動物嫌いの婚約者……婚約破棄、助かりました ―幼い公爵令嬢は神獣たちにもふもふ囲まれて辺境で幸せに暮らします―

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9話 辺境伯家の青年

9話 辺境伯家の青年

辺境の離宮に着いたのは、日が傾きはじめる少し前だった。

長い道のりだった。途中で何度も休憩をはさんだけれど、王都にいた時とは景色がまるで違う。

道の左右には深い森が続き、ところどころに川が光る。空は広く、風は少し冷たい。けれど嫌な冷たさではなく、胸の奥まですうっときれいにしてくれるような空気だった。

馬車の窓に頬を寄せて外を見ていたリリアーナは、小さく息をついた。

「おっきい……」

王都の庭も広いと思っていた。けれど、ここは庭どころではなかった。

森。丘。草原。遠くに見える山並み。

全部が大きい。

頭の上でぴよちゃんが、ぴよ、と鳴く。窓辺のミーちゃんは、ずっと外を見ていた。いつもの気ままな感じはあるけれど、少しだけ目が鋭い。知らない土地だからだろうか。ワンちゃんは馬車の中でも落ち着いていたが、何度か耳を動かして、外の気配を拾っているようだった。

「もうすぐでございますよ」

向かいに座っていた乳母が言った。

リリアーナは姿勢を正して、もう一度窓の外をのぞく。

やがて見えてきたのは、大きな石造りの屋敷だった。

王都の本邸ほど華美ではない。でも重厚で、堂々としていて、周囲の自然に溶け込むように建っている。

屋敷の前には広い前庭があり、その向こうには柵つきの大きな放牧地まで見えた。しかも、ただ広いだけではない。何か、大きな影が動いている。

「あれ……?」

リリアーナが思わず目をこらす。

犬、だろうか。いや、犬にしては大きい。でもやっぱり、犬に見える。

さらに別の場所には、猫のような影もいた。こちらも、かなり大きい。そして屋敷の塔の上には、鳥。これまた、とても大きい。

リリアーナは目を丸くした。

「おっきな犬さん……猫さん……鳥さん……」

乳母はそれを聞いて、少しだけぎこちなく笑った。

「ええ、まあ……そう見えますね」

「すごい」

「そうですね……」

乳母の声がちょっと遠い。たぶん、乳母はリリアーナとは別の意味で驚いている。

馬車が門をくぐると、屋敷の使用人たちが整列していた。その先頭に立っていたのは、壮年の執事と、その隣にいる一人の青年だった。

馬車が止まる。

扉が開いて、まず乳母が降りる。つづいてリリアーナが手を借りて降りた。

ぴよちゃんは頭の上。ミーちゃんは音もなく跳び降り、ワンちゃんは当然のようにあとにつづく。

途端に、並んでいた使用人たちの空気が変わった。

ぴよちゃんに驚いたのではない。ワンちゃんに目を奪われたのでもない。三つまとめて、何かを察したような顔だった。

けれど、その中でただ一人、先頭の青年だけは違った。

彼はまずリリアーナに一礼し、それからごく自然にワンちゃんへ視線を向けた。しかもその視線は、恐れや警戒ではなく、どちらかといえば感心に近かった。

「ようこそおいでくださいました。リリアーナお嬢様」

低すぎず高すぎず、落ち着いた声だった。

青年はすらりと背が高く、日に焼けた肌をしていた。明るすぎない茶色の髪に、穏やかな灰青色の目。いかにも辺境育ちという感じの、無駄のない体つきだ。

「私はルーク・エヴァレット。この離宮の管理を任されております」

リリアーナは、少しだけ緊張しながらもぺこりと頭を下げた。

「リリアーナです」

「長旅、お疲れでしょう。まずは中でお休みを」

