【完結】愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園

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第19話

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 ……そろそろと、コーデリアは身を起こした。
 体中が痛いが、怪我もない。すぐ近くで銃声がしたと思ったのに。
 そう思ったのだけれども、胸元からぶらさがるドッグタグに重みを感じた。
 掲げ持つと、ドッグタグに銃弾がめり込んでいる。

「コンラッド……」

 コンラッドの形見が、まさか自分の命を助けることになるとは。

――こんな偶然が、あるなんて。

 まだ生きろ、とコンラッドから言われた気がした。

「コンラッド……? あんた、コンラッドを知っているのか」

 足元で男が呻きながら身体を起こそうとしていた。
 途中からまさかと思っていたが、彼はコーデリアも会ったことのある人物だった。

「あなたの知っているコンラッドと同一人物かはわからないけれど……コンラッド・カーは私の兄です。あなたは……パレッラ商会のオリヴァーですね」
「……そうだ」

 オリヴァーはコーデリアに瞠目し、素直に肯定した。
 パレッラ商会のオリヴァー。
 例の不正工事で元請けをしていたパレッラ商会の契約担当者で、ダンカン長官とつながりをもつ青年だ。
 前回、王都で話を聞きに行った時、彼はどこにでもいるような、ただの愛想のよい青年だった。しかし、今、濁った眼をした男とはまるで別人に見える。
 今日の彼が纏うジャケットにも例の黒いカメオが輝いていた。
 カメオの素材はジェット。……その宝石は魔除けの意味を持つが、死者を悼むためのモーニングジュエリーにも使用される。

「俺は元軍人だ。コンラッドは軍時代の恩人だよ。いろいろ教えられもしたが、何度も命を助けられた。こんな近くにコンラッドの妹がいたとは思わなかったが。ま、あんたが死ななくてよかったよ」

 オリヴァーの目が、胸元のドッグタグを見つめた後、はあ、と息を吐き、訊ねた。

「あんたは、これで兄の仇を助けたわけだな。満足か?」
「どんな相手だろうと、人の命が奪われることは避けなければならないことです」
「きれいごとだな。戦場では通用しない」

 男は鼻で笑い、ピストルを投げた。
 直後、男は、避難から戻ってきた王室警護官の手によって拘束された。
 コーデリアも助け起こされ、怪我の具合などを確認された。

「いえ、私のほうは特に問題ありません」

 そう答え、「待って」と連行されようとするオリヴァーを呼び止める。
 確かめなければならないことがあった。

「オリヴァー、あなたはコンラッドが命を落とした現場にいましたか?」
「……俺はあの時、たまたまちょっとやらかして……懲罰を受けていた時だからいなかった。その後、別の部隊にすぐ配属になっている」
「そうでしたか……。ひとつ、誤解を解いておきますが、コンラッドを死地に追いやるような命を下したのはクローヴィスではありません」
「何を言っている……?」
「同じ部隊にいた仲間へ連絡をとってみてください。クローヴィスは、あの現場にいませんでした。上官に無理やり、王都に呼び出されていたのですよ。戻った時には戦闘はすでに終わっていたそうです。コンラッドに例の命を出したのは現地にいた別の上官です」

 しかし、例の上官は責任をすべてクローヴィスになすりつけた。クローヴィス自身は何も抗弁しなかった。彼は「部下殺し」の汚名を着たまま、今も生きている。
 コーデリア自身も、学院時代にコンラッドの仲間たちから話を聞くまでは知らなかった。クローヴィスはいくらでもコーデリアに事情を話せたのにそうしなかった。

『コンラッドが死んだのはあなたのせいなんでしょう……! コンラッドを返して! 返してよ……!』

 葬儀の場で、コーデリアは彼を責めたが、彼は何も言わなかった。その代わり、彼はコーデリアの援助を申し出て、コーデリアがどれだけ拒絶しても意志を曲げなかった。

『いいか! 私が憎くて仕方ないのだろうが、今の君は無力な子どもだ! 私に対して何の仕返しもできない! 君自身が成長できたらいくらでも復讐すればいい! 私は逃げも隠れもしない!』

 あれはわかりにくくとも、鼓舞の言葉だった。怒りを引き出して、憎まれてもなお、コーデリアを奮い立たせるために。

「クローヴィスは、誤解されがちな人だから……今の私はそれを知っているから……」

 勝手に声が震えていく。

「オリヴァー……あなたの中の憎しみも、消え去るといいわね……」
「そんなことは、知ったことじゃないね……」

 オリヴァーは、コーデリアから顔を逸らし、快晴の空を仰ぐ。

「コンラッドは、糞な命令に巻き込まれて死んだんだ」

 オリヴァーは、今度こそ振り返らずに連行されていった。
 そのオリヴァーとすれ違うように、クローヴィスが、こちらに向かって歩いてくる。

――クローヴィス。

 クローヴィスは、オリヴァーの前で一度止まると、彼へ一言二言、何かを告げた。オリヴァーもまた、軽く頷いたように見えた。
 クローヴィスは、オリヴァーの上司でもあった。ふたりの間でどんな会話が交わされたにしろ、コーデリアが聞くべきではない。
 周囲は事態の収拾に追われており、コーデリアに気付く者はいない。ただ、ひとりを除いては。
 クローヴィスと、目が合った。
 コーデリアは、一瞬、自分が何をしたかったのか忘れてしまった。
 彼はだんだんと早足になる。コーデリアは動けない。それどころか。

