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第3部 私達でなければならない
既に死んでいる
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ルーゲンの言葉にシオンは……どうしてか驚きを覚えなかった。
ジーナとは龍を討つものでありそのために西の地からやってきた……そんなことはずっと前から知っているように、知り過ぎているから逆に考えないぐらいに。
だからシオンは少し考えることにした。このルーゲンが自分の闇を話しているように、この見ようとはしなかった闇に対して。
ジーナは、龍を討つために来た……それはルーゲンの言うようにそのような存在なのか?
それだけの……私はそんな彼を知らない。それは、きっとヘイムも同じことだろう。
ヘイム、とシオンは思い出す。ヘイムのその隣にいるものを。それはジーナであり、ルーゲンの姿は思い浮かばない。
ルーゲンのは何度も見てきたのに、ジーナのは自分がいない時なのでそれを見る機会は極めて少なかったというのに……ヘイムとジーナは、とシオンは思う。考えるのでは無く、思う。二人の姿を脳裏に甦らせると闇が裂けだし光が入って来た。
眩しいほどの光の強さにシオンの瞼は逆に開き出した。夜を闇で以て光を抑えなくてはならないと。
混じり合う光と闇にシオンは、やっと気づいた。ハイネに言われ続けてきた言葉の意味が、やっと分かった。
それは封印されていたように、気づいてはならないことのように、そうであるから自分は……言わなければならない。
「……ジーナはヘイムの為に戦っていたからではありませんか?」
シオンは瞼を開く。光も闇も消え、あるのは月明かりの下で戸惑い怯えるルーゲンの顔がそこにあった。
この男はその名を聞くと決まってこんな顔をする、とシオンは再び怒りの火を胸の奥に感じ出した。
あなたはそんな顔を普段ならいかなる時でもしないというのに、この時だけそういう表情となるのは、どうして?
その名を聞くのがそんなにおぞましいなにかであるのか?
ジーナは、とシオンは連鎖的にあの男とこのことを繋げる。ヘイムと聞くとこんな表情にならない。
思い出してみれば彼は初めからヘイムと呼び龍身とは決して呼ばなかった……それはまるでルーゲンと対照的で。
「ヘイムという名前を聞くのがそれほどまでに、苦痛なのですか?」
シオンの問いにルーゲンは固くなったまま息を呑んだ。恐怖がそこにある。
「なにが、怖いのです? 彼女の名のどこに怖がるようなものがあるというのですか?」
「……もうすっかり、忘れていたと思っていたのに。こっちは思い出すのにすら苦労するというのに」
そうだ忘れていた、と震える声で言うルーゲンの言葉に頷きながら心中にて答えた。
私は忘れていた。だがジーナと会話をしたことで、思い出した。そうだ思い出した。彼は絶対に忘れない。
それの名を……どうしてそこまで信用できるのか分からないが、それは彼がはじめからそう呼び続けたことであって……
「旧い龍が打倒された後に再会した際、あなたはすっかり変わっていました。ようやく変わったのです。しっかりと龍身様と呼び名を正しく言い、最近では完全にそうなっていたというのに……龍身様もお喜びであったのに、どうしてです?」
「では……あなたはいつからですか? ヘイムの名を忘れだしたのは」
いつからこいつはヘイムのことを龍身と呼び出した……いいやそれは考えるまでもない。
「はじめからですよね? ヘイムと龍身様がひとつになりだした頃から、それからずっと、それ」
返事を待たずにシオンはルーゲンの答えを先に言った。そのルーゲンの表情は引きつったまま……お願いだから、お願いだから
「お願いですからルーゲン師。ヘイムの名を出すとそんな反応をなさらないでください。彼女は生きているのですよ」
「いいやシオン嬢。その名のものはとっくのとうに亡くなっている」
ルーゲンの言葉にシオンは足元がなくなる感覚に陥った。身体が、意識が落ちていく、暗く冷たい穴の中に。
