恋をし恋ひば~今更な新婚生活の顛末記~

川上桃園

文字の大きさ
12 / 18
サルマン家のパーティー

奥様のおおせのままに

 招待カードはすべて発送し終えた。もう後戻りはできない。パーティーの流れを詰めたり、料理長と晩餐のメニューを相談したりするうちに両家からの返答が届いた。
 夫の家からは義父母、私の家からは父母、そして姉二人が招待を受けると返事をしてきた。正直、姉二人は子どもも小さいのでこちらには来ないと思っていたのだが、おおかた野次馬根性で顔を出すつもりなのだろう。特に上の姉。

「……お義兄さまたちはどちらも先約があったから行けないみたい。晩餐の席順を考え直さないと」
「問題ございませんわ。お姉さま方のエスコートは男性お二人に女性二人ずつお任せする形にしましょう」
「ええ。それならお義父さまには下の姉をお願いしてみようかしら。たしか、家同士でもお付き合いがあったはずだから気まずくもならないでしょうし」
「かしこまりました。そのようにいたします」
「ありがとう、イザベル」

 家政婦は「当然のことでございますわ」とさらっとした反応だが、これほど力強い味方もそうそういない。
 執事との奇妙な冷戦状態はまだ続いている。彼は私のことも含め、きちんと仕事はこなすけれども、当たり障りのない表面的な付き合いに留めている。
 夫が執事に事情を尋ねると約束してから三日目の夜。晩餐の後、彼が私の部屋を訪れた。話があるというからきっと執事の件だとすぐにわかった。
 ベッドに腰かけた彼は隣に私を座らせるとそのまま口火を切る。

「マティルダ。今もリチャードの態度は変わっていない?」
「私の知る限り、変わっていません」
「うん。……これ以上、悪化するようならしかるべき対処も考えなくてはならないな」
「リチャードを辞めさせるのですか?」
「そう」

 話が一足飛びになった気がしてどきりとした。執事の仕事ぶりはあいかわらず完璧だ。私への態度のみでもって彼の生活もかかった仕事を奪うことは妥当なのか。

「あなたはリチャードをとても頼りにしていたでしょう?」
「君がやりにくいのでは意味がないじゃないか。家の女主人を尊重できないことは、仕事ができないよりも致命的だよ」
「イザベルにはどう話をするのですか」
「ありのままを。あとは彼女の判断に委ねるしかない」

 どんどん話が具体的になるにつれ、私の中で「これでいいのか」という疑問が広がった。そういえば、私は面と向かってリチャードに態度の理由を問いただしたことはなかった。

「リチャードはなぜあんな態度を取っていたのですか? 尋ねてくれるとおっしゃっていましたよね」
「うん。聞いてみたよ。でも彼もなかなか本音を言わない人だった。十答えるべきところを当たり障りのない一しか話してくれない。普段ならばそれでいいが、こういうときに腹割って話してもらわないと困る」
「……私、リチャードに訊ねてみようと思います」
「君が?」
「辞めてもらうにしろ、後悔のないようにしたい。正面からいってどうにもならなかったら、諦めもつきます」

 主人の不在の間も彼は仕事に手を抜かなかった。彼が担当する銀食器はいつも一つの曇りもなく磨かれていたし、私が対処に困った来客の応対を手助けし、家の窓ガラスにひびが入っていたのをいち早く気づいて修理を手配したのも彼だ。

「……まだリチャードは起きていますよね」
「今から行くつもり?」

 彼がマントルピースの置時計を指さした。午後十時。夜も更けてきたけれど、執事はきっと起きている。

「今聞かないと、明日にはまた聞きにくくなってしまいますから」
「僕も行こうか?」
「大丈夫です。もう二人で話し合われたのなら、今度はあなたのいないところで聞いてみた方がいいです」
「そうか。なら僕はおとなしく部屋で待っていることにする」

 彼はそのまま後ろへ倒れ込んだ。私のベッドに。

「ここで?」
「ここで。このベッドのスプリングが気に入ったんだ」
「いいですけれど。くれぐれも、本棚はいじらないでくださいね」
「僕もさすがにそこまで無神経じゃない」

 執事は使用人用の小さめの食堂で銀食器を磨いていた。オイルランプと、安めの酒瓶がテーブルに並んでいる。彼は私が階段を下りてくる音に気付いて顔を上げる。

「リチャード。お話があります」
「奥様。今日は夜遅いですから明日にいたしましょう」
「明日になったら話を聞いてくれる?」

 彼は無言を貫いた。それが彼なりの誠実な対応なのだろう。
 私は勝手に彼の正面の椅子に腰かけた。

「ここのところ、とてもやりにくいの。リチャードが何を考えているのかまったくわからないわ」
「奥様はわたくしめのことなどより、パーティーの準備に集中された方がよろしいかと存じます。そしてこのようなところにいらっしゃってはなりません」
「準備はイザベルに手伝ってもらっているから順調よ。問題があるのはリチャードの方だわ。この家ではただでさえ使用人が少ないのに、その中で上手くやっていくにはあなたの助けは不可欠なの。……今までは上手くやっていけていた。私の、何が問題?」

