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5話 そんな獣を飼っている相手は嫌だ
5話 そんな獣を飼っている相手は嫌だ
その日、フォルヴェール公爵邸は朝から少しだけ落ち着かなかった。
廊下を行き交う使用人たちの足がいつもより速い。花瓶の位置が直され、お茶の香りが早くから漂っている。客間の扉は磨かれ、絨毯の端までぴしりと整えられていた。
リリアーナは、その空気の意味を知っている。
「きょう、セドリックさまがくるの」
朝から乳母にそう言われていた。
婚約者。王太子。将来、いちばん偉い人になる人。
言葉としては知っている。でもリリアーナにとってのセドリックは、会うたびに少し眉をひそめて、あまり長く一緒にいてくれない人、という印象のほうが強かった。
「おじょうさま、今日はくれぐれもお静かに」
「しずかに?」
「ええ。よけいなことはなさらず、にこやかに」
「よけいなことって、なあに?」
乳母は少しためらってから、ぴよちゃん、ミーちゃん、ワンちゃんへ視線を向けた。
「……できれば、その子たちも」
リリアーナはぱちぱちと瞬いた。
「この子たち?」
「はい。できれば客間には」
「だめ」
思ったより早く、言葉が出た。
乳母が少し驚いた顔になる。
リリアーナは自分でも驚いていた。でも、だめなものはだめだった。
「この子たち、いい子だもの」
「おじょうさま……」
「おとなしくしてるよ」
「そういう問題では」
「だいじょうぶ。ちゃんと、いい子にしててねっていうから」
頭の上のぴよちゃんが、ぴよ、と短く鳴く。窓辺のミーちゃんは半目のままだ。ワンちゃんだけが静かにこちらを見ていた。
乳母はしばらく困った顔をしていたが、やがて深いため息をついた。
「……せめて、お行儀よく」
「うん」
「本当に、お行儀よく」
「うん」
たぶん、まったく安心していないのだろう。それでも止めきれないあたり、ここ数日の乳母の苦労が見える。
リリアーナは小さく笑った。
「みんな、きょうはおとなしくするのよ」
「ぴよ」
「にゃー」
「わん」
返事はそれぞれだ。でも、たぶん通じた。そう思うことにして、リリアーナは客間へ向かった。
客間は明るい部屋だった。大きな窓から庭が見えて、金色の縁取りをされた椅子が並んでいる。普段のリリアーナには少し広すぎる部屋だけれど、今日はぴよちゃんが頭にいて、ワンちゃんが少し後ろを歩いていて、ミーちゃんはいつのまにか棚の上にいた。
だから、あまり広く感じなかった。
しばらくして、扉が開く。
先に入ってきたのは公爵である父だった。その後ろから、年若い少年が現れる。
セドリック・アルヴェイン。
まだ少年と呼べる年頃なのに、衣装も姿勢もいかにも王族らしい。金の髪は丁寧に整えられ、青い瞳にはきつい光がある。整った顔立ちをしているのに、リリアーナにはいつも少し冷たく見えた。
「リリアーナ」
父に促されて、リリアーナは立ち上がる。
「ごきげんよう、セドリックさま」
「……ごきげんよう」
返事はあった。けれど、それは挨拶というより確認に近かった。
セドリックの視線は、リリアーナの顔を見たあと、すぐに別のものへ移る。頭の上のぴよちゃん。少し離れたワンちゃん。棚の上のミーちゃん。
その瞬間、彼の眉が露骨に寄った。
「……また、それか」
リリアーナはきょとんとした。
「また?」
「その鳥だ。猫もいるのか。……犬まで」
父の顔がわずかにこわばる。乳母が後ろで息を呑むのが分かった。
けれどリリアーナには、なぜそんな空気になるのか分からなかった。
「ぴよちゃんと、ミーちゃんと、ワンちゃんよ」
「名前をつけたのか」
「うん」
嬉しそうにうなずくと、セドリックの顔はますます嫌そうになった。
「客間に獣を入れるな」
「けもの?」
その言葉に、リリアーナは小さく目を見開いた。
ぴよちゃんが頭の上で羽をふくらませる。棚の上のミーちゃんは、金の目を細くした。ワンちゃんの喉の奥で、ごく低く小さな音が鳴る。
