金木犀の涙

星空凜音

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❀8

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「―――!」

 伸ばした腕と重なるように背後から伸びて来た手に固まった。
 軽く首だげ振り向けば、至近距離に凛が居た。
 思い切り振り向けば肩が当たってしまう距離。

「…どれを取る?」

 凛の身長は私とそんなに変わらない。
 だからか、尚更顔が近くてビックリしてしまった。
 マジマジと見詰めて、硬直する私に凛は小首を少しかしげる。
 凛の言葉に“あ、手伝ってくれようとしたんだ”と思った。
 一瞬、吃驚してしまった自分が恥ずかしかった。

「えっと…その器と、凛は…」

 私の言った器を、細いが程好く筋肉の付いた手を伸ばして掴む。
 どのコップが良いか聞こうとしたけど、凛は器の横に重ねて入れていた、食器屋さんで売ってる一般的なスープカップより一回り小さなくすみカラーの取っ手付きカップを取り出した。
 これもスープカップの部類だけど、大きさはカフェボウルにも近い。
 黄色と青色のカップを焜炉の隣の空いたスペースに置いた。

「えっと、何飲むの?珈琲・紅茶・茉莉花茶…鳩麦とかもあるけどオレンジとリンゴも」

 言いながら、ジュースは飲まないよねと思った。
 重なっていた二つのカップを隣同士に並べる凛から二、三歩ズレて、飲み物のストック棚の中を確認した。
 お気に入りの物は一年を通して変わり無い。けれど、季節によっては限定物や飲みたい物も変わる。
 チラッと凛の方を見れば、考えている様子。
 答えを待っている最中に、“あ!”と思い冷蔵庫を開けた。
 冷蔵庫を開けて中央、上から三段目。
 カップの杏仁豆腐の横にひっそり佇むアルミのフォルムに黄色が映える缶チューハイ。
 私は下戸じゃないけど麦酒もチューハイも飲まない。
 でも凛は麦酒もチューハイも飲める質。
 二本入っていた一本を手に取って冷蔵庫の扉から見えるように凛に向けた。

「お酒もあるけど…?」

 左手に持つ缶を視界に捉えた凛の口が微かに動いた。

「あ―……今日はいいや。」

「そう?」

 要らないという返答を聞いて、缶チューハイを戻した。
 飲むと言うかと思ったけど、気分じゃ無かったみたい。
 冷蔵庫を閉じて“さて、どうしようかな”と考えた。
 自分の遅い夕飯の献立もあれだけど、飲み物を指定しない凛を待っていると、尚更遅くなってしまう。

「タブラティーは?」

「タブラ……何?」

「タブラティー。ラム酒入りの紅茶…あれ、ラム酒駄目だった?」

 付き合い始める前、凛は小さなバーに通っていた。
 誰かと一緒に…では無く一人で。
 週に一度、お休みに入る前日の夜。
 何を好んで注文していたとか、バーでの凛の行動は知らない。
 周りに人が居る場で、他の人と話ている凛の言葉を隣で小耳に挟む程度に聞いただけだったので、深く質問もしなかった。
 ただ、その場では“大人の嗜み~”って単純に思っていた。
 バーには通っていたが、意外と自分の家でお酒を嗜むのも好きだと後から聞いた。

「…いや、嫌いじゃない。」

 その顔は―――飲んだ事無いから…ラム酒も紅茶も飲めるけど、合わせるの?と言っているようだった。
 言葉には出さないけど、子供のような食わず嫌い的な不安が過ぎったのだと勝手に思った。

「無理にとは言わないけど…」

 今朝、沸かしてポットへ入れて置いたお湯は、まだ熱いけれど熱湯では無い事が分かっているから、もう一度沸かす為に湯沸かしポットへ入れてボタンを押した。
 お鍋を使わないのは時間短縮の為。
 紅茶の缶を取り出しカップの横に置く。
 凛の視線を感じながら、野菜室からキャベツを取り出した。
 ―――バタン……ピーピッピッ…
 日曜日に、炊いて小分けに保存していたご飯を電子レンジにかけながら、お豆腐を取り出して調理台に置いた。
 ザルに浄水器の冷水を貯めて、キャベツを一枚一枚剥がしている時に、お湯が沸いた。
 耐熱ガラスの透き通ったティーポットに紅茶の茶葉とお湯をゆっくり入れて数秒蒸らす。
 瀬戸で出来たティーポットもあるが、ガラスの方が汚れが見える事と中国の工芸茶も好んで飲むから、つい此方を使いがちだった。
 茶葉を蒸らしている間にカップにもお湯を注いだ。
 ガラスの中が濃い琥珀色に染まった頃合いで、カップのお湯を捨てて、ラム酒を注ぎ続いて紅茶も注いだ。
 紅茶を注いだ瞬間、芳醇なラムと紅茶の良い香りが空間に広がった。
 無言でジッと横で様子を見ていた凛の手に、両手でカップを差し出した。

