動物嫌いの婚約者……婚約破棄、助かりました ―幼い公爵令嬢は神獣たちにもふもふ囲まれて辺境で幸せに暮らします―

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20話 返してほしいは遅すぎます

20話 返してほしいは遅すぎます

辺境では、その日も風がやさしかった。

朝の光は王都より少し淡くて、空気はひんやりしている。けれど冷たいだけではなく、胸の奥まで澄ませてくれるような気持ちよさがあった。

リリアーナは離宮の裏手にある小さなテラスで、お茶を飲んでいた。

頭の上にはぴよちゃん。 足元にはワンちゃん。 少し離れた手すりの上にはミーちゃん。

もう、これが当たり前だった。

テーブルの上には小さな焼き菓子が並んでいて、リリアーナはそのひとつを手に取りながら、庭先に来ている小鳥たちを眺めていた。

「きょうもいっぱいきてる」

本当に、いっぱいだった。

小鳥が枝に並び、猫が塀の上でしっぽを揺らし、犬が木陰で寝そべる。少し離れたところには鹿までいる。

最初は離宮の人たちも驚いていたけれど、今では「また来ておりますね」で済むくらいには慣れてきていた。

ただし、慣れてはいても、軽く見ているわけではない。

神殿の人たちが来てからというもの、使用人たちの態度は前よりも慎重で、ていねいだった。リリアーナへ向けるまなざしの奥には、まだ少しだけ戸惑いがある。

でも、嫌な感じではない。 ただ、どう扱えばいいのか迷っているだけだ。

リリアーナには、そのくらいのことは何となく分かった。

「おじょうさま」

そこへ乳母がやって来た。

その顔を見た瞬間、リリアーナは少しだけ首をかしげる。

「どうしたの?」

「……王都から、使いが参りました」

王都。

その言葉に、リリアーナの指先が少しだけ止まった。

思い出すのは、婚約破棄の日だ。 大広間。冷たい声。嫌だと言われたこと。 そして、自分がたしかにほっとしたこと。

「おうと?」

「はい。王宮からでございます」

乳母の声はいつもより硬い。

リリアーナはしばらく黙っていたが、やがて小さく聞いた。

「セドリックさま?」

乳母はすぐには答えなかった。 でも、その沈黙で十分だった。

「……はい」

頭の上で、ぴよちゃんがぴよ、と短く鳴いた。 いつもの甘い鳴き方ではない。

手すりの上のミーちゃんも、ゆっくりと目を細める。 ワンちゃんは何も言わず、ただ顔を上げた。

三匹とも、空気が変わったことを分かっている。

リリアーナは焼き菓子をそっと皿に戻した。

「なにしにきたのかな」

その問いに、乳母は言葉を選ぶように息をついた。

「詳しくはまだ。ただ……旦那様あてではなく、おじょうさまへの書状とのことです」

「わたしに?」

「はい」

それは少し意外だった。

王都から来るなら、父やルークへ話が行くものだと思っていた。 でも違う。 直接、自分へ。

そこに少しだけ嫌な感じがした。

リリアーナは無意識に、ワンちゃんの頭へ手を置く。

「あけないとだめ?」

乳母は迷ったが、すぐにうなずいた。

「内容は確認いたします。けれど、おじょうさま宛てである以上、無視は難しいかと」

リリアーナは小さく「うん」とだけ返した。

やがて応接間へ通されると、ルークもすでに来ていた。 その顔は静かだったが、目だけは少し冷たかった。

テーブルの上には、一通の封書。 王家の紋章が押されている。

「お嬢様」

ルークが静かに言う。

「無理にお読みにならなくてもかまいません。私が先に確認します」

リリアーナは少し考えてから、首を振った。

「ううん。わたしあてなんでしょう?」

「……はい」

「じゃあ、きく」

ルークは一瞬だけ黙ったが、やがて封を切った。

紙を開く音が、やけに小さく聞こえる。