けれどリリアーナには、その意味までは分からない。
「この子たち、いい子だよ?」
「いい子かどうかの問題じゃない」
セドリックは明らかに苛立っていた。
「見苦しい。毛も落ちるし、臭いもつく」
「くさくないよ」
「私には耐え難い」
言い切られて、リリアーナは口をつぐんだ。
自分が責められていることよりも、ぴよちゃんたちが汚いものみたいに言われたことの方が、胸に刺さる。
ぴよちゃんは毎朝ちゃんと羽を整えている。ミーちゃんだってとてもきれい好きだ。ワンちゃんは大きいけれど、ふわふわで、あったかくて、少し草の匂いがするだけだ。
それが嫌だと言われるのは、どうしてだろう。
「……この子たち、わるいことしないのに」
声は自然と小さくなった。
セドリックはその言葉を聞いても、少しもやわらがなかった。
「している。こうして私を不快にしている」
ぴよちゃんが、ぴよぴよっと怒ったように鳴く。その声はいつもより鋭かった。リリアーナには抗議に聞こえたけれど、何を言っているのかまでは分からない。
棚の上のミーちゃんも、にゃあ、と短く鳴く。いかにも冷たい声だった。
そしてワンちゃんが、一歩だけ前へ出た。
「ワンちゃん?」
リリアーナが呼ぶと、白銀の大きな体がぴたりと止まる。でも金色の目だけは、まっすぐセドリックを見据えていた。
客間の空気が少し変わった。
父が厳しい声を出す。
「リリアーナ」
「……はい」
「その犬を下がらせなさい」
犬。たしかに犬だ。でも、ワンちゃんは勝手に噛んだりしない。
リリアーナは小さく息を吸った。
「ワンちゃん、だいじょうぶよ。けんかしちゃだめ」
ワンちゃんは耳をぴくりと動かし、それから静かに元の位置へ戻った。
その様子を見ていたセドリックの顔に、一瞬だけ別の色が差した。驚きか、腹立ちか、その両方か。
「……躾はできているのか」
「おて、できるの」
ついそう答えてしまった。
ぴよちゃんが頭の上でぴよっと鳴く。ミーちゃんは片耳だけ動かした。
セドリックは、まるで理解できないものを見る顔をした。
「そんな話をしているのではない」
「でも、おりこうなの」
「だから何だ」
その言葉は、冷たかった。
「犬や猫や鳥にうつつを抜かすような娘など、王家にはふさわしくない」
リリアーナはその言葉の半分も分からなかった。でも、よくないことを言われているのだけは分かる。
胸の奥が、少しだけきゅっとした。
「……どうして?」
思わずそう聞いていた。
「どうしてって、何だ」
「この子たち、いい子よ」
「だから嫌なんだ」
セドリックは、とうとうはっきり言った。
「そんな獣を飼っている相手は嫌だ」
しん、と部屋が静まる。
父も、乳母も、後ろに控える使用人たちも、誰もすぐには動かなかった。
リリアーナは、しばらくその意味を飲み込めなかった。
嫌だ。
そんな獣を飼っている相手は嫌だ。
その言葉は、自分に向けられているのに、自分にだけではなかった。ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも、まとめて拒まれたのだと分かった。
頭の上で、ぴよちゃんが不機嫌そうにぴよぴよ鳴く。ミーちゃんは棚の上で尻尾を一度、強く揺らした。ワンちゃんの耳はわずかに伏せられている。
怒っている。たぶん、みんな怒っている。
でもリリアーナには、その中身まで分からない。
だから、自分の言葉で言うしかなかった。
「……この子たち、きらいなの?」
セドリックは迷いなく答える。
「ああ。好きになれるはずがない」
リリアーナは、小さくうつむいた。
悲しいのか。悔しいのか。よくわからない。でも、胸が冷たくなる感じがした。
この子たちは、誰にも迷惑をかけていない。ただ、そばにいるだけだ。あたたかくて、やわらかくて、寂しくないようにしてくれるだけだ。
それを嫌いだと言われた。それだけで十分、つらかった。
「……わたしは、すき」
ぽつりとこぼれた声に、父がはっとしたように顔を上げた。