 執事は磨きの手を止めて、困ったと言いたげな顔をする。

「奥様はお若いですね。てらいもなく直にお聞きになる。ご自分が傷つくことなど考えてもいらっしゃらない。……わたくしが本音を言いましたら傷つかれるのは奥様ばかりではないのです」
「どういうこと?」
「わたくしは自分の手でよってお屋敷が居心地のよい空間に変わっていくのを喜びとし、またその理想のために生きてまいりました。それを壊すような真似を自ら行うことは、誇りにかけてもできないということです」

 彼の表現は婉曲的でわかりにくく、自分の頭では咀嚼しきれない。しかし、さすがに次の彼の言葉の意味は取り損ねなかった。

「奥様。旦那様に紹介状を書いていただけるようにお伝えください。次の勤め先を得るために必要になりますので」


 なんで。ふたたび問い返すこともできなかった。
 部屋に戻ったあと、夫に事の次第を報告したけれども「そうか」と言ったきり何かを思案している様子だ。胸の奥がもやもやする中にも日々は過ぎ、とうとうパーティーの日がやってきた。
 当日の夕方、両家の馬車が我が家の門前に留められ、着飾った男女が下りてくる。

「お招きありがとうございます」

 アドルファスと握手したのは私の父。社交的に卒がない。母は父に倣って私と握手をしたけれども含みのある笑顔なので油断ができない。
 父と母のうしろには姉二人が続く。澄ました顔の姉と穏やかな顔の姉は女主人として表玄関先に立つ私をどう思ったのかわからないが、とりあえず何も言わないで無難に挨拶を済ませた。
 後に到着したのは夫の家族だ。サルマン伯爵夫妻は私に親しみのこもった笑みを向けてくれたのでこちらもほっとする。
 アドルファスの兄は夫から神経質さを抜いて、朗らかさと育ちの良さを足した人物で、私にも丁寧に接してくれるからやりやすい。
 招待客を客間へ案内する。婦人はトワレットと呼ばれる身支度するための部屋を必要とすることもあるので、その場所も伝える。
 女性は外套を脱ぎ、時には外出用のドレスも着替えるため、晩餐に至るまで時間がかかる。その間に、私は階下に下りて、使用人たちと最後の段取りの相談を済ませておく。特に今回は余所から臨時の使用人も雇入れたので打合せも念入りに行った。

「こちらは大丈夫ですわ。そろそろ奥様のご準備もしませんと。髪型が少し乱れておりますわ。時間がございませんからわたくしの部屋まで来ていただけませんか?」

 すぐに家政婦の部屋に行き、鏡の前で再度、支度を点検する。ターコイズブルーに白い小花を散らした柄のイブニングドレスは大きく胸元が開き、デコルテ部分が露わになっている。

「ここでは少し寒いわね」
「上はしっかり暖炉で温めておりますので快適です。お客様もきっと満足されておりますわ」

 彼女は手早く崩れた髪型を櫛で器用に整えてしまう。最後に鏡越しに目と目が合った。

「奥様。今日のことで他に何かご不安なことはございませんか?」
「たくさん段取りの練習をしたから大丈夫だと思う。アドルファスのご家族はともかく私の母と姉が納得してもらえばこのパーティーは成功したも同然ね」
「わたくしから見ても奥様は最善を尽くされていました。困ったことがあれば旦那様に頼ってくださいませ。きっと助けてくださいます」
「そうかな?」
「奥様が納得されるまで何度もパーティーの練習に付き合ってくださったではありませんか。奥様は十分に愛されておいでです」
「そうかなぁ」

 なんだかんだと人がいいから責任を感じて付き合ってくれているような気もする。大体こういうときの彼は表情がわかりにくいので見ているこちらも首を傾げてしまう。

「でも気にかけてもらえているならうれしい、ね」
「奥様。もう『お忘れ物』はございませんね?」
「うん」

 階下と階上を繋ぐ階段の傍で、夫が待っていた。前髪をうしろに撫でつけ、燕尾服を着こなした姿は知人時代を思い出させた。でも今はもうお互いの立場は知人以上に近くなった。

「お待たせしました」
「うん、待っていた。もう万全?」
「もちろん」

 夫と腕を組むのも慣れて来た。この調子で夫の存在が自分の身に馴染んでいくのだろうと最近、肌感覚で感じる。そこに嫌悪感はまるでないのだから私は夫のことを同居人ぐらいには親しみを持っているのかもしれない。

「今夜の目的は忘れていないか?」
「覚えていますよ。ちゃんと夫婦がやっていけていることを見せることでしょう?」
「うん。お互いにそれらしい振る舞いが必要だ」

 言葉に含みを持たせる夫。これは宣戦布告と見た。受けて立つ。

「ええ。しっかりべったりアドルファスにくっついていればいいのでしょう? アドルファスも合わせてくださいね。とろけそうな眼差しをお願いします」
「僕がそれをやったら正気を疑われるよ。柄じゃない」
「柄ではないからこそぐっとくるのですよ」

