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第3部 私達でなければならない
呪僧ルーゲン
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ジーナが扉を開け祭壇所に入ったのをシオンは確認し、階段の方へと目を向ける。
音が聞こえる誰かが階段を登ってきている。遂にその時刻が訪れたのだとシオンは思う。
今日ここに来るのは一人しかいなかった。正確には二人であったが一人はもう昇りきり中に入った。
その遅れてやってくるのがもう一人。龍の元へと参ってきたのは龍の婿以外いるはずがなかった。
頭が見えそして全身が現れる。いつも通りの格好だ。
いまはまだ龍の婿ではないのだから伝統の装束を身にまとう必要はなくソグの僧衣以外を着ることを許可されてはいない。
遠目であり表情は伺えないが杖を手に歩いてくるその姿は優美であると、多くの人は口にしておりルーゲンが苦手であるシオンもそうは思っていた。
美しい男である、と。
自分にとってはそれだけの男に過ぎないと。
そのルーゲンがいつものように歩いてくるのを見ているとシオンは突然顔を背けて嫌悪と共に呟く。
「なんて似合わないのだろう」
恐る恐るもう一度ルーゲンを見るとそのちぐはぐさと歪みに耐えられず顔を見た。
まだ距離がありぼやけているがそれでもマシであった。
怖いぐらいに僧衣の似合わない男、とシオンはそのことに気付いた。ただ一人、気づいたと思うも、逆にも考えた。
彼もまた自分のそれが似合わないと気付かなかったのかと、いや気付いていただろう、早く着替えたいと思っているだろう、だが僧である限りその衣装から永遠に逃れることはできない。死以外にあなたはその呪いじみた衣装から脱せず解放されない。
ただし唯一の例外がある。龍の婿となり宰相になるというもの。これが可能にできるのがルーゲン唯一人だけ。
そうであるからあなたはあれほどまでに龍の婿に執着したというのか?
あるいは、あなたはソグの僧になるしかなかった自分の運命を呪っていた?
かつての旧い龍の時代を、その秩序と自らの運命に対してあなたは……ルーゲンが近づいてくる中でシオンは次第に鮮明になって来るその顔を見続けていた。
その時であるからだろう表情は緊張で固くなっていはいるものの、いつも通りであると言えばそう見える。
しかしシオンにはもうそうには見えない。憑りつかれたものの顔、なにに? 彼はいったい何に憑かれたと?
それを言うのなら私達は……ちがう、とシオンは思った。ヘイムとジーナとは違う。
龍の元で生きているという点では私達は同じであろう。だけども彼はあの二人とは違うものを抱きそれに憑りつかれている。
それはあの日のジーナに近いものがあるとシオンは感じた。ソグの館の長廊下で対峙したあの時のジーナに。
それに対して反射的に剣を抜いた。危機が迫ってきていると認識して。何かに憑りつかれていたジーナ。
今日もまたそうである可能性はあった。ヘイムに会わせられない邪悪な何かであった場合に私は……
だが彼は違った。あの日のように私を止めようとするヘイムの声はここまで届かない。
自らの使命の元、自動的に私はジーナを討とうとした……だが、彼はいつもの彼だった。
心の底からこの任務を降りたいと願っているようなのにその癖に仕事には熱心という矛盾。
ヘイムにどうしてか敵対心を抱いているのに誰よりも彼女に対して献身的で……そして私に対しても苦手そうなのにまるで警戒心がなくてどこか信頼していて……結局のところ彼は何も変わらなかったのではないのか? とシオンは思った。
私達は変わったというのに、あまりにも大きく変わっているのに、彼だけはその渦の真ん中にいて立っているように泰然としていた。