「お試しあれ。」

 手に載せられたカップを、三秒程見てから口をつけた。
 ―――ゴクッ…
 飲み込んだ凛の目が微かに光った。
 口に合ったのだと思った。

「美味しいでしょ?意外と。」

「…ラム酒と紅茶って合うんだな。」

 カップの中を見詰めて言う凛に、私の口角が上がった。

「シナモンとシュガーが欲しかったら、凛の右手側の二番目の棚にあるよ。シナモンスティックとか。」

 凛が頷いた事を確認して、夕飯の支度の続きを始めた。
 空気を読んだようで、凛はカップを持ってキッチンを出て行った。

 ご飯とお味噌とおかずを持ってリビングに行くと、ソファの足を背に炬燵に入った凛が居た。
 炬燵テーブルの上に食事を並べると、凛がまじまじ眺めていた。
 時間の関係もあって軽く作った手前、あまり見詰められると少し恥ずかしくなる。
 凛の前で時々料理はするけど、自分用には軽く作れるものが多いから尚更だった。
 付き合い初めは手抜きだと思われる事が嫌で、人の前では変なプライドも相まって料理も頑張らなきゃと、何処か変なプレッシャーを感じた。
 しかし、全くと言っていい程料理をしない凛は、軽くだろうが凝ろうが、料理する事が凄いと思っているようで「気にしない。頑張らなくて良い。」と言われた時に気持ちが軽くなった。
 玉子焼きで凛の目が止まった。

「もしかして、食べたい?」

 本人は気付いてないが、さっきから二回以上玉子焼きに目が行っている。
 夕飯は済ませて来たと言っていたからお腹は空いていない筈だが、玉子焼きは食べたいみたい。
 物欲し気な視線に、こういう所はやっぱり少し年齢差を感じた。
 顔を上げた凛の表情は分かる人にしか分からないかもしれないが、パッと華やいだ気がした。
 笑ってしまいそうになるのを堪えて、焼いて軽くラップをかけて置いた玉子焼きを取りにキッチンに入る。
 木製のトレーに凛用の玉子焼きと箸と小皿を載せて、炬燵へ戻った。

「……良いの?」

 遠慮がちに言葉を選びながら聞く凛。
 私はその言葉に頷いた。

「どうぞ。」

 ―――いただきます…手を合わせた後、長い指先にきちんと正しく指が添えられた箸。
 食事へ向かう姿勢が、ちゃんと家庭で教育されていた証拠。育ちの良さが出ている。

「甘い。けど、美味い。」

 感想を述べてくれるのは、作った側として素直に嬉しかった。

「出汁巻きと迷ったけど、今日は甘くしたの。口に合って良かった。」

 進む箸に本当に美味しいと思っていると分かる。
 些細な事だけど、そんな他愛も無い時間に癒やされる。

「柚衣」

「…え?」

「ボーッとしてる。」

「違うよ。凛の食べる姿、眺めていただけ。」

 眺め過ぎて自分の箸が止まってしまっていた。
 軽く箸を持ち直してご飯を口に入れる。
 気付かないフリをしたけど、凛は何処かやっぱり心配しているようだった。
 覗き込んで来る視線が、ジリジリ私の表面を焼いていた。
 誤魔化す為に笑顔を貼り付けた訳じゃない。
 凛の勘が良い所は好きだし、素直に尊敬もしている。
 けれど……沢野サノの事は言えない。
 言っても何も意味が無いし、今日が何かの偶然だっただけで、きっと二度と顔を合わせる事は無い。
 ―――大丈夫。大丈夫。
 心の中で二回呟いた。今日の出来事も心の奥に蓋をした。
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