惚れっぽい恋愛小説家令嬢は百戦錬磨の青年貴族に口説かれる→気づかない

川上桃園

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吐露する

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「ごきげんよう、先生。偶然ですね!」

 パークの小道で、セフィーヌは白いパラソルを上向きに傾ける。朗らかな陽気にふさわしい、明るい挨拶であった。

 ジドレルは、彼女の顔を見て、ぐっと詰まり、

「君はどうしてここに?」
「シーレ様にお会いしてきたのですよ。振られてしまいましたけれど」

 セフィーヌは笑った。

「先生が手紙でおっしゃった通りでした。互いの条件がどうしても折り合わなかったのです。シーレ様はわたくしが求めるものをお持ちではありませんでした。だからまた失恋です」

 何でもないようにセフィーヌは失恋の顛末を語る。

「ただ先生には申し訳なくて。せっかく手伝っていただいたのに、結局この機会を生かすことができませんでした。でもご安心ください。わたくし、まだ希望を捨てたわけではありませんから」

 千回目がダメでも千一回目は叶うかもしれないでしょう?
 自分の胸に手を当てるセフィーヌ。

「きっと、次こそ出会えます!」

 セフィーヌ、とジドレルは彼女に呼びかけた。

「シーレ氏が譲れなかった君の条件とは何だ?」
「それは……」

 宝石のような瞳が不安で揺らいでいるように見えた。そのまま言葉を飲み込んでしまうかと思ったが。

「……これを聞いても馬鹿にしないと約束していただけるなら」

 セフィーヌは、ちゃんと答えてくれた。

「しない、絶対」

 これを聞いた彼女は息を吸い、吐き出した。

「わたくしは、誰かの一番になりたいのです。愛する人の、唯一にずっとなりたかった」

 か細い肩は頼りなく、その視線は地面の石ころを見つめているようだった。

「わたくしを、愛してほしかった……」

 セフィーヌは両手を顔で覆った。でもしゃくりあげる声は聞こえず、次に見えたエメラルドグリーンの輝きは濡れていたけれど、泣いていたようには見えなかった。

 ジドレルは気づけばその頬に手を伸ばし、静かに撫でていた。

 そうか。セフィーヌの本音を聞いた彼はようやく腑に落ちた。
 さっぱり理由もわからないけれど。自転車に乗った彼女とぶつかりかけたその時から惹かれていたのだ。
 だからこそセフィーヌの気を引こうとあれほど躍起になれたのだ。

 すべてはセフィーヌに心奪われたせいだ。
 だから言葉が自然に零れる。

「君を今、一番に愛しているのはたぶん私だと思う」

 瞬間、ジドレルの手が跳ねのけられた。
 セフィーヌは彼を睨みつけながらぼろぼろと涙をこぼした。

「そんなことはありません! 他にも。いつか、きっと……」
「どうした?」

 体の前にもってきたその手がぎゅうっと握りしめられている。セフィーヌは体から絞り出すような声を出していた。

「先生がわたくしを憐れんでいるからっ。わたくし、そんなに可哀想な子じゃないのに、そんなことを言われてしまったら本当に自分が可哀想な気がしてくるのです! 先生も言うなら本命の女性だけにしてください、わたくしではなく!」
「……本命だから言っているんじゃないか」

 ジドレルはむっとして言い返す。

「あとは君が私を愛してくれれば君の望みだって叶う」
「それはそうでしょうけれど! 冗談でもおっしゃらないでください」
「嘘じゃない!」

 ジドレルは叫んだ。
 両脇の林で休んでいた鳥たちが一斉に飛び立った。彼ははっとして声を低めた。
 
「君みたいな女性を遊びで誘えるわけがない。正直言って私の好みとも遠い。それでもいつの間にかこうなってしまったのだから仕方がないんだ」

 なんだかおかしなことを言われている気がする。セフィーヌの涙が引っ込んだ。

 侯爵はその手にハンカチを握らせる。見覚えがある。セフィーヌが以前、服が濡れた侯爵に渡したハンカチだった。

 ハンカチを見下ろしていると、侯爵が取り上げて、セフィーヌの頬を拭う。侯爵は、ふん、と生意気な少年のような鼻息を漏らしてそのハンカチを再びポケットに戻した。

「さて」

 ジドレルはセフィーヌの手を引っ張った。つんのめりかけた彼女に気付くと、彼もさすがにその手を緩める。

「君への今後の指導について話がある。少し話そう」
「そ、そうですね……?」

 そうなの、と微妙に納得できないままセフィーヌは展開に流された。


 池のほとりのベンチになぜか二人で並んで座ることになる。
 水鳥が翼で跳ね上げた水しぶきが眩しく、そぞろ歩く貴族たちが遠くに見える。目の前をしゃっと自転車が通り過ぎる。
 
 また自転車に乗りたいな。

 そんなことを思ううち、さきほどのことも何かの夢じゃないかと思えてきた。だってありえない。貴公子ジドレル・キッソンがあらゆる女性の中からセフィーヌを選ぶだなんて。なぜセフィーヌなのかがわからない。本人だって不思議そうにしているじゃないか。

 じっとその顔を見てみれば、やはりいつ見たって端正だった。

「……私の顔を眺めてどうした」
「先生はとても良い顔をしていると思います」

 纏う雰囲気や体型まで素敵だとセフィーヌは遠慮なく褒めた。本人には褒めたという自覚はなく、ただ思ったからそのまま口に出したからに過ぎない。内心はひどく困惑したままだ。