「はい」

そこまでは普通だった。

でも次の瞬間、ルークの視線がまたワンちゃんに戻る。彼はしばらくその白銀の毛並みと体格を見て、それからぽつりと言った。

「……見事だな」

リリアーナはぱちぱちと瞬いた。

「え?」

「その犬です」

犬。たしかに犬だ。少なくともリリアーナにとっては。

「ほねぐみがいい。毛並みも美しい」

「ほねぐみ?」

思いもしない感想だった。

王都ではみんな、ワンちゃんを見れば「大きい」とか「怖い」とか、「獣」とか、そういうことしか言わなかった。でもこの人は違う。

「ワンちゃんを、こわくないの?」

思わず聞いてしまう。

ルークは少しだけ目を見開いたあと、逆に不思議そうな顔になった。

「怖い?」

「うん。みんな、ちょっとだけこわがるの」

「……いや。立派だと思います」

その言い方に、リリアーナは少しほっとした。

「よかった」

ルークがわずかに首をかしげる。

「よかった?」

「ワンちゃん、いい子なの」

「ええ。見れば分かります」

その返事があまりに自然だったので、リリアーナは嬉しくなった。

この人は、動物さんが嫌いじゃない。しかもただ嫌わないだけでなく、ちゃんと見てくれる。

それだけで、辺境に来た不安が少し軽くなる。

その時、塔の上から大きな影が降りてきた。

ばさり、と風が巻く。

使用人たちは少しだけ身構えたが、ルークは気にした様子もなく顔を上げる。

降りてきたのは、大きな鳥だった。王都で見たどんな鳥よりも大きく、翼を広げれば子ども一人くらい包めそうだ。

リリアーナの感想は一つだった。

「おっきな鳥さん……」

ルークは少しだけ笑う。

「驚きませんか」

「びっくりはしたわ。でも、鳥さんでしょう?」

ルークは一瞬、言葉を失ったように黙った。

それから、ほんの少しだけ口元をゆるめる。

「……そうですね。鳥ではあります」

そのやり取りを、屋敷の使用人たちはぽかんとした顔で聞いていた。おそらく彼らにとって、その“大きな鳥”はただの鳥ではないのだろう。

でもリリアーナには、やっぱりおっきな鳥さんだ。

すると今度は、放牧地の方から低い唸り声のようなものが聞こえた。ふり向けば、黄金色の毛並みをした巨大な猫が、のっそりと歩いてくる。

猫だ。猫にしか見えない。でもすごく大きい。

口元には長い牙のようなものまで見えるのに、リリアーナの感想はやっぱり変わらない。

「おっきな猫さんもいる……」

ルークは今度こそ少し笑った。

「猫もお好きですか」

「うん。ミーちゃんもいるもの」

その名前に反応したように、ミーちゃんがリリアーナの足元に姿を見せる。大きな猫と、小さな黒猫。並べば親子みたいに見えなくもない。

巨大な猫の方は、リリアーナを見ると一度だけ目を細めた。それからミーちゃんへ視線を向ける。

一瞬、何か無言のやり取りがあった気がした。けれどリリアーナには分からない。

「その子たちは……」

ルークが言いかけて、やめた。

たぶん聞きたいことは山ほどあるのだろう。でも長旅の直後に問い詰めるような人ではないらしい。

代わりに、彼はごく穏やかに言った。

「お疲れでしょうから、まずは部屋へ。動物たちのことはあとでゆっくり」

「うん」

その“あとでゆっくり”が嬉しい。追い払うでも、嫌がるでもなく、あとでゆっくり。それだけでリリアーナはかなり安心した。

案内されて屋敷の中へ入ると、王都の本邸とは違う匂いがした。石と木の匂い。乾いた薬草の匂い。暖炉の灰の匂い。外の風がそのまま入ってくるような、少しだけ野性的な匂い。