 その時。執事がやってきて「そろそろお時間です」と告げる。私たちは顔を見合わせて。

「そろそろ行こう」
「はい。でも少しだけ待って」

 俯き顔の執事の前に立つ。私と彼との間にはいまだ透明な壁が阻んでいる。自分を拒絶しているとわかっていながら話しかけるのはとても勇気がいる。だが今逃したらもう言えないと思った。

「リチャード」

 私が名前を呼んだところで執事は何の反応を示さない。わかっていたけれど、心がぽきりと折れそうになる。
 しかし、彼は今までとてもよくしてくれた。主人が不在のこの家を支えてくれていた人だった。そこに対する感謝は決して揺るがない。

「今晩が最後だと聞いたの。今までありがとう。あなたのおかげで夫が不在の間も楽しい生活ができました。今夜も完璧な給仕をお願いします」

 石のようだった執事はぴくりと体を震わせ、「かしこまりました」と深々と礼を取る。

「奥様のおおせのままに」
感想 2

あなたにおすすめの小説

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

【完】初夜寸前で「君を愛するつもりはない」と言われました。つもりってなんですか?

迦陵 れん
恋愛
侯爵家跡取りのクロディーヌと、公爵家三男のアストルは政略結婚といえども、幸せな結婚をした。 婚約者時代から日々お互いを想い合い、記念日にはプレゼントを交換し合って──。 なのに、記念すべき結婚初夜で、晴れて夫となったアストルが口にしたのは「君を愛するつもりはない」という言葉。 何故? どうして? クロディーヌは混乱に陥るも、アストルの真意は掴めない。 一方で、巷の恋愛小説ばりの言葉を放ったアストルも、悶々とした気持ちを抱えていて──。 政略で結ばれた婚約でありながら奇跡的に両想いとなった二人が、幸せの絶頂である筈の結婚を機に仲違い。 周囲に翻弄されつつ、徐々に信頼を取り戻していくお話です。 元鞘が嫌いな方はごめんなさい。いろんなパターンで思い付くままに書いてます。 楽しんでもらえたら嬉しいです。    

年下で可愛い旦那様は、実は独占欲強めでした

由香
恋愛
政略結婚で嫁いだ相手は―― 年下で、可愛くて、なぜか距離が近すぎる旦那様でした。 「ねえ、奥さん。もうちょっと近く来て?」 人懐っこく甘えてくるくせに、他の男が話しかけただけで不機嫌になる彼。 最初は“かわいい弟みたい”と思っていたのに―― 「俺、もう子供じゃないよ。……ちゃんと男として見て」 不意に見せる大人の顔と、独占欲に心が揺れていく。 これは、年下旦那様にじわじわ包囲されて、気づいたら溺愛されていた話。

【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝
恋愛
毎日更新 侯爵令嬢セレスティアは、第二王子リヒトの婚約者。 冷たくされても「愛されている」と信じてきた――けれど、ある夜すべてが壊れる。 「お前みたいな女を愛する者などいない」 絶望の底で手を差し伸べたのは、“本当の王子”だった。 これは、捨てられた令嬢が見出され、溺愛され、 嘲笑った婚約者がすべてを失って後悔するまでの物語。 今さら縋りついても、もう遅い。 彼女はもう、“選ぶ側”なのだから。

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

逆行転生、一度目の人生で婚姻を誓い合った王子は私を陥れた双子の妹を選んだので、二度目は最初から妹へ王子を譲りたいと思います。

みゅー
恋愛
アリエルは幼い頃に婚姻の約束をした王太子殿下に舞踏会で会えることを誰よりも待ち望んでいた。 ところが久しぶりに会った王太子殿下はなぜかアリエルを邪険に扱った挙げ句、双子の妹であるアラベルを選んだのだった。 失意のうちに過ごしているアリエルをさらに災難が襲う。思いもよらぬ人物に陥れられ国宝である『ティアドロップ・オブ・ザ・ムーン』の窃盗の罪を着せられアリエルは疑いを晴らすことができずに処刑されてしまうのだった。 ところが、気がつけば自分の部屋のベッドの上にいた。 こうして逆行転生したアリエルは、自身の処刑回避のため王太子殿下との婚約を避けることに決めたのだが、なぜか王太子殿下はアリエルに関心をよせ……。 二人が一度は失った信頼を取り戻し、心を近づけてゆく恋愛ストーリー。

旦那様には想い人がいるようなので、私は好きにさせていただきます!

水川サキ
恋愛
君を愛することはできない。 なんて言われても、大丈夫です。 知ってますから~。 どうぞ愛人と仲良くね! 私は自由を満喫しまーす! ※他サイトに掲載