部屋は静かだった。 ぴよちゃんは頭の上。 ミーちゃんは窓辺。 ワンちゃんはリリアーナの椅子のすぐそば。

ルークは文面を追い、すぐに眉を寄せた。 それだけで、あまりいい内容ではないと分かる。

「なんて、かいてあるの?」

リリアーナが聞くと、ルークは少しだけためらってから答えた。

「……王都へ戻ってほしい、と」

リリアーナは目をぱちぱちさせた。

「わたしが?」

「はい」

「どうして?」

そこが分からなかった。 本当に、分からなかった。

だって、いらないと言われたのだ。 嫌だと言われたのだ。 それなのに、どうして今さら戻ってほしいのだろう。

ルークは文を持ったまま、低い声で続ける。

「王家として改めて話し合いたい。以前の判断には行き違いがあった可能性があり、関係の再構築を望む――そういう内容です」

難しい言い方だった。 でも要するに、戻って来いということだ。

リリアーナはしばらく黙っていた。

怒っているわけではない。 悲しいわけでもない。

ただ、ものすごく不思議だった。

「……いまさら?」

その一言に、乳母が小さく息をのんだ。 けれどルークは静かにうなずく。

「私も、そう思います」

リリアーナは少し俯く。

あの日、たしかに傷ついた。 この子たちを獣と呼ばれて、捨てろと言われて、嫌だと言われた。

でも、それでも一番強く残っているのは、ほっとした気持ちだ。

この子たちを嫌う人と、結婚しなくていい。 その安堵だ。

そして今も、その気持ちは変わらない。

「いや」

ぽつりと、言葉が落ちた。

ルークが顔を上げる。 乳母も、静かにリリアーナを見る。

リリアーナは少しだけ考えてから、もう一度言った。

「いや。もどりたくない」

頭の上で、ぴよちゃんがぴよ、と鳴く。 今度は少しだけ満足そうだった。

「理由をお聞きしても?」

ルークの問いは、たしかめるためのものではなく、言葉にしておいた方がいいと分かっている人の問い方だった。

リリアーナは小さくうなずく。

「だって、この子たちをきらいなんでしょう?」

自分の膝の上を見ながら言う。 けれど、声は思ったよりはっきりしていた。

「ぴよちゃんも、ミーちゃんも、ワンちゃんも、きらいっていったもの」

それは事実だ。 忘れようがない。

「そんなひとが、いまだけ『ちがいました』っていっても、わたし、しんじられない」

ルークは黙って聞いている。 乳母の目は少しだけやわらかくなった。

リリアーナは続ける。

「それに……ここ、すきだもの」

辺境の空。 森。 泉。 大きな犬さん、猫さん、鳥さん。 集まってくる動物たち。 それから、ルーク。

王都にはなかったものが、ここにはある。 そして王都で感じていた息苦しさが、ここにはない。

「ここにいたい」

最後の一言は、とても小さかった。 でも、ちゃんと届いた。

ルークは静かに文をたたむ。

「分かりました。お嬢様のご意思として、そのように返します」

「うん」

ほっと息をついた、その時だった。

窓の外で鳥たちが一斉に鳴いた。

ざわり、と庭が揺れる。

リリアーナがふり向くと、庭先にいた小鳥たちがいっせいに低い枝へ移り、塀の上の猫たちも耳を立てていた。木陰の犬まで起き上がっている。

「あれ?」

その動きは、いつもの“集まってきた”感じとは違った。

警戒。 もっとはっきり言えば、不機嫌さに近い。

窓辺のミーちゃんは、いつの間にか座り直していた。 目が細い。 かなり細い。

ぴよちゃんも頭の上で羽をふくらませている。 ワンちゃんは、もう無言でリリアーナの前に出ていた。

「どうしたの?」

答えの代わりに、ルークが立ち上がる。

「……書状の使者が、まだ門前にいるようです」

「いるの?」

「ええ。返答を持ち帰るつもりなのでしょう」

その時、使用人がひとり駆けこんできた。