「その名のものはもう死んでいるのです。だからあなたがそのように言われると僕は困惑してしまうのです」
反論を……とシオンは言葉を探すも、手にはなにも掴めない。ヘイムは生きているという証拠を手にして示さなければならない。
この男は間違えている。断じてそれは違う。現にヘイムは生きており毎日ずっと会話し続けているじゃないか。
勝手に殺すな……勝手に死んだことにするな、勝手に生きるのをやめにするな……だがシオンの手はなにも掴めず口からは何の言葉も、出ない。
「龍身様となられてからは、もう元のそれはこの世に存在していないのです。その名のものは、もう、死んでいる」
違う! とシオンは叫ぼうとするも、声が出ない。懸命に声を出そうとするも喉に何かが引っ掛かり、その言葉を止めている。
「あなたがいつも龍身様に対して呼びかけるその名を覚えているものはあなたにハイネ嬢、ジーナ。この三人です。あなた以外の二人は、あなたがそう呼ぶからその呼び名に付き合っている……そういうことですよシオン嬢」
そんなことはない……とシオンは言葉が出ない。どうして出ない? あんなにもヘイムは生きていて自分と話をしていたというのに……今日だってそう。私がヘイムと呼びかけるとちゃんと反応し会話が出来た。そうだというのに、何故生きていることに疑惑を覚える?
「納得できないでしょうが、そうなのですよ。現にシオン嬢。あなたは外での会話の際は龍身様ときちんと呼んでいるではありませんか。あの名を用いるのは私的な空間の限ってのことですよ。僕はあなたのことですから、そこには触れずに来ました。あなたとあの娘の関係は何よりも長かったのですからね。それでもあなたは徐々に現実を受け入れてきたのか少しずつ私的な空間でもそう呼ばなくなり、この龍の儀式が開始されてからは、もう一つの呼び名で統一されていました。僕は安心しましたよ。ようやくあなたが現実を受け入れたのだと。しかし疲れからかここにきてそうなられてしまうとは……どうか落ち着いてください。その名のあの娘は残念ながら旅先でもう既に……」
死んでいない、とシオンは言おうとするが駄目だった。まるでその言葉を肯定するように無言のままルーゲンの宣告が耳に入って来る。
ヘイムは、死んだ? いつどこで? この私が知らないはずがない。いつも一番傍にいるこの自分がそのことに気付かないはずがない。
この男は嘘を吐いている。そうやって私にヘイムが死んだと思わせようとしている……だが、それは何のために?
「お分かりになられたくないのなら、もう一度お話しましょう。それがこと切れる間際に奇跡が起こったのです。龍身様とひとつとなり命を繋ぎ止めたと。その時から既にそれは緩慢な死が始まったのです。時を刻むようにして龍と一体化していくために。我々はそれの死と龍の復活を同時に祈り待ち続けているのですよ。この儀式がそれなのです」
何を言っているのかこの男は……龍の儀式は……龍の儀式とは龍の復活を待つ儀式でありそれは……
「微かに残っているそれがついに龍と合わさり完全なるものとなるわけです。もうそのクライマックスが終わりを迎えようとしている」
なんだそれは私は知らない……私はそんなことに同意したことなど一度だってない。
あるのは、私にあるのはあのソグへの撤退する際の決意と誓い……
「そうだというの……」
「シオン嬢!」
小言に対しルーゲンの声が大きくなったのをシオンは我に返り見上げる。怒りを含んだ眼差しに哀しい表情がそこにあり、その雌雄眼はさらに歪んで見えた。
「あなたはいつまでもそこにいようとしている! どうして? 何故今更になってそのような態度をとられる? あなたは龍の騎士となのですよ? 龍の騎士シオン! あなたは龍の騎士だ龍の騎士としての本分を全うすべき、そうではないのか?」
心臓を強く打たれたような衝撃によってシオンはよろめいた。そうだ私は龍の騎士だと。
ヘイムが龍身となった時から自分が龍の騎士となるのは必然的なことであった。ヘイムは龍の末席ながら皇位継承権を保持するもの。
この自分は龍の騎士の継承権が次席のもの。ヘイムが龍となるのならこちらはその騎士となる。