ジーナは変わらずだがルーゲンは、とシオンは前に出た。もう待たずに広場の中心から前にルーゲンの元へ。
前に、前へ。進むごとに床を叩くルーゲンの杖の音が大きくなっていく。耳の奥を叩くような不快な音。
夜だというのにルーゲンがよく見えるなとシオンは視線を逸らさずに近づき、止る。ルーゲンも止まる。
満月の夜だったのだと雲が動いた時にシオンはルーゲンの背後にあるそれに気付いた。
酷い色……とシオンはルーゲンよりも月を見た。金色に赤色が混じって薄汚れている。
その汚れた月を背にしてルーゲンが立っている。彼は何も言わない。
私の言葉を待っているのだろうとシオンはすぐには気が付かなかった。
それほどまでに月に見惚れている、のではなく警戒心からか目が離せなくある意味で構えていた。
この明らかな凶兆に。何かが起こるのだろう、とシオンは視線を月からルーゲンに戻し、言った。
「ルーゲン師……僧衣が似合いませんね」
シオンはその二つの瞳を見る。雌雄眼であるが瞳の動きに差はない。
まず止り、左右に泳ぐ。言葉の意味が不明から怯えにいったのだろうとシオンは見た。
すると、瞳が光りそれから笑った。聞いたことのないルーゲンの笑い声をシオンは無言のまま聞いていた。
この人は何に対して笑っているのか? 自分にか? とシオンは思うもすぐに違うと分かった。
ルーゲンはこちらを見てはいない。というよりもどこも見ていない。自分自身だけを見て、笑っている。
嘲笑という自嘲。僧衣が似合わないことに対する返事がそうであるのならやはり彼は……
「はじめてそのようなことを言われましたよシオン嬢」
苦し気に笑いを止めながらルーゲンはそう言った。
「でも、正解です。僕は朝から晩まで自分にはこの僧衣は似合わないのではないかと思いましたし、人から褒められる時でも謙遜でもなく真実にこう言いました。いえいえ全然とね。鏡を見るたびに違和感を確認しているぐらいです」
「私もいま初めて気が付きましたよ。変ですね、どうしてそう思ったのやら」
ルーゲンの瞳は光り続けているもそこには濁りが、そこには汚れが滲み出ていた。
「それは僕が龍の婿となる日だからではありませんか? そうですよ、そうですとも。龍の婿になったからにはソグの僧衣は脱がなくてはなりません。シオン嬢。あなたはその姿を想像してそう言われたのではありませんか?」
過去に龍の嫁は幾人もいたが龍の婿は極めて稀であるもののその衣装は指定されていた。
紫の衣。それは宰相が着る衣装と同じものであり、実質的に龍の婿とは宰相を兼任するものであった。
その衣装を身にまとうルーゲンの姿はそれはそれはお似合いであり、シオンでさえも想像の中で微かに恍惚感すら覚えた。
「あなたにはあの紫の衣装がさぞかしお似合いでしょうね」
シオンが言うとルーゲンは微笑んだ。歪みがそこにあった。ルーゲンにどうしてもある歪さを感じシオンはいつものように湧き出てくる嫌悪を呑み込んだ。
「そう言っていただき感謝いたします。そうですシオン嬢。僕は、あの服を着たかったのですよ。この僧衣ではなく、龍の衣を、です」
興奮しながら語るルーゲンを見ながらシオンはルーゲンの生い立ちを思い出す。
大臣の嫡男になる可能性があった私生児。ソグの僧院に母共々暮らしそこの世界が全てであるのに、そうではないと意識して生きてきたもの。
いつか必ずどこかで元に戻ることを夢見てきた男。烙印を押されどうして自分ではないのかと思い続けてきた人生。
境遇の近さから私はこの男でもあるのだ、とシオンは憎しみの熱が内に籠りだしたのを覚えた。そこもきっと嫌悪の理由なのだろう。
だが決定的に違うのは……自分は元に戻ることなど夢見てなかったことだとシオンはヘイムを思い出した。そこが、違うのだ。
