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【五】君が香
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「……ったく……っとに、無茶しやがる……」
「申し訳ございません……」
ぶつぶつと呟く吉夜に、香代は頭を下げている。
吉夜は頬杖をついたまま嘆息した。
「こうも立派に家を守るなんざ、俺の立つ瀬がねェじゃねェか」
「……申し訳」
「こらこら」
謝ろうとした香代に、吉夜は笑った。「褒め言葉だ」と細めた目を向けられて、香代は気恥ずかしさにうつむいた。
「まさか兵吾が、お前を狙ってくるとはなァ……。もう少し頭を使うべきだった」
吉夜は呟いて、「すまねェ」と頭を下げた。戸惑う香代に、吉夜は頭を下げたまま、
「また、怖い想いをさせちまった……ほんっと、ろくでもねェ男だな、俺は」
どうも、落ち込んでいるらしい。香代はようやく、そう分かった。
蓮本家が兵吾に放火されてから、数日が経っている。火は陣屋町の人間総出で鎮火され、兵吾は引き返してきた吉夜たちによって捕らえられた――いや、正確には捕らえようとしたところで、兵吾が自刃したそうだ。
切腹した後、自ら喉を突いていた――と、兄は眉を寄せてそう言っていた。
夜明けまで鎮火の指揮を執っていた香代は、喉を潰してしばらく声が出なかった。それでも、宣言どおり火は蓮本家の中――それも離れだけに留め、他まで広げさせなかった。
吉夜はその日、秋に行う手はずになっている普請の現場を確認するという名目で、陣屋を出て隣村にいたという。
呼び戻されて慌てて引き返したが、蓮本家に着く頃にはもう夜が明けかけていた。
「でも……大切な香木は、燃やしてしまいました」
香代はぽつりと言った。吉夜は「気にするな」と笑う。
「命あってこその香だ」
「でも……」
離れにしまってあった香木は、ほとんどすべて火事で燃えてしまった。
普通ではあり得ないほどの量の香木がひと晩で燃えた香りは、陣屋町全体に広がったものらしい。あの夜を「薫風の一夜」と呼ぶ衆までいると聞いて、香代はいたたまれない思いがしている。
「……お前さんは、きちんと守ったよ。蓮本家が一番、守りたいものをな」
「一番、守りたいもの……」
「ああ」
吉夜はうなずいて、家の片隅を見やった。
その方向には、客間がある。離れを失くした今は、その部屋が主膳の寝室になっていた。
床の間には、香代が火事の中抱き戻った、漆塗りの花器が飾られている。
「お前さんは知らないだろうが、養父上は泣いてたよ……煤で真っ黒になりながらも、あの花器を胸に抱えて話さないお前さんを見たときにな」
香代は驚いてまばたきした。
あのときは鎮火に夢中で、周りを気にかける余裕などなかったから、吉夜がいつ戻って来て自分と代わったのかも、主膳がどんな顔をしていたのかも覚えていない。
「あっぱれな烈女だと、殿からもお褒めの言葉を授かった。俺も気を引き締めねェと、釣り合わねェ夫だと言われそうだな」
吉夜は苦笑して、膝を打った。
「ま、そんなこたァ置いといて。お前さんに会いたいという人がいる。どうする?」
「……どうする、とは?」
「ああ。俺にゃ、事情がよく分からんが……」
吉夜は首を傾げて、頼む、と外に向かって声をかけた。
しばらくして、下女が人を連れてくる気配がする。
戸を開いた先には、花の同門だった娘、すみが立っていた。
香代は思わず、吉夜とすみを見比べる。
「……どうして?」
すみが吉夜と顔を合わせたことはないはずだった。少なくとも、すみが前にこの家を訪れたときには。
香代の心はざわついたが、吉夜に説明を求めるより先に、すみが廊下で手をついた。
「――申し訳ありません!」
「……え?」
今まで見たことのないすみの振る舞いに、香代は思わず声をあげた。
すみは額を床につきそうなほど頭を下げたまま、泣きそうな声で告げる。
「香代さまを町外れに呼び出す手紙を書いたのはわたしです……!」
「え……?」