一点の疑問もなく、そうである。これについてはどこからも反対も反論もなく議論されたという形跡すらなかった。
私はそれを当然受け止めた、とシオンは今まで思い出さなかったことを思い出した。
望みながらもそれになれず思いがけずヘイムが龍身となったからこそ自分はそれになれたという経緯……これは祝福すべきことであったのだとシオンは自分への祝言の再生させ、すぐに目的のそれが出てきた。
ヘイムの喜ぶ顔がそこに、そう彼女は知っていた。私がそれになりたがっていたことを……一方で私は聞いたことが無かった。
彼女が龍になりたい等とは。一度たりともその口から聞いたことなどなかった。
「シオン嬢! あなたはここまで完璧に龍の騎士としての役割を務められてきたのですよ。ソグへの撤退作戦、あなたは自身のあの長髪を切り落とすという決心から龍の騎士としてのあなたが始まったわけです」
それは違う……私が髪を切ったのは……とシオンはその日の闇を再生させる。
髪を切ったあとにその姿を真っ先に見せたかったのはまだ病に臥せるヘイムにではなく、母だった。
そう私の母……とシオンは久しぶりにそれを思い出した。封印し続けた、その記憶。闇に塗れ靄が掛かったまま。
母は、私の姿を見て何も聞かずに一言だけ告げた。
「シオン。ヘイムの後見人をあなたに譲ります」
準備はすべて整っていた。脱出用の馬車に裏道のルート。中央で龍による上からのクーデタが起こったことを聞いた母は事態を全て察知し行動を開始していた。
「中央の龍はヘイムの命を狙っています。シオン、馬車に乗れるだけのものを連れて準備が済み次第、ここからソグへ向かいなさい」
母は砦にあった鎧を着、剣を帯びながらそれだけを言った。馬車には限界ギリギリの人数を、私をヘイムにハイネそれと途中で亡くなった二人の女官を乗せ、出発した。
砦にはその後中央からの軍隊がやってきて母と残存のわずかな兵士による抵抗が行われ、やがて陥落した。
母は死に、そして私は残った。その後見人という立場の継承して……私の身には二つの使命がある。ヘイムの後見人と龍の騎士との。
その二つは今までずっと両立できていた。できていると思っていた。なぜならヘイムは、生きている。
その身体にはふたつの存在がある。ヘイムと龍のその二つ。私は同時に二つを護ればよかった。
何も難しいこともなくそのふたつもまた相互に矛盾し合う関係ではないのだから……だが、もしも矛盾が発生した場合は、そうなった場合に私は……ここなのだ、ここがその時なのだ。
「……私は龍の騎士」
シオンが虚ろに呟くとルーゲンは喜色を混ぜた声で答える。
「そうですあなたは龍の騎士なのです。あなたには大切な使命があります。龍の儀式を阻止しにやってくるジーナを、龍を討つものと対峙しこれを倒すという聖なる使命が待っているのです」
ジーナはもう来た、とシオンはさっきのことだというのにもうおぼろげな記憶を引っ張り出す。
自分は龍の騎士としてこの広場で待っていた、その存在を、ジーナを、龍を討つものを……それが来た。だから私は自動的に剣に手を掛け、前へと進んだ。
それは無防備であった。あの時と同じく構えなどせずにこちらに向かってくる。
戦う意思を見せず歩いてくる。近づくにつれて私は確信めいたものを抱きつつあった。
これは、私と戦えないのではないか? 龍を討つものはどうしてか龍の騎士と戦うことができない……そうであるからいまそれからは殺気も闘志もまるで感じることができない。
最強の戦士であるのに、龍の騎士の前では木偶の棒も同然に……だから私は意識的に歩を速めた。
迷いが生じる前に何かが起こる前に、あの時のように止める命令が届く前に。
それさえ倒してしまえば……私にはなんの憂いもなくなる。いまの自分は龍の騎士である。
それ以外の行動や思考ができないほどに今は使命によって魂まで支配されている。
……これでいい、これでいい、と間合いに入った龍の騎士は抜刀し瞬間的に一切の躊躇なく突きに入り貫いた、と思った時に……声が来た。
私に対する問い掛けが、すると魔法が解けたかのようにして私は……私は……どうして止まった?