リリアーナは勇気をふりしぼるように、もう一度言う。
「ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも、すき。わるいことしないもの」
顔を上げると、目の前のセドリックはあきれたような顔をしていた。
「だから困る。そういうところが子どもじみている」
「……こどもだもの」
「そういう問題じゃない」
セドリックは吐き捨てるように言う。
「王家に必要なのは、場をわきまえ、余計なものを捨てられる妃だ」
「よけいなもの?」
リリアーナは首をかしげた。
その言葉の意味を、今度はちゃんと理解してしまった。
余計なもの。この子たちのことだ。
「……すてるの?」
小さな声だった。
「私と結婚するなら、そうすべきだろう」
その瞬間だった。
ワンちゃんの喉から、今まででいちばん低い唸り声が漏れた。ぴよちゃんは頭の上で羽をふくらませ、ミーちゃんは棚の上から音もなく立ち上がる。
三匹とも、明らかに怒っていた。
けれど、それでも神獣たちは動かなかった。動くより先に、リリアーナが動いたからだ。
「あうっ、けんかしちゃだめ!」
小さな両手でぴよちゃんを押さえ、ワンちゃんの方へ振り向き、ミーちゃんにも目を向ける。必死の仲裁だった。
セドリックには、きっとただ奇妙な光景にしか見えなかっただろう。でもリリアーナにとっては、とても大事なことだった。
この子たちを怒らせたくない。傷ついてほしくない。そして何より、捨てるなんて言葉を聞かせたくなかった。
「わたし、すてないよ」
誰に向けてなのか、自分でも分からなかった。セドリックへかもしれないし、三匹へかもしれない。
でも、その言葉だけはちゃんと口にしたかった。
「この子たち、すてない」
客間はしんと静まり返る。
父が重い声で言う。
「今日はもう、このくらいにしておこう」
それは会話の終わりだった。
セドリックは不満そうな顔をしたが、これ以上ここにいる気もなかったのだろう。踵を返し、父とともに扉の方へ向かう。
去り際、彼は一度だけ振り返った。
その視線はリリアーナではなく、やはりぴよちゃんと、ミーちゃんと、ワンちゃんに向けられていた。
嫌悪。理解不能。そして、ほんの少しの恐れ。
でもリリアーナには、そこまで読み取れない。ただ、最後まで好きになってもらえなかったのだと分かっただけだ。
扉が閉まる。
ようやく息ができる気がした。
「あう……」
頭の上で、ぴよちゃんが小さく鳴く。ミーちゃんは音もなく棚から降りてきて、リリアーナの足元へ座る。ワンちゃんは静かに近づき、大きな頭を彼女の手のそばへ差し出した。
いつもの、お手なのか、慰めなのか分からないしぐさ。
リリアーナはそれを見て、少しだけ笑った。少しだけ、泣きそうでもあった。
「……だいじょうぶ。この子たち、きらいなんだって」
ぴよちゃんが、ぴよぴよっと不機嫌そうに鳴く。ミーちゃんは、にゃあ、と短く返した。
たぶん慰めている。たぶん怒っている。たぶん両方だ。
でも、リリアーナには詳しくは分からない。
それでも、そばにいてくれることだけは分かる。
「わたしは、すきだよ。ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも。みんな、すき」
その言葉に、ぴよちゃんは頭の上で落ち着いた。ミーちゃんは足元に体を寄せる。ワンちゃんは、さらに頭を押しつけてくる。
あたたかい。やわらかい。少し重い。
けれど、その重みがあるだけで、さっきまでの冷たい気持ちが少しずつほどけていく。
リリアーナは目を閉じた。
嫌われたことは、たぶん悲しい。でも、それよりも大事なことがある。
この子たちを嫌う人は、きっと、自分には無理なのだ。
まだ幼い彼女は、その意味を言葉にできない。けれど胸の奥で、小さな答えだけが生まれていた。
この子たちを嫌う人と、いっしょになるのは、いや。
それが、のちに彼女を救うことになる想いだと、この時はまだ誰も知らなかった。
