金木犀の涙

星空凜音

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 上着を着込んで一足先に外に出れば、会社で手配したのか、数台の黒いタクシーがお店の前に並んで停まっていた。
 他のお客のタクシーかと思ったが、台数の多さで違うと判断した。
 二次会の会場は少し離れていると見える。

(―――はぁ…寒………)

 吐き出した息は日中より白く、寒さで軽い酔いも直ぐに冷めそうだった。
 先にタクシーに乗ろうか?と思った時、スマートフォンのバイブが鳴った。
 スマートフォンを取り出してお店の明かりに少し照らされる中、電源ボタンを軽く押して光る画面を見れば恋人からのメッセージ通知。
 送別会だと分かっている割には連絡が多いなと思いつつ、通知に表示されている文章を目に入る。

(………………ん?)

 別に気にしなくても良い筈の一文に、俺の親指は勝手にタップしてメッセージを開いた。

《隼、何時に帰る?》

 何で開いたか自分でも分からないが、その一文から現在の時間を確認する。
 二次会次第な為、確実な時間なんて分からない。
 あくまで曖昧な時間で答えるしか無い。一瞬考えて疑問形に疑問形で返してしまった。

《何でだ?》

《牛乳足りないから買いに行こうと思ったけど、ちょっと微熱ぽくて》

《熱?何度?》

《大したこと無いから大丈夫。》
《だから悪いんだけど、帰りにコンビニで買ってきて欲しいなって》

 直ぐに返って来たメッセージに返事を返すと、予想外の言葉が返って来た。
 分かった。と返そうとして指が止まった。
 俺等は同棲していない。半同棲もする間柄でも無い。
 ただ、今日は仕事帰りに俺の部屋に寄ると言っていた。だから、今は俺の部屋に居る。
 少し考えた後、文字を打って送信した。
 ―――カラン……ザワザワ…カツ…ッ…カツカツ…
 スマートフォンをポケットに戻していると、後ろでお店のドアが開く音と共に一気に話し声が聞こえた。
 酔った笑い声を含む話し声で、社員達が出て来たと気付いた。

「沢野さーん」

 ―――ザワザワ…ッ……ザワザワ……

「え、タクシー?」

「お、タクシーだな。」

「二次会ってタクシー移動なの?」

「さぁ。何も聞いてないけど…」

 話し声と自分を呼ぶ声が聞こえて呼ばれた声に振り向けば、人事部の女性陣を振り切って来たのか、一人、俺の方へ手を振りながら走って来る秋山の姿があった。
 他の社員達は並んで停まるタクシーに釘付けのようだ。
 白い息を吐く秋山を見つつも、出て来た社員の中から幹事の社員の姿を探した。

「秋山、幹事見なかったか?」

 目の前で止まった秋山に聞きながら左右に首を振る。

「――ハァ…え?幹事の人ならさっき見掛け…あ、居ました!そこに」

 辺りを見渡して、幹事の社員の姿を見付けた秋山の指差す方を見ると、部長と談笑する幹事――― 黒爽クロサワ 季撫セナの姿があった。
 幹事を務める黒爽とは、階も部署も違うからあまり話さ無いが、以前は関わりが多少あった。
 只、黒爽の仕事の半分は現在、秘書に携わっている事で挨拶程度に留まる。
 助かったという意味を込めて右手で秋山の左肩をポンと叩き、俺は黒爽へ近付いた。

「お、沢野君。」

「あら、お疲れ様です。」

「お疲れ様です。」

 俺の姿に気付いた部長と数秒後に気付いた黒爽が掛けて来た声に挨拶をした。

「あの、黒爽さん。」

「はい」

「今日の二次会、済みませんが俺、不参加でお願いします。」

 二次会を欠席する事を伝えると、部長も黒爽も少し驚いたような顔をした。

「何だ沢野君、来ないのか?」

「済みません。」

「良いですけど…珍しいですね。」

 入社当時から八割九割は送別会へ出席しているからか、確実に参加すると思われているらしかった。
 内心は参加したく無いなど知らなくて当然ではある。

「妹が熱を出したみたいで…生憎今日は両親が不在なので代わりに。だから、本日は欠席させて下さい。」

「それは大変。妹さん早く良くなると良いですね。」

「此方は構わないよ。早く様子を見に行ってやりなさい。」

 ―――嘘も方便。
 今日熱を出して俺の家に居るのは恋人だが、実際、兄妹がいるので妹と言っても誰も気にしない。
 一人暮らしではあるが、妹と言えば、勝手に実家にでも寄るのだろうと想像してくれると思った。
 三歳下の妹はもう良い歳だし、熱を出した所で看病する事は必要は無いが…。
 俺の妹の年齢を皆、知らないからそこは問題無かった。
 部長と黒爽の許可も貰った所で、軽く一礼してその場を離れた。
 少し後ろに居た秋山に近寄る。