ヘイムの声があったからか? でもその前には龍身の言葉もあった。
私が選ぶのは……いいや選んだのは……
「龍を討つものが来る前に私は龍の祭壇にと入ります。良いですか龍の騎士シオンよ。混乱せずに己の本分を取り戻し、待ち構えるのです。恐ろしい強敵でしょうが、御安心を。龍を討つものは、龍の騎士には勝てません。どうしても、です。それはあなたたち二人の関係を見ても分かりますし、彼には本領を発揮するであろう剣もありません。彼の剣は恐らく、自らの使命を果たす為の力を宿したものでしょう。それがなければ万にひとつもあなたが負ける要素がないのです」
シオンが頷くとルーゲンは息を吐いた。シオンは嗅いだ。冷たい血の臭いがした。生臭さすらない、熱のない、死を思わせる臭い。
シオンもまた自分の息を掌に集めて嗅いだ。同じく血の臭いがした。だがそれには熱があり死を感じられなかった。
だからシオンはルーゲンを見上げながら微笑んだ。今日この場ではじめて笑った。ルーゲンも答えるように固い笑みを返した。
あなたはヘイムを死んだと言っているが、あなたこそ……
「ええ、大丈夫ですよルーゲン師。私は、あなたが思っているよりも、混乱はしていませんから」
「そうですか……良かった。ならこの先を行かせてください。もうそろそろ行かなくては」
脇をすり抜けようとするルーゲンをシオンは手を挙げて制す。
「いいえ行く必要はありません。ついさっきジーナが祭壇所に入ったところですので」
ジーナとは龍を討つものでありそのために西の地からやってきた……そんなことはずっと前から知っているように、知り過ぎているから逆に考えないぐらいに。
だからシオンは少し考えることにした。このルーゲンが自分の闇を話しているように、この見ようとはしなかった闇に対して。
ジーナは、龍を討つために来た……それはルーゲンの言うようにそのような存在なのか?
それだけの……私はそんな彼を知らない。それは、きっとヘイムも同じことだろう。
ヘイム、とシオンは思い出す。ヘイムのその隣にいるものを。それはジーナであり、ルーゲンの姿は思い浮かばない。
ルーゲンのは何度も見てきたのに、ジーナのは自分がいない時なのでそれを見る機会は極めて少なかったというのに……ヘイムとジーナは、とシオンは思う。考えるのでは無く、思う。二人の姿を脳裏に甦らせると闇が裂けだし光が入って来た。
眩しいほどの光の強さにシオンの瞼は逆に開き出した。夜を闇で以て光を抑えなくてはならないと。
混じり合う光と闇にシオンは、やっと気づいた。ハイネに言われ続けてきた言葉の意味が、やっと分かった。
それは封印されていたように、気づいてはならないことのように、そうであるから自分は……言わなければならない。
「……ジーナはヘイムの為に戦っていたからではありませんか?」
シオンは瞼を開く。光も闇も消え、あるのは月明かりの下で戸惑い怯えるルーゲンの顔がそこにあった。
この男はその名を聞くと決まってこんな顔をする、とシオンは再び怒りの火を胸の奥に感じ出した。
あなたはそんな顔を普段ならいかなる時でもしないというのに、この時だけそういう表情となるのは、どうして?
その名を聞くのがそんなにおぞましいなにかであるのか?