その日、フォルヴェール公爵邸は朝から少しだけ落ち着かなかった。
廊下を行き交う使用人たちの足がいつもより速い。花瓶の位置が直され、お茶の香りが早くから漂っている。客間の扉は磨かれ、絨毯の端までぴしりと整えられていた。
リリアーナは、その空気の意味を知っている。
「きょう、セドリックさまがくるの」
朝から乳母にそう言われていた。
婚約者。王太子。将来、いちばん偉い人になる人。
言葉としては知っている。でもリリアーナにとってのセドリックは、会うたびに少し眉をひそめて、あまり長く一緒にいてくれない人、という印象のほうが強かった。
「おじょうさま、今日はくれぐれもお静かに」
「しずかに?」
「ええ。よけいなことはなさらず、にこやかに」
「よけいなことって、なあに?」
乳母は少しためらってから、ぴよちゃん、ミーちゃん、ワンちゃんへ視線を向けた。
「……できれば、その子たちも」
リリアーナはぱちぱちと瞬いた。
「この子たち?」
「はい。できれば客間には」
「だめ」
思ったより早く、言葉が出た。
乳母が少し驚いた顔になる。
リリアーナは自分でも驚いていた。でも、だめなものはだめだった。
「この子たち、いい子だもの」
「おじょうさま……」
「おとなしくしてるよ」
「そういう問題では」
「だいじょうぶ。ちゃんと、いい子にしててねっていうから」
頭の上のぴよちゃんが、ぴよ、と短く鳴く。窓辺のミーちゃんは半目のままだ。ワンちゃんだけが静かにこちらを見ていた。
乳母はしばらく困った顔をしていたが、やがて深いため息をついた。
「……せめて、お行儀よく」
「うん」
「本当に、お行儀よく」
「うん」
たぶん、まったく安心していないのだろう。それでも止めきれないあたり、ここ数日の乳母の苦労が見える。
リリアーナは小さく笑った。
「みんな、きょうはおとなしくするのよ」
「ぴよ」
「にゃー」
「わん」
返事はそれぞれだ。でも、たぶん通じた。そう思うことにして、リリアーナは客間へ向かった。
客間は明るい部屋だった。大きな窓から庭が見えて、金色の縁取りをされた椅子が並んでいる。普段のリリアーナには少し広すぎる部屋だけれど、今日はぴよちゃんが頭にいて、ワンちゃんが少し後ろを歩いていて、ミーちゃんはいつのまにか棚の上にいた。
だから、あまり広く感じなかった。
しばらくして、扉が開く。
先に入ってきたのは公爵である父だった。その後ろから、年若い少年が現れる。
セドリック・アルヴェイン。
まだ少年と呼べる年頃なのに、衣装も姿勢もいかにも王族らしい。金の髪は丁寧に整えられ、青い瞳にはきつい光がある。整った顔立ちをしているのに、リリアーナにはいつも少し冷たく見えた。
「リリアーナ」
父に促されて、リリアーナは立ち上がる。
「ごきげんよう、セドリックさま」
「……ごきげんよう」
返事はあった。けれど、それは挨拶というより確認に近かった。
セドリックの視線は、リリアーナの顔を見たあと、すぐに別のものへ移る。頭の上のぴよちゃん。少し離れたワンちゃん。棚の上のミーちゃん。
その瞬間、彼の眉が露骨に寄った。
「……また、それか」
リリアーナはきょとんとした。
「また?」
「その鳥だ。猫もいるのか。……犬まで」
父の顔がわずかにこわばる。乳母が後ろで息を呑むのが分かった。
けれどリリアーナには、なぜそんな空気になるのか分からなかった。
「ぴよちゃんと、ミーちゃんと、ワンちゃんよ」
「名前をつけたのか」
「うん」
嬉しそうにうなずくと、セドリックの顔はますます嫌そうになった。
「客間に獣を入れるな」
「けもの?」
その言葉に、リリアーナは小さく目を見開いた。
ぴよちゃんが頭の上で羽をふくらませる。棚の上のミーちゃんは、金の目を細くした。ワンちゃんの喉の奥で、ごく低く小さな音が鳴る。
けれどリリアーナには、その意味までは分からない。
「この子たち、いい子だよ?」
「いい子かどうかの問題じゃない」
セドリックは明らかに苛立っていた。
「見苦しい。毛も落ちるし、臭いもつく」