「秋山、悪いな。今日は欠席する。」

「はい、少し聞こえてました。仕方無いですよ!気にせず向かって下さい!」

「あぁ。あ、秋山。人事部の女性達には気を付けろよ?それと飲み過ぎも程々に。……それから、もし大丈夫なら巴志乃を気に掛けてくれ。」

「巴志乃さん…ですか?」

 口から出た人物が意外だったのか、見送ろうとした秋山は瞬きを繰り返した。

「一次会で既に酔いが回り始めてるように見えた。水は頼んだから多分飲んだと思うが……」

「分かりました。」

 言いたい事を汲み取ったのか、秋山が割と早く承諾したので、頼んだ。と秋山に任せ、黒いタクシーとは別に自分が乗る為のタクシーを探した。
 二、三分道路脇で待っていると、白と黄色のタクシーを見付けた。
 赤く空車と点滅する表示を確認して、そのタクシーを呼ぶと乗り込んだ。
 時計を確認して、まだスーパーがやっていると思った。
 コンビニで買うよりスーパーの方が牛乳の数も多い。
 運転手には自宅では無く、自宅から少し離れたスーパーの前にある喫茶店へ行って欲しいと伝え、俺は軽くお酒の余韻が残った継、街の明かりを窓から眺めた。



「ありがとうございましたー。」

 ―――バタン…ブーン……
 暫くして目的の喫茶店に着くと、代金を払い運転手の挨拶を聞きながらタクシーを降りた。
 喫茶店は二十時半で閉店だから、お店の前は少し薄暗く街灯が点々と光るだけ。
 目の前にあるスーパーの煌々と付いている明りが扉から漏れている為か、真っ暗とまではいかない。
 信号を渡り道路を挟んだ目の前にあるスーパーへ寒さから逃れるように小走りで入った。

 目的の牛乳と他にゼリーや自分用の度数は高くないお酒を数本購入して、軽く気を引き締めて外に出た。
 日中より風も減り、肌への痛みや刺激は少ないものの、二月の夜外は防寒していても手や耳がかじかみ、体温を奪う。

(……流石に寒いな。カイロを持って来るべきだったか。)

 自宅までそう遠く無い筈なのに、寒さのせいか一歩一歩進む時間が長く感じた。
 スーパーから二つ目の角を曲がった先に、住宅街にポツンと並ぶ書店の硝子から漏れる明りが目に入った。
 古びたタバコ屋の隣で異様に明るく見える。
 時折、通り掛かった事がある書店なので存在は知っていた。晴れた日には、お店の前のワゴンに雑誌が何種類か並べられている。
 休日は特に部活帰りなのか制服姿の学生達がよく入って行く書店だという印象だった。
 普段、本を殆ど読まないから利用した事が無かった。
 いつもであれば寄らずにその継帰宅している所が、寒さを一時的にしのぎたかったのか、その明かりに引き寄せられたのか、俺の体は書店の方向へ進むと硝子の自動ドアを開けていた。
 ―――ウィーン……チリンチリンッ……ッ…
 ドアが開いたと同時に鈴の音が鳴る。

「いらっしゃいませ」

 お会計のカウンターからか、少し小さめの店員さんの声が聞こえた。
 入って直ぐ、左側の腰の高さの木製の机のような台には数種類の手帳が並んでいた。
 手帳を通り過ぎ、手前に五列に並んだ向かい合わせの本棚は主に、雑誌類が置いてあり女性誌・料理・音楽・男性誌・語学・趣味…と続く。
 漫画や小説、ビジネス書等専門書関連の書籍は奥にの棚にあるようだった。
 興味の無い棚を過ぎ通路を進んで、珈琲やワインの書籍がある棚へ向かった。
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