私にはヘイムがいた。龍の一族の末席中の最末席に座るものの今ある世界だけが全てだと受け入れていたあの子と共に生きていた。
だが皮肉なことにそのヘイムが龍となることとなった。
だから私はあなたとは違う、とシオンの内の憎しみは闘志に近い何かに変わり出す。
だがそれでは足りない、なにかにまだ気づいていないのだ。私は気づいていないまま生きている。
「僕は史上における誰よりも龍を支える宰相となります。過去の政略結婚といったものとは違うものです。自分で言うのもなんですが、何故なら僕と龍身様はあの日あの出会った時から一心一体といっていいほどの関係ですからね。龍身様の御意志は必ず叶えられるべく、この全身全霊を龍に捧げる所存であります」
そうだ、とシオンは興奮し熱っぽく語るルーゲンを見ながら思う。あなたはそうするだろうと。
あなただからこそそうするだろうと。間違いなく確実に、命を賭けて龍の為に生きるだろう。だが私はそんなあなたには……
「あなたが最初に龍身様と認定したのですから当然でしょう」
「そうですとも。僕が龍身様と認定しなかったのならこういうことにはならなかったでしょうからね。もっともあれは夢の中で天啓ともいうべき龍啓があったのです。龍が、ここに来たとね僕にだけ声が聞こえ続けたのです。その夜からずっと、ずっとです。だから気づいたのです、どこの誰が龍身様があるのかが。そして導かれた僕は龍身様の前に膝を屈しそれから僕が導くものとなったのです」
シオンはもはやルーゲンは自分に向かって語っているのではなく、違うもの。
空や天に向かって信仰を告白するかのようにして止まらず語り続ける。
「僕と龍身様が出会えたのはある意味であれは偶然ではなく必然だったともいえましょう。僕はね、僕は……あなただけにお伝えしますが龍が討たれることを願い続けてきたものです。おかしいですよね。ソグの僧であるこの僕が旧き龍が滅び新しき龍の到来を祈り続けていただなんて。でもそれが偽らざる僕の心と言っていいでしょう。旧き龍の世界では僕はソグの僧の世界に閉じ込められ続けました。それだけなら他の僧と同じでしょうし僕自身も全くそこに何の疑問も抱かずに旧き龍が支配する世界における敬虔なる僧として生きられたのは確実です。しかし僕は他の僧とは違ってしまった。母の口から語られる僕がかつて手にしていた可能性……それによって僕は龍を信仰すると同時に滅びをも願うという矛盾した存在になったのです」
「……ジーナの、ようですね」
思わずシオンがそう言うとルーゲンは口元を手で抑え笑いを堪えながら咳込んだ。
いまのは笑うようなところではないというのに、苦しみながらルーゲンは耐えているようだ。
笑いのポイントが分からないとシオンは不気味さを覚え出した。けれどもルーゲンの言わんとしていることはなんとなく分かり出し、実際にシオンは二人の姿を頭の中に浮かべ、重ねてみる。何もかもが違う二人だというのに、重ね合わせてみるそれは……
「僕と彼は、似ていると思いませんか?」
ルーゲンの問いにシオンは頷いた。
似ていると言えば似ているだろう、だがしかし……
「そうでしょう。今のあなたならもうお分かりでしょうが、とても似ていますよね。僕は彼と出会った時に直感が働きましたよ。この人は僕に近いとねだから僕は彼のことをとても好きでした。同じ匂いがしました。孤独という香りがね。彼もずっと孤独であったのなら僕もまたずっと孤独でした。社会的地位や表面上なものではなく、その魂の本質的な部分においてはです。僕の旧き龍による世界の秩序への反感は彼の龍への反感と一致していると感じたものです。だから僕たちは似た者同士から、そのうちひとつのものになれるかもしれない、と……」
言葉を切り、ルーゲンは溜息を吐いた。その表情にシオンは今まで見たことのない荒みを覚える。