ジーナは、とシオンは連鎖的にあの男とこのことを繋げる。ヘイムと聞くとこんな表情にならない。
思い出してみれば彼は初めからヘイムと呼び龍身とは決して呼ばなかった……それはまるでルーゲンと対照的で。
「ヘイムという名前を聞くのがそれほどまでに、苦痛なのですか?」
シオンの問いにルーゲンは固くなったまま息を呑んだ。恐怖がそこにある。
「なにが、怖いのです? 彼女の名のどこに怖がるようなものがあるというのですか?」
「……もうすっかり、忘れていたと思っていたのに。こっちは思い出すのにすら苦労するというのに」
そうだ忘れていた、と震える声で言うルーゲンの言葉に頷きながら心中にて答えた。
私は忘れていた。だがジーナと会話をしたことで、思い出した。そうだ思い出した。彼は絶対に忘れない。
それの名を……どうしてそこまで信用できるのか分からないが、それは彼がはじめからそう呼び続けたことであって……
「旧い龍が打倒された後に再会した際、あなたはすっかり変わっていました。ようやく変わったのです。しっかりと龍身様と呼び名を正しく言い、最近では完全にそうなっていたというのに……龍身様もお喜びであったのに、どうしてです?」
「では……あなたはいつからですか? ヘイムの名を忘れだしたのは」
いつからこいつはヘイムのことを龍身と呼び出した……いいやそれは考えるまでもない。
「はじめからですよね? ヘイムと龍身様がひとつになりだした頃から、それからずっと、それ」
返事を待たずにシオンはルーゲンの答えを先に言った。そのルーゲンの表情は引きつったまま……お願いだから、お願いだから
「お願いですからルーゲン師。ヘイムの名を出すとそんな反応をなさらないでください。彼女は生きているのですよ」
「いいやシオン嬢。その名のものはとっくのとうに亡くなっている」
ルーゲンの言葉にシオンは足元がなくなる感覚に陥った。身体が、意識が落ちていく、暗く冷たい穴の中に。
「その名のものはもう死んでいるのです。だからあなたがそのように言われると僕は困惑してしまうのです」
反論を……とシオンは言葉を探すも、手にはなにも掴めない。ヘイムは生きているという証拠を手にして示さなければならない。
この男は間違えている。断じてそれは違う。現にヘイムは生きており毎日ずっと会話し続けているじゃないか。
勝手に殺すな……勝手に死んだことにするな、勝手に生きるのをやめにするな……だがシオンの手はなにも掴めず口からは何の言葉も、出ない。
「龍身様となられてからは、もう元のそれはこの世に存在していないのです。その名のものは、もう、死んでいる」
違う! とシオンは叫ぼうとするも、声が出ない。懸命に声を出そうとするも喉に何かが引っ掛かり、その言葉を止めている。
「あなたがいつも龍身様に対して呼びかけるその名を覚えているものはあなたにハイネ嬢、ジーナ。この三人です。あなた以外の二人は、あなたがそう呼ぶからその呼び名に付き合っている……そういうことですよシオン嬢」
そんなことはない……とシオンは言葉が出ない。どうして出ない? あんなにもヘイムは生きていて自分と話をしていたというのに……今日だってそう。私がヘイムと呼びかけるとちゃんと反応し会話が出来た。そうだというのに、何故生きていることに疑惑を覚える?
「納得できないでしょうが、そうなのですよ。現にシオン嬢。あなたは外での会話の際は龍身様ときちんと呼んでいるではありませんか。あの名を用いるのは私的な空間の限ってのことですよ。僕はあなたのことですから、そこには触れずに来ました。あなたとあの娘の関係は何よりも長かったのですからね。それでもあなたは徐々に現実を受け入れてきたのか少しずつ私的な空間でもそう呼ばなくなり、この龍の儀式が開始されてからは、もう一つの呼び名で統一されていました。僕は安心しましたよ。ようやくあなたが現実を受け入れたのだと。しかし疲れからかここにきてそうなられてしまうとは……どうか落ち着いてください。その名のあの娘は残念ながら旅先でもう既に……」
死んでいない、とシオンは言おうとするが駄目だった。まるでその言葉を肯定するように無言のままルーゲンの宣告が耳に入って来る。
ヘイムは、死んだ? いつどこで? この私が知らないはずがない。いつも一番傍にいるこの自分がそのことに気付かないはずがない。
この男は嘘を吐いている。そうやって私にヘイムが死んだと思わせようとしている……だが、それは何のために?