「あれ……」

 腰から力が抜けていた。

「どうして……なんで……?」

 ぺたりと石畳の上で膝をつき、おしりも冷たくなる。
 駆け寄ってくるクローヴィスの顔色が変わる。

「コーデリア……!」

 彼にも彼で、「仕事」があった。避難の確認や、警備の後始末……。自らが狙われていたと知っても、彼の危機に駆け付けた王室警護官たちが、事態が落ち着くまでコーデリアたちの元へ寄らせなかった。
 彼には彼の立場があることを、コーデリアもわかっていた。コーデリアが同じ立場でもきっとそうせざるを得ない。
 しかし、それでも「やるべきこと」と「やりたいこと」は違う。心の表と裏は別にある。

「く……」

 クローヴィス、と名前を呼びたいはずだったのに。
 自分がその名前で呼んでいいものか、躊躇って。
 そんな立場じゃないのだ、と自分を戒めて。
 それでも。
 それでも。

――目の前にいるこの人のことが好きで、その気持ちだけは捨てられない……!

 気づいたら、堰を切ったように泣いていた。わんわんと子どものように。
 兄が死んで以来、流さなかった涙が、溢れて止まらない。自身で何のコントロールも利かなかった。

「コーデリア……。泣くな、泣くな……私が悪かったから……」

 クローヴィスが眉を下げて、コーデリアに視線を合わせる。背中をさする。抱きしめて、優しく囁きかける。

「君に泣かれてしまうと、どうしようもなくなってしまうな……。きれいな目だって、腫れてしまうだろう?」
「き、きれいじゃないから……選んでくれない?」
「え……」
「あのご令嬢は……きれいな人でしょう」

 わがままを言っている自覚がある。それも止められない。一言口にするたび、涙がぽろぽろと落ちていく。

「そうか……」

 なぜか、クローヴィスはコーデリアの顔を覗き込み、微笑んでみせた。

「かわいいやきもちならいくらでも大歓迎だ。受け止めよう」

 クローヴィスはコーデリアの両肩を抱き、ゆっくりと立ち上がらせた。

「コーデリア、もう仕事に戻れそうか?」

 涙はいつの間にか止まっていた。

「はい。あの……ありがとうございました……宰相閣下」

 コーデリアは恥ずかしさのあまり俯いていた。
 クローヴィスは仕事の顔に戻りかけたように見えたが、ほんの一瞬だけ、コーデリアの手に自らの手を絡めると、耳元で、

「すべて片付けたら帰るよ。待っていてほしい」

 コーデリアは反射で「はい」と頷いた。
 頷き、歩き出した後で、言葉を反芻する。
 途端に、頭の中が沸騰したようになる。
 彼女はうろうろと頭を巡らせて、どうしよう、どうしようと迷った挙句、たまたま式典担当の同僚を近くで見つけたものだから駆け寄った。

「何かお手伝いすることありますか!」
「えっ、その恰好で!?」

 同僚はぎょっとした。
 コーデリアの服装といったら惨憺たるもので、ジャケットやスカートもすりきれているし、大事な金冠勲章すらどこかに行ってしまった。ドッグタグまで銃弾の形にへこんでいる。
 先ほど階段から落ちたばかりなのに、無傷なのも奇跡かもしれない。

「大丈夫ですよ。これでも元気なので。片付けの人手も足りないでしょう?」
「そうだな……うん、頼む」

 いまだに混乱している官吏たちを呼び戻し、現状の対応方法について決める。
 ダンカン長官すらいないので、すべては事後承諾となる。
 コーデリアたちはすぐに散会し、事態の収拾に取り掛かった。
 コーデリアも、こうして少しずつ日常に戻っていく。



 少し前のこと。ラヴィニアは、侍女が止めるのを振り切って、ふたたび会場へ近づいた。
 ウォルシンガム宰相が一度は避難しながら再度向かったのを聞いたからだ。
 もしかしたら、予感があったのかもしれない。

――あんなものを見せつけられたら……。

 ウォルシンガム宰相が、ひとりの女性の前で、見たことのない表情をしていた。泣いている彼女を、懸命に慰めていた。背中に触れる手つきすら愛しさに溢れている。
 あれはだれだろう。あれが‘冷血宰相’なのか。

「お嬢様!」

 侍女が彼女に追いついた。

「まだ危のうございます。戻りましょう!」

 ラヴィニアは、掌の扇子を強く握っていたことに気付く。力を緩めた。

――負けたのね。

 自分を崇めない男など、この世にいないと思っていた。だれもかれもが、彼女の魅力に抗えず、彼女の夫の座を求めているというのに、そうでない男もいるらしい。
 だからこそ彼女も興味をひかれたのかもしれないし、彼女が選ばれない結果も当然のものかもしれない。

――まあ、いいわ。

 彼女は、彼女をとろけるように愛してくれる男でなければ愛さない。
 ウォルシンガム宰相は、ラヴィニアが愛する価値のない男だったのだ。
 ねえ、と彼女は、婚家にもついていく予定の侍女に話しかけていた。

「わたくし、どこに行こうとも愛されてみせるわ。社交界で一番輝く宝石となるの。亡きお父様まできっと届くわね」
「はい、そうなさってください。お嬢様」

 ゼニスブルーの瞳の令嬢に、影のように控えていた侍女は肯定した。
 主従は振り返ることなく、去っていった。


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