至福の表情からの一変、ルーゲンの顔には苛立ちと怒りに焦り、なにより悲しみが浮かび、色が混じり合う。
そこには色彩は無く黒一色が、闇に染まったなにかがあった。
「僕達は上手くいっていました。そのまま親友になりたかったしそのギリギリのところまでいけたと思ったのですよ。けど……残念拿ことにこう言われてしまいました。私とあなたは違います、とね。いったい何が違うのでしょう?」
そうあなたとジーナは違う、とシオンはルーゲンの闇を見つめながら心の中で言った。
その声が聞こえたのか闇がうごめきなにかがこぼれていくのを目で追いかけていた。闇は地に落ち、そこを濡らした。
「そもそも彼は何がしたいのでしょうね。旧い龍を倒しそして新しい龍の世界の到来を喜ぶ……こうじゃないですか、これのはずです。そのために僕らは命を賭け戦い続けた。僕も彼の隣で旧き龍の元へと立ち向かった。想像を絶する困難に危機を前にして僕も彼も力の限り戦った……僕らはかけがえのない戦友です。なのに彼はその栄光を地に投げ捨て、いま旧き龍も新しき龍も倒すつもりでいる。理屈がまるで通らない。僕の勘違いだったのか? いいや違う……そんなはずはない!」
叫びと共に闇は辺りに散らばり世界を暗くする。シオンは闇の中で瞼を閉じた。闇の中ならもう何も見えなくていい。
同じ闇ならルーゲンのものよりも自分の闇を見た方がいい。シオンは自らの闇の中で安堵しながらルーゲンの言葉を聞いた。
よく聞こえる、その、こちらにではなく空に宙に、自分自身に向かって訴えているような悲鳴みたいな声を。
「彼は、龍を討つものです! そういう存在なのですよ。かつてこの地に現れ龍祖と共に旧き龍を倒した最大の貢献者の末裔あるいは継承者であることは確実なのです。龍を倒したことによる罪悪感からこの地を去り西へと去った伝説の再来なのですよ。今回もそうであるべきなのに、何故に帰らない。帰らないまでも新しき龍にまで害を与えようとするとは、どうしてなんだ!」
音が聞こえる誰かが階段を登ってきている。遂にその時刻が訪れたのだとシオンは思う。
今日ここに来るのは一人しかいなかった。正確には二人であったが一人はもう昇りきり中に入った。
その遅れてやってくるのがもう一人。龍の元へと参ってきたのは龍の婿以外いるはずがなかった。
頭が見えそして全身が現れる。いつも通りの格好だ。
いまはまだ龍の婿ではないのだから伝統の装束を身にまとう必要はなくソグの僧衣以外を着ることを許可されてはいない。
遠目であり表情は伺えないが杖を手に歩いてくるその姿は優美であると、多くの人は口にしておりルーゲンが苦手であるシオンもそうは思っていた。
美しい男である、と。
自分にとってはそれだけの男に過ぎないと。
そのルーゲンがいつものように歩いてくるのを見ているとシオンは突然顔を背けて嫌悪と共に呟く。
「なんて似合わないのだろう」
恐る恐るもう一度ルーゲンを見るとそのちぐはぐさと歪みに耐えられず顔を見た。
まだ距離がありぼやけているがそれでもマシであった。
怖いぐらいに僧衣の似合わない男、とシオンはそのことに気付いた。ただ一人、気づいたと思うも、逆にも考えた。
彼もまた自分のそれが似合わないと気付かなかったのかと、いや気付いていただろう、早く着替えたいと思っているだろう、だが僧である限りその衣装から永遠に逃れることはできない。死以外にあなたはその呪いじみた衣装から脱せず解放されない。
ただし唯一の例外がある。龍の婿となり宰相になるというもの。これが可能にできるのがルーゲン唯一人だけ。
そうであるからあなたはあれほどまでに龍の婿に執着したというのか?
あるいは、あなたはソグの僧になるしかなかった自分の運命を呪っていた?