「お分かりになられたくないのなら、もう一度お話しましょう。それがこと切れる間際に奇跡が起こったのです。龍身様とひとつとなり命を繋ぎ止めたと。その時から既にそれは緩慢な死が始まったのです。時を刻むようにして龍と一体化していくために。我々はそれの死と龍の復活を同時に祈り待ち続けているのですよ。この儀式がそれなのです」
何を言っているのかこの男は……龍の儀式は……龍の儀式とは龍の復活を待つ儀式でありそれは……
「微かに残っているそれがついに龍と合わさり完全なるものとなるわけです。もうそのクライマックスが終わりを迎えようとしている」
なんだそれは私は知らない……私はそんなことに同意したことなど一度だってない。
あるのは、私にあるのはあのソグへの撤退する際の決意と誓い……
「そうだというの……」
「シオン嬢!」
小言に対しルーゲンの声が大きくなったのをシオンは我に返り見上げる。怒りを含んだ眼差しに哀しい表情がそこにあり、その雌雄眼はさらに歪んで見えた。
「あなたはいつまでもそこにいようとしている! どうして? 何故今更になってそのような態度をとられる? あなたは龍の騎士となのですよ? 龍の騎士シオン! あなたは龍の騎士だ龍の騎士としての本分を全うすべき、そうではないのか?」
心臓を強く打たれたような衝撃によってシオンはよろめいた。そうだ私は龍の騎士だと。
ヘイムが龍身となった時から自分が龍の騎士となるのは必然的なことであった。ヘイムは龍の末席ながら皇位継承権を保持するもの。
この自分は龍の騎士の継承権が次席のもの。ヘイムが龍となるのならこちらはその騎士となる。
一点の疑問もなく、そうである。これについてはどこからも反対も反論もなく議論されたという形跡すらなかった。
私はそれを当然受け止めた、とシオンは今まで思い出さなかったことを思い出した。
望みながらもそれになれず思いがけずヘイムが龍身となったからこそ自分はそれになれたという経緯……これは祝福すべきことであったのだとシオンは自分への祝言の再生させ、すぐに目的のそれが出てきた。
ヘイムの喜ぶ顔がそこに、そう彼女は知っていた。私がそれになりたがっていたことを……一方で私は聞いたことが無かった。
彼女が龍になりたい等とは。一度たりともその口から聞いたことなどなかった。
「シオン嬢! あなたはここまで完璧に龍の騎士としての役割を務められてきたのですよ。ソグへの撤退作戦、あなたは自身のあの長髪を切り落とすという決心から龍の騎士としてのあなたが始まったわけです」
それは違う……私が髪を切ったのは……とシオンはその日の闇を再生させる。
髪を切ったあとにその姿を真っ先に見せたかったのはまだ病に臥せるヘイムにではなく、母だった。
そう私の母……とシオンは久しぶりにそれを思い出した。封印し続けた、その記憶。闇に塗れ靄が掛かったまま。
母は、私の姿を見て何も聞かずに一言だけ告げた。
「シオン。ヘイムの後見人をあなたに譲ります」
準備はすべて整っていた。脱出用の馬車に裏道のルート。中央で龍による上からのクーデタが起こったことを聞いた母は事態を全て察知し行動を開始していた。
「中央の龍はヘイムの命を狙っています。シオン、馬車に乗れるだけのものを連れて準備が済み次第、ここからソグへ向かいなさい」
母は砦にあった鎧を着、剣を帯びながらそれだけを言った。馬車には限界ギリギリの人数を、私をヘイムにハイネそれと途中で亡くなった二人の女官を乗せ、出発した。
砦にはその後中央からの軍隊がやってきて母と残存のわずかな兵士による抵抗が行われ、やがて陥落した。
母は死に、そして私は残った。その後見人という立場の継承して……私の身には二つの使命がある。ヘイムの後見人と龍の騎士との。