「くさくないよ」
「私には耐え難い」
言い切られて、リリアーナは口をつぐんだ。
自分が責められていることよりも、ぴよちゃんたちが汚いものみたいに言われたことの方が、胸に刺さる。
ぴよちゃんは毎朝ちゃんと羽を整えている。ミーちゃんだってとてもきれい好きだ。ワンちゃんは大きいけれど、ふわふわで、あったかくて、少し草の匂いがするだけだ。
それが嫌だと言われるのは、どうしてだろう。
「……この子たち、わるいことしないのに」
声は自然と小さくなった。
セドリックはその言葉を聞いても、少しもやわらがなかった。
「している。こうして私を不快にしている」
ぴよちゃんが、ぴよぴよっと怒ったように鳴く。その声はいつもより鋭かった。リリアーナには抗議に聞こえたけれど、何を言っているのかまでは分からない。
棚の上のミーちゃんも、にゃあ、と短く鳴く。いかにも冷たい声だった。
そしてワンちゃんが、一歩だけ前へ出た。
「ワンちゃん?」
リリアーナが呼ぶと、白銀の大きな体がぴたりと止まる。でも金色の目だけは、まっすぐセドリックを見据えていた。
客間の空気が少し変わった。
父が厳しい声を出す。
「リリアーナ」
「……はい」
「その犬を下がらせなさい」
犬。たしかに犬だ。でも、ワンちゃんは勝手に噛んだりしない。
リリアーナは小さく息を吸った。
「ワンちゃん、だいじょうぶよ。けんかしちゃだめ」
ワンちゃんは耳をぴくりと動かし、それから静かに元の位置へ戻った。
その様子を見ていたセドリックの顔に、一瞬だけ別の色が差した。驚きか、腹立ちか、その両方か。
「……躾はできているのか」
「おて、できるの」
ついそう答えてしまった。
ぴよちゃんが頭の上でぴよっと鳴く。ミーちゃんは片耳だけ動かした。
セドリックは、まるで理解できないものを見る顔をした。
「そんな話をしているのではない」
「でも、おりこうなの」
「だから何だ」
その言葉は、冷たかった。
「犬や猫や鳥にうつつを抜かすような娘など、王家にはふさわしくない」
リリアーナはその言葉の半分も分からなかった。でも、よくないことを言われているのだけは分かる。
胸の奥が、少しだけきゅっとした。
「……どうして?」
思わずそう聞いていた。
「どうしてって、何だ」
「この子たち、いい子よ」
「だから嫌なんだ」
セドリックは、とうとうはっきり言った。
「そんな獣を飼っている相手は嫌だ」
しん、と部屋が静まる。
父も、乳母も、後ろに控える使用人たちも、誰もすぐには動かなかった。
リリアーナは、しばらくその意味を飲み込めなかった。
嫌だ。
そんな獣を飼っている相手は嫌だ。
その言葉は、自分に向けられているのに、自分にだけではなかった。ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも、まとめて拒まれたのだと分かった。
頭の上で、ぴよちゃんが不機嫌そうにぴよぴよ鳴く。ミーちゃんは棚の上で尻尾を一度、強く揺らした。ワンちゃんの耳はわずかに伏せられている。
怒っている。たぶん、みんな怒っている。
でもリリアーナには、その中身まで分からない。
だから、自分の言葉で言うしかなかった。
「……この子たち、きらいなの?」
セドリックは迷いなく答える。
「ああ。好きになれるはずがない」
リリアーナは、小さくうつむいた。
悲しいのか。悔しいのか。よくわからない。でも、胸が冷たくなる感じがした。
この子たちは、誰にも迷惑をかけていない。ただ、そばにいるだけだ。あたたかくて、やわらかくて、寂しくないようにしてくれるだけだ。
それを嫌いだと言われた。それだけで十分、つらかった。
「……わたしは、すき」
ぽつりとこぼれた声に、父がはっとしたように顔を上げた。
リリアーナは勇気をふりしぼるように、もう一度言う。
「ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも、すき。わるいことしないもの」