「へんなにおいじゃないね」

乳母が小さく苦笑した。

「辺境らしい香りでございますね」

部屋は広くて明るかった。窓が大きく、遠くの森まで見える。室内には厚手の織物と、あたたかそうな敷物が敷かれていた。

「わあ……」

リリアーナは思わず声を漏らす。

「ここ、すきかも」

それを聞いて、後ろにいたルークがわずかに肩の力を抜いたようだった。

「それはよかった」

「おにわもおっきい?」

「庭というより、ほぼ自然ですが」

「しぜん」

「ええ。おそらく、お嬢様にはその方が合います」

「どうして?」

「……動物たちに好かれるようですから」

その言い方は、からかう感じではなかった。本当にそう思っているみたいだった。

リリアーナは少しだけ考えて、それから素直に答える。

「みんな、いい子だから。だから、なかよくなれるの」

「そういうところなんでしょうね」

ルークの言葉は少し不思議だった。“そういうところ”とは何だろう。

でも今は、深く考えなくてもよかった。

ぴよちゃんはもうカーテンレールに移って、部屋の中を見回している。ミーちゃんは窓辺の陽の当たる場所を見つけて座った。ワンちゃんは扉の近くではなく、リリアーナの椅子のすぐそばに伏せる。

「みんなも、ここすきそう」

するとルークは、足元のワンちゃんを見て、少しだけ真面目な顔になった。

「その犬に、触れても?」

「ワンちゃんに?」

「ええ」

リリアーナはぱっとワンちゃんを見る。

「ワンちゃん、このひと、だいじょうぶ?」

ワンちゃんはじっとルークを見た。ルークもまた、変に手を出したりせず、落ち着いてその視線を受ける。

しばらくして、ワンちゃんはふいっと顔をそらした。

「……だいじょうぶ、かな?」

リリアーナの解釈はそんなものだった。

ルークは苦笑する。

「許可が出たと思っていいのでしょうか」

「うん、たぶん」

そっと差し出された手が、ワンちゃんの首筋に触れる。

その瞬間、乳母が固まり、部屋の外に控えていた使用人が息を呑んだ。でもルークは動じない。

「いい毛並みだ」

本気で感心したように言った。

リリアーナはそれを見て、なんだか嬉しくなった。

「ルークさま、ほんとうにこわくないのね」

「怖いどころか、羨ましいくらいです」

「へんなひと」

「よく言われます」

即答だった。

それがおかしくて、リリアーナはくすっと笑ってしまう。

ルークも少しだけ笑った。

そのやり取りを見ていたぴよちゃんが、カーテンレールの上からぴよぴよと何か言った。たぶん警戒しているのだろう。ミーちゃんは窓辺からじっと見ている。でも、誰もルークを本気で拒まない。

それが、リリアーナには少しうれしい。

もしかしたら、この人は大丈夫なのかもしれない。この場所も、大丈夫なのかもしれない。

王都を離れたさみしさは、まだ少し残っている。でも、辺境の空気はやさしくて、屋敷は広くて、ルークは動物さんを嫌わない。

それだけで、知らない場所が少しだけ知っている場所に近づいた気がした。

窓の向こうでは、大きな犬さんと猫さんと鳥さんが、のんびりと動いている。頭の上にはぴよちゃんがいて、足元にはミーちゃん、そばにはワンちゃん。

リリアーナは椅子に座りなおして、ぽつりと言った。

「へんきょう、わるくないかも」

その言葉に、ルークは静かに一礼した。

「そう思っていただけるよう、尽くします」

難しい言い方だったけれど、きっとやさしい意味なのだろう。

リリアーナは素直にうなずいた。

「うん」

そのとき、遠くの放牧地からまた巨大な犬の遠吠えが聞こえた。それに呼応するみたいに、森の方から鳥の声も返ってくる。

辺境は、動物の声でできているみたいだった。

リリアーナはその音を聞きながら、少しだけ胸を張る。

ここなら、この子たちと一緒にいても嫌がられないかもしれない。

そう思えた最初の日だった。
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