつけ苦しませ悲しませ泣かせてきたのだから……だから、だから最後までそれを」

 男は自分の掌がハイネの頬に触れ涙を拭っているのを、見た。この掌はいったい何と繋がっている?

 指先に触れる涙の温度は自分のと同じであると男は感じた。そうであると男は思った。

 舐めたなら血の味がするだろう……自分はどこまでもハイネを傷つける……生きている限りずっと……男はハイネの眼をまた見る。何度も見たその瞳。幾度もなく覚えた胸の底に起こる痛み。

 その感情についての名前を自分は知らないと男はまた思った。ハイネがいるからこそ起こるこの痛みもまた傷なのだろう。

 血が湧き出すように身体が熱くなる。共にいることによる安らぎなど、ない。死ぬまでないのなら、そう……

「最後まで行こうハイネ」

 ハイネは頷いた。男は口の中が血の味で溢れているのを覚えながら、言った。

「印を。俺の頬の痕、この印をお前に刻む」

 ハイネはさっきと同じように頷く。

「俺は帰れないだろう。だが印は返さなければならない。だからハイネ。俺の村まで印を届けてくれ。村にはツィロがいる……以前に話した俺の幼馴染であり村長だ。あいつに、返してくれ。行先や道は印が導いてくれるはずだ。俺もそうやってここまで来た……頼む」

 男が言い終わるとハイネの涙はもう乾いていた。そしてハイネは男の手を取るとその手を左頬へと導いた。

「ならここに印を刻んで。あなたと同じ位置で、同じものを」

 男の手は震えるも、ハイネは強く握ってきた。捕え逃がさないように、爪を立て。

「やめてくださいよ。お前は女だ、女の顔にそんなことを……とか言うのは。こんな皮膚の上につく痕ぐらい、なんです。目に見えるものがなんです。私の肌の皮膚の下にはですね」

 ハイネは微笑むが男はそこに歪みと恍惚さを感じ取り、息が止まる。

「無数の数え切れないほどの傷痕があるのですよ。どれもあなたに付けられたものばかり。皮膚を剥がしてあなたに見せてあげたい、ひとつひとつの痕がどれであったのかをあなたに教えてあげたい。私は全部、覚えていますからね。たとえあなたが忘れたとしても私は忘れていませんから。もしも心が取り出せるものなら、この手の上に乗せてあなたに見せてあげたい。傷痕だらけの見るも無惨な心を……どれもあなたに見せることができないのが、残念です。だから……だからこそここに、刻んで」
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