かつての旧い龍の時代を、その秩序と自らの運命に対してあなたは……ルーゲンが近づいてくる中でシオンは次第に鮮明になって来るその顔を見続けていた。
その時であるからだろう表情は緊張で固くなっていはいるものの、いつも通りであると言えばそう見える。
しかしシオンにはもうそうには見えない。憑りつかれたものの顔、なにに? 彼はいったい何に憑かれたと?
それを言うのなら私達は……ちがう、とシオンは思った。ヘイムとジーナとは違う。
龍の元で生きているという点では私達は同じであろう。だけども彼はあの二人とは違うものを抱きそれに憑りつかれている。
それはあの日のジーナに近いものがあるとシオンは感じた。ソグの館の長廊下で対峙したあの時のジーナに。
それに対して反射的に剣を抜いた。危機が迫ってきていると認識して。何かに憑りつかれていたジーナ。
今日もまたそうである可能性はあった。ヘイムに会わせられない邪悪な何かであった場合に私は……
だが彼は違った。あの日のように私を止めようとするヘイムの声はここまで届かない。
自らの使命の元、自動的に私はジーナを討とうとした……だが、彼はいつもの彼だった。
心の底からこの任務を降りたいと願っているようなのにその癖に仕事には熱心という矛盾。
ヘイムにどうしてか敵対心を抱いているのに誰よりも彼女に対して献身的で……そして私に対しても苦手そうなのにまるで警戒心がなくてどこか信頼していて……結局のところ彼は何も変わらなかったのではないのか? とシオンは思った。
私達は変わったというのに、あまりにも大きく変わっているのに、彼だけはその渦の真ん中にいて立っているように泰然としていた。
ジーナは変わらずだがルーゲンは、とシオンは前に出た。もう待たずに広場の中心から前にルーゲンの元へ。
前に、前へ。進むごとに床を叩くルーゲンの杖の音が大きくなっていく。耳の奥を叩くような不快な音。
夜だというのにルーゲンがよく見えるなとシオンは視線を逸らさずに近づき、止る。ルーゲンも止まる。
満月の夜だったのだと雲が動いた時にシオンはルーゲンの背後にあるそれに気付いた。
酷い色……とシオンはルーゲンよりも月を見た。金色に赤色が混じって薄汚れている。
その汚れた月を背にしてルーゲンが立っている。彼は何も言わない。
私の言葉を待っているのだろうとシオンはすぐには気が付かなかった。
それほどまでに月に見惚れている、のではなく警戒心からか目が離せなくある意味で構えていた。
この明らかな凶兆に。何かが起こるのだろう、とシオンは視線を月からルーゲンに戻し、言った。
「ルーゲン師……僧衣が似合いませんね」
シオンはその二つの瞳を見る。雌雄眼であるが瞳の動きに差はない。
まず止り、左右に泳ぐ。言葉の意味が不明から怯えにいったのだろうとシオンは見た。
すると、瞳が光りそれから笑った。聞いたことのないルーゲンの笑い声をシオンは無言のまま聞いていた。
この人は何に対して笑っているのか? 自分にか? とシオンは思うもすぐに違うと分かった。
ルーゲンはこちらを見てはいない。というよりもどこも見ていない。自分自身だけを見て、笑っている。
嘲笑という自嘲。僧衣が似合わないことに対する返事がそうであるのならやはり彼は……
「はじめてそのようなことを言われましたよシオン嬢」
苦し気に笑いを止めながらルーゲンはそう言った。
「でも、正解です。僕は朝から晩まで自分にはこの僧衣は似合わないのではないかと思いましたし、人から褒められる時でも謙遜でもなく真実にこう言いました。いえいえ全然とね。鏡を見るたびに違和感を確認しているぐらいです」
「私もいま初めて気が付きましたよ。変ですね、どうしてそう思ったのやら」
ルーゲンの瞳は光り続けているもそこには濁りが、そこには汚れが滲み出ていた。
