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ハウニーコートの恋
新婚旅行?行き先は任せて!
しおりを挟む与えられた休暇は二週間。取得したのが新婚ほやほやの男性ならば新婚旅行(ハネムーン)に使うものと相場が決まっている。私たち夫婦の場合は結婚直後に彼の方に仕事が入ったため、なし崩しで新婚旅行(ハネムーン)の予定もキャンセルとなっていた。
新婚旅行(ハネムーン)はぴんとこないが、私自身は旅行するのが好きだ。知らない土地の風景を見て、違う生活に飛び込んでみる体験にわくわくする。
だから私は旅行に行けるのをひそかに期待していた。南国がいい、北国もいいし、海の向こうの島国でもいい。
「そういえば、僕の父から管理を任された土地があっただろう? あそこに視察しに行かなければならないな」
午後、サロンでレモンクッキーをつまみながら小難しい法律書を開いていた彼が思い出したように言った時、私はあからさまにがっかりした顔になっただろう。
彼は伯爵家の次男であり、長男がすべての領地を相続する慣習を持つこの国では爵位を持つ立場にない。彼が自治省で会計監査官などという公職に従事しているのも、そうしなければ収入を得られないからである。
とはいえ、比較的堅実な領地経営をしているサルマン伯爵家は次男以下の息子たちにも間接的に財産を残すべく一部の領地の管理人を任せる方針を取っている。つまり、管理人としての収入も彼には入ってくるので、首都でもよい土地に立つこの大きな家を維持できる。
「結婚を機に譲られたところだから挨拶に行かなければ。あちらは僕の顔は知っているが、君も紹介しておきたい。君もそれでいいだろう?」
「……結局、お仕事ですよね?」
何をいまさら、という目で見られた。そういえば彼は仮にも新妻を置いて外国へ長期間の仕事に出かけられる仕事人間なのだった。
「休暇は、ふだん片付けられない仕事をこなすためにあるものだろう?」
「それはわかりますが……」
「何が不満なんだ?」
私は思い切って言った。
「せっかくだからもう少し遠くにも足を伸ばしませんか? ハウニーコートのような保養地にも行きたいです」
「ハウニーコート? 今から手配できるのか?」
「リチャードに頼みます。彼は昔、そのあたりのお屋敷に仕えていたらしく、今も顔が利くのだそうです。私たちが領地で視察をしている間に宿泊や食事を手配してもらいましょう。ほら、あそこは隣国内ですから……行ってみたくて」
ハウニーコート。それはよくロマンス小説で恋の生まれるバカンス地だ。海が近く、湯治場や温泉もある。郊外は草原が広がり、乗馬なども楽しめる。白い切り立った崖から海を眺めれば、さらに隣国の島が見えるらしい。小説の舞台になったそこを聖地巡礼してみたいとひそかに思っていたのだ。執事のリチャードが自分の経歴を話してくれた時から、その思いはさらに強くなっている。
「汽車でも少し……いや、だいぶ遠いな。あの領地からでも片道半日はかかるだろう? そこまで労力を使うのは無駄じゃないか?」
「無駄じゃないです!」
反射的に言い返したところではっと我に返った。口ごたえされたと思われたらどうしよう。両親にも口に気を付けろと何度も言われていたのに。
「自覚があるかどうかわからないですけど、これって一応、し、新婚旅行みたいなものでしょう? ハウニーコートはぴったりですよ。おすすめです!」
「新婚旅行(ハネムーン)……」
彼は呟いてから顎に手を当てる。
「そういえばそうだったね。いいよ。君の言うとおりにしよう」
「いいのですか!」
「僕だってそんなに狭量ではないさ。妻の望みぐらい聞く」
私は感動した。今すぐ彼の両手を持って「ありがとう、アドルファス!」とびょんびょん揺らしながらお礼を述べたくてたまらない。
「あ、ありが……」
「これで君の機嫌も直るだろ?」
……感謝の気持ちが失せた。この人、いちいち気分を盛り下げるようなことを言うから女性にもてないのではないか?
とっても残念な気持ちになったから、最後のレモンクッキーをしれっと自分の口に放り込んでおいた。すぐさま読書に戻った彼が空の皿に手を伸ばして空を掴んだのは見ないふりをした。これ見よがしに食べていたのに気づかれないってどういうこと?
それでもわずかに留飲を下げたので、いそいそと立ち上がり、執事の姿を探す。
――さあ、旅行の準備だ!
