リトルラバー

鏡紫郎

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第十七話 稲美の趣味

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「これ、その辺のコンビニで買ってきたチョコレートなんだけど、菜々花ちゃんもよかったらどうぞ」

「あっ……稲美さん、ありがとうございます」

「他にクッキーとか飴なんかもあるから、食べたくなったらいくらでも言ってちょうだい」

 菜々花を発見してから十五分、疲弊しきった彼女の体調を考えゆっくりと時間をかけて戻ってきた竜也達は、一課の職場へと赴き課長へと説明を行った。竜也の上司でもあり奈々花の状況を深く理解している課長はすぐさま事態を飲み込み了承、今は被害者保護の名目で彼女を休憩室へと招き入れた所である。

 しかし、安全な場所へと退避できたというのに、奈々花の表情が晴れる気配はない。部屋に着いてからというもの、追い詰められた恐怖から元気を無くしてしまった彼女は、申し訳なさそうにパイプ椅子へとちょこんと座り、そのまま一言も言葉を発していなかった。そんな彼女を心配した稲美は、個包装状のチョコレートが詰まった網カゴを、折りたたみテーブルの上へとそっと差し出す。

「田山先輩、そんなもんどこに持ってたんすか。奈々花ちゃん、これ緑茶だけどよかったら飲んでくださいっす」

 彼女と同じように奈々花を心配する松木も、台所で淹れて来た緑茶を彼女の前へと差し出した。

「マッキーもありがとう」

 二人の優しさに触れ、このままではいけないと奈々花は無理やり笑顔を作る。そして、目の前のチョコレートを一つ摘み口の中へと放り込んだ。その瞬間、口の中に広がる優しいミルクの甘さに彼女は幸せを感じ、ほんの少しだけいつもの無邪気な笑顔を取り戻した。

「それに関しては俺も松木と同意見だな。元気が無い時には甘いもんが一番ってのはわかるけどよ、どこに隠してたんだこんなもん?」

 そんな彼女を横目で見ながら竜也は稲美へと不平を漏らす。そんな彼の発言に不機嫌そうな表情を稲美は見せた。

「何よ竜也、三十半ばのおばさんが甘いもん好きじゃいけないわけ?」

「そっちじゃなくてだな。そんなもん、署内にストックしてんじゃねぇよ」

 竜也と稲美、いつものように繰り広げられる他愛のない二人の口喧嘩。それは、奈々花にとって日常を感じられる数少ないもので、心地の良い二人の声音に自然と笑みが戻ってくる。そんな二人の雑談を聞きながら、松木が淹れてくれた渋めのお茶で喉を潤し、奈々花は苦い表情を浮かべた。そんな奈々花の心情を知ってか知らずか、稲美はクスッと頬を上げると嘲るような表情を竜也へと向ける。

「あら? 私だけじゃないわよ。署内の女の子全員、少なからずやってるんじゃないかしら。何? これから全員叱りつけにでもいくわけ」

「お前らなあ、ここに何しに来てんだよ。遊びに来てんじゃねぇんだぞ」

 署内の内状を聞かされ頭を抱える竜也に対し、稲美も何故か頭を抱える。すると、日頃から溜まっていた不満を彼女は突然竜也へとぶちまけ始めた。

「竜也はそういうところお硬すぎるのよ。だから奈々花ちゃんが困ってるんじゃない。だいたい、仕事中だから息抜きしちゃいけないとか、仕事効率落ちるだけのバカの考えなのよ、バカの」

「息抜きに関しちゃ否定はしないが、それでも仕事中に菓子ってのはちょっと」

 タブーすれすれな彼女の発言に苦笑いを浮かべる竜也。そんなつれない態度を見せる彼の行動に稲美はしびれを切らしてしまう。そして、彼のポケットからちらつく物へと目をつけると、今度は挑発するような態度を見せた。

