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第参章 散りぬるを
3話 吐露
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今にも雨が落ちてきそうな重苦しい灰色の空はくるくると瑞雲の形を変えはするものの一向に雨を降らさない。
今年は空梅雨だろうと誰かが言っていた。
梅雨時の鬱陶しい湿気と降るか降らないか判らない雨のように切れの悪い顔のまま椿は私室で白米を口に運ぶ。
ずずっとみそ汁を啜りながら仏頂面のまま黙々と飯を食っていると牡丹がひょっこりと障子を開けて入って来た。
「なるほど? こりゃあ酷い顔でありんすな。蓮太郎が心配するのも判りんす」
くすくすと笑う牡丹に椿は首を傾げる。
「ここんところ元気がない、ちっとも笑わないと。かれこれ一週間。わっちも様子を見守ってきんしたが、あんまり思い詰めなんすな? 椿」
牡丹の歌声の様な美しい声はふんわりと優しく椿を包み込んでじわりと心に染み込む。
「姐さん」
「何を抱えているのか、一人で悩んで考えるんは悪いことじゃありんせん。自立というんはそうやって育んで行きんすからな。けんど、三日考えて判らんかったら人に聞くことも大事でありんすぇ?」
そう言いながら牡丹は椿の向かいに座ると頬や頭を優しく撫でる。
人の温もりが、愛情のある姐の手が触れて思わず椿の瞳からぽろりと涙が零れた。
「話してくれんすな?」
そう微笑む牡丹に椿はこくりと頷いて、一週間前の菖蒲との会話を全て話した。
椿自身の言葉で止めようとしたことも、罪に身を堕とせばどれだけ周囲を悲しませるかと説得したことも全て話す。
牡丹は時々
「うん、うん」
と頷きながら、喉を詰まらせたように言い淀む椿の言葉を上手に引き出していく。
「そう……、そんなことがありんしたか。天真爛漫で、明るい椿がこの所ずっとふさぎ込んでおりんしたから、心配しんしたぇ?」
話し終わった椿に
「よく話してくれた」
と牡丹は優しい手で頭をぽんぽんと撫でる。
「わっち一人で菖蒲姐さんを止めるんは無理でありんした。けんど、お父さんやお母さんに話すんは、菖蒲姐さんが咎め立てされんす。蓮太郎に話したってお父さんやお母さんに伝える様に言われるだけ」
「そりゃあ蓮太郎には話せんことでありんすな。話せば間違いなくお父さんに言い付けるでありんしょうから」
「そんでも、菖蒲姐さんが咎められるのをわっちは見たくないでありんす」
「花魁になって年も進まん椿にそんな話をするんは、菖蒲も酷いことをしんしたなぁ。一人で抱えて七日もよう耐え抜きんしたな、えらい辛かったでありんしょう?」
食膳を避けて牡丹は椿をふわりと抱き締める。
「牡丹姐さん……」
抱き締める腕の温かさに椿の涙腺が崩壊する。しゃくり上げながら泣く椿を抱き締めて牡丹はよしよしと背中を撫で続けた。
「今回の話は、わっちが確かに預かりんした。もう、椿はお休みなんし」
泣いて腫らした目を手拭で抑えながら、洟を啜ると椿はにこりと笑う。ようやく、花の様に愛くるしい笑顔を引き出して牡丹も微笑む。
「あい。牡丹姐さんに話したら気持ちが楽になりんした。わっちは気晴らしに外の茶屋にでも行って甘いものでも食べてきんす」
「茶屋だけでなく町を歩いて簪の一本でも買っておいで」
「姐さんがお小遣いでもくれしゃんすか?」
妹に可愛らしく上目遣いでねだられたのでは小遣いをやらぬわけにもいかぬ。
牡丹は懐から財布を取り出すと椿に銀を数枚渡した。
「それでこそ、いつもの椿でありんす。ほら、小遣いなら持って行きなんし」
今年は空梅雨だろうと誰かが言っていた。
梅雨時の鬱陶しい湿気と降るか降らないか判らない雨のように切れの悪い顔のまま椿は私室で白米を口に運ぶ。
ずずっとみそ汁を啜りながら仏頂面のまま黙々と飯を食っていると牡丹がひょっこりと障子を開けて入って来た。
「なるほど? こりゃあ酷い顔でありんすな。蓮太郎が心配するのも判りんす」
くすくすと笑う牡丹に椿は首を傾げる。
「ここんところ元気がない、ちっとも笑わないと。かれこれ一週間。わっちも様子を見守ってきんしたが、あんまり思い詰めなんすな? 椿」
牡丹の歌声の様な美しい声はふんわりと優しく椿を包み込んでじわりと心に染み込む。
「姐さん」
「何を抱えているのか、一人で悩んで考えるんは悪いことじゃありんせん。自立というんはそうやって育んで行きんすからな。けんど、三日考えて判らんかったら人に聞くことも大事でありんすぇ?」
そう言いながら牡丹は椿の向かいに座ると頬や頭を優しく撫でる。
人の温もりが、愛情のある姐の手が触れて思わず椿の瞳からぽろりと涙が零れた。
「話してくれんすな?」
そう微笑む牡丹に椿はこくりと頷いて、一週間前の菖蒲との会話を全て話した。
椿自身の言葉で止めようとしたことも、罪に身を堕とせばどれだけ周囲を悲しませるかと説得したことも全て話す。
牡丹は時々
「うん、うん」
と頷きながら、喉を詰まらせたように言い淀む椿の言葉を上手に引き出していく。
「そう……、そんなことがありんしたか。天真爛漫で、明るい椿がこの所ずっとふさぎ込んでおりんしたから、心配しんしたぇ?」
話し終わった椿に
「よく話してくれた」
と牡丹は優しい手で頭をぽんぽんと撫でる。
「わっち一人で菖蒲姐さんを止めるんは無理でありんした。けんど、お父さんやお母さんに話すんは、菖蒲姐さんが咎め立てされんす。蓮太郎に話したってお父さんやお母さんに伝える様に言われるだけ」
「そりゃあ蓮太郎には話せんことでありんすな。話せば間違いなくお父さんに言い付けるでありんしょうから」
「そんでも、菖蒲姐さんが咎められるのをわっちは見たくないでありんす」
「花魁になって年も進まん椿にそんな話をするんは、菖蒲も酷いことをしんしたなぁ。一人で抱えて七日もよう耐え抜きんしたな、えらい辛かったでありんしょう?」
食膳を避けて牡丹は椿をふわりと抱き締める。
「牡丹姐さん……」
抱き締める腕の温かさに椿の涙腺が崩壊する。しゃくり上げながら泣く椿を抱き締めて牡丹はよしよしと背中を撫で続けた。
「今回の話は、わっちが確かに預かりんした。もう、椿はお休みなんし」
泣いて腫らした目を手拭で抑えながら、洟を啜ると椿はにこりと笑う。ようやく、花の様に愛くるしい笑顔を引き出して牡丹も微笑む。
「あい。牡丹姐さんに話したら気持ちが楽になりんした。わっちは気晴らしに外の茶屋にでも行って甘いものでも食べてきんす」
「茶屋だけでなく町を歩いて簪の一本でも買っておいで」
「姐さんがお小遣いでもくれしゃんすか?」
妹に可愛らしく上目遣いでねだられたのでは小遣いをやらぬわけにもいかぬ。
牡丹は懐から財布を取り出すと椿に銀を数枚渡した。
「それでこそ、いつもの椿でありんす。ほら、小遣いなら持って行きなんし」
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