「それは僕が龍の婿となる日だからではありませんか? そうですよ、そうですとも。龍の婿になったからにはソグの僧衣は脱がなくてはなりません。シオン嬢。あなたはその姿を想像してそう言われたのではありませんか?」
過去に龍の嫁は幾人もいたが龍の婿は極めて稀であるもののその衣装は指定されていた。
紫の衣。それは宰相が着る衣装と同じものであり、実質的に龍の婿とは宰相を兼任するものであった。
その衣装を身にまとうルーゲンの姿はそれはそれはお似合いであり、シオンでさえも想像の中で微かに恍惚感すら覚えた。
「あなたにはあの紫の衣装がさぞかしお似合いでしょうね」
シオンが言うとルーゲンは微笑んだ。歪みがそこにあった。ルーゲンにどうしてもある歪さを感じシオンはいつものように湧き出てくる嫌悪を呑み込んだ。
「そう言っていただき感謝いたします。そうですシオン嬢。僕は、あの服を着たかったのですよ。この僧衣ではなく、龍の衣を、です」
興奮しながら語るルーゲンを見ながらシオンはルーゲンの生い立ちを思い出す。
大臣の嫡男になる可能性があった私生児。ソグの僧院に母共々暮らしそこの世界が全てであるのに、そうではないと意識して生きてきたもの。
いつか必ずどこかで元に戻ることを夢見てきた男。烙印を押されどうして自分ではないのかと思い続けてきた人生。
境遇の近さから私はこの男でもあるのだ、とシオンは憎しみの熱が内に籠りだしたのを覚えた。そこもきっと嫌悪の理由なのだろう。
だが決定的に違うのは……自分は元に戻ることなど夢見てなかったことだとシオンはヘイムを思い出した。そこが、違うのだ。
私にはヘイムがいた。龍の一族の末席中の最末席に座るものの今ある世界だけが全てだと受け入れていたあの子と共に生きていた。
だが皮肉なことにそのヘイムが龍となることとなった。
だから私はあなたとは違う、とシオンの内の憎しみは闘志に近い何かに変わり出す。
だがそれでは足りない、なにかにまだ気づいていないのだ。私は気づいていないまま生きている。
「僕は史上における誰よりも龍を支える宰相となります。過去の政略結婚といったものとは違うものです。自分で言うのもなんですが、何故なら僕と龍身様はあの日あの出会った時から一心一体といっていいほどの関係ですからね。龍身様の御意志は必ず叶えられるべく、この全身全霊を龍に捧げる所存であります」
そうだ、とシオンは興奮し熱っぽく語るルーゲンを見ながら思う。あなたはそうするだろうと。
あなただからこそそうするだろうと。間違いなく確実に、命を賭けて龍の為に生きるだろう。だが私はそんなあなたには……
「あなたが最初に龍身様と認定したのですから当然でしょう」
「そうですとも。僕が龍身様と認定しなかったのならこういうことにはならなかったでしょうからね。もっともあれは夢の中で天啓ともいうべき龍啓があったのです。龍が、ここに来たとね僕にだけ声が聞こえ続けたのです。その夜からずっと、ずっとです。だから気づいたのです、どこの誰が龍身様があるのかが。そして導かれた僕は龍身様の前に膝を屈しそれから僕が導くものとなったのです」
シオンはもはやルーゲンは自分に向かって語っているのではなく、違うもの。
空や天に向かって信仰を告白するかのようにして止まらず語り続ける。
「僕と龍身様が出会えたのはある意味であれは偶然ではなく必然だったともいえましょう。僕はね、僕は……あなただけにお伝えしますが龍が討たれることを願い続けてきたものです。おかしいですよね。ソグの僧であるこの僕が旧き龍が滅び新しき龍の到来を祈り続けていただなんて。でもそれが偽らざる僕の心と言っていいでしょう。旧き龍の世界では僕はソグの僧の世界に閉じ込められ続けました。それだけなら他の僧と同じでしょうし僕自身も全くそこに何の疑問も抱かずに旧き龍が支配する世界における敬虔なる僧として生きられたのは確実です。しかし僕は他の僧とは違ってしまった。母の口から語られる僕がかつて手にしていた可能性……それによって僕は龍を信仰すると同時に滅びをも願うという矛盾した存在になったのです」