「じゃあそのタバコも没収よね~。仕事に嗜好品はいらないわよね~」

 そう、彼が愛用しているタバコ、ヘブンスターのソフトパックだ。昨日彼が公園のベンチで加えていたものである。

「こ、これはその……癖だよ癖。今までの習慣で持ち歩いてるだけで、最近は一切吸ってねえよ」

 正直な所、竜也は稲美のマウント癖というか、したり顔にめっぽう弱い。昔からよく仕事の手助けをしてもらっていたせいか、どうにも彼女の高圧的な態度には逆らい難いのだ。それは今回も同様で、冷や汗をにじませながら彼はパッケージが見えないようタバコの箱を急いで内ポケットへとねじ込んだ。

 先日はここで吸ってもいいじゃないか、などと愚痴っていた竜也であったが、実際ここ一ヶ月程彼は喫煙を続けている。その理由が奈々花に臭いと言われたからなのだが……

「もしかして、奈々花ちゃんのためかしら?」

「奈々花は関係ないだろ! 俺ももうじき四十だし少しは健康に気を使おうと思ってだな」

 それを的確に言い当てられた所で、ハイと素直に答えられるような男ではやはりないのだ。そんな竜也の話にわざとらしく頷きながら、稲美は得意げ己が考えを語り始める。

「なるほどね。でも竜也、それまでは休憩とか言って喫煙所に吸いに言ってたわけでしょ? それとお菓子を食べるのと何が違うのかしら? タバコが良くて、お菓子がダメっていうその差は何なのかしらね~」

「そ、それは、そのだな」

 これまた鋭い稲美の切込みに、竜也は既にてんてこ舞いである。

「そういう感覚が喫煙者の肩身を狭くしてるっていい加減に気づきなさいよ。古き悪しき習慣に縛られるなんて、それこそ警察官として恥じよ。奈々花ちゃんみたいな若者達のために、私達が腐った社会の体制を改善していかないと」

「そんなこと言ってる田山先輩は別のところが腐ってるっすけどね。スマホの待受画面とか」

 これまで傍観者であった松木も、ふんぞり返って説明を続ける稲美の態度を見ている内に、普段いじられている不満が突然爆発、いらぬツッコミをいれてしまう。

 普段は真面目で頭の切れる稲美であったが、彼女にはある趣味があった。

「あん? 松木、てめぇ何つった? 殺羅せつら様なめんじゃねぇぞ! ぶっ殺されてぇのかてめぇ!」

 警官とは思えない暴言を浴びせかけながら羅刹のような強面で迫る稲美の右手には、彼女のスマホが握られていた。その画面には爽やかな笑顔を浮かべたイケメン男性が映っている。しかし、それは現実の男性ではなくイラスト、アニメのキャラクターだった。そう、彼女はアニメや漫画の二次元キャラが好きという、世間一般で言う所の腐女子だったのである。

 稲美は昔からこのキャラの大ファンで、ガラケー時代から彼の画像を壁紙にしている。それ程までに彼が好きすぎるせいか、それに気づいた男性が興味本位でからかうと説明する間もなく食って掛かるのだ。そのせいで大抵の男は彼女の元から声もなく去っていくという。これがこの歳まで彼女に彼氏ができない最大の理由であった。

「相変わらず、アニメキャラへの非難については厳しいな稲美」

 ガミガミと狂気の瞳で殺羅様の何たるかを語られタジタジになる松木。そんな彼が竜也へと懇願の視線で助けを求めるが、こういう時の彼女にだけは関わりたくないとわざとらしいまでの綺麗な笑顔で竜也は手を振り返す。

 竜也の対応に絶望した松木は怒りの表情で口を開いたり閉じたりと何かを伝えようとするが、話を聞いていないことを逆に稲美に悟られ、肩に置いた両手で全身を大きく揺さぶられてしまった。

「奈々花、同じ女としてあの気持ち、わかるか?」

「アニメは私もきらいじゃないけど、ごめんタッツー、あれは流石にわからないや」

 興味本位で聞いてみた竜也に、流石の奈々花も困った表情を浮かべてしまう。それも当然だよな、と納得した竜也は、可哀想にすら思えてくる松木の姿を見つめながら、苦笑いを浮かべるのだった。
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