我が家の家政婦にも手伝ってもらいながら旅行用のトランクに自分の荷物を詰め込んだ。自分でチェックリストも作ったので忘れ物ももうないはず。
彼は彼で執事にいろいろと指図しているから心配していない。
いよいよ明日から首都を出発する日の午後。新米夫婦はそろって妻の実家に顔を出す予定になっていた。こちらは彼の帰国の挨拶も兼ねている。
なつかしの実家は普段からよく出かけているのでたいした感慨もないが、隣に夫がいる状況には慣れていない。
父も母も表向きはなごやかに婿を出迎えた。サロンに腰を下ろして、紅茶を片手に世間話に花を咲かせる。父は彼の外国での仕事ぶりには興味を持っているようだ。単に物珍しいからだろうが。
母は柔和な顔をしていたが、内心そうでないことを私は知っている。彼女は荒れ狂う感情を取り繕う際にはことさら優しく微笑んでみせるのだ。
彼が父の蔵書コレクションの紹介のため席を外しているうちに、母が私の隣に席を移し、
「それで、新しい生活はどうなの? 彼はとてもよくしてくれるのかしら? あなたはよき妻としてやっていけそう?」
「母様。あまり心配しないで。なんとかするから」
「ああ、やっぱり! こんなことになると思っていたのよ。あなた、初夜の時もそうとうごねたんでしょ。いいから恥をかきすてて従順に振る舞っておけば殿方は勝手にその気になってくれますから」
母は娘に山のような護符を持たせた。どれもこれも子宝に恵まれると聞いて占い師から購入したというが、効果はこの上もなく怪しそうだ。
「その気」も何も、彼には今のところその意思がないように思えるが、それを口にしたら母からさらに追加の護符を手渡されそうでもらえるものはもらって話は誤魔化しておいた。ぶっちゃけ、伯爵家同士の次男と三女の結婚なので継ぐべき家などないじゃないか。
サロンに戻ってきた彼は私の膝上にこんもり乗せられた護符の山に目を丸くする。
「それはどうしたんだ」
「……アドルファス。私たち、とってもいい夫婦だと思いません?」
「はぁ?」
話を合わせろ、と私は目線で訴えた。
「それはもうご安心していただけるぐらいには愛し合っていますが、なにか!?」
ふう、と呆れ混じりの吐息が隣から聞こえた。彼の手が膝の上に乗った私の両手を優しく握る。
「マティルダは照れると怒りだすところがとてもかわいいと思います。義父上(ちちうえ)、義母上(ははうえ)、彼女はよくやってくれています。はじめに不安がらせてしまった分、一生かけて大切にするとお約束します」
すらすらと並べ立てた美辞麗句に父はえらく感動したらしく、「アドルファス君、君を選んだのは正解だった、ありがとう、しょうもない娘だがよろしく頼むよ」とまくしたてた。母は母で「マティルダも安心ですね」とにこにこ笑っているので最後まで誤魔化せたのはひどく謎である。
帰りの馬車ではさきほどまでのやり取りに気が咎めてしまって、「話を合わせてくださってありがとうございます」と告げた。
「たいしたことではないよ。前にも言ったとおり、外見から取り繕うことにしたんだから。君だって承知したから協力するのも当然だ。 今回は君の御両親を安心させるためだったけれども、次の機会はすぐ来る。わかるね?」
「サルマン伯爵家の方々、でしょう?」
「そのとおりだ。次に頑張るのはマティルダの方になるだろうね。あちらはむしろ僕のことで君に対して申し訳ないと思っている節があるからたいして難しくはないだろうが」
はい、と頷いてみせる。
「ご心配なく。私が両親に心配をかけたくないのと同様に、あなたもご自分の御両親を想っていることぐらい承知していますから」
彼の両親は今、自らの領地に戻っている。彼は妻を連れてはじめて帰省する。私には緊張する対面になるだろう。今まで話した限りではうちの両親よりかなりの人格者というイメージがある。
「なら僕からいうことは何もないよ。そもそも君の場合はそこまで心配もしていないけれどね」
我が家の前で馬車が止まる。彼に手を取られて下りれば、腰をぐっと引き寄せられた。
「アドルファス?」
「マティルダ……」
彼は物言いたげな顔で私を見下ろしている。折しも時刻は夕方で、空が夕焼けに染まっていて、彼の顔にも夜の影が差しつつあった。
「はじめて気が付いたよ。君の唇の横には小さなほくろがあったんだね」
「……そんなことを言いたかったのですか」
「うん」
彼はぱっと手を放してすたすたと歩いていってしまった。私の前には出迎えに出てきた執事と家政婦が残る。
「教えてほしいのだけれど、意味ありげに見下ろされてほくろの話をされるのはどういうこと?」
この二人は長年の経験による処世術を発揮したのか、「わたくしどもにはとても想像できるものではございません」と口をそろえた。憎らしいほどよくできた使用人たちである。
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