「……ジーナの、ようですね」
思わずシオンがそう言うとルーゲンは口元を手で抑え笑いを堪えながら咳込んだ。
いまのは笑うようなところではないというのに、苦しみながらルーゲンは耐えているようだ。
笑いのポイントが分からないとシオンは不気味さを覚え出した。けれどもルーゲンの言わんとしていることはなんとなく分かり出し、実際にシオンは二人の姿を頭の中に浮かべ、重ねてみる。何もかもが違う二人だというのに、重ね合わせてみるそれは……
「僕と彼は、似ていると思いませんか?」
ルーゲンの問いにシオンは頷いた。
似ていると言えば似ているだろう、だがしかし……
「そうでしょう。今のあなたならもうお分かりでしょうが、とても似ていますよね。僕は彼と出会った時に直感が働きましたよ。この人は僕に近いとねだから僕は彼のことをとても好きでした。同じ匂いがしました。孤独という香りがね。彼もずっと孤独であったのなら僕もまたずっと孤独でした。社会的地位や表面上なものではなく、その魂の本質的な部分においてはです。僕の旧き龍による世界の秩序への反感は彼の龍への反感と一致していると感じたものです。だから僕たちは似た者同士から、そのうちひとつのものになれるかもしれない、と……」
言葉を切り、ルーゲンは溜息を吐いた。その表情にシオンは今まで見たことのない荒みを覚える。
至福の表情からの一変、ルーゲンの顔には苛立ちと怒りに焦り、なにより悲しみが浮かび、色が混じり合う。
そこには色彩は無く黒一色が、闇に染まったなにかがあった。
「僕達は上手くいっていました。そのまま親友になりたかったしそのギリギリのところまでいけたと思ったのですよ。けど……残念拿ことにこう言われてしまいました。私とあなたは違います、とね。いったい何が違うのでしょう?」
そうあなたとジーナは違う、とシオンはルーゲンの闇を見つめながら心の中で言った。
その声が聞こえたのか闇がうごめきなにかがこぼれていくのを目で追いかけていた。闇は地に落ち、そこを濡らした。
「そもそも彼は何がしたいのでしょうね。旧い龍を倒しそして新しい龍の世界の到来を喜ぶ……こうじゃないですか、これのはずです。そのために僕らは命を賭け戦い続けた。僕も彼の隣で旧き龍の元へと立ち向かった。想像を絶する困難に危機を前にして僕も彼も力の限り戦った……僕らはかけがえのない戦友です。なのに彼はその栄光を地に投げ捨て、いま旧き龍も新しき龍も倒すつもりでいる。理屈がまるで通らない。僕の勘違いだったのか? いいや違う……そんなはずはない!」
叫びと共に闇は辺りに散らばり世界を暗くする。シオンは闇の中で瞼を閉じた。闇の中ならもう何も見えなくていい。
同じ闇ならルーゲンのものよりも自分の闇を見た方がいい。シオンは自らの闇の中で安堵しながらルーゲンの言葉を聞いた。
よく聞こえる、その、こちらにではなく空に宙に、自分自身に向かって訴えているような悲鳴みたいな声を。
「彼は、龍を討つものです! そういう存在なのですよ。かつてこの地に現れ龍祖と共に旧き龍を倒した最大の貢献者の末裔あるいは継承者であることは確実なのです。龍を倒したことによる罪悪感からこの地を去り西へと去った伝説の再来なのですよ。今回もそうであるべきなのに、何故に帰らない。帰らないまでも新しき龍にまで害を与えようとするとは、どうしてなんだ!」
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