 ジドレルは両膝に拳を乗せたまま、ふいっと顔を大きく逸らした。今度はぐっとセフィーヌの眼を見つめる。

「君の顔には派手さはないが、愛嬌がある。特にその瞳が澄んでいてとても綺麗だし、首筋にかけてのラインも美しい。その髪は美味しそうなチョコレート色をしていて、いつだって触りたくなる」

 それに、君自身にも尊敬する、と彼は続けた。

「君はとても面白い物語を書く。私には物語を書くだけの文才がないから、特に。……君にかかれば、どんなに平凡でつまらない舞台でも、魔法がかかったみたいにそこで生きる魅力的な人物たちが息をし始める。本当にすごい」

 ジドレルは『ケイン・ルージュ』のファンである。それでなければそれほど『ヴィンセント』を懸命に演じようとは思わなかっただろう。演技指導を受け持っている王太子妃には不本意ながらも一番の上達ぶりだと認められるほどなのだ。

「それは、ありがとうございます……?」
「どういたしまして」

 侯爵は大きくため息をつき、長い脚を組み換えて、両手を腹の上で組む。……彼としてはかなり勇気のいる発言だったのに、頬が赤らめるどころか微妙な反応をされてしまったのだ。

「ではこれからの話をしようか」
「は、え……そうですね、どうぞ」
「さきほど初めて私は君の本当の望みを知ったわけだが。それを踏まえて、今後どうしたい? 次の恋を探すのか?」
「それはもちろん……探します!」

 シーレ氏を好きな気持ちは変わらないが、セフィーヌはしつこい女ではないのだ。シーレ氏の幸せも遠くから見守るつもりである。

 侯爵は頬杖をついて、セフィーヌを横目に見た。

「もしかして君はまた、そうやって芽生えかけた恋心を散々に踏みにじって来たのではないか?」
「はい?」

 ジドレルは、こんな状況になったからわかったことだが、と前置きしてから、

「告白されて、気になって目を追ってみたら好きになってしまった。でも相手はその時にはもう心変わりをしており、そっと諦める。……君を振った千人の男の中にはそんな輩もいたのかもしれないということだよ。君はいつも諦めが良すぎる。同じ相手に二度恋をしないというのも変な話だ」

 ――何にも動じず、能天気に振る舞っているように見えて。本当の君は二度三度と拒絶されるのが怖いんだ。

 恋や愛を強く求める一方で、変なところが臆病な女の子。さらに、かなりの潔癖。浮気などは許せない。

 セフィーヌ・フラゴニアは実におかしな精神構造を持っている。それに付き合ってやろうとするジドレル・キッソンという男も大概物好きであることは、本人も自覚していた。

「そうでしょうか? だってわたくし、今まで一切男性の方に好意を持たれたことがありませんし」

 さらっとジドレルの好意を言外に否定するセフィーヌ。自分はどこまでも冗談か、あるいはリップサービスとしか受け取られないらしい。

「少なくともここに一人いる。君の千一番目の相手に立候補する男が。……かなりの優良物件だと思うけれどな?」

 ジドレルは白い手袋越しにセフィーヌの唇をなぞった。

「先生、でも。わたくし……」
「うん、何だ?」

 先生は、593番目なのです。
 申し訳なさそうにセフィーヌが言った。

「593とは何だ」
「593番目の恋だったのです。三年と少し前、先生が留学される前、一度だけお会いしたことがありました」

 セフィーヌの眼がなつかしげなものになる。しかし、すぐに自信なさそうに顔を伏せ、

「先生はきっとおぼえていらっしゃらないでしょう? わたくし、社交場で迷っていたところを先生に助けていただきました。だから赤薔薇の贈り物があるととても嬉しかったのです。先生の記憶になかったとしても、なんとなくその思い出と今が繋がっているような気がして……」

 何を思い出したのか、セフィーヌは嬉しそうにはにかんだ。
 彼女にとってはさぞや甘美な記憶らしいが、ジドレルはやはり面白くなかった。593と番付けされる恋は微妙すぎる。きりのいい千番目のシーレ氏と比べると、ジドレルの番号はただの素数。――つまり、他の有象無象の輩と一緒にされているのが面白くない。彼は自分こそ当時のセフィーヌを覚えていないのを棚に上げてもこう思う。

 593番目。そこに深い溝もしくは高い壁を感じる。
 しかし、彼はジドレル・キッソン。誰もが諦める難攻不落の城塞を征服するのに労力は惜しまない。シーレ氏が手放した今、何の遠慮もいらないではないか。

「心外だ。君からしたら私は『過去の男』の一人かもしれないが、私はそれで収まるわけがないだろう。今、ここにいるのだから」
「……いますね」

 ジドレルは鼻白んだ。すっとぼけているようで、真面目に頷くのだから罪な女だ。

 仕方なしに彼はセフィーヌの上唇を人差し指で弾く。口づけはさすがにしなかった。最初の一回で十分懲りた。

「先生?」
「君のことをもっと知りたいと思うよ。どんなささいなことでも。君の考えていることが知りたい」
「わたくしの考えていること……」

 何かの琴線に引っかかったようで、ややあってからセフィーヌはおずおずとこう切り出した。

「あの、こんなことを言っても先生は困ってしまうかもしれないのですが……」
「そんなことはない」

 だったら、とセフィーヌは話を続けた。

「実は……そのう、まだ『薔薇色の誘惑』の脚本が仕上がっていなくて。夫人に指定された日時が過ぎようとしているのです。と、いうよりもそもそも一文字も書けていなくて……最近はずっとそのことばかり考えています。それで」

 エメラルドグリーンが一瞬、縋るような色を帯びたのは気のせいだろうか。

「助けていただけませんか」


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