車椅子の僕、失声症の君

未来 馨

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第八章

「救出」

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 体が軽い……。
 水の中にいると、そんな感覚さえ覚えた。

 いつも車椅子に縛り付けられている体は、水の中だけでは自由だった。例えば浴槽に溜めたお湯に浸かっているとき、重力を無くして揺れる足が不思議だった。いつも脱力している足が、そのときだけは動くような気がしてしまう。
 しかし、湯から上がれば足は元通り……。まるで作り物のように動かない足に戻ってしまう。その感覚が嫌いだ。息をしているだけで、自分は役立たずな存在なのだ。
苦しい現実になど戻りたくない。

 ――くん……

 誰……?

 ――良くん……

 やめて……起こさないで……

「良君っ……! 」
「っ……!? 」
 目を開け、すぐに感じたのは体の重さと冷たさだった。
 着ていた制服のワイシャツは濡れて中に着ていたTシャツが透けて見え、張り付く。正直に言って気持ちが悪い。
 体は重だるく動かないが、視線だけを動かせば、自分を心配そうに見下ろす浅間の姿があった。かなり焦っているようだ。
「大丈夫かい……? 」
 浅間の言葉になにか言おうとしたが、口を開くと同時に咳き込む。
 浅間はそんな良の体をゆっくりと横向きにさせ、背中を擦る。
「大丈夫……大丈夫だよ……」
 落ち着けるように繰り返す浅間の声が段々と遠くなり、良は意識を手放した。

「……」
 部屋で待機していた柊真は、ずっと緊張が解けないままでいた。
 いつもの人懐っこそうな柔らかい表情とは違い、追い詰められた猫のような表情で両手を組み、祈るように一点を睨む。しかし、その先になにかがある訳でもなかった。
「……飛鳥」
 同室の牧野が恐る恐る声をかける。 
 このような状態の柊真を牧野は見たことがなかった。柊真は見ればいつも笑っていたから。
「……飛鳥、少し休んだほうがいいよ。帰ってきてからずっと気ぃ張りっぱなしだろ? 」
 牧野の言葉に、柊真は首を横に振った。良の無事な姿を見るまでは、休む訳にはいかないのだ。
「おいっ! 外に救急車が来てるぞ! 」
 突然廊下で響いた同級生の声に、柊真は勢い良く立ち上がって施設のロビーへと向かう。既に何人か生徒が集まってきていた。
 救急車から救急隊員が降りてくる。
「っ……!? 」
 担架に乗せられて来たのは、意識を失った良だった。
 膝の力が抜け、その場に座り込む。
「っ――! 」
 こんなときに、友達の名前も叫ぶことが出来ない。声を上げて泣くことすら出来ないのが柊真にとっては苦痛だった。
「飛鳥! 」
 牧野と梶原が駆け寄ってくる。
「飛鳥、大丈夫だ。大丈夫だから……」
 牧野が繰り返しながら背中を擦る。
 救急車は良を乗せて行ってしまった。
 柊真は床に座り込んだまま牧野と梶原に付き添ってもらい、少しして部屋に戻って行った。

「……えー、みんなに伝えておかなければならないことがあります。もうみんなも知っている通り、良君が救急車で運ばれていきました」
 夜になって夕食も終わった後、浅間はクラスメイト達を講義室に集め、事の事情を説明し始めた。
 柊真はと言えば、すっかり気持ちが沈んでしまい、意識も曖昧な状態でその話を聞いている。
「良君は今、病院にいます。一週間ほど検査や経過を見るために入院するそうで、命に別状はないということでした」
 浅間はちらりと柊真のほうに視線を向ける。良が運ばれてからというもの、浅間が次に案じていたのは柊真のことだった。まるで親友のように仲が良かった良が突然あのような状態になり、柊真に精神的ダメージがないとは思えなかった。
「しかし、良君がなぜあそこにいたのか、どうして川に落ちてしまったのかはなに一つわかっていません。もしかしたら、今後みんなにも話を聞くことがあるかもしれないので、そのときはよろしくお願いします」
 緒方が一緒にいた洋介にも話を聞いているが、洋介は一切語ろうとしない。
 途中倒れた三森は貧血だったらしく、倒れたことも覚えていないと言う。
「では、今日はもうお風呂に入って、ゆっくり休んでください」
 浅間の言葉を合図に、クラスメイト達はそれぞれ講義室から出ていった。
 浅間は静かになった講義室を見渡し、柊真が机に突っ伏していることに気がつくと静かに近寄って行った。
「柊真君」
 呼びかければ、柊真は泣いて真っ赤になった目で浅間を見上げる。
「良君、まだ意識が戻らないらしいんだ……」
 浅間の言葉に、柊真は顔を歪める。
 普段笑顔を崩さない柊真がここまで疲弊し、苦しそうに表情を歪める……。
 そもそも、先に声をかけたのは柊真からだったと緒方から聞いた。
「障害を負っている」という点においては共通しているが、それだけではあるまい。
 浅間は色々と考えを巡らせたが、一度考えることをやめた。
「柊真君、君も疲れたろう?ゆっくり休んでください。良君の意識が戻ったら必ず知らせます」
 浅間のその言葉に、柊真はようやく張り詰めていた緊張を解き、息を吐いて頷いた。

第八章 終

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