香代は唖然としながら、思い出していた。
どうしてもお話したいことがある――と書いた流麗な筆跡は、それなりに学んだ者の文字だった。
確かにこのすみならば、納得がいく。
「ひ、火矢もっ……う、うちで、内職していたものを、寄越せと言われて……!」
深夜、兵吾が寝室に忍び込んできてすみを脅したのだという。
言うことを聞かなければ犯すと言われ、悪用されると分かっていながら従ってしまった、とすみは語った。
火事が起き、しばらく騒がれていた中で、すみはずっと自分のしたことが気になっていたのだという。
父に話を打ち明け、目付から吉夜のもとに話が行って、こうして直接謝罪する場を設けてもらったと言った。
顔を上げたすみは泣いていた。
「本当に、申し訳、ございません……! 兵吾という男に、吉夜さまに会わせてやると言われて……疑いもせず手紙を書いたわたしが浅はかでした……! 会いさえすればきっとわたしを気に入ってくださるだなんて、思い違いもいいところ……あんな、あんな恐ろしいことをする男を、なぜ信じてしまったのか……!」
すみは泣きじゃくり、手で顔を押さえた。
「この度の火事での、香代さまの立ち居振る舞い、武家のおなごの鑑だと、みな感心しております……今まで僻んでいた女たちもみな、さすがは家老蓮本家の嫁と……。とてもじゃないけど、わたしにはできなかった……」
震える声で言って、また頭を下げる。
「今までの無礼の数々、本当に申し訳ございませんでした……!」
香代は呆然としたまま、下げられたすみの頭を見つめた。
隣に座っている吉夜を見たが、どうも気まずそうに頬を掻いている。
自分は座を外すつもりだったのに、すみが性急に話し始めたものだから、部屋を出る機会を失したらしい。
「……うん、まあ」
すみのすすり泣く声が響く中、香代の代わりに、吉夜が咳払いをした。
「俺が惚れた女だからな。……当然といや、当然のことだ」
吉夜の言葉を耳にして、香代は閉口した。
泣きじゃくるすみの前で、赤い顔をしてうつむいてしまっては、あまりに格好がつかない。
けれどそれが――たまらなく幸せなのもまた、偽らざる本心だった。
「申し訳ございません……」
ぶつぶつと呟く吉夜に、香代は頭を下げている。
吉夜は頬杖をついたまま嘆息した。
「こうも立派に家を守るなんざ、俺の立つ瀬がねェじゃねェか」
「……申し訳」
「こらこら」
謝ろうとした香代に、吉夜は笑った。「褒め言葉だ」と細めた目を向けられて、香代は気恥ずかしさにうつむいた。
「まさか兵吾が、お前を狙ってくるとはなァ……。もう少し頭を使うべきだった」
吉夜は呟いて、「すまねェ」と頭を下げた。戸惑う香代に、吉夜は頭を下げたまま、
「また、怖い想いをさせちまった……ほんっと、ろくでもねェ男だな、俺は」
どうも、落ち込んでいるらしい。香代はようやく、そう分かった。
蓮本家が兵吾に放火されてから、数日が経っている。火は陣屋町の人間総出で鎮火され、兵吾は引き返してきた吉夜たちによって捕らえられた――いや、正確には捕らえようとしたところで、兵吾が自刃したそうだ。
切腹した後、自ら喉を突いていた――と、兄は眉を寄せてそう言っていた。
夜明けまで鎮火の指揮を執っていた香代は、喉を潰してしばらく声が出なかった。それでも、宣言どおり火は蓮本家の中――それも離れだけに留め、他まで広げさせなかった。
吉夜はその日、秋に行う手はずになっている普請の現場を確認するという名目で、陣屋を出て隣村にいたという。
呼び戻されて慌てて引き返したが、蓮本家に着く頃にはもう夜が明けかけていた。
「でも……大切な香木は、燃やしてしまいました」
香代はぽつりと言った。吉夜は「気にするな」と笑う。
「命あってこその香だ」
「でも……」
離れにしまってあった香木は、ほとんどすべて火事で燃えてしまった。
普通ではあり得ないほどの量の香木がひと晩で燃えた香りは、陣屋町全体に広がったものらしい。あの夜を「薫風の一夜」と呼ぶ衆までいると聞いて、香代はいたたまれない思いがしている。
「……お前さんは、きちんと守ったよ。蓮本家が一番、守りたいものをな」