その二つは今までずっと両立できていた。できていると思っていた。なぜならヘイムは、生きている。
その身体にはふたつの存在がある。ヘイムと龍のその二つ。私は同時に二つを護ればよかった。
何も難しいこともなくそのふたつもまた相互に矛盾し合う関係ではないのだから……だが、もしも矛盾が発生した場合は、そうなった場合に私は……ここなのだ、ここがその時なのだ。
「……私は龍の騎士」
シオンが虚ろに呟くとルーゲンは喜色を混ぜた声で答える。
「そうですあなたは龍の騎士なのです。あなたには大切な使命があります。龍の儀式を阻止しにやってくるジーナを、龍を討つものと対峙しこれを倒すという聖なる使命が待っているのです」
ジーナはもう来た、とシオンはさっきのことだというのにもうおぼろげな記憶を引っ張り出す。
自分は龍の騎士としてこの広場で待っていた、その存在を、ジーナを、龍を討つものを……それが来た。だから私は自動的に剣に手を掛け、前へと進んだ。
それは無防備であった。あの時と同じく構えなどせずにこちらに向かってくる。
戦う意思を見せず歩いてくる。近づくにつれて私は確信めいたものを抱きつつあった。
これは、私と戦えないのではないか? 龍を討つものはどうしてか龍の騎士と戦うことができない……そうであるからいまそれからは殺気も闘志もまるで感じることができない。
最強の戦士であるのに、龍の騎士の前では木偶の棒も同然に……だから私は意識的に歩を速めた。
迷いが生じる前に何かが起こる前に、あの時のように止める命令が届く前に。
それさえ倒してしまえば……私にはなんの憂いもなくなる。いまの自分は龍の騎士である。
それ以外の行動や思考ができないほどに今は使命によって魂まで支配されている。
……これでいい、これでいい、と間合いに入った龍の騎士は抜刀し瞬間的に一切の躊躇なく突きに入り貫いた、と思った時に……声が来た。
私に対する問い掛けが、すると魔法が解けたかのようにして私は……私は……どうして止まった?
ヘイムの声があったからか? でもその前には龍身の言葉もあった。
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「龍を討つものが来る前に私は龍の祭壇にと入ります。良いですか龍の騎士シオンよ。混乱せずに己の本分を取り戻し、待ち構えるのです。恐ろしい強敵でしょうが、御安心を。龍を討つものは、龍の騎士には勝てません。どうしても、です。それはあなたたち二人の関係を見ても分かりますし、彼には本領を発揮するであろう剣もありません。彼の剣は恐らく、自らの使命を果たす為の力を宿したものでしょう。それがなければ万にひとつもあなたが負ける要素がないのです」
シオンが頷くとルーゲンは息を吐いた。シオンは嗅いだ。冷たい血の臭いがした。生臭さすらない、熱のない、死を思わせる臭い。
シオンもまた自分の息を掌に集めて嗅いだ。同じく血の臭いがした。だがそれには熱があり死を感じられなかった。
だからシオンはルーゲンを見上げながら微笑んだ。今日この場ではじめて笑った。ルーゲンも答えるように固い笑みを返した。
あなたはヘイムを死んだと言っているが、あなたこそ……
「ええ、大丈夫ですよルーゲン師。私は、あなたが思っているよりも、混乱はしていませんから」
「そうですか……良かった。ならこの先を行かせてください。もうそろそろ行かなくては」
脇をすり抜けようとするルーゲンをシオンは手を挙げて制す。
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