「ルーク様、門前の馬が騒いでおります! 鳥が集まり、犬まで……」

そこまで言って、使用人はリリアーナの前の光景に気づき、口を閉じた。

三匹とも、明らかに不機嫌だったからだ。

ルークは短く息をつく。

「私が行きます」

「わたしもいく」

即座にそう言ったのは、リリアーナだった。

乳母が「おじょうさま」と止めようとする。 けれどリリアーナは首を振った。

「わたしにきたおてがみなんでしょう?」

それは正しかった。 だから、誰もすぐには反対できない。

門前へ向かうと、たしかに少しした騒ぎになっていた。

王都から来た立派な馬車が一台。 そのまわりに、小鳥が何羽も飛び交っている。 門の近くには見知らぬ犬が二頭座りこみ、塀の上には猫まで並んでいた。

馬は落ち着かず、御者が困り果てている。

使者らしい男がひとり、顔を引きつらせながら立っていたが、リリアーナが来ると目を見開いた。

「リリアーナ様」

「こんにちは」

素直に挨拶を返す。

だが男は、それどころではないらしい。 頭上を飛ぶ小鳥、塀の猫、門前の犬、そしてリリアーナの頭の上と足元と前にいる三匹を見て、明らかに青ざめていた。

「へんじ、いるの?」

リリアーナはまっすぐ聞いた。

使者は一瞬迷ったが、やがてうなずく。

「王宮は、お返事をお待ちしております」

リリアーナは小さく息を吸った。 それから、自分でも驚くほどすんなりと言えた。

「いやです」

使者の顔が固まる。

「……は?」

「もどりたくありません」

その声は大きくない。 でも、はっきりしていた。

「ここがすきです。この子たちをきらいなところへは、いきたくありません」

それだけ言えば十分だった。

使者は言葉を失っている。 ルークはその横で静かに立ち、必要ならいつでも口を添えられるようにしていた。 でも、口をはさまない。

リリアーナの言葉だからだ。

使者がようやく「ですが」と言いかけた、その時。

「ぎゃあー!」

門の塀の上から、ものすごい声が響いた。

ミーちゃんだ。

本気の威嚇だった。

使者はびくっと肩を震わせる。 同時に、まわりにいた小鳥たちが一斉に鳴き、犬たちが低く唸る。

リリアーナは慌てて振り返った。

「けんかしちゃだめ!」

ぴよちゃんはまだ不機嫌そうに羽をふくらませているし、ワンちゃんも前を譲らない。 でも、リリアーナの声を聞くと、三匹ともぴたりと止まった。

使者はその様子を見て、完全に顔色を失っていた。

たぶん王都では、こんな光景は想像もしていなかったのだろう。

捨てた令嬢が、神獣と動物たちに囲まれ、しかも彼らがその一言で従うなど。

リリアーナは使者へ向き直る。

「だから、いやです」

今度はさっきより、少しだけやわらかく言った。

「もう、ここにいます」

使者は返す言葉をなくし、ただ深く頭を下げた。

「……そのように、お伝えいたします」

馬車が去ったあとも、しばらく門前には小鳥たちが残っていた。 犬も猫も、すぐには動かない。

リリアーナはその子たちを見て、少しだけ困ったように笑う。

「みんな、おこってたの?」

頭の上で、ぴよちゃんがぴよ、と鳴く。 ミーちゃんはそっぽを向き、ワンちゃんは当然のように頭を差し出した。

「ありがとう。でも、もういいの」

そう言って、順番に撫でる。

すると、門前の鳥たちも、猫たちも、犬たちも、ようやく少しずつ落ち着いていった。

ルークがその様子を見ながら、低い声で言う。

「返してほしいは、遅すぎますね」

その言い方は静かだった。 でも、いつもより少しだけ冷たかった。

リリアーナはその意味を全部は分からなかったけれど、ひとつだけはっきり分かることがある。

自分は、もう戻りたくない。

それだけだった。
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