「一番、守りたいもの……」
「ああ」
吉夜はうなずいて、家の片隅を見やった。
その方向には、客間がある。離れを失くした今は、その部屋が主膳の寝室になっていた。
床の間には、香代が火事の中抱き戻った、漆塗りの花器が飾られている。
「お前さんは知らないだろうが、養父上は泣いてたよ……煤で真っ黒になりながらも、あの花器を胸に抱えて話さないお前さんを見たときにな」
香代は驚いてまばたきした。
あのときは鎮火に夢中で、周りを気にかける余裕などなかったから、吉夜がいつ戻って来て自分と代わったのかも、主膳がどんな顔をしていたのかも覚えていない。
「あっぱれな烈女だと、殿からもお褒めの言葉を授かった。俺も気を引き締めねェと、釣り合わねェ夫だと言われそうだな」
吉夜は苦笑して、膝を打った。
「ま、そんなこたァ置いといて。お前さんに会いたいという人がいる。どうする?」
「……どうする、とは?」
「ああ。俺にゃ、事情がよく分からんが……」
吉夜は首を傾げて、頼む、と外に向かって声をかけた。
しばらくして、下女が人を連れてくる気配がする。
戸を開いた先には、花の同門だった娘、すみが立っていた。
香代は思わず、吉夜とすみを見比べる。
「……どうして?」
すみが吉夜と顔を合わせたことはないはずだった。少なくとも、すみが前にこの家を訪れたときには。
香代の心はざわついたが、吉夜に説明を求めるより先に、すみが廊下で手をついた。
「――申し訳ありません!」
「……え?」
今まで見たことのないすみの振る舞いに、香代は思わず声をあげた。
すみは額を床につきそうなほど頭を下げたまま、泣きそうな声で告げる。
「香代さまを町外れに呼び出す手紙を書いたのはわたしです……!」
「え……?」
香代は唖然としながら、思い出していた。
どうしてもお話したいことがある――と書いた流麗な筆跡は、それなりに学んだ者の文字だった。
確かにこのすみならば、納得がいく。
「ひ、火矢もっ……う、うちで、内職していたものを、寄越せと言われて……!」
深夜、兵吾が寝室に忍び込んできてすみを脅したのだという。
言うことを聞かなければ犯すと言われ、悪用されると分かっていながら従ってしまった、とすみは語った。
火事が起き、しばらく騒がれていた中で、すみはずっと自分のしたことが気になっていたのだという。
父に話を打ち明け、目付から吉夜のもとに話が行って、こうして直接謝罪する場を設けてもらったと言った。
顔を上げたすみは泣いていた。
「本当に、申し訳、ございません……! 兵吾という男に、吉夜さまに会わせてやると言われて……疑いもせず手紙を書いたわたしが浅はかでした……! 会いさえすればきっとわたしを気に入ってくださるだなんて、思い違いもいいところ……あんな、あんな恐ろしいことをする男を、なぜ信じてしまったのか……!」
すみは泣きじゃくり、手で顔を押さえた。
「この度の火事での、香代さまの立ち居振る舞い、武家のおなごの鑑だと、みな感心しております……今まで僻んでいた女たちもみな、さすがは家老蓮本家の嫁と……。とてもじゃないけど、わたしにはできなかった……」
震える声で言って、また頭を下げる。
「今までの無礼の数々、本当に申し訳ございませんでした……!」
香代は呆然としたまま、下げられたすみの頭を見つめた。
隣に座っている吉夜を見たが、どうも気まずそうに頬を掻いている。
自分は座を外すつもりだったのに、すみが性急に話し始めたものだから、部屋を出る機会を失したらしい。
「……うん、まあ」
すみのすすり泣く声が響く中、香代の代わりに、吉夜が咳払いをした。
「俺が惚れた女だからな。……当然といや、当然のことだ」
吉夜の言葉を耳にして、香代は閉口した。
泣きじゃくるすみの前で、赤い顔をしてうつむいてしまっては、あまりに格好がつかない。
けれどそれが――たまらなく幸せなのもまた、偽らざる本心だった。
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