顔を上げると、目の前のセドリックはあきれたような顔をしていた。
「だから困る。そういうところが子どもじみている」
「……こどもだもの」
「そういう問題じゃない」
セドリックは吐き捨てるように言う。
「王家に必要なのは、場をわきまえ、余計なものを捨てられる妃だ」
「よけいなもの?」
リリアーナは首をかしげた。
その言葉の意味を、今度はちゃんと理解してしまった。
余計なもの。この子たちのことだ。
「……すてるの?」
小さな声だった。
「私と結婚するなら、そうすべきだろう」
その瞬間だった。
ワンちゃんの喉から、今まででいちばん低い唸り声が漏れた。ぴよちゃんは頭の上で羽をふくらませ、ミーちゃんは棚の上から音もなく立ち上がる。
三匹とも、明らかに怒っていた。
けれど、それでも神獣たちは動かなかった。動くより先に、リリアーナが動いたからだ。
「あうっ、けんかしちゃだめ!」
小さな両手でぴよちゃんを押さえ、ワンちゃんの方へ振り向き、ミーちゃんにも目を向ける。必死の仲裁だった。
セドリックには、きっとただ奇妙な光景にしか見えなかっただろう。でもリリアーナにとっては、とても大事なことだった。
この子たちを怒らせたくない。傷ついてほしくない。そして何より、捨てるなんて言葉を聞かせたくなかった。
「わたし、すてないよ」
誰に向けてなのか、自分でも分からなかった。セドリックへかもしれないし、三匹へかもしれない。
でも、その言葉だけはちゃんと口にしたかった。
「この子たち、すてない」
客間はしんと静まり返る。
父が重い声で言う。
「今日はもう、このくらいにしておこう」
それは会話の終わりだった。
セドリックは不満そうな顔をしたが、これ以上ここにいる気もなかったのだろう。踵を返し、父とともに扉の方へ向かう。
去り際、彼は一度だけ振り返った。
その視線はリリアーナではなく、やはりぴよちゃんと、ミーちゃんと、ワンちゃんに向けられていた。
嫌悪。理解不能。そして、ほんの少しの恐れ。
でもリリアーナには、そこまで読み取れない。ただ、最後まで好きになってもらえなかったのだと分かっただけだ。
扉が閉まる。
ようやく息ができる気がした。
「あう……」
頭の上で、ぴよちゃんが小さく鳴く。ミーちゃんは音もなく棚から降りてきて、リリアーナの足元へ座る。ワンちゃんは静かに近づき、大きな頭を彼女の手のそばへ差し出した。
いつもの、お手なのか、慰めなのか分からないしぐさ。
リリアーナはそれを見て、少しだけ笑った。少しだけ、泣きそうでもあった。
「……だいじょうぶ。この子たち、きらいなんだって」
ぴよちゃんが、ぴよぴよっと不機嫌そうに鳴く。ミーちゃんは、にゃあ、と短く返した。
たぶん慰めている。たぶん怒っている。たぶん両方だ。
でも、リリアーナには詳しくは分からない。
それでも、そばにいてくれることだけは分かる。
「わたしは、すきだよ。ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも。みんな、すき」
その言葉に、ぴよちゃんは頭の上で落ち着いた。ミーちゃんは足元に体を寄せる。ワンちゃんは、さらに頭を押しつけてくる。
あたたかい。やわらかい。少し重い。
けれど、その重みがあるだけで、さっきまでの冷たい気持ちが少しずつほどけていく。
リリアーナは目を閉じた。
嫌われたことは、たぶん悲しい。でも、それよりも大事なことがある。
この子たちを嫌う人は、きっと、自分には無理なのだ。
まだ幼い彼女は、その意味を言葉にできない。けれど胸の奥で、小さな答えだけが生まれていた。
この子たちを嫌う人と、いっしょになるのは、いや。
それが、のちに彼女を救うことになる想いだと、この時はまだ誰も知らなかった。
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2023/03/09 HOT2位になりました。ありがとうございます。
本編完結済み。番外編を不定期で更新中です。